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彼方の隣人  作者: 夏目羊
11/17

12/18・波紋

 夜が来れば次に来るものは朝だ。そしてその日が平日で、なおかつ長期休みでないのなら学校に登校しなければならないのが学生の定めである。


 朝起きたら見た夢の大部分は忘れてしまっていた。夢とは一般に忘れてしまうものだと相場が決まっているけど、それでも今まで見た不思議な夢のことは普通の夢よりも覚えていた。それなのに今日見た夢をほぼ覚えていないのは、やはり妨害されたからなのだろうか。


 ちょっと気まずい雰囲気でも一緒にいなきゃならない私と周は通学路を無言で並んで歩いた。夢見がそれほど悪くなかったお陰なのか私は昨日の出来事について冷静に考えられるようになっていた。

 が、今日は周の様子がおかしかった。ぼんやりしているというか、意識だけがどこか遠いところにいって心ここに在らずといったような感じなのだ。もともと口数が多い方ではないのに輪をかけて今日は無言で正直困る。

 そんな感じだから家を出る前、母さんからは呆れたような口調で「あんた周君に何かしたの?」と言われてしまった。真っ先に娘を疑うだなんて誠に失礼な母親である。


 学校に着いて、帰りの約束だけして私達はそれぞれの教室に向かった。それからはいつも通り。普通に授業を受けて、普通に休み時間を過ごして、普通にミヤちゃんとお弁当を食べた。


 この時期にもなると、授業の内容はこれから受験する人たちのためのものになっている。だから授業を受けていても何となく他人事な感じがするのだ。勉学に身が入らないのは、これはもう仕方のないことなのだと言い訳をしたい。

 眠気と壮絶な死闘を繰り広げているうちに六限終了のチャイムが鳴り、六限の現国を担当していた教師と入れ替わるように担任が教室に入ってきた。ショートホームルームの時間だ。

 いくつかの連絡事項について話した後「インフルエンザがちらほら流行の兆しを見せているらしいから、これから受験を控えてる生徒は特に気をつけるように」という定型文めいたコメントをして、担任はSHR(ショートホームルーム)を締めくくった。


「水瀬、本当にいいの?」

「いいよ。ミヤちゃんはちゃんと仮眠とってね」

「……ほんっと助かる、今度何か奢る!じゃあまた明日ね!」

「また明日」


 慌ただしく教室から出て行ったミヤちゃんを見送って、私は鞄を肩にかけた。向かう先は特別教室棟三階の廊下だ。

 小・中学生の頃は帰りの会の前に掃除の時間が設けられていたけど、高校では掃除の時間はSHRの後に設けられていた。だからこれから二十五分間は掃除の時間になる。

 掃除は当番制で、一ヶ月で持ち場が変わる。私は今月、特別教室棟三階の廊下を割り当てられていた。出席番号の近い生徒、計五人の班で掃除は行われるはずなのだけど、ここ最近はあんまり人が来ていない。みんな放課後は忙しいらしい。受験的な意味で。

 鞄を掃除の邪魔にならない適当な場所に置いて掃除用具入れからT字ホウキを取り出す。掃除用具入れの扉を閉じたところで背後から声を掛けられた。


「あれ、今日は水瀬さんだけなんだ」


 振り返れば、そこそこ長身で学ランがあまり似合わない男子が一人。クラスメイトの初国(はつくに)君だ。背負っていたリュックを私の鞄の隣に置いて彼はこちらにやってきた。閉めてしまった扉を開けて場所を譲る。すると「サンキューな」と快活な笑みが返ってきた。スポーツマン系の爽やか笑顔だ。


「宮野さんは?」

「塾。他の男子二人は?」

「予備校らしーよ。どうしても受けたい特別授業があるから今日は早く上がらせてくれって」


 今日は二人だけのようだ。特別棟三階には図書室と国語準備室と生物室の三教室しか無い。普段から生徒が頻繁に出入りする場所ではないからか、廊下はあまり汚れていなかった。掃除が大変でないのは不幸中の幸いだった。

