ある薬師達の多忙な1日③
待て! 言いたいことは分かる! だが先にこっちの言い分を聞いてくれ!
過去話書いたことでオースチン視点を大幅に書き直したら、予想以上にシリアス成分が多くなってしまったんだ!
流石に2回連続シリアスは書いててしんど……この作品のコンセプトに反すると思ったんだ! だから先にコメディ回を入れたんだ! どうだ、文句あるか!!
そうか! 文句あるか! でっすよねぇ~~……すみませんでしたぁ!!
えぇ~~、一応時系列を整理しますと、この多忙な1日は聖戦の2週間後、前話の前日に当たるお話です。
「ふぅ、なんとか撒いたか」
「また追っかけてきそうですけどねぇ~」
ブルゾア姫達の追跡をなんとか躱した俺達は、次なる目的地である《愛の虜》にやって来ていた。
門の前まで歩くと、そこで汚れた外套を脱いで裏返して持つ。
ここは魅力的な女性達が奏でる音楽や歌、それに踊りを観賞しながら食事や酒が楽しめる、この王都の歓楽街でもきっての人気店だ。
その外観は塀に囲まれた三階建ての大きな館で、中に広い中庭があるロの字型の建物になっている。
門を潜り、開け放たれた玄関を通って中に入ると、10歳くらいの可愛らしい女の子がちょこちょことこちらに近付いて来た。
「いらっしゃ……あれぇ? レオにぃさんじゃないですかぁ」
どこか眠そうな目でぽやぽやと喋るその少女に、俺は見覚えがあった。
記憶を探り、目の前の少女の名前を脳の奥底から引っ張り出す。
「やあ、リーナ。ビアンセさんに取り次いでもらえるかな?」
「あぁ、はいはい伺ってますよぉ~。こちらへどぉぞ~。あっ、お荷物お預かりしますねぇ」
リーナがそう言うと、どこからともなく現れた三つ子の姉妹が俺とミツラから荷物を受け取ろうとする。
しかし、俺達は脱いだ外套だけ渡すと、手荷物の受け渡しはやんわりと断った。
「? 心配しないでも持てますよぉ? 3人ともこう見えて力持ちなのでぇ」
「持てる」
「イケる」
「むしろ余裕」
「ありがとう。でも、取扱いに注意しないといけない薬品や器具が入ってるからね。これは自分で持っておくよ」
「なるほど、そうですかぁ。ではでは、こちらへ~」
そう言われて付いて行くと、廊下の窓から中庭の様子が見えた。
そこでは、店の娘達による公演会が開かれていた。
様々な楽器を持った女性達が妙なる音楽を奏で、その前できらびやかな衣装をまとった女性達が舞い踊り、そしてそれらの中心で数名の女性が美しい歌声を響かせている。
観客は中庭や二階のバルコニーで、ある者はお茶やお茶菓子をつまみながら、ある者は軽食を取りながら、それらを観賞していた。
俺も詳しくは知らないが、この公演会は昼から夕方に掛けて毎日開かれており、これそのものが見世物であると同時に、ある種のお披露目会でもあるらしい。
観客はこの公演会を見て、公演後に指名する相手を吟味するという訳だ。
そして指名した女性に個室で接待してもらう、というシステムらしい。
当然、この個室接待は指名料抜きにしても、部屋代、食事代、酒代と、どれもかなり高い値段設定がされているらしく、多くの庶民は日中の公演会だけ見て帰るらしい。
それでも、何度も通っている内に「あの娘とお話ししたい!」「あわよくば一緒にお酒なんか飲んだりしていい雰囲気になりたい!」と思うのは当然のことだろう。
そして一回指名を入れてしまえば、その夢のような一時を忘れられなくなる。
そうなってしまえば、もう完全にこの店の虜。
なけなしの給料を少しずつ貯めてはこの店の娘に貢ぐ、哀れな“愛の虜”の完成という訳だ。おーこわ。
とは言っても、この国で最高レベルの娼館が軒を連ねるこの王都で、お触りすら厳禁のこの店がこれだけの人気を博しているというのは、それだけそのクオリティが高いという証左なのだろうが。
あるいは、誰の手も届かないという、その高嶺の花のような扱いがウケているのかもしれない。清純派路線っていうのか?
