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彼方の隣人  作者: 夏目羊
15/17

12/21・墜落する星/what it is like・前

 ベッドの上で、あさひは目を閉じて転がっている。深い眠りの中にいる彼女は「うーん」と唸りながら眉根を寄せて身じろぎをした。

 仰向けだった体を横たえて、アルマジロだとかハリネズミが外敵から身を守るときのように。良い体勢が見つかって満足したのか、彼女は丸まった状態でぴたりと動くのをやめた。

 少しだけ子どもっぽい寝方は昔からの彼女の癖だ。小さな頃から、ちっとも変わっていない。


 泣いたせいで、肩くらいまである髪の毛が彼女の頬に張り付いている。それを撫ぜるように払ってやれば、出てくるのは彼女の寝顔だ。ほんのりと色付いた頬。泣いたことが窺える目元。閉じられた瞼。

 閉じられた瞼の裏側に、ぼくを真っ直ぐ見つめた瞳がある。ぼくを思って涙を流した瞳がある。あの目は駄目だ。あの目はいけない。だから今、その瞳が閉じられていることに、ほっと安堵してしまう。

 寝息は耳を澄まさなければ聞こえないくらいで、ぴたりと引き結ばれている唇に目がいった。その口から出てきた彼女の言葉が今も耳を離れない。

 薄暗い部屋の中、プラネタリウムだけが光源になっている。仄かな光があさひの輪郭を縁取っていた。


「すき」


 声に出してみる。深く眠るあさひは当然ぼくの囁きには反応しない。それにしても『好き』という言葉はぼくが言うとなんだか嘘っぽく聞こえてしまって良くないな。

 たった二文字。たった二音。言葉の意味は分かる。辞書を引いたことがあるし、何度か、あさひ以外の人間に言われたこともある。テレビや漫画や小説の中でよく見る言葉で、現実世界でもまた然り。この二文字は実にありふれた言葉だ。


「すき」


 なのにどうして、こんなにも戸惑いが生まれるのだろう。彼女はぼくを好きだと言い、ぼくはその言葉に大きな戸惑いを覚えた。

 普段ならしないような乱暴な行為を働いてしまった。抑えられなかった。……痣に、なってないといいんだけど。


 この星に来るまで、ぼくは物質的な体を持たず精神体で生きてきた。だから精神を制御することなんて容易だったはずなのに、今回ぼくはその精神に引っ張られて自身の行動をコントロールし損ねた。

 精神と行動の衝動が密接に繋がる、という感覚はどうにも扱いづらくて困る。実体のある器を使っているからだろうか。思っていたより、精神は器に引っ張られるものなのかもしれない。

 だからほら、僕の口はまた勝手に動いてしまっている。


「好き」


 芽生えたこれは何なのだろう。ヒトとして生きてきたあさひや、他の人間なら分かるんだろう。でも、ぼくには……僕にはそれが分からない。

 視覚や、聴覚、触覚、嗅覚、味覚。外界からの刺激を感覚器が受容して、脳へと信号が行く。その仕組みはヒトの体の構造をある程度模しているぼく達でも同様に再現出来るものだ。


 しかし再現出来たところでヒトとぼく達の差異が埋まるわけではない。どこまでも平行線で、交わることはない。伝達物質と受容器が同じだからといって、その後に起こる反応が同じであるとは限らない。そんな証明はできない。だから僕は、内面に生まれたものを持て余している。


「好きだよ」


 君に忘れて欲しくないことがある。君に思い出して欲しいことがある。

 忘れて欲しくないのに、思い出して欲しいのに、僕は君の意識を奪い記憶を消す。行動と意識が全く噛み合わない。どうしようもなく矛盾している。僕の思考を矛盾した答えに至らしめるこの衝動は、一体何なのか。


 あどけない寝顔は昔とちっとも変わらない。初めてあさひの寝顔を見た日。初めてあさひの記憶を消した日。春は遠く冬のさなか。空は曇っていて、空気は冷たくて、とにかく暗い日だった。

 ブランコの上でじっと座って、台本だという紙切れを熱心に読んでいた小さな彼女。

 あの日々のことを、僕は鮮明に覚えている。



 ☆



 目をつけたのは偶然だった。約七十億の人間のうち、一個体だけを選ぶ。地球という星に辿り着いたぼく達の種族はそれぞれ全く無作為に自身が観察すべき個体を選んだ。大きさだとか、年齢だとか、性別だとか、その個体の性格だとかそういったものは一切考慮していない。ランダムに対象を選んだ。

 上等な思考力を持ち、その星の頂点とも言えるべき場所に立つヒトという生き物。ぼく達がかつて捨ててしまったものを持って生きる有機体。

 後付けの肉体は選んだ個体の理想に合わせてカスタマイズさせてもらった。そっちの方が、より観察しやすいと考えて。そうして出来たのがヒトの形を模した星川周という存在だった。


 プロトタイプの体は、内臓がきちんと生き物らしく働いていて、血が通っていたし、涙も眼球保護の領分を越えて排出できるような体だった。見た目は今の、現行タイプのものとほとんど一緒で、唯一違うのはその色彩だった。そのときの彼女の好みを忠実に再現した姿形だった。

 誰もいない公園の中、暗闇が迫る夕暮れ時。街灯はスポットライトのように彼女が座っているブランコを照らしていた。整地された土を踏んで、足音が鳴る。彼女は紙を読むため俯けていた頭をもたげて、ぼくを視界に捉えた。ぴかぴか光る丸い瞳。ぼくはそのとき初めて眩しいという感覚を知った。


