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【完結】せめて異世界では普通になりたかった  作者: 四片紫莉
第1章 普通じゃない人たち

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15 神さまと友達

 騎士たちが出て行って早々に碧は食事を詰め込み、再び礼を言って食事処を出た。民家と民家の間に隠れ、誰もいないことを確認する。そうして、首から下げてシャツの中に隠していた犬笛を2回吹く。少し待つと人間には聞き取れない音を聞きつけたヴェズルが1匹、碧の前に舞い降りた。ベリルとは別の仔だ。


「これ、おじさんとエディさんに渡して」


 碧は貰った手配書を丸めるとヴェズルの脚に括りつけた。こくりと頷いたヴェズルが天高く舞い上がっていくのを見送り、辺りを見回しながら通りへと戻る。幸い、誰にも見られなかったようだ。

 エドワードや男が想定していたよりも、はるかに情報が早い。碧に関してはまだ特に何もないようだが、数名の騎士に男と一緒にいるところは何度か見られている。警戒しておくに越したことはないだろう。


 かつらがズレていないかを確認し、碧は近くの店に入った。食事処で碧が落としたメモを見た冒険者の男が親切に幾つかの店を教えてくれたのだ。雑貨屋『クドゥク』は少しさびれた印象だが、品物は一級品が多いらしい。


「いらっしゃい……旅行者か?」


 店員らしきがっしりとした男が碧を上から下まで見てそう言った。食事処でもそうだったが、まかり間違っても冒険者には見えないらしい。碧は苦笑しつつ棚に並べられていた食器を吟味する。その内の1つに手をのばしつつ店員の方を窺うと僅かに顎を引いたので、碧は遠慮なくそれを手に取った。陶器製の入れ子皿だ。


「……なかなか目利きの腕があるな」


 店員がぼそりとそんなことを呟いた。碧は特に何も考えずに選んだだけだったのだが、上等な物だったらしい。確かに手触りも滑らかでとても軽い。両手のひらに乗るくらいの大きさで深皿が3つと蓋のような浅い皿が1つ。野営などで使うには申し分ない。


「あの、これおいくらですか?」

「あぁ、これは――いや、待て」


 碧が首を傾げたのとほぼ同時にふわっ、と身体が持ち上げられた。入れ子皿が手から離れて床を転がっていく。声も出せないうちに浮いた身体がカウンターの裏へと下ろされる。我に返った時には男の足元で何かに口を塞がれていた。


「――ッ!?」

「ん、すまん。少し静かにしていてくれ」

「う、んん……ッ」


 口元に貼りついた何かを剥がそうとしていた手が頭上で纏められ、壁に押し付けられる。何も見えないのに身体は動かない。もがいている内に店のドアが開く音が聞こえた。静かに開いたドアをくぐり、黒衣の男が店内へと入ってきた。


「失礼いたします」

「いらっしゃい、何かお探しで?」


 平然と応対する店員の声。音を立てれば気づいてもらえるかと碧は踵を浮かせた。


「黒髪黒目で細身の青年がここに来ませんでしたか?」


 どっ、と心臓が音を鳴らした。咄嗟に息を殺し、見えもしないのに頭上を見上げる。黒髪黒目の青年などこの世界には掃いて捨てるほどいるだろう。それでもタイミングを考えれば、嫌な予感は拭えない。


「……1時間くらい前に来た冒険者の1人がそんな色合いだったと思うが……身体はしっかりしていたな」

「そうですか……ご協力、感謝いたします」


 こつこつとブーツが床板を叩く音が遠ざかっていく。ドアの辺りでぴたりと止まった男はくるりと振り返った。


「貴方に神の子のご加護のあらんことを」

「ありがとうございます、貴方の旅にも幸あらんことを」


 店員がそう言って微笑むと、黒衣の男は微かに頭を下げ、バーデン教団の刺繍が施されたマントを翻しながら出ていった。男が充分に遠ざかっていったことを確認すると、店員はぶは、と詰めていた息を大きく吐いた。そうしてカウンター下を覗き込む。


「ごめんな、大丈夫か?」


 碧はその声と口調が随分と幼いことに気づいた。碧の口と手を押さえていた何かが離れていく。


「っ、はぁ」


 思いっ切り息を吸い込むと、喉が少しだけひりついた。視線を上げれば店員の姿が陽炎のようにゆらゆらと揺らぎ、薄れていく。


「ひっ……」


 思わず悲鳴を上げる。店員の姿が大方薄れた頃、琥珀色の瞳と視線がかち合った。人懐っこそうなくりくりとした目が、次の瞬間にはにっこりと笑みの形に変わる。


「アオイ……だよな? オイラ、シャオっていうんだ。ドワーフで炎の魔法使い!」


 元気よく自己紹介してくれたシャオの背後でもふもふの尻尾が勢いよく揺れていた。近づいてきた鼻先は人のそれよりは犬に近く、薄茶色のふわふわした毛に全身覆われている。身体の毛とは別らしく、頭部には若草色の髪が好き勝手な方向に生えていた。身長は低く、尻もちをついた状態の碧より少し大きいくらいだ。