まあなんにせよ、こうやって見る限りでは、この店の娘達には嫌々働いているという様子もなければ、不幸な生活を送っているという悲愴さも一切見受けられない。
この店の娘のほとんどが、親を失ったり親に捨てられたりといった境遇を持つということを考えれば、これはいっそ驚異的なことなのだろう。
そんなことをつらつらと考えながら中庭の様子を眺めていると、司会の娘が次が最後の曲であるということを告げた。
そして、そこで俺はふとあることに気付いた。
「あれ? 今日はナオミさんは出ないんですね」
この店でぶっちぎりの一番人気であるナオミさんは、この公演会でも基本的にこの最後の一曲しか出演しないらしい。
しかも、その自慢の歌や踊りを披露することは少なく、大体は隅の方で楽器演奏に加わってさっさと引っ込んでしまうとか。
それでもその姿を一目見ようと、この時間帯になると人一倍客が増えるというのだから、“天女”の人気っぷりがいかに凄まじいか分かるというものだろう。
しかし、今日は中庭に並ぶ娘達の列のどこを見ても、その姿を発見することが出来なかった。
体調不良だろうか? と首を傾げていると、先を行くリーナが微苦笑を浮かべながら首を振った。
「いえいえ、いますよぉ。ほら、あれです~」
そう言って指差す方向を見ると、楽師の列の真ん中辺りに、ベールで顔を隠した女性がいることに気付いた。
よくよく見ると、たしかにその背格好はナオミさんにそっくりだ。しかし、なんでまた顔を隠しているのか……。
「あれは何か新しい演出ですか? 深窓の令嬢風、みたいな」
「いえいえ、単純に顔色が良くないのでそれを隠しているだけですよぉ」
「え? 風邪でも引いたんですか?」
「ただの寝不足ですねぇ。最近色々と考えることが多くて、なかなか寝付けないとかぁ。……姐さんの講義がよっぽどショックだったんでしょうねぇ……」
「え?」
「そうだぁ!」
リーナは突然手を打ち合わせると、俺の斜め後ろを歩くミツラの方を振り返った。
「ミツラ様ぁ、ナオミ姉さんの様子を見てあげてもらえませんかぁ?」
「はい?」
「ご友人であるミツラ様ならぁ、ナオミ姉さんも色々相談できると思うんですぅ」
「はあ……師匠?」
「まあ、いいんじゃないか? 別に俺の用件は俺1人でも事足りるし。……それにしても、いつの間にナオミさんと仲良くなったんだ?」
「いえ、その……ほら、2週間前に家で倒れたナオミさんを介抱したじゃないですか。あの時にお友達になったばかりですから……それほど仲が良いという訳では」
「ご謙遜を~、ナオミ姉さんすごく喜んでましたよぉ? 店の外で初めてのお友達が出来たってぇ」
「そ、そうですか……」
「そうですよぉ~。だからぁ……」
そこでリーナはスッとミツラとの距離を詰めると、少しトーンが下がった声で言った。
「くれぐれも、ナオミ姉さんを悲しませるようなことはしないでくださいねぇ~?」
「……はひっ」
その時、リーナは一体どんな顔をしていたのか。
俺にはその後頭部しか見えなかったが、その顔を間近に見たミツラは、いつになく怯えた表情で心なしか震えているように見えた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
リーナちゃんに「こちらでお待ちください~」と言われ、1つの部屋に通された。
そこで待つこと十数分、リーナちゃんに連れられてナオミさんが部屋に入って来た。
「ああ、ミツラちゃん。いらっしゃい。わざわざありがとうね?」
そう言って丸テーブルの対面に腰掛けるナオミさんは、なるほどたしかに疲れが溜まっている顔をしているし、化粧で隠してはいるが目も少し腫れぼったかった。
どうやら寝不足というのは間違いないらしい。
「お茶です~どうぞ~」
リーナがアタシとナオミさんの前にお茶を用意してくれる。
「ありがとうございます」
「ありがとうね、リーナ」
「いえいえ~」
ぽわぽわ笑いながらお茶の準備を終えると、リーナちゃんはお盆を持ったまま部屋の隅に控えた。一応見張りのつもりなのだろうか?
