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彼方の隣人  作者: 夏目羊
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12/21・墜落する星/what it is like・下

 軽快な音楽とカラフルな画面。リビングに置かれているテレビの中では小人のようなキャラクターがぴょんぴょんと跳ねている。

 あの雨の日から数日。観察対象を変えたほうが良い、という管理者の意見を無視して、変わらずぼくはあさひの観察をしていた。観察中に邪魔が入らないよう、比較的安全な室内での観察だ。子どもの姿は大人の警戒を解く。水瀬あさひの親に怪しまれることなく、ぼくは彼女の家の中へと入ることができた。

 大人の規格で作られているソファーは、子どもには大きい。ぼくと彼女が二人並んで座って、それでもあと子ども二人くらいは座れそうなスペースが残っていた。そのソファーの上、ぼくたちは寄り添って座った。あの日から不思議と彼女との物理的な距離が近い。


「えー、アマネくん、隣に引っ越してくるの!」


 よそ見をしている間に、彼女が操作しているキャラクターが敵に衝突して、もともと多くなかったプレイヤーストックが一つ減った。話をし出すと彼女は注意が疎かになる。もともとそんなに多くなかったプレイヤーストックはとうとう0以下になってしまって、終りの音楽が鳴り出した。ゲームオーバーの文字が画面上に大きく表示される。


「よそ見してたら駄目だよ」

「だって、いきなりびっくりすること言うから。あと、このステージ難しいんだよ!」


 彼女の差し出すコントローラーを握って、ぼくはキャラクターを操作した。Aのボタンを押せばキャラクターはジャンプして、十字キーの下のボタンを押せばキャラクターはその場でしゃがみ込む。ゲームのシステムに妙な親近感と言えばいいのか、そういった何かを抱きつつ、ぼくはコントローラーでぼくの分身を操作した。


 水瀬あさひの家は一軒家だ。両隣には家が建っていて、片方は昔からの住人のいる家でもう片方は今現在、住人のいない空き家だった。調べてみたところ、どうやら元々の住人が介助の必要な病気にかかり遠方に住む家族とともに住むことになったため空き家が出来たらしい。観察にもってこいの場所で、ぼくはそこに住むことを決めた。

 正攻法が選択できない場合、色々な人間の記憶を操作しなければならないため、正攻法で衣食住の住を得られることは結構な収穫だった。

 仲間にこの旨を報告したところ、各地に散らばった仲間の中でも比較的近くにいた仲間が二個体、一緒に住むことになった。成人男女の姿をした彼らと子どもの姿のぼくが並ぶと普通の家族に見えた。彼らの存在は、星川周という架空の存在に真実味を与えたし、ぼくの存在は彼らという架空の存在に真実味を与えた。


「じゃあ転校してくるの?」

「うん」

「やった」


 彼女に先がないことは分かっている。それでもぼくは観察をやめなかった。むしろ、残された時間が少ない分密度の高い観察をしようと考えた。

 にこにこ笑う彼女の表情を仔細に観察する。屈託のない笑顔だ。

 あの日彼女の表情を曇らせた、観察の妨げになりそうだった例の『大人たち』はもうここには来ていないようだった。水瀬あさひの親を含むあの場にいた大人達数人の記憶は一部を消し、一部を改変させてある。水瀬あさひの親と、あの大人たちはまだ関係が浅かったようで、記憶の消去と改変はそこまで労力のいる作業ではなかった。それでも、大人数の記憶改変で普段する作業量より多かったため、少しの間体が動かなくなってしまったけれども。

 水瀬あさひ本人はというと、あの大人たちについて一切合切何も話さなかった。現実と夢の境を曖昧にしたから、きっと知らない大人たちが彼女の家庭に入ってくる、という出来事は悪い夢であったと処理されたのだろう。


「いつ引っ越してくるの?」

「今週の土曜」

「楽しみ」

「……ぼくも」


 彼女はぼくの顔をつぶさに観察して、「アマネくんの顔、全然楽しみって感じの顔じゃないよ!」と、けらけら笑った。別に意識して無表情を作っているわけではない。意識して表情を変えるのが難しいだけだ。

 見るのとやるのとではまるで話が違う。時と場合を考慮しながら表情を作ることは、人間社会に溶け込みきっていないぼくには難しいことだった。早く人間社会に溶け込まなければならないのに、溶け込むためには人間社会に身を投じてそういったことを学ばなければならない。いわゆる、ジレンマというやつだ。残された時間の中でぼくは水瀬あさひから何が得られるのだろう。そんなことを思いながら、ぼくはゲームのステージクリアに勤しんだ。



 ☆



 二月某日。空は重たい雲に覆われていて、身を刺すような寒さが町全体を包んでいた。


「急な転居でご挨拶が遅れました。越してきた星川です。いつも周があさひちゃんにお世話になっております」

「いえいえ!こちらこそ!」


 引っ越しと言ってもすることは特に無かった。宇宙から来たぼく達にヒトの生活の質はあまり関係ない。前に住んでいた住人の家具なんかもいくつか残っていたから、家の中に入れる物は必要最低限で良かった。

