29 似た者同士と似て非なる者
道中、彼女がぽつぽつと話すには、キノは第2世代の子供とのことだ。親元から逃げ出して、子供だけでつくられたコミュニティに属している。が、数日前に親に見つかって連れ戻され、ああして売られてしまったらしい。――残念ながら、ここではそう珍しくもない話だった。
「そうか……じゃあ、しばらくは隠れてた方がいいのかもしれねぇな」
くすんだ金色の頭が微かに上下した。売っ払った娘が返ってきたと聞けば、これ幸いとまた捕まえて売りに出すのだ、その親は。そしてそれを理解できる程度には、彼女は親に失望している。
「あの、あっちに……」
「キノ!」
小さな指が指し示した方角から声が飛んでくる。それを聞くなりキノの顔がぱぁっと明るくなった。
「ラビ兄!」
キノの上げた声に応えるように、茶髪の少年――ラビが路地の陰から顔を出した。途端に、濃い桃色の瞳が燃え上がる。両足を開いて腰を落とし、軽く開かれた手のひらに砂が集まってくる。完全に臨戦体勢だ。
「おい! おい、違うぞ!」
勘違いされていることを瞬時に悟ったエドワードはキノの手を放し、そのまま上へと掲げた。ラビも駆け寄ってきたキノを両手で受け止めることを優先し、集めていた魔力を飛散させる。
「怪我は?」
ふるふると薄い胸板に押し付けられた頭が揺れる。ほ、と息を吐いたラビは訝し気な視線をエドワードの方へ移した。それを受けたエドワードが肩をすくめる。
「ちょっと調べものしてる途中でその子を見つけたんでな。送っていく途中だったんだよ……俺はもうお役ゴメンっぽいな?」
上げていた手をポケットに突っ込むと一歩下がった。ラビの腕に抱かれていたキノが振り返る。
「バイバイ?」
「……おう、バイバイな」
背中を向けるのは流石にためらわれたので、視線を合わせたままもう一歩下がる。少年の瞳の炎は燻ってはいたが、まだ消えてはいない。そしてその色はエドワードがよく知っている色だった。
己の内側に招き入れた者を奪われ、あるいは傷つけられて静かに怒り狂う獣が纏う炎の色。エドワードはその対処方法もよく知っている。
「……あの」
不意にラビが口を開く。己の四肢の内に戻ってきた少女の無事を確認して落ち着きつつあるのだろう。
「キノのこと、その……ありがとう、ございました」
「……どういたしまして。これから気をつけてやってくれよ」
エドワードはそう告げると踵を返そうとする。ひらり、空っぽの袖が揺れるのが、無垢な子供の興味を引いた。
「お兄ちゃん、腕どうしたの?」
「ちょっ……キノ!」
ラビは慌ててキノの手を引くが、エドワードは小さく笑った。
「カルラとお揃いにしたんだ。今度同じのをつけてもらうんだよ」
ラビの方には意味が通じてしまうかも知れないが、キノにはわからないだろう。ふうん、と興味深そうに揺れる袖を見つめている。
「じゃ、兄妹仲良くな」
ひらりと片手を振って踵を返す。キノがぶんぶんと手を振っているのが空気で分かった。ラビが再び頭を下げたのも。
エドワードがその場を去ると、ラビはもう一度キノを抱き締めた。不思議そうに見上げてくるキノの頭を優しく撫でてやった。
「気づいてやれなくてゴメンな。一緒に帰ろう」
「うん!」
明るくそう言ったキノにラビも柔らかい笑みを返した。
◆◆◆◆◆
「死にたくなきゃ金目のモン全部置いてきな、兄ちゃん」
事件現場に戻ろうとしていたエドワードの足は早々に止まっていた。斜めに立つ彼の前には刃物を持った男が複数名立っていた。姿こそ見えないが、後ろにも何人かいるようだ。完全に囲まれている。面倒なことになった、と冷めた感情を抱く脳は、男のチープな脅し文句を聞き流していた。
「だるまになりたくねぇんなら早くしろや!」
彼らにとっては身体の欠けた優男など格好のカモなのだろう。目の前に切っ先を突き出されてもエドワードは動かずにいる。それをどのように勘違いしたのかは知らないが、野盗は剣の腹でその滑らかな頬をぴたぴたと叩いた。
「ナンだ? ビビっちまって声も出ねぇのか?」
ふぅ、とエドワードが静かに息を吐いた。身体の横に垂れ下がっていた手が伸ばされ、とん、と真正面の野盗の胸をつつく。
「あ? なん――」
「流転の精霊よ、加護を受けし者に応え、咎を押し流せ」
野盗がエドワードの指先に視線を落とすよりも先に、局地的な突風が巻き起こる。声を上げることも出来ないまま、男の身体はきりもみ回転しながら飛んで行き、轟音を上げて廃屋の壁をぶち破った。