そんなことを考えながらお茶を一口啜ると、ナオミさんが席を立って奥の棚を漁り始めた。
「ちょっと待ってね。たしかここにお客様から頂いたお菓子が……」
どうやら、ここはリーナちゃんの部屋ではなく、ナオミさんの私室らしい。
この店一番の稼ぎ頭が住む部屋にしては調度品が随分と質素なので、てっきりリーナちゃんの部屋だと勘違いしてしまった。
しかし、ナオミさんが漁る棚の中身を見て、すぐに考えを改めた。
出るわ出るわ。
見るからに高そうな貴金属類の数々。
ここから見えるだけでも、なんともきらびやかな金銀宝石の数々。指輪に腕輪に首飾りに髪飾り。
おいおい、アタシの実家でも見たことないぞ。あんな品々。あれ全部男に貢がれたのか?
え? ていうか、ナオミさんって下手したらアタシの実家よりもお金持ち?
あれ? 考えてみればアタシってあんな宝飾品1個も持ってないんだけど……うわっ……アタシの女子力、低すぎ……?
思わぬところで格の違いを見せられて地味にショックを受けていると、ナオミさんが「あっ、あったあった」と呟きながら戻って来た。
その手には表面に見事な彫刻が施された四角い木の箱が。
……うん、この箱……お菓子の入れ物なんだろうけど、普通に芸術品として見ても違和感ないわ。
よく見たらこの箱、材料の木自体も最高級の木材を使ってるし。これだけで一財産だよね。
中からお菓子じゃなくて財宝が出て来ても不自然じゃない……いや、むしろそっちの方が自然な気がするわ。
しかしまあ当然と言うべきか、中から出て来たのは財宝なんかではなく、薄布の上に綺麗に並べられたクッキーだった。
「あっ、わたしが取り分けますよぉ」
「そう? じゃあお願い」
部屋の隅にいたリーナちゃんがスッと近寄ってきて、クッキーをお皿に取り分ける。
と、不意にリーナちゃんが手を止めた。
「あれぇ? これ、二重底になってますよぉ? 下にも違う種類のクッキーが入ってるんですかねぇ」
「え? 本当?」
「はい~、ちょっと開けてみますねぇ」
そう言って、リーナちゃんは上の段のクッキーを下に敷いてある薄布ごと除けると、その下の底板――いや、中敷きを外した。
すると、これまた薄布に包まれた何かが現れ、その布を剥がすとそこには――――
「「「……」」」
……うわぁ、金色のクッキーだぁ。
すごいすごい、表面にすごく精緻な彫刻がされているよぉ。
材料もとても麦から作られているとは思えないなぁ~。部屋の明かりを反射してきらきら光っているものぉ。
「……金貨ですねぇ」
「はぁ……やけに重たいと思ったら……」
ですよね!! 現実逃避してすみませんでした!!
ま、まさかのリアル金色のお菓子だとぅ!?
えぇ~っと、縦が10枚の横が6枚、そしてパッと見……うん、4枚積み重なってるから……10×6×4で240枚?
うわ~お、王都に家が買えるよ、やったね!!
というか普通持った時点で気付くでしょ!! 明らかに入れ物の重さじゃ済まないし!!
「どうしますぅ?」
「流石に現金を受け取る訳にはいかないでしょう……見返りに何を要求されるか分からないし」
「ですよねぇ……じゃあ次にいらっしゃった時に返却しますぅ?」
「そのまま突っ返すのはちょっと……。そうねぇ、次とその次の分の料金の先払いということにしておけばいいんじゃないかしら?」
「そうですね~姐さんにも相談しておきますぅ」
「お願いね」
ちょっと待て。
え? ということはナオミさんを指名したら1回で金貨100枚は飛ぶってこと? 何それ怖い。
あれ? 今更だけど、これアタシお金取られたりしないよね?
師匠からは結構な額のお給料もらってるけど、ほとんど実家に送ってるから手元にはそんなに残ってないんだけど? 大丈夫だよね?
「それで……ミツラちゃんはお見舞いに来てくれたのよね?」
「え? ああはい……何か悩み事でもあるんですか?」
「悩み事と言うほどのことでもないのだけど……」
そう言って、少し困ったような顔で黙り込んでしまう。
でも実際、2週間前に共同戦線を張ることになってからというもの、その翌日に偶然町で会っただけで、それ以外ではナオミさんと一切会っていなかった。
てっきりお店の方が忙しくて来れないのかと思っていたのだが……それが何らかの悩み事のせいだというなら、それは早いこと解決した方がいい。
なんせ、ナオミさんが戦線離脱している間にも、王女殿下達は絶え間なく師匠にアプローチを続けているのだから。
実際、今日だって往診中に追い掛け回されたし。
というかこの2週間毎日のように追い掛け回され過ぎて、もはや王都の人達誰もツッコまなくなってるし。
なんか軽く見世物みたいな扱いされてる感あるし。解せぬ。
そんな風に内心でぼやきつつ、クッキーをつまみながら辛抱強く待っていると、やがてナオミさんがふっと遠い目をした。
そして、なんとも物憂げな表情をしながら口火を切った。
「ミツラちゃん……」
「はい」
そのどこか儚げな表情に、アタシも気を引き締める。
どうやら、思っていた以上に深刻な悩みが――――
「男の人と女の人が一緒に寝るって…………文字通りの意味じゃなかったのね」
……………………ほわ?