 ホウキを片手に「今日もあんまり汚れてないから楽勝でしょ。二人でちゃっちゃと終わらせよう」と意気込めば「水瀬さんも真面目だねぇ」なんて言って彼はへらりと笑った。


「初国君だって真面目じゃん」

「そりゃ、俺までサボったら水瀬さん一人で掃除しなきゃだろ?」

「私はほら、推薦組で暇だから。ミヤちゃんには頑張ってほしいし」


 受験組であるミヤちゃんのここ最近の荒みっぷりを見ていると、どうしても労わりたくなるのだ。

 ミヤちゃんは同じ班で同じ掃除場所を割り当てられているけど、試験本番が迫っているためここ最近は特別授業やら小テストやらで大忙しなのだそうだ。昼休み、机に突っ伏して過去問へ呪詛を吐いていたミヤちゃんの姿は記憶に新しい。

 睡眠時間をがりがり削っていたりもするようで、だからせめて放課後にある塾の授業が始まるまでの間少しでも仮眠を取ってもらいたくて早めに帰ってもらっている。


「仲良いよね、水瀬さんと宮野さん」

「うん」


 塵や埃を端に寄せていって、そしてそれを土間ホウキとチリトリを持った初国君が集めていく。真白辺高校の特別棟の廊下は教室棟に比べると静かだ。放課後の喧騒はどこか遠くからしか聞こえない。だからなのか初国君の言葉はやけに大きく聞こえた。


「仲良いと言えば、水瀬さんって星川と付き合ってるの?」


 振り返れば存外彼は近くにいた。驚いて思わず後ずさると「あ、ごめん。驚いた?」と悪びれた様子もなく彼は笑う。


「つ、付き合ってるけど」

「ふーん、やっぱり付き合ってんのかぁ。いつから?」

「最近」

「最近なの?」

「え、うん。何で?」

「いや小学生の頃、二人って仲良かったからもっと前から付き合ってんのかと思ってた」


 しばし沈黙。言葉もなく見つめ合う。先に折れたのは初国君の方だ。彼はがっくりと肩を落として恨めしそうな顔をした。


「小二の頃、一緒のクラスだったんだよ」

「え、えーーっと」


 全く覚えていない。小二っていうと私が隕石落下事故に巻き込まれて入院して、その後、周と出会った年だ。諸々のインパクトが強すぎて覚えていないのかもしれない。素直に「ごめん」と謝れば「まぁでも同じクラスになって一年くらいで俺はすぐに引っ越したから。覚えてなくても仕方ないんだけどさ」と彼は苦笑した。


「俺は水瀬さんのことよく覚えてるよ。隕石に当たった女の子って」

「あー、そんな女の子なかなかいないからね」

「でさ、ちょっと引っかかってることがあるんだけど」


 彼は掃除用具入れの隣に置いてあるゴミ箱にチリトリの中身を落っことした。そして振り返って小首を傾げてみせた。


「星川って前、髪の毛の色明るかったよね。今は染めてんの?

 星川って苗字で髪の色が明るいから、一番初めに星川を見たとき本当に王子様だなって思ったんだよね。ほら、俺達劇やったでしょ、王子様がでてくるやつ」


 周の、髪の毛の色?

 初国君の言葉がどこか遠くに聞こえる。夢の中で度々出会う星川周モドキの姿は髪の色だけが違っていた。あれは星を砕いて溶かしたような金色だった。王子さまの色だった。頭が痛む。あともう少し。もう少しで何かが分かりそうだ。

 いつのまにか窓際で外を眺めていた初国君は「あ、噂をすれば星川」と呟いた。窓際に寄って初国君の隣に立つ。


「なんか、女子と一緒にいるね」


 彼の言葉の通り、周は女の子と一緒にいた。人目につかない校舎の影になるようなところで二人きりだった。ここから周の場所まで距離はそこまで無い。窓を開けて声をかけようと思えば出来る距離だ。


「……いいの?」


 気遣わしげに初国君は問うてくる。首を縦に振れば彼はキュッと眉根を寄せ口を尖らせた。彼の表情はどっかの幼馴染と違ってかなり分かりやすい。思わず少しだけ笑ってしまった。


