12/18・まよなかいぎ
きっと今は真夜中で、良い子は眠りについているはずの時間帯だ。私は特別良い子というわけではないのだけれども……気付けばそこにいた。
「夢とは」
明朗な発声だった。とても爽やかで、日が昇る前の朝の空気を思わせるような、冬の雲一つない青い空を思わせるような、そんな声だった。
「記憶の整理を行ったときにできる副産物のようなものらしいよ」
土曜、日曜と二日連続で意味ありげな夢を見たのだ。正直三度目は裏の裏をかいて夢を見ないのではないかと少しだけ期待もしていた。
「聞いてる?」
しかしその希望はあっさりと打ち砕かれてしまった。視界にちらつく明るい色は例の人のもので違いない。やはり先人の言葉通り、二度あることは三度あるようだ。あるったらあるのである。
けれどもこんな貴重体験がそう何回もあって良いのか。ぜひ目の前の宇宙人モドキに聞いてみたい。
「普通は何回もあるものじゃないよ」
「……」
心中の疑問にナチュラルに答えないでほしい。そう心の中で思えば黄金色の髪の彼は「ここは夢の中だよ?君の頭の中の登場人物が話しているんだ。君の頭の中身は把握してるとも」と明るく笑った。
そういう話なら、私は彼の頭の中身を把握していなければならない。だのに彼の考えていることは一ミリだって分からないのだからこの世界は私の夢の中であるのに理不尽だと思う。
「もしかして、私の夢の中で皆勤賞狙ってたりする?」
「そんなまさか。ボクだってそこまで暇じゃないよ。時が来ればおさらばだ」
今日の夢の舞台は何故だかプラネタリウムだ。多分寝る直前に気を紛らわせるためスマートフォンで眺めていたクリスマス特集のページにプラネタリウムが載っていたから夢に出て来てしまったのだろう。
ごろりと仰向けに寝そべり天井に映し出された星を眺めることが出来るソファーは快適すぎるほどに快適だ。ドーム内は薄暗く、偽物の星達が瞬いている。ここには私達しか居ないらしい。
「君は君の気持ちを素直に認めたんだね。おめでとう」
「ありがとう」
「正直、君が心を開いてくれないと手詰まりだったから良かったよ」
「どういうこと?」
「プロテクトがかかってるって言ったでしょ」
彼は言う。どうやら私は星川周への気持ちに関して無意識のうちにセーブをかけていたらしい。そんな人間の記憶に掛けられているプロテクトは言うなれば鍵が二重になったようなものであるため、今まで解放することが出来なかったのだそうだ。
けど彼に関するあれこれに正面から向き合おうと決めた今、そのプロテクトは非常に脆弱なものになっているようで。
「つまり、今なら君の隠された記憶は見放題」
「そんな動画配信サイトみたいな言い方……」
「と、言いたいところなんだけど」
現実はそんなに甘くないようだ。横を向けば彼は思っていたより近くにいた。腕を組んで困ったような表情で「プロテクトは解除出来そうだけど、それ以降がねぇ」と息を吐くように言う。
「内側からのサポートは完璧なんだ。もうあとは何か外側からのキッカケがあれば」
「……私の過去の記憶は見放題になってないの?」
「うん。ちなみに、ボクのこの姿を見て思うことってある?」
「星川周の色違いだなぁ、って」
数秒見つめあったのち、彼は寝そべったままヤレヤレと肩を竦めた。「ままならないねぇ」と大きなため息を天井に向かって吐いて、彼は瞳を真っ直ぐこちらへと向ける。彼の瞳は今日も冴え冴えとした暗色をしていた。
「ねぇ、何で昼に君は彼女に『気持ちを伝えることに反対しない』なんて言ったの?」
「それは」
「そもそも反対なんて出来る立場でもないのに。嘘をつくのが嫌なら言ってしまえば良かったんだよ。諸事情で今は付き合っているフリをしてる、って」
星川周モドキの言葉はところどころに棘が生えている。周を好きな芳野さんに本当のことを言えなかった理由。周本人に啖呵を切ってしまったから、周には言いづらい。だから、彼とほぼ同じ姿で興味深そうに私を観察している隣人にそれを言うのも憚られた。
隣の彼はごろりと寝返りをうち、肘枕をしながらの体勢でこちらを見る。君の頭の中は把握している、云々を言葉にした口で「ほら言ってくれないと分からないよ」と笑っている。もしかしなくても性格が悪いんじゃないか。
「嘘を嘘だと言えなかったのは、牽制したかったから」
「なんで?」
天上に月は無い。星を見るのに月は明るすぎて邪魔になる。だから、プラネタリウムは月の存在を抹消していた。けど目の前には三日月が二つ。本当に性格が悪い。
「私は、周のことが好きだから」
芳野さんに対して、私と周の関係について真実に近しいことを言う。それは、自分からライバルを増やすという行為とイコールだ。
芳野さんにいいカッコをしながら……私は周の行動を非難して、恐ろしいと思い、その反面内心ではホッとしていた。
周の、芳野さんへの拒絶に私は安心したのだ。そんな自分が心底嫌になる。自身の悪いところなんて直視したくないものだ。だけど、今回ばかりは直視せざるを得ない。
「清濁両方併せ持つのが人間ってやつだよ。例外もたまにはいるけどね」
慰めのつもりなのか彼はそんなことを言う。そして「それに星川周への気持ちをこうして言えるようになったことはやっぱり大きな一歩だよ。えらい、えらい!」と私の頭をぐりぐりと撫で付けた。夢の中だから感触は全く無い。2Pカラー周の手を掴む。
「私は周に関して、嘘じゃなくて本当のことを知りたい」
