22 碧と普通じゃない人たち
どっ、と地面が揺れる。鎧をまとった身体が倒れ伏したのを一瞥して、男は大剣を鞘に収めた。一息ついて辺りをぐるりと見回す。
「やー……我ながら頑張った」
思わずそう呟く。男とチビは一瞬前まで戦闘中だった。恐らくはスペイスが敗れた際の保険だったのだろう。十数名の騎士たちが、さきほどと同じような大広間に構えていたのだ。そして男はものの数分で、彼ら全員に土をつけていた。
「シャオは……まだ戦闘中かな?」
時折、地面が重々しく揺れる。戦闘中は気付かなかったが、スペイスの魔法だろう。地面が揺れるのが楽しいのか、チビは揺れに合わせてぴょこぴょこ跳ねていた。
「ん、チビもお疲れ様」
手招くと、チビは器用にも騎士たちを避けながらこちらへと駆けてきた。その背後の壁面には、チビが頭突きで創り出した奇妙な人型のオブジェが幾つか貼りついていた。
手元にきたふかふかの頭を撫でてやる。チビは男の脚に何度か頭を擦り付けると、入口に放置していたトロッコの方へと走っていく。男がそれを追おうとしたその時、小さな呻きが足元から上がった。そちらに目を向ければ、一番最初に柄で殴って気絶させた騎士だった。もう目を覚ましたらしい。
丁度いい、と男はその騎士の頭付近にしゃがみこんだ。殴打の影響で身体をうまく動かせずにいるようだった。手元の地面にミミズのような引っ掻き跡が幾つか出来ている。
「君らの予想通り、俺らはミズガルドを出ていくよ」
男の声に、騎士が微かに顔を上げる。そうして息を呑んだ。
「魔物は山から出ない。ヒューマーは山には入れない。いい落としどころだと思うけどな」
「ではやはり、貴方方があの霧を……」
蚊の鳴くような声に、あぁ、と男が小さく息を吐いた。
「あの霧を創り出したのは魔物だよ。魔物の魔法……具体的に誰の魔法かは言わないけど」
ぎり、と拳と歯が鳴る。ぐぐ、と地面を押した手のひらは直ぐに力を失ってぱたりと落ちた。
「ッ、貴方はヒューマーでしょう!? 俺は……っ、貴方に憧れて騎士に……!」
すぅ、と男の瞳から感情が消える。
「……俺はね」
静かな声が重い響きを纏って騎士の鼓膜を震わせた。
「君たちのことなんか知らないし、どうでもいいよ」
騎士の瞳孔が開く。緩慢に首を持ち上げれば、どこまでも冷たいアクアマリンが見下ろしていた。
「俺は魔物が平穏無事に暮らせればそれでよかったんだ。だから、魔物が人里に下りないようにあの山に住んでた――討伐の為? それは君らが勝手に言い出したんだろう? 俺は一度でもそれを肯定したか?」
質問しておきながら、威圧の乗った声は騎士の口を縫い付けていた。そもそも、と男が続ける。
「君たちは俺の何を知ってるの?」
名前も。出身も。種族すら、明確に口にしたことはない。男の全ては謎に包まれていた。親しい友人の存在も知られてはおらず、ギルドに所属することもない。
10年ほど前に突如として現われ、グリョートの山中に住み始めたのだ。同時期に、魔物は山から出てこなくなった。そうして彼はヒューマーの英雄として名を馳せたのだ。男は一切何も言わないまま、思い込みと彼らの望む姿が語り継がれ、人々に安寧をもたらしていた。
「知らない癖に憧れておいて、勝手に幻滅されても困るんだけど」
男は流れるような仕草で立ち上がった。遠退いていく氷の視線はそれでも冷たく鋭く、心臓を凍らせていく。が、騎士はぐっ、と唾を呑み込むと口を開く。
「では何故! 何も言わなかったのです!?」
刹那、地面が震えあがった。大きく開いていた口に砂塵が舞い込み、騎士はむせ返る。が、兜の上から強い力で地面に押し付けられ、ほとんど動かない手足をもがかせた。鼻先がつぶれ、頭蓋の代わりに兜が男の手の中で軋む。
「が……ッ、ぐ」
「俺の口を閉じたのはお前らだよ」
炎を帯びた声がごうごうと耳の奥に聞こえた。男は騎士の頭を微かに持ち上げると、再び地面に叩きつけた。兜越しとは言え鈍い衝撃が脳みそに響き、騎士の意識を刈り取る。男が手を離せば、再び鈍い音と共に騎士の頭は地面に横たわった。
男が長く熱い息を吐く。いつの間にか足元に来ていたチビが男の手のひらに鼻先を擦りつけていた。
「……あぁ。ごめん、チビ」
