14 碧と変わり始めた世界
「……どういうこと?」
当然男は怪訝そうにエドワードに問いかける。
「……実験っつっても簡単なもんだ、刀身を雷で軽く撃った」
エドワードは男の疑問には答えずに話を続ける。男は眉をひそめたが、言葉を差しはさむことはしなかった。
「まぁ、当然爆発するわな」
軽く、と言っても莫大なエネルギー。それを増幅した上で一息に放出すれば、大爆発を起こすのは自然なことだ。
「その時に魔力の流れを見てたんだがな……あれは変換じゃなかった。雷を食い破るみてぇに、内側から湧いて出てきたんだよ」
「……どういう、こと?」
つまり、と人差し指を立てたエドワードの表情は厳しい。同じ問いを繰り返した男の顔も険しいものになっている。碧だけがよくわからず、疑問符を浮かべていた。
「モリオンは外界からの衝撃に対して、魔力を放出することで反撃している――それも、信じられないような出力で」
「……つまりモリオンはそれだけの魔力を、鉱石そのものに蓄えてるってこと?」
男の言葉にエドワードはそうなるな、と頷いた。碧は話に飽きているらしいベリルを撫でながら口を開く。
「それは、何かまずいことなんですか?」
「まずいっていうか、魔力が宿るのは生き物だけのはずだ……無生物に魔力が宿るなんて話は聞いたことねぇ」
魔力というのは本来、精霊との対話に必要なエネルギーのようなものだ。ただし、エネルギーとして高密度であるがゆえに、単純な放出でもそれなりの破壊力や、魔物の持つ障壁のような高い防御力を持つ。
「俺みたいな魔法使いとかチビやベリルみたいな魔物には、魔力を溜め込んでおくための器官みたいなモンがあるんだ」
大体このへん、とエドワードは自分の心臓から少しだけ右の辺りを指差した。男は少し驚いたようにチビとエドワードを見比べている。
「え、それ概念とかじゃなくてガチの内臓なの?」
「おう、マギアタンクって呼ばれてる。ちゃんと心臓と繋がってんだぞ」
男も知らなかったらしい。へぇ、と感心しながらチビを撫でていた。
「要するに魔力ってのはマギアタンクに宿るエネルギーみたいなもんだ。だから、無生物に魔力が宿ることはねぇ」
本来ならな、とつけ加えたエドワードは再び表情を引き締めた。指を2本立てて話を続ける。
「可能性として考えられんのは2つ。モリオンが何らかの生物、もしくは教団が魔力を加工する技術を開発した……ってとこか」
エドワードは一旦話を切ると冷めかけたミネストローネをすすった。碧も思い出したようにオムレツにスプーンを差し込む。
「出来ればもうちょい調べたかったんだけどな……今の状況じゃ、流石に無理だ」
口に運びかけていたスプーンからとろとろの卵が少しだけ逃げた。
「ミズガルドから出るにしても色々と準備しなきゃなんだよな……買い物出来るかな……」
碧はスプーンを口に含みながら考えを巡らせていた。じんわりとバターの香りが口内に広がっていく。
「あの……」
碧がおずおずと口を開く。男とエドワードは少し驚いたように碧の方を向いた。碧は一度口を引き結んだが、直ぐにゆっくりと解いていく。
「行って、きましょうか……?」
え、と男が意味のない音を吐いた。エドワードも大きく目を開く。碧もこちらに来て1週間以上経った。男やエドワードのお陰で一般教養も身に付けている。1人でも買い物ぐらいはできるはずだ。
「1人でなら、あんまり目立たないと思いますし」
「いや、ダメだよ!」
男が語気を強める。食い気味の制止だったが、当然の反応だろう。だが、エドワードの反応は男のそれとは異なっていた。
「いや、それ……正直かなり助かる」
「エディ!」
テーブルをひっくり返しかねない勢いで立ち上がった男を制し、エドワードは碧に向き直る。碧も先とは違い、しっかりとした視線で男とエドワードを見つめ返した。
「買い物も何回かに分ければ目立たねぇだろ。いざとなったらベリルもいる……それに、俺ら動けねぇんだから仕方ねぇだろ」
碧にというよりは男に言い聞かせているようだった。ぐ、と男は言葉を詰まらせるが、やがてぐしぐしと頭を掻いた。
「人の印象に残るような顔じゃないから、大丈夫だと思いますよ」
そもそもさほど目立つようなことをしたこともない。男に担がれての逃避行は顔をほとんど見られていないからノーカウントだ。
「んー……うー……」
ひとしきり唸った後、男は大きく息を吐いて脱力した。そうして碧の視線を捕らえる。
「……お願いしていい?」
「言い出したのこっちですよ」
