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彼方の隣人  作者: 夏目羊
13/17

12/20・ふたりの距離

 何故に全校集会における先生の話というものはこうも長いのだろう。既に二回ほど、どこかの誰かが倒れたような音を聞いた。


 冬季休み前の全校集会は、大型のストーブが焚いてある体育館内で行われた。ストーブが遠いせいか温い空気は私達のクラスのところまで来てくれない。特に脚が寒くて、ひざ小僧の辺りはかなり冷えてしまっている。

 休みの過ごし方について生徒指導の先生から、冬休み中の勉強について進路指導の先生から、そして時事の話題を交えた薬になりそうでならない話を校長先生から。

 立ったまま眠れるかもしれない……と思考がぼんやりしてきたところで話が終わり、全校生徒で校歌斉唱。これが始業式だと校歌斉唱のあと、締めの挨拶をすれば解散になるのだけれども、今回は終業式であるため集会はまだ終わらない。校歌斉唱のあとは賞状伝達の時間だ。


 先生の話は立って聞かなければならなかったが、賞状伝達の時間になってようやく生徒に座る許可がおりた。生徒達が動くのと同時に、少しだけ体育館内がざわつく。

 その場で座る人達とは対照的に、クラスの列から抜け出して壁沿いを歩く生徒達がちらほら目に入った。きっとこれから表彰される人達なのだろう。

 演台を見やれば、そこには少なくない数の賞状や盾、それからトロフィーが鎮座していた。賞状伝達が終わる頃には手のひらが痛くなっていそうだ、とひっそり思う。


 水泳の個人種目で活躍した人、トーナメント形式の団体戦で準優勝した弓道部の人達、絵画のコンクールで入賞した人。学年性別様々で、表彰の内容も色々だ。

 拍手のしすぎでそろそろ手が痛くなってきたかもしれない、と思い始めたころ。ふと見知った顔があることに気付いた。

 しゃんと伸びた背筋に、きっちり着込まれている詰襟の学生服。周だ。ステージ上に周がいる。進行担当の先生が原稿を読み上げた。


「これから名前を読み上げられる人は毎週行われている校内の漢字小テストで一年間、一問も間違わなかった人達です。名前を呼ばれたら返事をしてください」


 一年生から三年生まで、成績の良かった人達が名前を呼ばれる。中には芳野さんの名前もあって思わず「おぉ」と小声で感嘆詞を漏らしてしまった。

 成績優秀者の名前が全て読み上げられ、周は壇上へ移動した。きびきびしたお手本のような歩き方に、完璧な角度のお辞儀。

 校長先生は賞状の文言を読み上げ、周へ賞状と封筒が手渡した。そして周が壇上から降りたのを確認して、進行担当の先生がマイクに電源を入れる。



「今回壇上に上がってもらった三年A組の星川周さんは、入学してから今までの小テスト全て満点をとっています。成績優秀者にはささやかではありますが、景品も用意していますので、皆さんも来年は小テスト満点を目指して頑張りましょう。

 これで賞状伝達を終わります。先生方、何か連絡等ありますでしょうか」


 体育館内がにわかに騒めきだす。早く立ち上がりたいけど、混乱を避けるため解散は学年・数クラスごとになっている。三年A組から、順番に解散のアナウンスが流れた。


「ねぇ、去年も思ったけど景品って何なの?」

 隣にいたミヤちゃんが疑問を呈した。一昨年も去年も周は景品を貰っている。確か中身は……


「図書カードらしいよ」

「あぁ、なるほど。QUOカードの方が良くない?コンビニで使えるし」


 なんて会話をしていると「三年D組からG組の人達は解散してください」とアナウンスが流れた。ちらりと体育館前方に掛けてある壁時計を見る。時計は十時過ぎを指していた。


 今日は半日で学校が終わる。今年学校に来るのは今日で最後になるため、集会後は大掃除の時間となっていた。


「いつもは廊下を掃くだけだけど、今日は雑巾で水拭き乾拭きまでやるんでしょ?」

「うん。あと窓も拭くよ」


 ミヤちゃんと一緒にジャージに着替えて掃除場所へ向かうと、先に掃除場所に着いていたらしい男子二人は先に作業を始めていた。


「初国は?」


 ミヤちゃんが聞くと眼鏡男子・福田君はT字ホウキで廊下を掃きながら「窓拭き用の新聞紙取りに行ったよ」と答えた。ミヤちゃんと顔を見合わせる。私達はどうする?どうしよう。ホウキとチリトリはきっと四人も要らない。……そういえば掃除用具入れの中にバケツがあったっけ。ホウキで廊下を掃いたあとは雑巾で廊下を拭かなければならない。


