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【完結】せめて異世界では普通になりたかった  作者: 四片紫莉
第1章 普通じゃない人たち

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03 おっさんとお買い物

「いまから行くのはキファの町だよ。農業と酪農が盛んでね。チーズがすごく美味しいんだ」


 男は戸締りをしながら簡単に説明する。


「こっから歩きだと30分くらいかな。さ、行こうか……チービ、お前はお留守番」


 後半は閉じたドアを引っ掻いていたチビに言ったようだ。きゅんきゅんと寂し気に鼻を鳴らし、耳を下げている姿がすりガラス越しに見える。チビが本気を出せば木製のドアなどひとたまりも無いはずだ。ちゃんと手加減しているあたりは男の躾の成果なのだろうか。


 2人が歩き出しても鳴き声はやまず、碧は何度か後ろを振り返っていた。男も眉間を揉みながら歩いている。家が拳ほどの大きさに遠ざかってやっと、声は聞こえなくなった。男が詰めていた息を思いっきり吐く。


「毎回こうやってすがってくるからさ……ついついおやつとか買って甘やかしちゃうんだよね」

「チビ、おじさんのこと大好きなんですね」

「だからこそ心が痛いんだよね」


 はぁ、と男は溜息こそ吐いているが嬉しそうだ。が、急にその表情を引き締めて碧に向き直る。


「……町ではチビの話はしないでね。おっさんも飼ってるのは犬ってことにしてるからさ」

「え?」


 碧は少し驚いて男を見つめ返した。魔物は人を襲わないと男は言っていた。てっきりこの世界では動物と同じような扱いなのかと思っていたのだが。男はきまり悪そうに頭を掻いた。


「魔物は人を襲わないんですよね?」

「まー、そー……なんだけどねぇ」


 そこじゃないんだよ、と。男はもう一度溜息を吐いて足を止めた。碧も立ち止まる。


「さっき言ったけど、ヒューマーで魔法が使えるヤツはほとんどいない。ノア王国の中でも王宮お抱えの魔法使いが2,3人程度だ」


 男は人差し指と中指を立ててぴこぴこと左右に揺らす。


「つまり大抵の人間は魔法を知らない」


 知らないものは、怖い。それを使える者も怖い。ましてや魔物は人と言葉を交わすことは出来ない。


「だから、人は魔物を恐れて殺そうとする……おっさんがあんなとこに住んでるのも魔物が間違って人里に下りないように見張ってるんだよ」


 表向きは人を護るためってことになってるんだけどね。男は軽く肩をすくめてコンコンと腰に下げた剣を叩いた。


「そう……なんですか」

「ま、町の人達の考えもわからなくはないんだけどね。人馴れした魔物も野生の狼もおんなじようなモンだからさ」


 自分の子供や大切な人は近づけたくないだろう。それにしたって、何もしていないのに殺そうとするとは。そう思うのは自分がまだこの世界の常識を知らないからなのだろうか。碧は家の方角を振り返った。楽しそうにボール遊びをしていたチビが頭に浮かぶ。


「わかりました、気をつけます」

「ん、ありがと」


 男は碧の頭を撫でると再び歩き出した。が、すぐにまた足を止めて振り返る。


「そうそう、言い忘れるところだった」


 男は先ほどまでと打って変わって、悪戯っぽく笑っている。碧は首を傾げた。



◆◆◆◆◆



 キファは円形の高い壁に囲まれた大きな町だ。農業エリアと商業エリアに分かれていて、農業エリアで採れる新鮮な作物や畜産物が商業エリアの真ん中の大きな市場で売られていた。市場を囲むようにして雑貨屋や洋服屋などが並んでいる。


「今日のメインはアオイちゃんの生活雑貨だからね。外から回ってお昼に市場に行こうか」


 男は簡易地図を広げて商業エリアの外側を指差す。碧は少し顔を曇らせて男のコートの袖を引く。


「あの……」

「あぁ、お金なら気にしなくていいよ。おっさん、こう見えて結構稼いでるからね。ほら、あっちで入場手続き済ましちゃお」


 先を越されてしまい、碧は口をつぐんだ。本当に聡い男だ。裾を掴んでいた手を逆に引かれ、大きな門へと向かう。男はフードを被りながら門番へと近づいた。当然向こうは警戒を露にしている。


「通行証の提出をお願いします」

「通行証じゃあないけど……ほいこれ」


 男はコートのポケットからカードのようなものを出して門番にかざした。胡乱げな表情で受け取った門番の目がこれでもか、というほどに見開かれてく。次の瞬間には勢いよく腰を折った。


「し、失礼いたしました! どうぞ、お入り下さい!」

「お連れの方もどうぞこちらへ!」


 なんだかよくわからないが問題ないらしい。碧が男を見上げると、ブイサインが返ってきた。傍らの歯車が轟音を上げて軋み出す。それに連動して分厚い門がゆっくりと開かれていく。途端に喧騒が耳をくすぐった。