 視線を戻すと周は女の子が前にいるのにも関わらず俯いて何かをしていた。彼が顔を上げるのと同時にブレザーのポケットに入れていたスマートフォンが震える。

 確認してみればそれは周からのメッセージだった。そこには『少しだけ遅れるから、教室で待ってて』というシンプルな連絡事項が記されていた。


「告白かな」

「かもね」


 さて、これ以上の覗き見は良くないだろう。「ほら、掃除も終わったし帰ろう」と隣の彼にそう言おうとしたところで彼に肩を引き寄せられた。いきなりのことで訳が分からなかった。

 手に持っていたT字ホウキをぎゅっと両手で握りしめて背の高い彼を見上げる。彼は窓の外に向かって爽やかすぎる笑顔を見せていた。チリトリを持っている方の手を振って、いかにも友好的な態度だ。


「は、初国君」

「ん?」

「いや、あの、えっと。……いきなり何?」


 彼はキョトンとしている。何故自分が問いを投げかけられているのか一ミリも分かりません、といったような表情だ。視線を斜め上辺りにさ迷わせて、それからお決まりの爽やかな笑顔。


「可愛い彼女がいるのに、他の女の子に告白されてる星川がムカついて」

「はあ」

「だからちょっとした意趣返し」


 窓の外を見る。周は女の子と向き合っていた。意趣返しっていったって向こうがこちらを見ていなければ成立しないのではないか。


「周はこっちを見てないけど」

「見てたよ?」

「え」


 ニッコリ笑って初国君は私の肩を解放した。そのまま彼は数歩歩き、ホウキとチリトリを反対側の窓際に設置してある用具入れにしまった。そしてこちらに向かって差し出される手のひら。慌てて駆け寄りホウキを手渡す。


「水瀬さんが俺に文句言ってるとき。星川はこっち見てたよ」


 用具入れの扉が、錆び付いた音を立てて閉まる。


「見るっていうか、あれは多分……」

「多分?」


 振り返った彼はイタズラが成功した悪ガキのような表情で舌を出していた。



 ☆



 夕食を済ませて母さん、周、私の三人で熱いお茶を飲んでいると、突然母さんが「あ、牛乳買うの忘れた」と呟いた。そんな呟きにいち早く反応したのは周だ。

「ここしばらく夕飯ご馳走になってますし、買ってきましょうか」という優等生的な周の言葉を受けて母さんはちらりと私を見る。なんで私を見るんだ。母さんは思い切り渋いお茶を飲んだときの顔を私に見せてから周に笑顔を向けた。


「気遣ってくれてありがとうねぇ、周君。でもお父さん駅で拾うついでに牛乳買うから大丈夫」

「車出すの?」

「うん。あさひ、留守番お願いね。周君はそのままゆっくりしてくれてていいからね」


 そんなこんなで母さんは車の鍵を指に引っ掛けて出て行ってしまった。多分帰ってくるまで三十分くらいは掛かるだろう。


「テレビ見る?」

「……別にいいかな」

「あ、じゃあ漫画読む?この前貸した漫画の作者さんが描いてる短編集買ったんだ」

「それなら」


 じゃあ部屋から取ってこようかな、と思いながら席を立つと親鳥に追従する雛鳥のごとく周も席を立った。付いて来る気なのか。思わずじっと見つめると周は首を傾げた。行かないの?と瞳が言外に訴えている。……まぁ今日は部屋は散らかっていないし、別にいいかな?


「あさひの部屋は二階だっけ」

「うん」


 階段を上がってすぐのところにある扉。ノブを捻って開ければそこは私の部屋だ。ベッドと学習机とクローゼットと本棚。本棚はきっちりと整理してあるから目当ての漫画はすぐ見つかった。学習机の椅子を引いて「座れば」と促せば周は素直にそこに座る。本棚から漫画を抜き取って「はい」と渡せば「うん」と答えて漫画を受け取り、その後周は無言でそれを読み始めた。


 さて私は何をしてよう、と考えて何ともなしに本棚を眺める。部屋に置いてある本棚はそこそこ大きいもので、ジャンルを問わず本がずらりと並んでいる。

 本棚には漫画や小説は勿論、教科書や資料集も鎮座していた。教科書類は小学生時代のものから高校三年生まで全て残してある。小学生の頃からずっと捨てずに保管しているため、それらは本棚の結構な面積を占めていた。そろそろ整理しなきゃな、と考えて視線をずらしていくと教科書類のせいで隅へと追いやられているアルバムが目に入った。