「あれ? 違ったか? アオイだよな?」

「あ、えっと……」


 何が起こっているのかもよくわからず、言葉を濁しているとシャオはこてんと首を傾げた。


「ワイバーンやヘルハウンドたちから聞いたんだ。アオイっていう魔物と仲良くしてくれるヒューマーがいるって」


 一度会ってみたかったんだぁ! と無邪気に言われてしまえば、疑うことも出来なくなる。碧が首肯すると、ぱぁっと顔が輝く。


「話聞いた時から友達になりたかったんだ。アオイならきっと()()姿()でも仲良くしてくれると思ってさ!」


 含みも何もないからこそ、その言葉は一層棘を増して碧に傷をつける。それでも碧は差し出されたふわふわの毛に覆われた手を握っていた。人の手よりもずっと温かい。手のひらに感じるふにふにとした感触は肉球だろう。


「えっと、シャオ……君?」

「シャオでいいよ、オイラもアオイって呼んでるし」

「じゃあ、シャオ。あの、さっきの人は……」


 碧の質問の途中でシャオの顔が曇った。


「んん……えっとな、あの人たちはアオイの事神さまにしたくて探してる人たちだ。でもオイラ、アオイと友達になりたかったから……邪魔しちゃった」


 しゅん、とわかりやすく耳と尻尾が垂れる。ごめんよ、と続いた言葉を碧は聞いてはいなかった。


 ――神さまにしたくて、探してる。碧の存在が、知られている。ぎゅ、とパーカーの裾を掴んだ。その下に隠した紋様が熱を持っているように感じた。俯いた視界の中で茶色い尻尾がしょんぼりとうなだれていた。


「オイラ、悪いことしちゃったか?」


 碧が押し黙ったのを勘違いしたのだろう。碧は黙ったまま、首を横に振った。


「神さまになんかなりたくなかったから……ありがとう」


 碧がそう言えば、シャオの顔が一転して明るくなる。感情表現が豊かなのはドワーフという種族の特徴なのか、もしくは表現する術を多く持つからなのだろうか。下がっていた耳も上がり、尻尾も機嫌よく揺れ始めていた。


「そう言えば、アオイは旅に出るのか?」


 シャオはひょいっとカウンターを超えると、床に落ちていた食器を拾って碧に差し出した。受け取ったそれは結構な高さから落としたはずだったが、傷1つない。


「うん、そのつもり……それにしてもこれ、すごいね。こんなに軽いのにすごく丈夫」

「だろ! 自信作なんだよ!」


 えっへん、と胸を張るシャオ。碧はというとその言葉を呑み込むのに少しばかり時間がかかった。


「これ、シャオが作ったの?」

「うん、オイラものを作るの好きなんだ。使ってもらうのはもっと好き!」


 聞けば並べてある品々は全てシャオの手作りらしい。物の良し悪しなど碧にはわからないが、今手にしている器1つとっても上等なものだ。シャオの腕前は確かなのだろう。

 碧が棚を眺めていると、不意にシャオが片手を上げた。その手に炎が灯り、陽炎がシャオの姿を覆い隠していく。それはやがて最初に見た厳つい店員の姿に変わっていった。


「この姿なら、ヒューマーもオイラの商品を買ってくれるんだ。それにすごく褒めてくれるんだよ」


 無邪気故に、シャオの言葉は容赦なく碧の胸をえぐっていく。


「……そう、なんだ」


 良かったね、とは言えなかった。シャオは再び魔法を解除すると背伸びしてカウンターに手をかける。


「他に欲しいものあるか? ここになければ作るぞ?」

「ん、そうだね。調理器具とかってある?」


 寝袋なんかはともかく、他のものはここで調達できそうだ。碧も捜されていることが分かった以上、早めに切り上げて男やエドワードに相談する必要がある。碧はシャオの案内に従って工房へつながる扉をくぐった。