男はチビを抱き締めると額を突き合わせるようにしてふかふかの毛並みに顔を埋めた。
「自分のことじゃ怒らないって決めたのにね……」
仕方ないなぁ、とでも言いたげにチビが鼻から息を吐いた。揺れたひげが頬に当たり、男がくすぐったそうに笑う。もう一度ぎゅ、と抱きついて、チビから離れた。
「じゃ、合流場所行こうか」
ウォン、とチビが元気よく吠えた。
そこからの道中は打って変わって平和なものだった。男とチビがポイントについて数分と経たずにシャオも合流し、再びトロッコに乗り込む。
「怪我は?」
「ないよ。アクアとチビも大丈夫そうだね」
にぱっと笑うシャオに毒気が抜けていくのを感じ、男は薄く笑った。ここから先には待ち伏せもないはず。男があぐらを崩して座ると、シャオもそれに倣った。
「そう言えば、シャオはどうしてミズガルドに?」
昨夜から気にかかっていたことを尋ねる。彼はエドワードのようなハーフではなく純粋なドワーフだ。生まれはミズガルドではないはずだった。
「んー……信じらんないかもしれないけど、さ」
不意にシャオの顔が曇る。男は驚きつつも首を傾げた。
「オイラ、ニダウェの出身だけど……ヒューマーの友達いるんだ」
「あぁ、何だそんなこと」
てっきり何か深刻な話かと。そう続けた男に今度はシャオが驚いていた。男はくすりと笑うと自分を指差す。
「おっさん、エルフの友達いるし」
「……あぁ! そうだった!」
シャオの反応に男は耐え切れずに声を上げて笑った。シャオは恥ずかしそうに頭を掻く。そうして仕切り直すように咳払いを一つ。
「んんっ、それでな。そのヒューマーの子供……ニカって言うんだけど、その子がオイラの作ったオモチャですごく楽しそうに笑ってくれたんだ」
ニダウェにいる子供のヒューマーの多くは島流しになった犯罪者たちから生まれた第2,3世代だ。幼い頃から比較的身近にデミヒューマーがいる環境にあるせいか、彼らに物怖じしない子供が多い。シャオの言うニカもその一人だった。
「それが嬉しくってさ。ヒューマーの事、もっと知りたいって思ったんだ」
「知ってどうだった?」
そんな問いが口を突いて飛び出した。シャオがきょとりと目を丸める。こてん、と首を傾げると考え込むように顎に手を当てた。
「んー……何か、大変だなぁって思った」
魔物を恐れ、殺そうとしては失敗して。デミヒューマーを見下しておきながらその差に絶望し、憤る。見える姿を変えただけのシャオの作品を誉めそやす口で、ドワーフを蔑んでいた。
「よくわかんないけど、嫌いなもの多くて大変そうだなって」
「……そっか。シャオは好きなものの方が多そうだよね」
「うん! アクアは何が好き?」
「あー……食べ物ならシェパーズパイが好きかな」
それからしばらく、2人は他愛ない話をしながらトロッコに揺られていた。
◆◆◆◆◆
空路の2人と3匹は一足先にエリガルに到着した。海にせり出した崖の下。波に削られて出来た空洞で各々身体を休めている。
「ケ……あー、グレイ。しっかり休んどけよ、こっからお前頼りだからな」
『うん、頑張るよ』
少しぎこちなく名を呼ぶエドワードに、ケルピー改めグレイの尻尾が機嫌よく揺れる。その隣でワイバーンが碧を見下ろしていた。
『我の名は考えておいてくれたか?』
「え、あ」
一応、と口ごもる碧にワイバーンが目を輝かせる。ベリルもワイバーンの頭の上でどこか楽し気に鳴いていた。いつの間にか仲良くなっていたらしい。そんな2匹を見ながら、碧は口を開いた。
「ザクロ……でどうかな?」
燃え上がるように鮮やかな赤い鱗とベリルと揃いの深く紅い瞳。果実のザクロと柘榴石の両方から取ったつもりだった。
『……名をもらうと言うのは嬉しいことなのだな。悪いことなどあるものか』
『ザクロとグレイかぁ……後でアクアにも自慢しよっと』
ぴこぴこと左右に揺れていた尻尾が不意に速度を失って垂れ下がる。
『そう言えば、アクアは名前捨てちゃったのかな?』
「いや、そんなことはねぇだろうが……」
『……自分の名前嫌いなのかな?』
首を傾げるグレイにエドワードも同じ方向に首を傾ける。
「最初にアクアって呼び始めたの俺だからなぁ……あんましっかり考えたことなかったわ」