『本当』を望むのは、『本当』が無ければ相対的に『嘘』を正しく見ることが出来ないからだ。例えそこに何があっても無くても、私は本当のことを知りたかった。聞けば周は答えてくれるだろうか。
「答えてはくれないだろうねぇ。彼は全てが終わったら君の記憶を消すつもりみたいだし」
掴んでいた手が逆に掴まれる。温度も感触も何もない。
「君は嘘に価値を見出すんだね」
もちろん時と場合にもよるけど、私は全ての嘘が無意味だなんて思わない。他人を傷つけてしまうかもしれないような嘘だって世の中には沢山ある。結果的に今回芳野さんは傷付いたと思うし、私も周の嘘で傷付くことになるかもしれない。
けど、嘘は人を傷付けるだけのものではない。私達が今まで積み上げてきた幼馴染という関係が、実は幼馴染というガワを被らせた観察者と観察対象という関係だったとしても。どうしようもなく張りぼてで、偽物で、嘘だとしても。
始まりは嘘でも、どこかに一欠片でも本当があったのなら。あの笑顔が嘘でなかったのなら。それは紛れもない『本当』だ。嘘から本当が生まれることだってあるはずだ。
「君の考えは分かったよ。そろそろ邪魔がくるみたいだから、コメントする時間は無いみたいだけど」
「え?」
いきなりすぎないか?どういうことなの?と目で訴えると「相手もそれだけ必死ってことだよ」と彼は軽やかに笑ってみせた。彼が起き上がるのに合わせて私も慌てて起き上がる。
金色の彼は天井と壁の際のあたりを一点、指差した。そこに視線を向けると周りの星より一際目立つ星が見えた。
「あれはカノープス」
「え、なに?」
彼は何も答えずニコリと笑って手を振った。さよならの合図だ。もともと暗かった視界が、強制的に真っ黒に塗り潰される。暗闇の中で目を閉じたときのような黒。
前回は夢の終わりに幼馴染の声が聞こえていたけど、今日は無いらしい。意識は段々遠のいていく。無と有の狭間から無が押し寄せてくる。そして全ては無になった。
☆
暗闇の中、星を溶かしたようなその色を認める。
チッと舌打ちをすれば「おおコワイ」という小芝居めいた言葉が返ってきて、思わず普段は動かさない表情筋を動かしてしまった。
そいつはぼくと同じ顔で、同じ声で、同じ目の色をしていた。唯一違うのは髪の毛の色だけだ。目も眩むような星の色。ぼくが忌避する星の色。王子くんの色。
こいつと幼馴染のあの子が夢の中で会うたび、ぼくは気が気じゃなかった。今までこんなことは無かったのに、どうして今更と考えてしまう。まぁどうせあまり大層なことは考えていなさそうだとは思うけど。
ここには、彼女が知らなくて良いことが沢山ある。忘れたままでいいことが沢山ある。
ぼくらが行える記憶を消す、という行為。これは厳密に言えば記憶を封印する行為だ。外側から鍵をかけるように、内側へと記憶を閉じ込める。ヒトよりも多くの時を過ごすぼく達にとって、その行為は生き物が息をするように出来ることだった。生き物(と、ぼく達の種族を表現しても良いものか考えものだが)にとって記憶の整理は生きる上での必須事項だ。
体の作りが違えどヒトとぼく達の精神構造は似たようなもので、両者の、ヒトとぼく達との決定的な違いは『記憶』の取捨選択を随意で行えるかどうか、という点にある。
必要なものであればきちんと保存しなければならないし、不必要なものであれば切り捨てなければならない。記憶とはそういうものだ。
ヒトはその選択を自分で行うことが出来ないが、ぼく達にはそれが出来た。精神体のみで肉体を持たない分、そういった面に関してぼく達は特化していた。
「それでも最初の方の処理の仕方は雑だよね。ほら、地球に来たばかりのころとかさ」
「うるさい」
「今ではほとんど完璧に処理できるようになったみたいだけど。だって彼女はこの姿に反応しないし」
ぼくと同じ格好をしたソレは自身の髪を一房とって眺めた。そんなソレにぼくは言う。
「あさひの夢の中での記憶は消させてもらうよ」
「あらら、とうとう突破されちゃったか」
「前々回と前回の記憶は消せなかったけど、これからは消させてもらうから。君が今後夢に現れても、それは意味を成さなくなる」
普通の状態のヒトを観測するのがぼくに与えられた命令だ。だから原則、観測対象の記憶の操作は禁止されている。けど今回のような異常事態に限って言えば、例外的に記憶への干渉が認められていた。
人指し指と親指で弄んでいた自身の髪を、ソレは手離す。つまらなそうな角度を保っていた口角がゆるりと上がる。細められた瞳。嘲りの色が強い。
「でも君は異常事態が起こったとき以外にも彼女の記憶を弄ったりしてるよね」
「……」
「勿論その必要があったから弄った、ってときが多いんだろうけど。
君はその必要がないときにも彼女の記憶を弄ってるよね。困ったら全て無かったことにするわけだ」
「うるさい」
「君、また随分と人間臭くなったね」
どこまでいっても紛い物なのにね、なんて言ってソレは笑う。楽しそうに憐れんでいる。そんなこと言われなくても分かってる。分かっている。
「星川周はどうしようもなく嘘つきだね」
そんなのはぼく自身が一番に認めていることだ。星川周は嘘つきだ。水瀬あさひと会ったときから、ずっと。一度ついた嘘は積み重なって、どこに『本当』が有るのかも分からない。もしかしたらぼくの中には『本当』がないのかもしれない。
涙は出ない。心臓は痛まない。だから僕の体の内側で渦巻く何かだって、これもきっと、まやかしだ。