先ほどまでの喧騒が嘘のように空気が凪ぐ。理解をした者から順にじわじわと恐怖が広がる。美麗の唇がつり上がった。
「どうした? ビビっちまって声も出ねぇのか?」
先の科白をそのまま返せば、波が引くように人壁が広がる。数で押せる相手ではないとわかるだけの脳はあったらしい。エドワードはそのまま歩を進め、その場を去ろうとした。が、不意に足を止める。
「……僕要らなかったね?」
ぼんやりと佇んでいた糸目のバハムーンが小首を傾げる。手のひらからは水が噴き出していた。野盗たちに攻撃する直前だったのだろう。
「ん、まぁ……大丈夫だな」
あはは、と空笑いしたバリーは糸目を薄く開いた。不思議な光を宿した真珠色の瞳が動きを止めていた野盗たちを映す。
「君たちさぁ……」
静かな声が低く、鼓膜に響く。
「あんまりお嬢に迷惑かけないでよ?」
冗談をいさめるような軽い言い方だが、その声は重い。唇も笑みを作るように上がっていたが、瞳は欠片も笑ってはいない。男やラビとは異なる温度を持った声と瞳に、エドワードの背筋に冷たいものが走る。
「……もう行っていいよ。後ろから攻撃したりはしないから」
バリーの言葉を聞いた途端、野盗は蜘蛛の子を散らすように逃げていった。それを見送って溜め息を吐くと、エドワードに向き直る。
「同行するよ。僕もここじゃある程度顔が広いからさ」
「ん。助かる」
あの程度の輩に絡まれたところで脅威にはなりえないが、面倒だ。素直に頷いたエドワードはバリーの後を追った。
湿気を含んだ風がエドワードの鼻にツンとした生ごみの臭いを運ぶ。これは確かにどこかで誰かが文字通り腐っていても気づかないだろうな、とそんなことを思った。
しばらく両者とも無言で歩いていると、饐えた臭いに鉄錆が混ざる。男と女の声が揃って別々の名前を呼んだ。
「なんでここにいるんだ、バリー。アオイはどうした?」
「ちゃんと屋敷に届けたって……僕の担当地区だったから、気になっちゃって」
頬を掻くバリーにカルラは呆れたように額を押さえた。
「エディ、あの子は?」
「迎えが来たから預けてきた。ラビって名前の坊主だ」
カルラがあァ、と小さく声をもらした。
「この辺の子供の代表の子か。キノもそのコミュニティの子だったんだな」
「みたいだな。勘違いされて攻撃されかけた……大事にされてんだな」
ふ、とカルラの頬が少しだけほころんだ。が、それは直ぐに引き締まり、惨劇を振り返る。
「そんな子供らの為にも、さっさと見つけないとな」
今のところ彼らに被害がないとは言え、キノのようにたまたま現場に居合わせて殺される可能性もある。今回は運よく見つからなかったようだが、次もそう都合よくいくとも限らない。
「……それにしても」
不意にバリーが血だまりに足を踏み入れた。渇きかけた血と未だ壁を流れる血が混在するその文字を見上げて眉をひそめる。
「これはどういう意味なんだろうね……単純に考えれば、第一世代を殺したい人たちの代わりに、ってことなんだろうけど」
「心当たりとかないの?」
男がそう尋ねると、バリーはへらりと笑う。
「第一世代以外の人たちは大概死んでほしいと思ってんじゃないかな?」
「……そりゃそっか」
「まぁ、死んでほしいとまでは言い過ぎかもしんないけど」
別にいなくなったところで困る人はいないのだろう。処理をしなければならないギムレーの住民たちは困るかもしれないが。
「このまま根絶やしになってくれれば……なんて話もちょこちょこ聞くようになってるしね」
何の臆面もなくそう言い放ったバリーは軽く肩をすくめた。そうして小さく溜息を吐く。
「まぁそれでも……このやり方に賛同はできないからね」
バリーは壁に向けていた視線を落とすと、床に転がる遺体を手で指し示した。
「いつも通り、顔写真撮って身元と遺族の有無の確認……1週間で音沙汰なければこっちで埋葬、でいいですよね」
そう伺いを立てるとカルラは頷いた。バリーはカメラを取り出すと早速作業にかかる。傷が胸だけなので顔は比較的綺麗なのだ。時折ひっくり返して顔を軽く拭ってはシャッターを切る。が、5,6人目辺りで不意に手を止めた。
「……お嬢」
「どうした?」
「僕、仕事中にヒューマーと揉めたって報告書出しましたよね」
「……あァ」
その先を察したのだろう。カルラは目を閉じて眉間を揉んだ。
「何人混じってる?」
「まだ全員確認したわけじゃないけど、この分だと皆いそうかな……」
そうか、と短く返したカルラは改めて部屋の中を見渡した。それなりに質の良い調度品が揃えられ、死人だが肌艶も良い方。盗品で生活している者たちのアジトと言ったところか。バリーとぶつかったのは恐らく調達部隊だろう。