そうして男と初めて会った時の事を思い返す。キファの服屋の前で心なしかしょんぼりしていたところにエドワードから声をかけたのが始まりだった。聞けばここいらの服屋では男のサイズの物がなく途方にくれていたそうだ。
「名前聞いたら黙り込んじまったから、仮にアクアって呼んでたんだよ。そしたら、いつの間にか広まってたんだよな」
碧も初対面時に同じような事になったな、と思い出す。もう2ヶ月ほど前の話になってしまっていたが、その時の何とも言えない空気はよく覚えていた。
アクアと呼ばないで欲しいと言われたことも、よく覚えていた。
「でも多分、いつか教えて下さるんだと思ってます」
不思議と確信を持った言葉が口から飛び出した。エドワードは少し驚いた様子だったが、だな、と笑う。なんとも穏やかな時間だった。それでもエドワードの空っぽの左袖を見るたびに思い出す。
これが逃亡の旅路であることに。
ただ存在するという理由で傷つけられる人たちがいる。殺されそうになるものたちがいる。そしてそれらが、この世界の普通だった。
「ニダウェについたら義手でも作ってもらわねぇとな……アオイ、マギア・リブって知ってるか?」
視線に気づいたのか、不意にエドワードが問いかける。碧は首を傾げた後、横に振った。
「まだ魔法使いしか使えねぇ魔道具の義肢なんだけどな。見た目はともかく自分の腕みてぇに自在に動かせるんだよ」
髪ぐらいは自分でまとめたいからな、とハーフアップにされた金色が揺れる。残されていた手で碧の頭をぐしぐしと撫でた。
「アオイが気に病むことなんか1つもねぇさ。それに、理解があるのは単純に嬉しい」
『そうだな。それがこの世界から産まれたものでないのは少々残念だが』
「まぁ、そこは贅沢言うつもりねぇよ」
目の前で交わされる会話に何とも言えない感覚を抱いていた。それを深く考える間もなく、背後から淡い光が発せられる。
「着いたー!」
揺れた地面から元気よく飛び出してきたのは予想通りシャオだった。遅れて男とチビが顔を出す。
「怪我は?」
男とエドワードが全く同じことを同じタイミングで尋ね、周りが笑いだした。気恥ずかしそうに頬を掻いた2人は、揃ってへらりと笑う。
「ねぇよ。平穏無事な道中だったぜ」
「こっちはちょっとバタバタしたけど、まぁ特に問題は無かったかな」
十数人の騎士たちとの戦闘をちょっとバタバタで済ませる辺りは何とも言えないが、とにかく無事に合流できたのだ。ここからニダウェまでは特に長くなるので4人と4匹は軽く腹ごしらえをしてから出発することにした。
朝作ってワイバーンに持ってもらっていたサンドイッチとジャーキーをそれぞれ齧りながら、各々にあったことや道中話したことを語り合う。エドワードはシャオがニダウェの出身と聞いて少し驚いたようだった。シャオはというとエドワードの事を純粋なエルフだと思っていたらしく、ハーフだと知って目を輝かせていた。
「じゃあ、ヒューマーと仲良くしてたエルフがいるんだな!」
「今現在進行形でお前の目の前にもいるけどな」
あっ、とシャオの口が開く。数分前に似たようなやり取りをしていた男も苦笑していた。そんな男たちを眺めながら、碧はぼんやりと思考を迷わせる。
目の前で当たり前のように交わされる会話はこの世界からすればひどく異質で。それを理解できるようになってしまった自分に、嫌気が差してしまう。
普通じゃない自分と。普通じゃない人たち。でもまともになりたいとは思わなかった――普通であることに、憧れていたはずなのに。
「アオイちゃん?」
目の前をひらひらと大きな手のひらが横切り、碧はびくっと肩を揺らして我に返った。心配そうに覗き込んでくるアクアマリンに、また初めて出会った時のことを思い出す。
どこまでも優しくて強い人だと思った。その実、本当は怒りっぽいのを必死で制御している人なのだと知った。そんな人の支えになれることを、知った。
「あの……」
碧は口を開いた。いつの間にか、エドワードとシャオ、グレイやザクロ、チビとベリルもこちらを見つめている。思わず閉口してしまったが、それでもゆっくりと言葉を紡いだ。
「これからも……よろしくお願いしま、す」
視界に映っていた顔が全部笑った。
第一章完結です。
次回からはニダウェ編となります。
頑張るぞ(・ω・)ノ