 引っ越しの時に小さな子どもが出来ることは限られている。手持ち無沙汰になっていたぼくの目の前に来た彼女はしぃーっと静かに、のジェスチャーをしながらぼくの服の裾を引いた。


「あそびに行こ!」

「でも、午後から雨が降るかも」


 確か、降水確率は五十パーセントを超えていた。それなのに、あさひはそんなことは些末なことだと言うように「降ったらすぐ家に帰ればいいんだよ!」とぼくの耳元で笑った。

 ささめく声が、くすぐったい。あさひの両親はぼく達が遊びに行こうとしていることに気が付いていない。ぼくの仲間は二個体ともぼく達の様子に気付いたようだけど特に引き留められることなく、ぼく達はその場から離れた。


 外には危険が沢山潜んでいる。あさひは特にその潜んでいる危険を引き寄せやすく、彼女もまた何故かその危険に吸い寄せられるように動いていた。曲がり角のところで勢いよく出てきた自転車にぶつかりそうになったり、意識散漫で左右を確認せず横断歩道を渡りそうになったり。地球には宿主を操作して自殺に追い込むような寄生動物がいる、という知識を僕は得ているけれど彼女もそういう何かに脳を支配されているんじゃないかと思えるくらい、とにかく危険な事象への遭遇率が高かった。

「あぶないよ」とぼくは彼女の手を引く。ぼくとあさひの体格や力はあまり変わらないため、ぼくは彼女の勢いに少し引っ張られた。前をスクーターが通っていく。

 ぱちぱちと瞬きをする彼女は繋がれた手をじっと見つめて、そして控えめに振りほどいた。ぼくが表情豊かな個体であればきっと目を見開いていた。あさひは無表情だった。一瞬だけ、同族なんじゃないかと錯覚するくらい感情の読み取れない表情をしていた。物理的な距離というものは大なり小なり精神的な距離と連動するものだと思っていたから、少しだけ意外だった。ヒトとヒトの距離感が分からない。けれど彼女を不快にさせてしまったのなら謝らなければならない。良好な関係が良好な観察環境を生むのだから。


「ごめんね」

「……なんで?」

「君に不快な思いをさせたと思ったから」

「ふかい?」

「嫌ってこと」

「イヤな思いはしてないよ」

「じゃあ何故手を振りほどいたの?」


 視線が交わって、そのまま通り過ぎる。


「アマネくんのことが嫌いだからじゃない」


 それまでの判断材料で彼女の感情を推量するのは難しかった。後ろを向かれたら、ぼくは彼女の気持ちを推し量れなくなる。ぼくの手を振りほどいた彼女は、いつもの公園に入っていった。

 彼女は公園以外の場所に行こうとしない。子どもが自分の足で行ける範囲内にもっと大きな公園や広場があるのに、毎回毎回家から一番近い小さな公園に入っていく。彼女のあとを追いかけて、ぼくも公園に入る。

 公園に入るとそこには少年が一人、立っていた。年の頃は水瀬あさひと同じくらい。背は小さくて、挑むような瞳で前を見ている。水瀬あさひを見ている。まるでぼく達を待ち構えていたかのような、いや、違う。彼が待ち構えていたのは『水瀬あさひ』だった。

 少年の数メートル前で水瀬あさひはピタリと立ち止まっている。あいも変わらず、背を向けられているため水瀬あさひの表情は確認できない。少年はぼくの方をちらりと見たけど、すぐに興味が逸れたようで、視線は彼女に固定される。


「あさひ」


 硬い声だった。少年に名前を呼ばれた水瀬あさひの肩が揺れる。

 ぼくは彼女の隣に並び立って、横顔を見た。ぼくと接触したときよりも、ぼくの知らない誰かとの接触において彼女は普段見せないような表情を見せる。その瞬間、彼女の瞳にあったのは怯えの感情らしかった。恐れの、感情らしかった。

 水瀬あさひと少年、双方の反応からしておそらく互いに知らない人間ではない。水瀬あさひと同い年くらいの子ども。何故彼女は怯えているのか。


「あさひ」


 ぼくが呼ぶと、あさひは縋るような目でぼくを見た。ぽろぽろと彼女の目から分泌物が出てくる。目に異物が入ったわけではなさそうだ。

 あさひは踵を返して走り出す。転びそうになりながら、一目散に公園の外へ。少年は、あさひのことを追いかけない。

 少年は見えなくなったあさひの背中を歯痒いような表情で見つめたあと、ぼくに視線を寄越した。今度は視線がきちんと交わる。色々と聞いてみたいことはあったけど、今は何より、あさひを追いかけなければならない。ぼくはあさひを追って公園から駆け出した。