碧は小さく笑った。男はテーブルに片手を着くと反対の手で碧の手を取った。
「危ないことと、無理はしないって約束して」
祈るような仕草で男はそう言う。碧はこくりと頷いた。決まりだとばかりにエドワードは大きく手を叩いた。
「じゃあ、必要なモンリストにしとくわ。一応確認するけど……アオイもついて来るよな?」
「……ご迷惑でなければ」
他に行くところも、頼りもない。それ以上にノアという国に、碧は合わない。パーカーの裾をぎゅ、と握りながら碧は答える。男とエドワードは顔を見合わせると俯いた頭を代わる代わる撫でた。
「迷惑だなんて……むしろこっちがかけてるよ」
「そもそも俺がポカやらかしたのが発端だからな」
男は最後に碧の頭をぽんぽんと軽く叩くと、自分の席に座り直した。それを皮切りに3人とも少し冷めてしまった食事を再開した。
◆◆◆◆◆
次の日碧は朝食を済ませると、買い物の準備を整えて玄関へと向かった。一応茶髪のかつらを被って軽い変装をしている。腰の辺りの紋様もエドワードに化粧で隠してもらっていた。朝食の間中もずっとそわそわしていた男の挙動が一層不審になる。
「ほんとにごめんな、頼むぞ」
対してエドワードは申し訳なさそうな表情ではあったが、落ち着いていた。碧はこちらも心配そうなチビの頭を撫で、リュックを背負い直した。
「ナーストまでの道は大丈夫そうか?」
「はい、地図も見ましたし大体は」
今日向かうのはキファではなく、ナーストと言う田舎町だ。キファはもちろんだが主要な都市は既に情報が出回り、規制が厳しくなっている。
エドワードが仕入れた情報から比較的規制が緩い町を幾つか見繕っていた。ナーストはその一つだ。農業が盛んな田舎町でギルドが無く、冒険者や旅人の中継地点のような町だった。
「治安もそんなに悪くはねぇから大丈夫だとは思うが……危険があったら直ぐに逃げろよ」
「無理だけはしないでね」
「はい、気をつけます」
頷いた碧に合わせるようにベリルが甲高く鳴く。それに応えるような鳴き声が幾つか響き、遠くからヴェズルが羽ばたく音が聞こえた。
「じゃ、行ってきます」
「ん、行ってら」
「気をつけてね」
再三の心配に碧は苦笑する。碧が外へ出ると、ベリルは大きく羽ばたいた。そのまま遥か高くへと飛んで行ってしまう。碧もそれを確認すると歩き出した。
時折地図と方角を確認しながらひたすら歩く。幸いにも特に問題なくナーストの町境まで来ることが出来た。時計を確認すると12時前だった。2時間近くかかってしまったようだ。散歩は好きな方だが、荷物を抱えてとなると少しげんなりする。
とは言え、一度引き受けたのだから、と碧は気合を入れ直す。両手で頬をぱしんと叩き、門をくぐった。開きっ放しの上、門番も居ない。
ナーストは小さな町だ。時折来る冒険者や長距離遠征隊などをもてなして生計を立てているらしい。宿屋や食事処、雑貨屋などが多く見受けられる。他は民家と見渡す限りの畑だけだ。
碧は少し早いが先に食事を済ませてしまおうと近くの食事処に入った。恰幅のいい、人のよさそうな女性の店員が出迎えてくれる。
「あらまあ、いらっしゃい。お1人かしら?」
頷くと、店員は碧をカウンターに案内してくれた。入れてもらったお冷を飲みながら、こっそりと周りを見渡す。碧の他に利用客は冒険者風の男連れ2人と、旅行者らしい男女の4人だけだ。
「随分お若いけど、1人旅かしら?」
「はい、ちょっと物資の調達に立ち寄ったんです」
碧は用意していた答えを吐く。
「ナーストに来るのは初めてなので……何かおすすめとかありますか?」
「そうねぇ、野菜と卵のサンドイッチがおすすめよ。ここは畑しかないからね」
でも今朝採れたばっかりなのよ、と柔らかく笑う店員に碧も笑みを返した。そして勧められたサンドイッチを注文するとポケットに入れていたメモを取り出す。今日の買いもの予定のメモだ。野宿用の寝袋や簡易の食器等、基本的には碧とエドワード用の物ばかりだ。多少大きな物もあるが、それらは町外れでベリルらに預ける予定だった。
今一度確認をしていると注文した料理が運ばれてくる。碧はメモをしまうとサンドイッチを口にする。思えば、ここに来て初めての1人きりの食事だった。男が出掛けている時でもチビとベリルは一緒にいたからだ。
もくもくと口を動かしていると冒険者風の2人の会話が耳に入ってきた。これからの予定を話しているようだった。聞くともなしにそれを聞いていると、不意に1人の言葉が碧の鼓動を乱した。
「そういや、王都に現れたって魔族どうなったんだろうな?」
