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【完結】せめて異世界では普通になりたかった  作者: 四片紫莉
第2章 内側の世界、外側の世界

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27 迷子と猫

 バリーがカルラへの報告を終え、碧は男たちが帰ってくるまで待機となった。突然降って湧いた自由時間にどうしようかと悩んでいると、カルラに呼び出された。チビやベリルはぐっすり眠っていたのでグレイたちに預け、1人カルラの自室へと向かった。ノックをすると入れ、とだけ返ってきたのでドアを開ける。


「失礼します」

「ん。呼びつけといて悪いんだけど、ちょっと待っててくれ」


 カルラは執務机で書類の確認をしていた。碧は勧められた通りソファに腰かける。応接室のような雰囲気に何となくそわそわしていると、書類に目を通し終えたらしいカルラが対面のソファに腰かけた。優雅に脚を組むと少しだけ前のめりになる。


「居住区の様子はどうだった?」

「え……」


 唐突な質問に言葉を探していると、カルラはさっきまで呼んでいた書類をひらひらとはためかせた。


「バリーから報告は受けたんだけどね。アオイから見てどうだったかを聞きたくてさ」


 首を傾げる碧にカルラは書類をめくる。そうして指先で紙束を弾いた。


「子供たちに会ったんだろ? ……賊にも遭遇した。それで、アオイはどう思った? ヒューマーのアンタの意見を聞きたいんだ」

「そう、ですね……」


 碧は相槌を打ちながら居住区での事を思い返していた。バリーやラビの反応を見るに、大人が子供を襲うのはそう珍しくもないことなのだろう。そして、()()はもっと危険な場所なのだろう。


「ギムレーとの差がすごいな、と」


 真っ白な街並みと薄汚れたスラム街。比べるべくもないことだとは思うが、それでも強烈に印象に残っていた。着ているものも食べているものも、歩いている人たちの表情や顔色も何もかもが違いすぎる。

 そんな碧の素直な感想を聞き、カルラは重たい溜息を吐く。


「そうだな。居住区からも差別だなんだと声は上がってる」


 差別、と碧が小さく呟いた。それを拾い上げたカルラが肩をすくめる。


「ま、正直なところ奴らを全員を()()()()に受け入れてやるつもりはない。ここに連れてこられる奴らは一人残らず犯罪者……隔離は必須だ」


 カルラの指先がローテーブルの上に線を引く。トントン、とその片側を叩いて、言葉を続ける。


「男と女で便所が分かれてんのと一緒さ。アタシは少なくともそう思ってる」


 碧はこくりと頷く。ギムレー含むニダウェからすれば不本意なのだろうが、要は監獄のようなものだ。それも収容されているのはミズガルドで更生の余地なしと判断された犯罪者ばかり。同情することは出来ない。


「だが、第一世代以外のヒューマーはまた別だ」


 そしてこれこそが、ニダウェの根深い問題でもあった。


 カルラは脚を組みかえて持ったままだった書類の束をテーブルの上に放った。そうして腕も組んでソファにもたれかかる。


「……だが、残念な事に第一世代の影響を色濃く受ける子供も多いんだ。そうでなくても親元から逃げられる子供もそう多くはない」


 監獄の中で産まれた無辜(むこ)の者たち。罪人たちの間に産まれ、罪人たちの中で育つ彼らは次第に歪んでいく。当然と言えば当然だ。子供にとって親の存在は絶対なのだから。見放されれば彼らは生きていけない。


「残酷な話だが、赤ん坊を親から取り上げることも考えた。だが、それは正しいのか? それで子供らは幸せなのか? どんなクズでも家族は共にいるべきか?」


 カルラの声が段々と大きくなっていく。それはまるで、抱えたものの大きさ重さを示しているようだった。


「率直に思った事を言ってくれ。碧はどうすればいいと思う?」


 真っ直ぐな黄金に見つめられる。碧は視線をカルラの唇の辺りに逃がした。少しの沈黙の後、重い唇が動き出す。


「……わからない、です」


 膝の上の手がきつく握りしめられる。ぐるぐると回る頭は答など到底返せそうにない。


「何、も……わからなくて……」


 ただ、苦しい。


「家族、は、ずっと一緒にいるべきだって思ってて」


 不幸な家族の存在を知らなかったわけではない。それでも一緒にいなければならないのだと思ったのは、そう言われたからで。


「普通は、そうだから……嫌い、になるのがおかしいから」


 途切れ途切れの言葉は繋ぎ合わせてもよくわからなくて。浮かび上がって来る誰かの言葉に邪魔をされる。


『でも、家族なんでしょう? それはこれから先も変わらないわ。仲直りなさい、その方がいいわよ』


 喧嘩してるのは、自分じゃないのに。家族だから、仲良くして欲しかったのに。表面上だけでも良かった。せめて、自分に見えないところで、聞こえないところで――そう望む事すら、おかしいのか、と。