 土と火の匂いが鼻をくすぐる。レンガ造りの工房は店に比べてはるかに広い。一番奥に鍛冶台と窯が見える。その手前の作業台には作りかけらしい粘土の塊が幾つも乗っていた。


「調理器具なら鍋とかフライパンかな。こっちのは取っ手が取れるからかさばらなくて便利だぞ」


 シャオはそう言いながら壁にかけてあったフライパンや鍋を幾つかこちらへ持ってくる。そしてそれを机に置くとまた別の作業台の方へと向かった。


「こっちはカトラリー。ここで分解してしまっておけるんだ」


 シャオのおすすめらしきカトラリーが鍋の隣に並べられていく。碧はそれらをリストと照らし合わせつつ、選んでいく。


「じゃあ……さっきの食器と、お鍋とフライパンのセット、後カトラリーのセットを2つお願い」

「わかった、ちょっと待ってて」


 碧が選んだ品物を新聞紙で包み、袋に入れる。碧はその間に財布を取り出していた。シャオが提示した金額を渡し、品物を受け取る。


「ありがとう」

「どういたしまして! また何かあったら言ってよ」


 ペタンと耳が伏せられ、尻尾がぶんぶん揺れる。本当に全身雄弁だ、とそんなことを思いながら碧は曖昧に笑った。何せ次にここに来るのはいつになるかわからない。


「そう言えば、アオイは1人で来たんだよな?」


 そんな碧の内心を知ってか知らずか、シャオはこてんと首を傾げる。碧がこくりと頷くと、渡したばかりの商品を指差した。


「1人で大丈夫か? 近くなら、オイラ手伝うよ」

「ちょっと遠いところだから、いいよ。手伝ってもらうあても一応あるから」

「……ひょっとしてそれ、ヴェズルのことか?」


 シャオはそう言うと工房の窓を開ける。途端にヴェズルが1羽飛び込んで来た。面食らう碧に構わず、突進してきたそのヴェズルの胸元には白い羽がかたまって生えている。群れのボスで、碧が名づけたヴェズル――ベリルだ。


「ベリル?」

「アオイのヴェズルはアオイのこと大好きなんだな!」


 のほほんと笑うシャオに反してベリルは慌ただしく羽ばたき、碧の前で上下していた。一旦買い物袋を床に置いて手を差し伸べるとベリルはそこに舞い降りて脚を突き出した。メモのような紙が括ってある。解いて広げると、走り書きがつづられていた。


『買い物はもういいから直ぐに戻って。黒衣の奴らに気をつけて、アオイちゃんのこと探してる』


 どうやったのかは知らないが、2人も教団のことに気付いたらしい。ベリルに手紙を持たせたのも護衛のつもりなのだろう。


 ――どうして、放っておいてくれないのだろう。


 シャオの話を聞いた時から浮かんだ考えが重さを纏って再び浮かび上がる。


「アオイ、どうした?」


 シャオが不思議そうに顔を覗き込んでくる。碧ははっと我に返ると、慌ててメモをポケットにしまい込んだ。そうして買い物袋を拾い上げる。


「ごめん、もう行かないと」

「ん、そっか」


 碧は残念そうなシャオの声を背に、工房から店への扉を開ける。ほとんど同時に店の方の扉も開いた。


「失礼いたします!」


 凛とした声が響き、碧は思わず動きを止めた。新緑のような瞳と目が合ってしまったのだ。


「いらっしゃい」


 後からの声に碧は突っつかれるように飛び退いた。いつの間にか、炎の幻覚を再び身にまとったシャオが立っていた。


「何かお探しで?」


 先ほどまで小さくあどけない姿と声と口調からは一転、厳つい大男になったシャオは入口で突っ立っていた騎士を見下ろして尋ねる。はっとしたようにそちらへと視線を移した騎士は手を額に当てて敬礼の形を取る。


「ノア王国国王、ジェイド=ノア様より勅令です! こちらの2名を賞金首といたしました! 何卒ご協力をお願いいたします!」


 食事処に現れた騎士と同じ台詞が朗々と流れ出た。シャオは差し出された2枚のチラシを受け取る。が、騎士の視線は碧の方を向いていた。


「失礼、そこの青年」


 シャオがその厳つい顔に疑問符を浮かべていると、不意に騎士が碧に呼びかける。シャオは隣の碧に視線を向けた。指の関節が白むほどに袋を握り締めた手が、小刻みに震えている。騎士から顔をそむけるように俯いていた。


「あの時、アクアの家にいたでしょう」


 アクア様、と記憶の中の彼はそう呼んでいたはずだ。木漏れ日を映して輝いていたはずの新緑の瞳は憎悪の炎に呑まれ、見る影もない。


「人違い、では……っあ」


 何とかそう絞りだしたが、言い終えるよりも先に伸びてきた手が碧のかつらを払った。黒のショートカットが露わになる。確信を得たように彼は一歩、歩み寄ってきた。


「一緒に来てもらえますか」


 王国騎士団分隊長、バイパーの手が碧の腕を掴んだ。

シャオ君は碧より13歳年上です。

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