「グランが斬ったって聞いたけど死んじゃいないんだろ? 迷惑な話だ」
拳で殴られたように心臓が波打つ。不自然に動きを止めた碧には誰も気づかないまま、その2人に男女連れが近寄った。
「その話本当なんですか? 私たち王都に向かう予定だったんですけど……」
「ん? あぁ、前の街……俺らはマグメルの方から来たんだけど、そこじゃ大騒ぎだったぜ」
「なんせノア王国建国300年のパレードの最中だったからな」
マグメルというのは確か、王都にほど近い栄えた街だ。身振り手振りを交えて男が言うには入るにも出るにもチェックが厳しく、ライセンスの無い旅行者や冒険者の一部を規制しているらしい。
「怖いわねぇ、貴方も気をつけなさいよ」
会話に加わろうとしない碧を気遣ってか、店員が声をかけてくれる。碧は曖昧に笑ってサンドイッチを齧った。柔らかいパンとマヨネーズたっぷりの卵ペーストが胃に落ちるや否や、ずん、と重くなる。感覚の違いをまざまざと見せつけられているようで、どうにも食が進まなかった。同時に、嫌なことも思い出してしまう。
『今日はうどんにする予定だったのに……嫌味のつもりなのかしら。ねぇ、碧?』
『また、適当なもので済ませようとして。あーちゃんだってこっちの方がいいでしょ?』
『アイツが適当なせいで、しわ寄せが全部こっちに来るんだよ! 末っ子だからって甘えてばっかで……ほんっとむかつくよなぁ?』
『ちょっと早く産まれたからって偉そうにしてさぁ! いちいちめんどくさいのよ、アタシがいつ兄ちゃんに迷惑かけたってのよ、ねぇ?』
幻聴ですらない、ただの追憶。なんてことはない、家族の日常会話のはずなのに、それを碧は嫌な事として記憶していた。
「っ、あ……」
耳の奥から聞こえてきた声に、内蔵が質量を増した。震えた手からコップが滑り落ちる。プラスチックのそれは割れはしなかったが、中身をカウンターの上に盛大にまき散らして床に転がってしまった。音に気づいた他の客が何事かと振り返る。
「ちょっと、大丈夫かい?」
「す、すいません……っ」
慌てて拾おうと立ち上がれば、その勢いに弾かれた椅子が転がっていく。意図しない騒音と散らかっていく周囲。半ばパニックを起こしていると、冒険者風の男がコップを拾って差し出してくれた。
「すみません、あのっ、ありがとうございます……!」
「いや、気にすんなよ。なんか嫌なこと思い出させちまったみたいだしさ」
男はやや気まずそうに頭を掻いた。碧の様子がおかしいのを自分の話のせいだと勘違いしているのだろう。彼の考えている理由とは全く違う上に途中から聞いていなかったのだが、引き金になったのは確かだ。
「メシ時に辛気臭い話するんじゃなかったよ、悪ぃな」
あぁ、やっぱりこの世界の人たちは良い人だ。そう再認識すると共に、言いようもなくズレた感覚に苛まれる。自分だけがふわふわと浮いているような、一段上か下かの交差路を歩いているような、そんな感覚。
「こちらこそお騒がせしてすみません、ありがとうございます」
差し出されたコップを受け取っている内に店員がカウンターを拭いてくれていた。碧はそちらにも礼を言って椅子を立てて座り直す。心臓は相変わらず音を立てて胸を食い破ろうとしていた。碧は大きく深呼吸する。心配そうな視線が幾つもこちらに向けられていた。これは何か言った方が良いのかと碧が口を開いたその時だった。
「失礼します!」
大きな声と共に食事処の扉が開く。そこに立っていたのは、1人の騎士だった。ノア王国の紋章の入った鎧を身にまとった、王国騎士団の騎士。
片田舎に現れた国つきの騎士に周囲は驚きを隠せずにいる。碧も少々ベクトルは違えど驚いてはいた。そんなただならぬ空気の中、騎士は額に手を当てて敬礼の形を取ると、朗々と話し出す。
「ノア王国国王、ジェイド=ノア様より勅令です!」
店内がざわつく中、別の騎士がチラシのようなものを配り始める。碧もそれを受け取った。震える手で、受け取った。
「写真の両名には懸賞金がかけられています。情報提供だけでも報奨金を用意しております!」
見知った2人の写真の下には見慣れない文字。それでも碧はその文字を理解できる。
「魔族のエドワード及び、それに組する人間アクア! 魔族は討伐、アクアは操られている可能性を考慮し、生け捕りとの仰せです! くれぐれもお間違えの無いよう!」
エドワードの予想を大きく裏切り、王国の決断は早かったようだ。碧はアクアとエドワードの写真をただただ握り締めるしかなかった。
碧自身は家族と不仲だったわけではないのですよ。