……え? 何の話?
「私……知らなかったのよ……」
「え……な、何を?」
呆然と聞き返すと、ナオミさんはその頬をさっと赤く染め、組んだ両手で口元を隠しながらもごもごと言った。
「だから、その……男の人と女の人がする……そういったこと」
「え……何が?」
「だからっ! その……こ、子供が、デキるようなこと……」
……………………はい?
……え? マジで言ってんのかこの人?
「それは私だって、男の人が女の人の……その、むね、とか……ぉしり、とかを触りたがるってことは……知ってたけど……その、肝心なところは何も知らなくって……」
「いや、いやいやいや、それはおかしいでしょ。え? 誰も教えてくれなかったんですか?」
「一応マドレナ姐さんが教えてはくれたんだけど……『一緒に寝る』とか『抱く』とか曖昧な言い方だったから詳しいことは……。だから私はてっきり、男の人と裸で抱き合いながら一緒に寝たら、子供がデキるものだとばかり……」
いや、えぇ? マ、マジで?
ああでもたしかに、ちゃんと教えられなかったら具体的なことは分からない、かな?
まあ一般的には、それこそ『一緒に寝る』とか『抱く』とかいって直接的な表現は避けるし、ただでさえナオミさんのお客さんは厳選されているだろうから、間違ってもお客さんに品性下劣なセクハラを受けることはないだろうし……。
言われてみれば、アタシもメイドにそっちの教育を受けるまでは詳しいことは知らなかったような?
いや、でも……
「人間同士のことは分からなくても……牛やら羊やら、家畜の交尾を見たら大体のことは分かりません? アタシは小さい頃からそれで知ってましたけど……」
なんせ実家が山奥だからね。
発情期になったら、放し飼いにされている家畜達が至る所で交尾し始めるから、いやでもどういうものかは知ることになる。
と、思ったのだが……
「牛……? ひ、羊……?」
「チクショウ! この箱入り娘め!!」
家畜なんぞ見たことありませんかそうですか!!
もうなんなのこの人。
アタシなんぞよりよっぽど深窓の令嬢じゃねぇかこのヤロウ!!
「というかナオミさんって……生まれはどこなんですか? 家畜を見たことないってことは王都の生まれなんですか?」
「え? さあ?」
「さあって……」
「覚えてないのよ。物心ついてすぐに売られたし」
「え」
「他にも何人かの村娘と一緒に町に運ばれてね? 私はたまたま姐さんに買われたんだけど……他の娘はどうなったのかしら?」
「重い重い重い!!」
「あら? そういえば町まで運ばれた時に、荷車を引いてたのは馬じゃなかったような……もしかしてあれが牛?」
「やめてぇ! もうやめてよぉ!! アタシが悪かったからぁ!!」
思わず立ち上がってナオミさんの頭を抱き締めてしまった。
おっふ、良い匂い……じゃない! 仮にも貴族令嬢であるアタシよりいい暮らししてんじゃねぇかとか思ってすみませんでした! 小さい頃から本当に苦労されてたんですね!
アタシは物心ついた頃には山で熊と喧嘩してました! 薬草に詳しくなったのも生傷が絶えなかったからです! アホな幼少期過ごしててすみませんでした!!