「ミヤちゃんは二人を手伝っててよ。私はバケツに水溜めてくるよ」

「オッケー」


 掃除用具入れから取り出したT字ホウキをミヤちゃんに手渡し、私は上段に置いてあったバケツを引っ張り出した。

 二つ重なったそれは銀色のスチールっぽい素材のもので、私は重なったそれらを分解した。両方とも中を見ると底やフチがわずかに茶色く錆びていたりしていたが、穴は空いていなくてちゃんと使えるようだった。

 年代物のようで両方とも微妙に凹んでいたり傷があったりする。外側表面には堂々とした筆跡で『体育館』と書かれていた。元々体育館の掃除用具入れに入っていたらしいこのバケツは、どういう経緯でこの廊下の掃除用具入れに入ることになったのだろうか。全くの謎である。


 特別教室棟の水場はいくつかある。一階の美術室、二階の化学室、三階の生物室、四階の地学室。この教室にはそれぞれ流しが設置してある。しかし、今いる三階の生物室はまだ掃除当番が来ていないのか教室に施錠がされていて水を汲むことは出来なさそうだ。

 もちろん教室以外にも水場はある。トイレだ。特別教室棟は奇数階に男子トイレがあり、偶数階には女子トイレがある。

 距離的に言えば一番近い水場は三階の男子トイレになるのだけれども、先程から三階の男子トイレでは何が何やら分からない悲鳴が上がっている。


「オイ!なんで水全開にしてんだよ!ホースが暴れるだろうが!」

「ぎゃーー!ごめん!」

「待て待て待て先に蛇口止めろ馬鹿!」

「上靴がーー!つめてえーー!」


 ……阿鼻叫喚である。合掌。どう聞いてもお取り込み中なため、私は潔く他の階の水場に向かうことにした。次に近いのは上階か下階の女子トイレだ。階段の上り下りを考慮して、私は下階の女子トイレにお邪魔することにした。

 下階の女子トイレでは、流しの蛇口にホースを接続し、床のタイルに水をかけていた。デッキブラシを持った女の子が中に三人ほどいる。水で濡れた部分をデッキブラシで擦って汚れを落とす算段らしい。床一面が濡れているため、ちょっと中に入るのは躊躇われた。

 三階の男子トイレでも同様のことが行われていたのだろうか。こっちの方が悲鳴も何も上がっていなくて、ずっと平和的だけれども。


「すみませーーん」


 中に入らず入り口で声をかけると近くでホースを持っていた女の子がこちらを向いた。見たことがある。芸術の選択科目で一緒になったことがある女の子だ。彼女は目をぱちくりさせて私を見た。


「ミナセさんじゃん。どうしたの?」


 ホースからじゃばじゃば水を出しながら彼女は笑顔だ。すぐ私の名前が出てきたことに動揺してしまったが、そういえば今、ジャージを着ているのだった。

 私が通う高校は、指定ジャージの胸のあたりに苗字の刺繍が義務付けられている。向かって右胸のあたり。彼女にバケツを掲げて見せると、石井さんは納得したように頷いて片手を差し出した。バケツを一つ彼女に渡す。


「適当に入れるよ」

「ありがと、石井さん」

「ありゃ、あたしの名前知ってた?」


 思わず顔を見合わせる。お互いにジャージ姿だ。彼女の苗字の刺繍を指差すと彼女は「あぁ、成る程ねえ」とおっとり笑った。どうやら彼女は刺繍で私の名前を把握したわけではないらしい。


「石井さん、刺繍で私の名前を知ったのかと思った」

「違う違う」

「じゃあ選択科目の書道で一緒だったから?」

「よく覚えてたね!あたしは覚えてなかった!ていうか、それも違う。あたしAクラスだから」


 Aクラスとはつまり文系選抜クラスであり、星川周の所属するクラスである。石井さんは「はいよ」と水の入ったバケツを渡してきた。水の入ったバケツと空のバケツと取り替える。


「ミナセさんって星川君の彼女なんでしょ」

「そんなに私の名前って知られてるの?」

「うん。その筋では」


 どの筋だ。一体どの筋なんだ。


「クリスマス前に彼氏が出来るの、いいなあ」

「あはは」

「クリスマスはやっぱり二人で出掛けるの?」

「どうかな。私はともかく、周は受験生だから」

 

「受験生にだって息抜きは必要だよ」と言った石井さんはムッと口を尖らせて「でもあたし達、ラスト高校生だよ?」と一言。ラスト高校生。最近色々ありすぎて忘れていたけど、確かに。