 そして私は掃除の時間のときに初国君に言われたことを思い出した。周の髪の色は昔、明るかったんじゃないかと彼は言った。しかし私にそんな記憶は無かった。でも、初国君にはある。この齟齬が示す意味。本人に聞けたら一番楽なのだろうけど、何となく周本人には聞き辛い。

 本棚から質量のあるアルバムを抜き取って、学習机の向かいにあるベッドへ腰掛ける。アルバムをぱらぱらとめくっていくとそこには懐かしい写真が沢山あった。

 赤ちゃんの頃の写真、家族旅行で撮った写真、幼稚園の運動会の写真。それから、小学校時代の写真。それから。


「あ、」


 お目当ての写真に指だけでなく思考も止まる。


「記憶の操作が出来るってことは、実は意識を操作出来るってことでもある」


 近くにあったヒントに、私は気付けなかった。


「……それで何回か私を助けてくれたんだよね」

「そうだね。溺れそうになった君の意識に干渉して、君の体を動かしたり」


 いや多分ヒントは意図的に隠されていたのだろう。意識への干渉。それをすることによって彼は私に暗示をかけていたのだ。

 アルバムの写真の中。小学二年生の私達。鮮やかな星の色がそこにある。頭がずきずき痛んだ。


 学校から帰宅してこの部屋で着替えたとき、私は上着のポケットの中に入っていたスマートフォンを学習机の上に置いた。それが空気を読まずにそこそこの音量で鳴った。メッセージアプリがメッセージを受け取ったときの音だ。学習机にほど近い場所にいた周は、ちらりとスマートフォンの画面を確認して目を眇める。


初国(はつくに) (あゆむ)とは、仲が良いの?」


 どうやらメッセージの相手は初国君らしい。まだ頭の痛みはとれない。


「いや、ただのクラスメイトだよ」と答えるのと同時にまたスマートフォンが鳴った。連続で二回。周はスマートフォンを無言で見遣って「へぇ、そう」と返す。その周の様子は何だか少し夢の中に出てくる周モドキを想起させる。


「周は初国君のこと知ってるんだ」

「一年の頃、一緒のクラスだったからね。それにほら、彼は身長が高くて目立つしモテるって聞くから」

「へー、そうなんだ」

「うん」


 いつのまにか幼馴染は漫画を手離していた。私の目の前に立った周は私からアルバムを取り上げる。彼はそのままベッドの隅っこの方にアルバムを放って、それは布団の海に沈んだ。頭が割れるように痛い。


「あさひ、頭が痛いでしょ」

「うん」


 吐きそうなくらいに頭が痛む。でも、それ以上に胸の辺りが痛かった。

 忘れていたことを思い出した。小さい周は金糸の髪を持っていた。星を砕いて溶かしたような色彩で、その姿はまるきり私が思う王子さまの姿だった。

 そしてそんな王子さまは、星の色を塗りつぶすような強烈な赤を纏っていた。感情が見えない王子さま。伸ばされた指。べったりと付着している赤、赤、赤。痛い、痛い、痛い。痛いのは良くない。痛いのは駄目だ。頭が割れる。


「無理に思い出さなくていいよ」

「でも、私は」


 周は屈んでベッドの上に腰掛けている私と目を合わせた。


「君を救えるのは、ぼくしかいない。だから君にとってぼくは必要な存在だ」


 目の辺りに手のひらが添えられて、視界が遮られる。温度のあまり感じられない手のひらだけど、確かな感触がある。触れたところからじわりと痛みが溶け出して、それと同時に意識が朦朧とし始めた。


「でも時が来て、君が救われたら。ぼくは君にとって不要な存在になる。そのときぼくは、」


 抵抗の余地なんて一切無かった。きっとこのあと起きる予定の私は今のこの記憶も、やっと思い出せた記憶も消されているのだろう。


「僕は、一体どうすればいい?」


 やっと前進したかと思ったらコレである。全く人生はままならないものだ。せめて。涙が出ないくせに、今にも泣きそうな声音の周の問いには答えてやりたかった。それも叶わないんだから多分この世に神様はいないのだろう。

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