「王子くんだ!」


 彼女はあまり警戒心のない子どもだった。ブランコから飛び降りて、ぼくの近くに寄ったかと思うとぴかぴかきらきらした目でぼくの目を見た。


「お星さまの色の髪の毛!私が思ってた通りの王子くんだ!」


 ぼくは初めて得た視覚をもって彼女について、つぶさに観察した。せわしない動作でぼくのことを注意深く見ている彼女は、ぼくのことを『王子くん』なる人物だと思っているらしい。


「王子くんって、誰のこと?」

「あなた王子くんじゃないの?」

「違うよ。星川周っていう名前」

「ふーん。こんなに同じなのに」


 彼女は手に持っていた紙をぼくの目の前に掲げた。縦書きの文章と、隅にモノクロ印刷されたイラストが載っていた。なるほど、彼女が好ましく思う相手はこれらしい。ぼくと王子くんが違う存在だと気付いた彼女は少し口を尖らせてつまらなそうな顔をした。


「でも、そうだね。だってあなたは笑わないし、泣かないし、む、ムヒョウジョウ?だし。そこは王子くんと違うね」

「分かってくれて嬉しいよ」


 彼女は分かりやすく凹んだ様子で最初に座っていたブランコに座り直した。そんな彼女に倣ってぼくは彼女の隣のブランコに腰を落ち着けた。


「君は何をしているの?」

「劇の練習」

「劇?」

「王子くんの話を、六年生を送る会で発表するの」

「へぇ。何の役をやるの?」

「王子くんの役」


 心なしか誇らしげな彼女は隣に座るぼくをちらりと見る。それから正面を向いて、手に持っていた台本の紙を小さく折り畳んだ。何をするのかと思ったら、彼女は小さく息を吸って台詞を諳んじてみせた。二言、三言、たったそれだけ。一分にも満たないその時間で彼女は台詞を言い切った。ぱちりと目が合って、ぼくは得たばかりの前頭前野で考えるより先に口を開いていた。


「君の名前は、何ていうの?」


 ぼくはその時、ぼくの中で何かが変容したように感じた。


「水瀬あさひ」


 頭上の夜空を写しとる、星瞬く瞳。彼女の目はきらきらと輝いていて、その日からぼくはその公園へ通うことにした。その頃の彼女は毎日門限ぎりぎりまで公園にいることが多く、そこであさひが何をしていたのかというと、一人で劇の練習をしているのだった。


 小さな彼女は溌剌としていて、お喋りをするときなんかはよく笑顔を見せてくれた。特に多かったのが劇の話題だ。登場人物の中で彼女は王子くんが一番好きらしい。だから、ぼくの姿は彼女の想像上の王子くんを下敷きにしている。


「バラもキツネも好きだけど、王子くんが一番好き!」

「なんで?」

「うらやましいから」

「うらやましい?」

「うん。だって王子くんには大切なバラがいるでしょ?きっとバラがいてくれたら、私もお友達がいなくても寂しくないと思うから」


 曇った。笑顔が隠れて見えなくなった。彼女の笑顔はすっとどこかにいってしまった。

 いつも、彼女と同じくらいの年齢の子ども達は大体において群れて遊んでいた。対照的に彼女はいつも一人きり。


「ねえ、いつも一人だけど、友達は?」


 この頃のぼくはヒトの感情の機微というものが全くと言っていいほど理解できていなかった。ぼくの無神経な言葉に彼女は頬を赤くして、泣きそうな顔になった。知識としてはインプットされているその感情は正しく悲しみの感情であると確信できた。

 今にも零れ落ちてしまいそうだった涙は結局落ちなかった。彼女がおもむろに頭をもたげたからだ。そのままの体勢で彼女は話してくれた。


「私、あんまり遠くには行けないの」

「なんで?」

「お父さんもお母さんも、遠くに行ったらダメだって言うから」


 この公園はすごく近いから許してくれるけど、ほんとは、私が外に出るのもイヤみたい。



 ☆



「あの子の寿命は残り僅かなんだ」


 管理者は、ぼくの領域で笑った。小さな彼女の姿を模していながら、表情も声音も彼女とはまるで違う。ちぐはぐで、拭いきれない違和感がつきまとっていた。


「そんな嫌そうな顔するなよ」

「してない」

「ヒトの寿命は様々でね。あの子は今の歳までに亡くなることになってる」

「何故言わなかった?」

「だって、それは契約外だろ。……あの子はね、外で事故に遭うことになっててさ、これまでも度々事故に遭いかけているんだ。だから両親は外に出したがらない」

「……」

「でもそれも、そろそろ終わるけど」

「ぼくは彼女の観察を始めたばかりなのに?」

「運がわるかったね」


 君も、あの子も。

 仕方のないことに、それは嘆くように肩をすくめた。嘆いたりなんかしてないくせに白々しい。


「あの子の終わりまで観察するといいよ」


 ……まぁ、あと数日も無いんだけどね。そしたら、君は観察対象を変えなきゃならない。本当に、運がわるかったね。


 その言葉にぼくは、たった数日間、たった数時間一緒にいただけの彼女について何を思ったのか。

 ぼく達の種族は不必要な記憶を取捨選択で捨てられる。ぼくはその記憶を要らないものだと判断して、捨てた。だから、ぼくがそのとき何を思ったのか、今となっては分からない。

 けど、ぼくはきっとそこで何かを思ったのだろう。だからあさひは生きているし、ぼくは、あさひの隣にいる。


 熱源。光源。圧倒的なエネルギー。あの光を受け止めようと思ったあの日、僕はいったい何を思ったんだっけ?

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