黙々と作業を再開しだしたバリーは時折見た顔を見つけては、うわ、と小さく声を上げていた。そんなバリーに男が一歩近づく。
「なんかあったの?」
「軽~い小競り合いみたいなもんかな。心配しなくてもかすり傷1つ負わせちゃいないよ」
ここじゃよくあることだよ、と続ければ男の顔が少し曇る。バリーはケタケタと笑った。
「全部金網の向こうの出来事だよ……ま、あの子感受性はちょっと強そうだよね」
そのくせ、それを受け止めるだけの器を持ち合わせてはいない。吐き出すことさえろくに出来ない。あの細い身体の許容量を超えた分はどこに向かうのだろうか。
アクアマリンに赤色が写る。彼らが飛び出してきたとき、あの子はどんな表情をしていたのだろうか。
「そう言えば、アオイちゃん生魚苦手なんだって……僕とお揃い」
知ってた? と表情の読めない笑顔が見上げてくる。男は黙って首を横に振った。
「お昼一緒に食べに言ったんだよ。お芋の小鉢貰ってね、すっごい大事そうに食べてたよ。いい子だよね……ちょっと食べるの遅いけど」
「アンタが早いんだろ。奥歯にミキサーでも仕込んでんのか?」
「それね、シバにも言われた」
ちゃんと噛んでるんだけどねー、と続けたバリーはもう男の方を向いてはいなかった。唐突に会話を切り上げられ、男は何とも言えない表情でバリーの後頭部を見つめている。
そんなやり取りを、エドワードとシャオは少し離れた場所で見守っていた。
「よくわかんねぇ修羅場だな」
「そうかなぁ?」
エドワードが視線を斜め下に落とす。毎回思う事だが遠い。やや腰を曲げるとシャオは内緒話のように口元に手を当てて囁いた。
「だってあの2人似てるけどちょっと違うし」
「あー……んー、まぁ、そうかも、な」
先だっての出来事を思い出しながら歯切れ悪く答える。確かに似ている気はする。だが、バリーの方がまだ安定して見えるのだ。その違いが何なのかまではエドワードにはわからないが、バリー本人は知っているのだろう。教えようとしているのか、からかっているだけなのかはまだ少し判断がつかないが。
バリーが全員の写真を撮り終える頃にはカルラが呼んだ部隊が到着し、遺体を運び出していった。ヒューマー居住区に置いたままだと窃盗やお礼参りが来ることがあるのだ。そのため、この事件に限らず運よく見つかった遺体はギムレーの遺体安置所に仮置きされる。
鼻にしつこく纏わりつく死臭と鉄錆を振り払いながら、5人は一旦帰路についた。バリーは自分の家へと戻り、カルラは上乗せされたであろう書類タワーを思い浮かべ、少し暗い顔で執務室へと向かっていった。
「あ、お帰りなさい」
不意に聞こえた声にそちらを振り向けば、庭のベンチに碧が座っていた。その膝の上には青い毛玉が乗っかっている。傍らにはお行儀よく羽を畳んだベリルが留まっていた。
「ん、ただいま……その仔は?」
「街であったケットシーです。こういう状態なので連れて来ちゃいました」
碧が青い背中を撫でていたのとは反対の腕を軽く掲げて見せる。そこには尻尾がくるりと巻き付いていた。
「ギムレーでは一般的なペットみたいです。すごく人懐っこいんですよ」
「ふーん」
男は軽く屈むと手を伸ばしてこしょこしょと腰の辺りを撫でる。ケットシーはうにゃうにゃと鳴きながら寝返りを打ってお腹を見せた。エドワードやシャオが撫でても嫌がる様子はなく、変わらず碧の膝の上でまどろんでいる。
「カルラには言ったのか?」
「あ、さっきすれ違った時に一応……」
カルラはケットシーをしこたま撫でた後、ちょっと明るくなった顔で執務室へと向かっていった。たまに執務室に派遣してくれとも頼まれている。
「俺、グレイの様子見てくるわ」
碧とケットシーやベリルを見ている内に会いたくなったのか、エドワードは仮設小屋へと向かった。シャオは碧の隣に腰かけてケットシーを構っている。そんな平和な風景をしばらく眺めた後、男は不意に背筋を伸ばした。
「おっさん、ちょっと出掛けてくるよ。結局ギムレーの方はまだ見て回れてないし」
「そうですか……その、お気をつけて」
「ん。ご飯までには帰るから」
ベリルとケットシー、擦り寄ってきたチビを順番に撫でて男は笑う。そうして碧の頭もぽんぽんと叩いてから踵を返した。チビは碧を男を少しだけ見比べ、歩き出した男について走り出す。
向かう先は決まっていた。
バリーは気のいいお兄さんですが、怖いお兄さんでもあります。