「あの、ミツラちゃん……?」
ナオミさんの頭を抱き締めながら自己嫌悪に陥っていると、困惑したような様子のナオミさんに腕をポンポンと叩かれてしまった。
慌てて腕を離し、意味もなく眼鏡を弄りながら弁解する。
「あっ、ごめんなさい。少し自己嫌悪を……」
「え? ああ、気にしないでいいわよ? 別に珍しい話でもないもの」
「ああいや、それもなんですけど……いや、なんでもないです」
何かを言えば言うほど、それだけ自分の浅ましさが露呈する気がして、アタシは口を噤んだ。
そしてそそくさと席に戻ると、サラッと話を戻して誤魔化した。
「えっと、それで……ちゃんとした性教育を受けた、ってことですか?」
「う……まあ、そうね。それがその……かなりショックな内容で……どうにもレオさんの顔が見れないし、改めて考えると自分がスゴイことをしていたんだって気付いてしまって……ずっと悶々としてたの」
「はあ……そんなにすごい内容だったんですか?」
「これ……私が姐さんに渡された参考書」
そう言ってナオミさんが持って来たのは、1冊の本だった。
「どれどれ……こ、これは!?」
その表紙には様々な体勢で絡み合う男女の絵が描かれ、その上にでかでかと『男を虜にする性技の全て ~変化を付けて満ち足りた性活を~』と書かれていた。
「な、なんという……そしてなんて自然にページをめくるんだマイハンド……」
なんの躊躇もなく即座に表紙をめくった自分自身に、軽く戦慄を覚える。
しかし、それも目次の次のページを見るまでだった。
「お、おお!?」
そこには絡み合う男女の絵が大きく描かれ、その上に体位の名前、下にその利点と欠点が書かれていたのだ。
「そ、その最初の、一番スタンダードだっていう体位だって……その、なんかひっくり返されたカエルみたいで……すごく恥ずかしい……というか、み、みっともないじゃない! そ、そんなこと私には出来ないわ!!」
対面のナオミさんが、そんなこと言いながら真っ赤に染まった顔を両手で覆っているが……アタシはそんなことを気にしている余裕はなかった。
(おお!? こ、これは……立ったまま、だと!? そうか、男女の営みはベッドの上だけで完結するものではなかったのか!!)
「……ミツラちゃん?」
(な、なにぃぃーーー!!? 複数人プレイだとぅ!? な、なるほど、人数が増えるとこんな攻め方が……お、奥が深いぜ……おっとよだれが)
「ミ、ミツラ、ちゃん……?」
(こ、これはぁ!? お、女の人が男の人のおし――)
「だめぇ!!」
「ひぁっ!?」
思わずのめり込んでいると、真っ赤な顔をしたナオミさんに本をひったくられてしまった。
「こ、これ以上はダメよ! これ以上は、ミツラちゃんの教育に良くないと思います!」
「いや、つい最近まで何も知らなかったナオミさんにそんなこと言われても……」
思わずそう言い返しつつ、微妙に頬を膨らませながら軽く涙目になっているナオミさんを見て――少し悪戯心が湧いた。
「そういえばナオミさん。アタシ達、師匠をオトすのに協力するって言いましたよね?」
「え? ……ああ、そうね」
「ということはですよ? 当然そういうことも3人でやるわけで……今の内に勉強しておいた方がいいんじゃないですか?」
「えっ、ええっ!?」
「ほら、ここのページ。ここに複数人でやる場合について書いてありますよ?」
「ちょっ、ちょっと、やだっ!」
両手で顔を覆ってイヤイヤするナオミさんを見て……なんだか背筋がぞくぞくした。
「ほらほら、恥ずかしがってないで見てくださいよ。すっごいですよこれ!」
「やだぁ! やめてよぉ……」
「ふはは、よいではないかぁ~よいではないかぁ~~」
(ヤバい、なんか新しい扉を開いちゃうかも)
そんな予感と共に、本を両手で広げながらナオミさんをイジっていると――――背後から底冷えする声が聞こえた。
「……ミツラ様ぁ?」
「はひっ!?」
ギギギっと首を回して恐る恐る振り返ると、そこにはストンと笑みが消えたリーナちゃんの姿が。
「あまり、ナオミ姉さんをいじめないでくれますぅ?」
怖い怖い怖い! 瞳孔が! 瞳孔が開いちゃってるから!! それ死んだ人がなるヤツだから! 生気が失われちゃってるから!!