「せっかくなんだから、青春を謳歌しなきゃ」

「善処します」

「うむ、よきにはからえ」

「石井さんのそれ、何キャラ?」


 朗らかに笑って、石井さんは水の入った二つ目のバケツを掲げた。

 癒し系の石井さんに別れを告げ、バケツを二つ持って階段を慎重に登る。あと数段、というところで背後から「水瀬さんっ」と肩を叩かれた。


「わっ」


 バケツの中の水が跳ねて、後ろに立ったその人も「うわッ」と声をあげた。振り返るとそこには目を丸くした初国君が新聞紙の束を片手に心臓のあたりを手で抑えていた。


「や、やめてよ」

「ごめんね、そんなに驚くとは思わなかった。ていうか俺もすごく驚いた」


 初国君はひょいひょいと二段飛ばしで階段を登った。慎重さの欠片も無い登り方だ。踊り場に立って彼は振り返る。


「水瀬さん、何でそんな階段登るの遅いの?」

「最近階段から落ちそうになったの。だから階段の上り下りは慎重にしてる」

「へぇ、そうなんだ」


 初国君はじぃっと私の観察をしてる。彼は首を傾げた。


「この前の夜に俺が送ったやつ、どうだった?」


 私は意識的ににっこり笑ってやる。「すごく、助かったよ」と言えば彼はニヤっとした笑みを返した。



 ☆



 雑巾がけと窓の掃除を終え教室に向かっていると、ジャージ姿の周に遭遇した。どうやらこれからゴミを捨てに行くらしい。彼の両手はそこそこ大きなゴミ袋二つで塞がっている。


「手伝おうか?」

「いや、重いからいいよ。あさひは掃除終わったんだね」

「うん」

「ぼくもこれ捨てたら終わり。SHR終わったら玄関で待ってて」


 周はスッと視線を移動させて私の後ろあたりを見た。振り返るとそこには楽しそうな表情の初国君がいる。視線を受けた初国君は「重いんなら俺が手伝おうか?」と一言。周は少し考えるような素振りを見せて、ゆるく口の端っこを上げた。

 

「いいの?」

「おうとも」

「そうだね……君なら、階段から落ちることは無さそうだし」


 ちらりと私に視線が移る。「そんな毎回階段から落ちませんーー」と文句を言うと周は目元を緩ませた。

 ゴミ袋を片手に持った周と初国君はゴミ捨て場へ向かっていった。他の男子二人は先に教室に戻っていて、残されたのは私とミヤちゃんの二人である。


「水瀬、修羅場?」

「違うでしょ」

「私の恋愛センサーが反応してる」

「そのセンサー壊れてるんじゃない?」



 ☆



 昼で学校が終わる、ということで母からは昼食代を貰っていた。と言ってもコンビニでお弁当が買えるくらいのお金で、だから昼は貰ったワンコインで適当に済ませてしまおうと思っていた。けど隣を歩く幼馴染は昼食をきちんととりたかったらしい。彼は「コンビニじゃなくて、駅前のファミレスがいい」と一言呟いた。

 周は対人関係において、受け身の姿勢でいることが常だ。自主的に何かこれが良い、とかそういう意見を言うことはあまりない。だからその一言に私は「珍しいね」と少し驚いてしまった。彼は困ったような表情で緩やかに笑う。


「そうかな。駄目だった?」

「いいよ、食べたいものがあるんでしょ?」

「うん」


 温度のあまり感じられない手のひらが、自然に私の手を掬い取る。私と幼馴染の温度差がもどかしい。私の熱が早く周の手に馴染んでほしい。握る手に力を入れれば、周は前を向いたままそれに応じた。


「ちょうどお昼の時間だから混んでるかもね。周は時間大丈夫?」

「平気だよ。あさひは?」

「私は家に帰ったら昼寝でもしようかと思ってたから」


 あと四日。何をしていようともタイムリミットは来る。来てしまう。

 冬の太陽は微睡んでいるような光で私達を照らしている。まだまだ日は短くて、夜は長い。


「誕生日にさ、あさひは何が欲しい?」

「うーん、今欲しいものって無いんだよね……」

「じゃあ、あさひの誕生日にどこか買い物にでも行こうか」

「誕生日が終わるまで、家に引きこもってた方がゲームに勝てるんじゃない?」

「ううん、僕が買い物に行きたいんだ」


 少しの違和感が首をもたげる。


「周」

「うん?」

「……周はクリスマスプレゼントに何か欲しいものある?」


 何もないよ、と言う彼の声は拒絶の意でコーティングされていて、そしてやっぱり違和感が付き纏っていた。

 明日から、冬休みだ。

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