「ほら、行こう」


 門が開き切るのを待たず、男は歩き出した。碧も慌ててその背を追って門をくぐった。ざわめきが一際大きくなる。分厚い壁に遮られていた日光が差し込み、碧は目を細めた。光に慣れるのを待って、ゆっくりと開く。


「わ……」


 碧は小さく感嘆を漏らした。男がフードの下で満足げに笑った。


 キファの町は高い塀に囲まれてはいるものの、他国との交流は盛んだ。様々な肌の色のヒューマー達が色とりどりの髪を揺らし、瞳を輝かせながら通りを行き交っている。商業エリア外側の雑貨屋郡は主に観光客向けらしく、名産や特産を謳う品々が並べられていた。


「この辺は帰りに見て回ろうか。まずは服とか食器から見ていこ」

「はい!」


 思わず勢い込んだ返事に男も楽しそうだ。早速フードを被り直して、手近の店に入ろうとする。が、再び袖を引かれて碧を見下ろした。


「あの……お顔隠されているのには何か理由が?」

「あぁ……おっさん、言葉足りてないねぇ」


 ぺちん、と片手で顔を覆う。


「おっさんこの国じゃ、ちと有名なのよ」

「そうなんですか?」


 そうなんですよ、と男は繰り返す。そうして再びコンコンと腰の剣を叩いた。


「おっさんがあそこに住んでから魔物の被害がなくなったって評判なのよ。おっさんが魔物を倒して回ってるからこの国は安泰だってさ」


 実際は魔物が人里に下りないように気を使ってるだけなんだけどね。そう言った男は明後日の方向に視線を飛ばした。


「騒がれるのもあんまり好きじゃないしー……過剰に持ち上げられてるから、ちょっと痒いっていうかー……」


 男は困ったように眉をひそめて頬を掻いた。が、碧も少し表情を曇らせ、男の腕を引いて耳元に口を寄せた。


「いえ、あの、さっきから警察? みたいな格好の人達にすごく見られてるので……」


 多分怪しまれているんじゃないかと。男が視線を向けた先では碧の言うところの警察――黒を基調とした制服に青い腕章をつけた男が数人集まっていた。うわぁ、と男が小さく呟いたのを聞き咎めたのだろうか。胸に一際大きなバッジをつけた男がつかつかと歩み寄ってくる。


「失礼、警備隊の者だが」


 警備隊の男はそう言うや否や碧と男の間に腕を差し込んで引き離した。戸惑う碧を遅れて近づいてきた数名の警備隊員が囲んで男との間に壁を作り、更に距離を離す。面倒なことになった、と男はフードの下でこっそり目を眇める。


「この子とはどういう関係かね」

「預かってる親戚の子だよ。ちょっとばかし患っていてね、おっさんの家で療養してるんだ」


 町に入る前に示し合わせた嘘を吐く。碧もこちらを振り返ってきた隊長に見えるように大きく頷く。隊長は視線を男に戻した。不意に軽く肩を叩かれ、碧は視線を上げる。隊員の1人がこちらを見下ろしていた。


「君、名前は?」

「え、ぁ……碧です」


 小声で訊かれたのに釣られて小声で返した。男は更に問いを重ねてくる。


「病気なのかい?」

「……いえ、少し頭を打ってしまって。怪我はもう治ったんですが……」


 そこまで聞くと、隊員は素早く隊長の元へ向かうと彼に耳打ちした。


「……申し訳ない、最近誘拐事件が多発しているもので……気を悪くしないで欲しい」

「気にしなさんな。あんたらがしっかり仕事してくれるから俺らは安心して眠れんだからよ……なぁ、アオイちゃん?」

「はい、ご心配ありがとうございます」


 努めて明るくそう言えば、隊長は短く息を吐いて片手を軽く振った。碧を取り囲んでいた隊員たちが左右に分かれて道を開ける。碧は男の元へと駆け寄った。男も碧の頭を撫でて見せる。


「お勤めご苦労様です」

「恐縮です……あの、お節介ですがフードは取った方がよろしいかと」


 あー、と男は生返事を返した。そうしてフードを少しだけ引き上げて頬に走る傷跡を見せる。


「見ての通り、あんまり穏やかな顔じゃなくってね。多分フード取っててもあんたらは同じこと聞いたと思うよ」


 苦く笑ってそう言えば、流石にそれ以上食い下がっては来ないようだ。隊長はペコリと頭を下げて踵を返す。隊員達も隊長に倣って持ち場へ戻っていった。男と碧の溜息が重なる。


「イヤー、事前に打ち合わせといてよかったね」

「はい……」


 でも誘拐犯は酷くない? と悲しそうな男に碧は苦笑いを返すしかなかった。お世話になっている身で失礼なのだろうが、他にどう見えるのかと言われればぱっと思いつくものは正直無い。