「ご、ごめんねぇ~~? 少し調子に乗りすぎちゃったカナ?」
引き攣った誤魔化し笑いを浮かべながら、おずおずと席に戻る。
そして、未だに縮こまっているナオミさんを必死になだめすかして、なんとか許してもらえた。
とりあえず本はしまってもらって、改めて気を取り直す。
……正直スゴイ興味あるけど。なんだったら貸してもらいたいくらいだけど。
「えっと、それで色々と知ってしまった結果、師匠に近寄り難くなってしまった……と?」
「そうなの……不甲斐ないパートナーでごめんなさいね?」
「ああまあ、それはいいんですけど……う~ん……」
しかしこれは……時間を置いたからって簡単にどうこうなるような問題でもない気がする。
それに、ナオミさんの心の整理が付くまで悠長に待っていたら、他のライバルに先を越されてしまう。
(これはもう……無理にでも慣れてもらうしかないか)
そう決めたアタシは、ガッとナオミさんの両手を掴んだ。
「ナオミさん!」
「は、はい!?」
「今日ウチに……師匠の家に泊まりましょう!!」
「は……えぇ!?」
「そんでもって、夜討ちでも朝駆けでもガンガンやっていきましょう! な~に、習うより慣れろって言うじゃないですか。ウダウダ悩んでても仕方ない! そんな暇があるなら行動あるのみです!!」
それからアタシは、勢いに任せた強引な説得でナオミさんにお泊りを承諾させた。
相変わらずチョロ……人が良くて助かる。
ふふふ、覚悟してくださいよ。師匠。
とってもセクスィーな衣装で悩殺してあげますからね! くっくっくっ、遂にアタシの自信作、マムシンver.5が火を噴く日が来たぜ!!
……今夜は、寝言であの女の名前を呼ばせたりしませんからね!
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……それで? それが新しい快楽草かい?」
「正確にはその代用品、ですが。安楽草と名付けました」
「ふん……」
この店の店主であるビアンセさんと、副店主であるマドレナさんの前に、持って来た香草を差し出す。
快楽草は、この国で最もポピュラーな麻薬だ。
多くの貴族や娼婦が嗜んでおり、歓楽街のお供なんて言われるほど普及しているが……決して健康にはよくない。いや、はっきり言って悪い。
他の毒性の強い麻薬と違って、幻覚症状や意識障害が起きたりする訳でも、激烈な禁断症状が生じる訳でもないが、慢性的に摂取していると肺がボロボロになるし、様々な病気を併発する。
俺が作ったこの安楽草は、快楽草と似た味をした、しかし毒性は全くない香草だ。
前々から快楽草の蔓延には懸念を抱いていたので、その代用品として品種改良を続けて作り上げた。
今回は、実際に商品化する前に試供品をこのお2人に使ってもらって、感想を聞かせてもらおうと思ったのだ。
実際に快楽草の愛飲者の意見を聞きたいと思ったのが主な理由だが、それとは別にナオミさんに頼まれたというのもある。
どうやらナオミさんは、このお2人……特にビアンセさんの健康被害が気掛かりなようなのだ。
(それにしても……若いなぁ。こうして見てる分にはなんの健康被害も受けてなさそうだけど)
安楽草を矯めつ眇めつしているビアンセさんを見て、そんな感想を抱く。
ビアンセさんもマドレナさんも、たしかもう40代も半ばのはずだ。
実際、マドレナさんも綺麗ではあるが、やはり首元や口元、目尻の皺には年齢が現れている。それでも十分美熟女と呼ばれるに相応しい外見だが。
だが、ビアンセさんは本当にその20歳近く若く見える。
化粧で上手く隠しているのもあるだろうが、髪や肌の色つやは完全に20代のそれだし、スタイルだって年齢による衰えを全く感じさせず、ナオミさんに匹敵する……いや、色気で言えばそれ以上のものがある。
まさに“魔性の女”という言葉がぴったり当てはまる、恐ろしく魅惑的な美貌だ。
その美貌に、この歓楽街で女店主を張る女傑としての貫禄が合わさると、そこら辺の貴族夫人など相手にならないほどの凄みが生じる。
……正直、俺みたいなたかだか17歳の青二才が相手にするには、いささか以上に荷が勝ち過ぎてる感がある。
(さて、どうなるか……)
安楽草をキセルに詰め、火を付けて吸い始めたお2人を見て、俺は密かに息を呑んだ。
スーッと吸い込み、煙を吐き出す。
その姿には、特に不快感のようなものを感じている様子は見受けられない。
それどころか、マドレナさんは少し驚いたような顔をしている。それも好意的な感じで。