 ヒトと変わらない体は不便だ。進んだ距離のわりに息はいとも簡単に上がってしまう。精神体であるならこんな疲労感とは無縁なはずなのに。息が上がって、脇腹のあたりに痛みが生じる。これはきっと、苦しいという感覚だ。

 脱兎のごとく走り出したあさひに追いついたのは橋を通り過ぎた後のことだった。この町には大きな川が北から南に向かって流れている。治水工事はここ数年でしたものらしく、橋も、川の真横に盛土されて作られた道も、河川敷もまだまだ真新しかった。

 川はここ数日の雨で増水して濁っていた。ごうごうと水の流れる音がして、子どもが運悪く川に落ちてしまえば助からないくらいの勢いだった。

 はっ、と短くなった呼吸間隔を整えながら、なおも走っていこうとする彼女の手を何もない道の上で捕まえる。体力はお互いに無限ではない。彼女はある程度減速していたから、その手を捕まえるのは容易だった。振り返ったあさひはやっぱり泣いていた。


「あさひ、どこまでいくの」

「ここじゃないところ。誰もいないところ」


 走った上に泣いている彼女の呼吸はかなり乱れている。彼女の吐く息はとても熱いみたいで、冷たい空気のなかに呼吸が出て行くとあっという間に白くなり、あっという間に見えなくなった。


「誰もいないところって、どこ?」


 彼女が逃げないように両手で彼女の手を捕まえる。身を寄せるように距離を縮める。あさひは迷子の顔で「わかんない……わかんないよ」と呟いた。

 やがて自重に耐えきれなくなったらしい雨粒が、空からぽつぽつと地上へと降り始めてきた。


 ぽつぽつと降っていたはずの雨粒はいつのまにかざあざあと打ち付けるような雨に変わっていた。ぼくたちの手のひらは驚くくらいに冷えていたけど、涙を拭うため触れたあさひの涙は熱かった。


「あさひ」

「うん」

「あさひ、今なら僕しか聞いてない」

「……うん」


 ぽろぽろと溢れる涙を袖で拭ってやる。「お父さんと、お母さんに内緒にしてる事があって」という彼女の言葉から先、ささやかな吐息めいた声は震えていた。


「さっきの男の子、友達なんだ」


 それから、彼女は深呼吸をした。


「一緒に遊んでるときに、車が」


 接触事故が起きた。あさひと車ではなく、友人であるその男の子と、車の。幸い、子どもの体は軽くしなやかで大きな怪我をすることはなかったけど骨折をしてしまったのだそうだ。骨折からは随分と経っていて、彼は全快したみたいだけどずっとそれがしこりとして残っているらしい。


「わすれてしまいたい?」


 泣き腫らした赤い目が、僕だけを見ていた。縋るような目だった。だから僕は彼女の記憶を消してあげようと思ったのに、彼女は縋るような目つきをしているのに、首を横に振った。否定。どうしてだろう。合理的な理由があるようには思えなかった。なんで。彼女を苦しめている記憶は大きなストレスになるだろう。現に今だって彼女の涙は止めどなく溢れている。なのに、どうして。

 まるで理解が及ばなかった。混乱していたのだと思う。だから、気付くのが遅れてしまった。

 泣いていたあさひの表情が驚いたようなものに変わる。彼女は僕を通り越して後ろを見ていた。何度も危険な目に遭っているからか、危険を察知できれば俊敏に動けるらしかった。甲高いブレーキ音。跳ねる水溜まりの濁った水。雨音に混じって聞こえてくる物と物がぶつかる音。打ちどころが悪かったのか、さっきまで笑って駆けて泣いていた彼女はあっという間に動かなくなった。


「あさひ?」


 分かっていた。問うても声が返ってこないことは。


「あさひ」


 分かっていた。現実世界にプレイヤーストックなんてものがないことは。

 死ねばそこでその人間の人生は終わる。人の終わりは酷く呆気なかった。

 でも僕は人間ではないから、少しだけその人間の理に干渉出来た。


 慌てて車から降りてきた人間には気を失ってもらった。だって、これからすることの邪魔になる。生命に干渉するため、僕は大きな力を使った。僕は僕の形を保てなくなってしまったけど、そこはあさひの生体情報を少しだけ模倣させてもらってどうにか元の形に近い体を記憶した。倒れた彼女の頬に触れる。冷たいけど、生き物の温もりがそこにあった。

 僕を守るため、自身の身を投げ出した彼女はきっと先程会った少年と僕を重ねたのだろう。でも、それでは駄目だ。こんなことを何度もしていたら、あさひはすぐに死んでしまう。だから僕は、彼女の記憶をいじることにした。罪悪感で体が動いたのなら罪悪感を抱く原因になった出来事を思い出さなければ良いと思った。


 流石に腹に据えかねたのだろう。気付けばそこに管理者が立っていた。血の気はなくとも一命を取り留めたあさひを見たあと、形を保っていられず随分と小さく不定形のものに成り下がった僕に管理者は冷えた眼差しで「契約違反だね」と僕を見下げたのだった。

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