「アオイッ!」


 はっ叩かれるように名を呼ばれ、碧はびくっと肩を跳ねさせた。それを沈めるように、褐色の手が小さな肩を包む。その手が妙に温かく感じたのは、身体が冷えていたからだろう。


「イヤなこときいちまったかね……ゴメンな」


 否定したかったが、渇ききった舌は口蓋に貼り付いたまま動かなかった。ぽんぽんと頭を叩かれ、碧はより深く俯く。


「いやね、ギムレーにヒューマーが住むのは初めてだからさ。ちょっとでも意見が聞けたらって思っただけなんだ」


 ゴメンな、と謝罪が重ねられ、頭に置かれていた手が輪郭を滑る。頬を包むように手のひらで包まれ、碧は顔を上げた。目尻を流れていった汗が親指で拭われる。


「……吐きそうか?」


 黒い頭がふらふらと左右に揺れる。カルラは立ち上がった。


「何か甘いもんでも持ってくるか。休憩するから付き合ってよ」


 ウインクして見せたカルラに碧は微かな笑みを返した。カルラが部屋を出ていき静かになると、頭の中の声は一層大きくなっていく。


『家族なんだから、支えてあげて。愚痴くらいいいじゃない。聞き流しておけばいいのよ』


 それが出来なかったから。苦しかったから。聞いて欲しかったから、電話したのに。


『大丈夫よ、それくらい。貴方が悪口言われたり、叩かれたりしてる訳じゃないんでしょう?』


 そうだけど、聞いているのが辛いから。見ていると苦しいから。頑張って伝えようとしたのに、上手く言えなかった。


『もっと大変な子たちだっているのよ? 貴方は幸せな方よ』


 自分より不幸な子を見て、幸せに感じろと言うのだろうか。比べたところで自分が苦しい事に変わりはないのに。


「アオイ?」


 いつの間にか戻ってきていたカルラが覗き込んでくる。びくっと肩を震わせた碧に入れたての紅茶を勧め、カルラは再び対面のソファに腰かけた。

 湯気の立つ水面に息を吹きかける碧を見ながら、カルラはキースに用意させたプチフールを摘まんだ。洋酒の効いたスポンジがしゅわりと口の中でしぼむ。


「ほら、アンタも食べな」


 ほらほら、と皿ごと持ち上げて目の前に突き出せば遠慮がちに1つ摘み上げられる。もく、と一口サイズの筈のケーキが半分だけかじられた。バリーが碧は食べるのが遅いと言っていたことを思い出す。口が小さめなのが原因だろうか。


「……」


 見れば見るほどただの子供だ。内側に何かを必死に抱え込む、か弱い子供。あれだけ魔物に好かれていながら、魔法使いですらない。記憶を無くしたと言っていたが、それが何か関係しているのだろうか。


 2つ目のケーキを口に放り込み、カルラは執務机の方を振り返った。まだ目を通していない書類が幾つかに分けられ、小高い山を作っている。視線を戻せば、まだ少し顔色の悪い碧が目に入る。

 早々に優先順位を決めたカルラは紅茶を一息に飲み干した。カップを雑にソーサーに戻すと、音に反応した黒曜がちらりとこちらを見る。そんな仕草にカルラは少しだけ眉をひそめた。


「あぁ、ごめん。うるさかったか?」

「あ、いえ、全然……」

「そう?」


 カルラは首を傾げ、フィナンシェをかじった。そうして碧がケーキを呑み込むのを見届けてから、勢いよく立ち上がる。碧は目を丸くしていた。


「アオイ、午後は暇だよな?」

「ぇ、あ……はい」


 元々の差も相まって大分開いてしまった身長差がどことなく碧に威圧感を感じさせてしまう。カルラが押しの強いはっきりした人物ということも一因だろう。言葉を引っかけてしまった碧が頷く。


「ちょっと煮詰まって来ちまってさ。気分転換したいんだ、付き合ってくれるかい?」


 散歩でも、と言いながら窓の外を指差す。釣られた碧の視線の先を、タイミングよくザクロが通り過ぎていった。碧はまた頷くとカルラに倣って立ち上がる。


「お気を遣わせてしまって、すいません」

「いや、こっちこそ付き合ってくれてありがとう」


 人の感情や含みによく気の付く子だ。そしてそれを気にしすぎるきらいがある。カルラは謝罪を流しながらそんなことを思う。


 生きづらそうな子だ、と。本当にそう思う。


「行こうか」


 手を引いてやらないと、迷子になってしまうタイプだろう。カルラが手を差し出すと、碧は戸惑っていた。気にせずに手首を握ってやれば、振り払われることはない。

 キースに言伝を頼み、カルラは碧と共に外へと出た。中庭では相変わらずグレイとザクロが魔法使いらしきバハムーンの青年たちと戯れている。こちらに気付いた2匹がそれぞれ尻尾と手を振ってきたので碧が手を振り返すと、満足そうに遊びに戻っていった。


