戻るモノ、戻らないモノ
クシャダス砦襲撃より、しばらく後
かつての仲間たち、近衛騎士イリアスやグリフォン・ナイルとの思わぬ再会からまもなく、私たちが囚われていた敵地、クシャダス砦は陥落した。
しかし襲撃した一団は、その場を拠点化するつもりはないらしく、焼け残った物資と捕虜になっていたアトネス兵を回収すると、手慣れた早さで退却を開始した。
私とダッキは、何が起こっているのかわからないまま、人や物が積み込まれていく馬車のそばで呆然としていたのだけれど、不意に後ろからイリアスに首根っこを捕まえられ、ナイルの背中に載せられた。
そして現在、私たちは撤退するアトネスの一団に上空から追従し、千年狐狸精の姿になったダッキが、その直掩についている。
「・・・・あ、ありがとう、イリアス。再会早々、格好悪いとこ見せちゃたね」
「・・・・・」
「ところで・・・その陣羽織なんだけど・・・」
「・・・・・」
何故か剣呑な雰囲気で手綱を握るイリアスは、私の問いかけに一切答えてくれない。
「ナイルも。ごめんね、置いていってしまって」
「キュル・・・キュルr」
「ナイル!喋らないで。ここはまだ敵地よ」
「キュルゥ・・・」
と、元・相棒(お供の動物枠)とも、まともに言葉を交わす事が出来なかった。
ジェイルがMr.アラバマの凶弾に斃れてから、4ヶ月。
残されたイリアスとナイルが、過酷な戦いを強いられて来たことは、私達も承知している。
しかし、彼女たちから漂う空気には、どこか私達への敵意とそして哀しさが感じられた。
その訳を、私はこの後すぐに、文字通り身をもって知らされるととなる。
******
アトネス領内 キオス砦
クシャダス脱出から数時間後。一団は途中で、どこか見覚えのある街道へと合流し、そこからはひたすら西へと平原を進んだ。そして、太陽が西の空へ没する直前に、一団は目的地へと辿り着いた。
迂回できないほど南北に長く高く伸びた険しい山脈、そのど真ん中に空いた、直径3kmほどのクレーターの中にアトネス軍の前線基地が設けられていた。
周囲に建物の残骸が散らばるその大穴の元の名前を、私は知っていた。
「ここって、キオス砦・・・っ、うわぁ!?」
地上の様子を観察していると、突然ナイルの背中から振り落とされる!
グシャッ!
高度は下がっていたものの、2mほど落ちた衝撃で、私は地面に大の字になって動けない。
そこへさらに、黒い影が真上から降ってくる。
バサッ・・・チャキン
目を開けると、敵意に満ちたイリアスの顔が目の前にあり、喉元には、冷たくチクリとした感触を覚える。
「・・・何をしに、戻ってきたっ!?」
「・・・イリアス?」
こちらの腕を膝で抑えた馬乗りの状態で、さらに喉元に短剣を押し付けながら、イリアスは詰問した。
「イオリっ!?イリアス!やめて!」
「邪魔すんな!ナイル、抑えてて!」
「キュル・・・」
ダッキがこちらへ駆け寄ろうとしたが、ナイルが戸惑いの鳴き声を挙げつつ、その進路を塞ぐ。
「なんだ、一体?」
「イリアス隊長か?取り押さえられてるのは誰だ?」
騒ぎをを察したアトネス兵たちが、周りに集まるなか、イリアスは再び詰問する。
「今さら、どの面下げて戻ってきたの?元アトネーの遣いサマ。また幼稚な英雄ごっこ?それとも、アラバマと一緒にこの世界をぶち壊す!?」
「ま、まってイリアス。まずは落ち着いて話し合お・・・」
「落ち着けるわけないでしょう!!」
怨嗟に満ちた罵声と一緒に、熱い涙の雫が私の顔に落ちてくる。
「・・・貴女がいなくなったすぐ後・・・父さんが、死んだわ。魔獣の襲撃からアトネスを守って」
「っ!?アイクさんが・・・?」
初めて異世界に来た日、右も左も解らない私を家に泊めてくれた、屈強な冒険者の姿が、頭をよぎる。
「父さんだけじゃない。冒険者ギルドも、近衛騎士団も、たくさん死んで・・・。なのになんでっ!?貴女達はまた現れたの?4ヶ月も経った今になって、そんな格好で!?返答次第じゃ、この首掻っ切る!」
「やめてイリアス!私たちは、アラバマ達を止めるために!」
「そしてまた無駄死にするんでしょ?周りの人間を大勢巻き込んで。・・・あんた達は、それでも平気なんでしょうね。こうやって何度も生き返るんだからっ!」
でもね、とイリアスは声を震わせ、短剣を取り零し、私の胸の上に崩れ落ちる。
「私たちは、死んだらそこまでなんだ。生き返ることなんて、出来ないんだよ!たった一つの命を背負った人間なんだ!お前ら化け者共の、ごっこ遊びの道具じゃないんだよっ!!」
「っ!」
『この世界の人間たちは、本当に生きているんだ。軽々しく、NPCみたいに扱っちゃいけないんだよ!』
イリアスの叫びは、オレがかつてシドにぶつけ、袂を別った言葉と同じだった。