「じゃ、気を取り直していこうか」


 男は目の前の店を指差した。ジャケットの形の看板にはやはり見たことのない文字で『魔法使いの弟子』と描かれていた。


「ここおっさんの行きつけなのよ。おっさん、既製の服じゃサイズなくてね」


 言いながら扉を開ける。からん、と燻し色のベルが音を立てた。音に反応したらしく、奥の方から足音が走ってくる。明るい金色の髪を高く結った店員が顔を出した。ふんわりと裾が広がったワンピースに身を包んでいる。薄緑色の大きな瞳と淡いピンク色の唇には満面の笑みが浮かんでいた。


「はいはい、いらっしゃいま――なんだ、アクアか」

「せめて挨拶ぐらいは最後まで言おうよ、こちとらお客様よ?」


 店員にあるまじき態度と、急に低く雑になった口調に男もふざけたように返す。気の置ける仲なのだろう。入口の辺りで突っ立っていた碧はふと男の方を見上げる。


「アクアって……」

「あぁー……まぁ、おっさんのあだ名みたいなもんだよ。目の色がアクアマリンだから、縮めてアクアなんだってさ」


 どうやら本当の名前ではないらしい。誰にも名前を名乗っていないのだろうか。碧が首を傾げたその時だった。


「ん?」


 どうやら店員が碧の方へ気づいたらしい。つかつかとこちらに歩み寄ってくる。背の高い人だ、と最初は思ったのだが、それだけではない。肩幅は男に負けず劣らず広いし、伸びてきた手のひらは片方でも碧の顔を包めそうなほど大きい。


「……あの」

「あぁ、コイツはエドワード。腕の立つデザイナー兼テーラーだよ。まぁ、その、近くで見たらわかるだろうけど……ね!」


 男は言葉を濁らせた。が、言いたいことはしっかり伝わっている。


「エディでいいぜ、大抵のヤツはそう呼んでる」


 エドワードは何かを確かめるように碧の頬を触っていた。首回りや肩、腕、腰と手を滑らせた後、身体を起こす。


「似合いそうなヤツ何着か頼むわ。後、俺用のシャツ3枚。柄は任せる」

「おう、わかった」


 エドワードはそう言い残すとさっさと店の奥へと引っ込んでいってしまう。何が何だかわからないまま取り残された碧は男を見上げた。


「あの、既製品で十分ですよ……?」

「や、おっさんの服のついでだから……それに、向こうも喜んでると思うよ」

「でも……」


 男は言い淀む碧の頭を優しく撫でた。その時、店の奥から声が飛んでくる。


「いっつもデッカイおっさんしか来ねぇからさ! たまにはこういう細かいおしゃれなヤツ作りてぇのよ!」

「……常連に向かって失礼だと思わない?」

「ふふっ」


 碧が笑みをこぼす。出来上がるのには2,3時間かかるとのことだったので、男と碧は一度店を出た。そのまま近くの店で食器や家具などを買っていく。流石に持ち歩くのは無理なので宅配を頼むことにしたらしいが、碧は不安げに眉を寄せる。


「あんなとこまで届けてもらえるんですか?」

「あぁ、山の麓に受け取り用の小屋があるんだよ。チビにも遊びついでに手伝ってもらうから、大丈夫」


 言いながら男は渡された用紙にさらさらと住所を書いていく。それを受け取った店員が目を通し、息を詰めた。


「も、もしかしてアクア様ですか!?」


 興奮した様子で放たれた声は思いの外大きく、店にいた人間の目を集めてしまった。やべ、と男が小さく呟く。波紋のようにざわめきが波打ちながら広がり、大きくなっていく。


「あー、アオイちゃん」

「は、はい」


 方々からアクア様! アクア様? と疑いと期待の入り混じった呟きが聞こえる中、男はそっと碧に声をかけた。見上げると引き攣った顔で笑っている。


「絶叫マシーンって平気な方?」

「へ?」


 質問の意図がわからず、思わず疑問符を返してしまう。が、男は鬼気迫る表情でどうなの? と重ねて訊いてくる。


「そ、そこそこ平気ですけ、ど――ッ!?」


 言い切る前に足が地面から離れた。担ぎ上げられたのだと気付いたのは景色が猛スピードで流れ出した頃のことだ。少し顔を上げるとさっきまでいた店がはるか遠くに見える。数名が入口に溜まって辺りを見回しているのが見えた。こちらの事は既に見失っているようだ。


 ――この状態で警備隊に見つかったらなんて言い訳すればいいだろうか。碧は高速で後ろへと流れていく景色を眺めながらぼんやりとそう考えていた。

おっさんはデカいのでどう頑張っても目立つんですけどね。

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