 ギムレーの町中を歩くと、カルラは住人に次々と声をかけられる。慕われているのだろう。あの人柄なら当たり前だ。事情を知らない多くのバハムーンは碧のことを不思議そうに見ていた。その内の1人がとうとう疑問を口にする。


「お嬢、そのヒューマーは? 居住区からの移住かい?」

「いや、ミズガルドからの移住だ」

「え、じゃあ……」


 驚いたようにこちらを見るバハムーンの女性に碧は身をすくませた。こんな子が……? とざわつき始めた辺りでカルラが首を振って口を開く。


「島流しじゃない。デミヒューマーや魔物と親しくすることは罪じゃないはずだ、そうだろ?」


 先ほどとは違う驚きが波紋のように広がっていったその時だ。騒めくバハムーンたちの脚の間をすり抜けるようにして毛玉のようなものが碧に駆け寄った。


「え、おわっ……!」


 助走をつけて胸元に飛び込んできた毛玉の勢いを殺しきれず、碧は後ろ向きに倒れそうになる。思わず目を閉じたが、背中に添えられたカルラの手のお陰で共倒れせずに済んだ。


「……猫?」

「いや、ケットシーだな」


 ハチワレの猫だと思ったが、違うらしい。ケットシーは甘えるように喉を鳴らして青い頭を碧の胸元に擦りつけている。ぱっちりとした大きな瞳は赤と緑のオッドアイだ。


「……首輪してないな、野生か」


 碧に夢中なケットシーの首筋の毛を掻き分けたカルラが呟く。聞けばケットシーはニダウェではポピュラーなペットらしい。気まぐれだが魔力を持たない者に対しても比較的人懐っこく、仕草が愛らしいと人気なのだそうだ。言われてみればバリーと歩いていた時も何匹か見かけた気がする。


「しかし、アオイはほんとにモテるな。皆コイツがうらやましそうだ」


 カルラの言葉に何人かが辺りを見渡す。屋根の上や店先のタルの上、果ては人の頭の上で好きにくつろいでいるケットシーの何匹かは碧の方をちらちらと窺っていた。


「何かいい匂いでもすんのかね?」


 不意にカルラが碧の首筋に鼻を近づける。すん、と至近距離で息を吸い込まれ、碧は肩をびくつかせた。対してカルラは変わらず不思議そうに首を捻っていた。


「……わっかんないねェ――むっ」


 むに、とカルラの眼前にピンク色の肉球が迫る。思わず仰け反れば碧の腕の中からケットシーが前脚を伸ばしていた。碧が慌てて引きはがしたが、どこか非難するような視線を受けてカルラは頭を掻いた。


「いじめたつもりはないんだけどねェ……ゴメンな」


 ぽんぽんと青い方の頭を軽く叩いてやれば、ふん、と鼻息が返った。


『スキにりゆうなんてなくていいでしょ』


 そう言ってするりと碧の腕の中から抜け出したケットシーは器用に碧の身体を登っていく。碧の頭に両前脚でしがみつくと、機嫌よく尻尾を揺らした。そんな様子をカルラ含む住人たちは驚きながらも微笑ましく見守っている。


「まァ、とにかくアオイは島流しのヒューマーじゃない。()()()()()()()()でミズガルドで生きづらくなってこっちに来たってだけだ」


 カルラが軽く碧の背を押して前に出す。幾つもの視線を向けられて思わず身を縮めたが、ぷにぷにの肉球が励ますように頭を撫でてきた。


『ギムレーのバハムーンたち、ゴハンくれるいいひとたちだからだいじょうぶ』


 脳内に響いた声に、碧は小さく笑った。不思議そうにするカルラを他所に、大きく深呼吸をする。


「ミズガルドから来ました、碧です。ご迷惑かもしれませんが、これからよろしくお願いします」


 そう言って深々と頭を下げると、どこからともなく拍手が沸き起こった。歓迎の言葉を口々に言われ、碧はほっと肩の力を抜いた。


『ね? いいひとたちでしょ?』

「そうだね」


 ケットシーが腕の中へと戻って来る。つぶらな瞳で見上げられたので、元気づけられたお礼に顎の下を掻いてやった。満足げに喉が鳴る。


「他にも何人か客人はいるが、それはおいおい紹介しよう……アタシの友人だ、雑に扱ったら承知しないよ?」

「了解、お嬢!」


 カルラの笑みを含んだ言葉に、示し合わせたかのように揃った声が青空に抜けていった。

異様に動物にもてる人っていますよね。

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