そして、私が『佐村庵』として、ここにいる理由でもある。
だから・・・、私は拘束の緩んだ左手を抜き、短剣を拾うと、それを自分で頬へと当て直す。
「戻ってくるのが遅くなって、ごめんね、イリアス。でもその分、私も腹をくくって来たんだよ」
「っ!?イオリ!待って!」
ダッキの制止も構わず、私は左頬に宛てた刃を、思いっきり引いた。
シュッ!・・・ジワリ
「くぅ・・・」
痛い、熱い!ジクジクとして、熱を帯びた痺れが、痙攣を伴って広がる。
すると、自分でやっておきながら、苦悶の表情を浮かべる私の様子に、イリアスは気づいて、顔を上げる。
「なに、してるの?そんな事で償いになると・・・」
「説明はあと・・・この傷に、治癒魔法を使ってみて。そうすれば、全部わかっ・・・」
「イオリ!?このバカッ!よりにもよってそんな方法で・・・」
「・・・?」
痛みを我慢する為に、ちょっと格好つけてみたが、ダッキの悲鳴に邪魔された。
それでも、彼女の慌てようから、何かを察してくれたようで、イリアスは顔の傷口に手をかざす。
かざした手のひらから、淡い緑色の粒子が湧き出し、傷口を覆う。
けれども・・・
「・・・どういう事?治らないなんて・・・まさか貴女っ!?」
「そう、今の私は、ただの人間、佐村庵。この身体は女神に与えられた仮の物じゃなく、あっちの世界の本物。だから魔法を使えないし、治癒魔法も、魔法薬の効果も受け付けない。良くも悪くもね。そして・・・」
「ここで死んじゃったら、イオリは本当に死んじゃうんだよ、イリアス」
「どうして、そんな・・・」
呆然とするイリアスに、私は真剣な顔で応える。
「アレスの『呪い』、他人の精神を狂わせる力へ対処するためには、こうする他なかったの」
私がジェイルとして関わったアトネスとメドゥ帝国の戦争。アレスはその時、帝国の兵士たちを狂乱させ、私達への無謀で過激な侵略を行わせた。
そしてあの日、アテナの加護に守られていたジェイルにも、その『呪い』は作用した。シドに急所を撃たれたジェイルに、男神はその呪いを鎮痛剤代わりに使った。
(当然、善意ではなく、自らの勝利宣言を聞かせるためだったのだけど)
今回のリトライの目的は、シドを連れ戻す事。それは同時に、あいつの傍にいるアレスと再びやり合うという事でもあった。
だから私は出発前に、『呪い』を打ち消す力を、この世界の言語が解る翻訳能力と一緒に、アテナから授かって来た。
ただし、アレスの『呪い』は『神の加護』でもある。それを無効化する為には、相応の副作用も受け入れるしかなかった。
「良性悪性関係なく、あらゆる魔法の無効化。それぐらいキツい奴でないと、アレスの呪いは防げない。だから私は、魔法に頼らないよう、肉体を物理的に鍛えた。まぁそれでも、炎とか毒とかは防げないんだけどね」
「そんなの、博打と一緒じゃない!そこまでして、戻ってくる必要なんて・・・」
「あるよ、イリアス。あなたが言った通り、この世界をめちゃくちゃにしたのは、私達。だから、ケジメを付けに来た。私は今度こそ、シドとアレスを止める!」
膝立ちでこちらを見下ろすイリアスを、私はまっすぐ見つめ返す。
困惑に揺れていたその瞳はやがて、左半分が血まみれの顔を映した。
「・・・一つだけ聞かせて。あなたは、アラバマを目の前にして、どうするつもり?説得する?それとも殺す?」
「ぶん殴る!あいつがジェイルの腹に空けた風穴の分。めちゃくちゃ痛かったんだから、死んじゃうくらい」
「へ?」
私の答えに、イリアスは一瞬、きょとんとした顔になった。
そして、堪えるように両手で口を押えるが、一泊も持たずに噴き出した。
「くふっ、ふふふ、・・・あっははははh・・・」
「なによ?私は本気だからね!」
「あははは・・・ごめっ、なさい。でも、笑うしか無くて・・・くふふ」
目じりに涙が浮かぶほど笑いつくすと、イリアスは立ち上がり、私の拘束を解いた。
「はぁ、なんかバカバカしく思えてきちゃった。・・・今はイオリ、って名前なんだっけ?君」
「・・・?そう、サムラ・イオリ。あっちの世界じゃ、大学出たての新社会人。あと、神様の試練で身体は鍛え上げてます!」
「うん、大学云々は別にいいから。一応、今の君とは初対面だから、自己紹介。私はイリアス。元・アトネス近衛騎士団。今は反・魔王軍の遊撃部隊で隊長やってるわ。よろしく」
そう言いながら、小手を外した右手を差し出す彼女は、私の知っているイリアスだった。
けれど、露わになった腕には、以前には無かった傷や、手綱の絡んだ痕が痛々しく遺っている。
私たちは互いに、色んなものを喪って、ここに立っている。もう、前と同じようには振る舞えない。
それでも、同じ目的を持つ仲間に成る事は出来る。
私は、自分自身の手で、イリアスと握手を交わした。