「……どうでしょう?」
落ち着いたところで思い切って尋ねると、ビアンセさんは顔をしかめて言った。
「……どうもこうもないねぇ。たしかに似てはいるけど、味は薄いし満足感もない。一時期快楽草が品薄になった時に出回った、混ぜ物入りの粗悪品みたいな味だ」
「……満足感がないのは中毒性がない証拠でもあります。味は……これでもだいぶ近付けたつもりなのですが……」
「似てはいても、これじゃあやっぱり別物だよ。快楽草に取って代わるのは難しいんじゃないかねぇ」
「そう、ですか……」
「そうかな? わたしはそこまで捨てたもんじゃないと思うけど」
ビアンセさんの厳しい意見に歯噛みしていると、マドレナさんから好意的な意見が飛び出した。
「たしかに味は薄いけど、これはこれで悪くない。快楽草の代用品として見ればどうしても違和感を覚えるけど、慣れてくればなかなか癖になると思うよ? わたしはね」
「そうかい? あたしは随分気が抜けた印象を受けるけどねぇ」
「それはあんたが快楽草の中でも特にキツイやつを吸ってるからでしょ? 吸い過ぎて舌が麻痺しちゃってんじゃないの?」
「ふんっ、余計なお世話だよ」
「やれやれ……わたし個人としては、十分イケると思うよ。値段も既製品の快楽草よりも安くするんでしょ?」
「はい、一応快楽草の平均価格の7割くらいの値段で売り出そうかと」
「その値段で健康被害がないっていうんなら売れるんじゃないかな? それにしても……その値段で採算は取れるの?」
「これに関しては儲けるのを目的としてやっているわけではないので。採算は度外視です」
「ふふっ、それで健康被害が減れば、損をするのはあなた達薬師でしょうに……奇特なこと」
マドレナさんはそう愉快そうに笑うと、パンッと手を打った。
「いいわ。わたしは買わせてもらうわ。もういい歳だし、健康にも気を使わないとね。……ビアンセ、あんたは?」
「あたしはいいよ。快楽草はあたしの数少ない楽しみなんだ。今更やめる気はないね」
「そう、ですか……」
その時、扉越しに遠慮がちな少女の声が聞こえてきた。
『ビアンセ姐さん、ご歓談中のところすみません。少しよろしいですか?』
「なんだい?」
『ちょっと厄介なお客様が……』
「ふぅん? ……分かった。今行くよ。あんたもそれでいいね?」
「あ……はい」
「これからどうするんだい? 遊んでいくなら安くしておくよ?」
「いえ、まだ仕事がありますので」
「そうかい。まあ、あんたが他の娘を指名したりしたら、ナオミが拗ねちまって面倒なことになりそうだし、それが賢明だろうねぇ。それじゃあ失礼するよ」
そう言って、ビアンセさんは出て行ってしまった。
すると、残されたマドレナさんが苦笑いを浮かべながら話し掛けてくる。
「ごめんなさいね。本当はビアンセに快楽草をやめさせようとしたんでしょ?」
「……まあ、それがナオミさんの願いでしたからね」
「ビアンセもねぇ……本当はそこまで快楽草を好きだってわけでもないんだけど……」
「はい? 好きじゃないならなんでやめないんですか?」
「んん~~? 半分くらいはコレよコレ。思い出なんだってさ」
そう言って、マドレナさんは小指を立てる。
その仕草の意味するところは……恋人。
(なるほど、昔の恋人が吸ってたとかか)
だとしたら、無理にやめさせるのも悪いかもしれない。
俺はそう思ったのだが、マドレナさんは違ったらしい。
「でもねぇ……いつまでも過去のことを引きずってるのもどうかと思うよ。もういい歳なんだし、ここら辺でスッパリやめた方がいいんじゃないかと思うんだけどねぇ」
そう物憂げな溜息を吐くマドレナさんを見て――俺は、彼女に任せることにした。
「マドレナさん。今から書くことを、店の女の子達に伝えてもらえますか? 特に小さな女の子に」
「え? 何を?」
そして、俺は快楽草の危険性について、(最悪の)実例も交えて紙に書き記した。
マドレナさんも俺の狙いを理解したのか、面白そうに笑って引き受けてくれた。
そして、俺はその紙をマドレナさんに託すと、ミツラと共に《愛の虜》を後にした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
―― 夜
食堂での全員揃っての夕食を終えた後、あたしが食後の一服をしようとキセルを取り出すと、部屋中の視線があたしに集まるのを感じた。
「……なんだい?」
突然のことに思わず硬直しながらそう問い掛けるも、誰も何も言わない。
ただ、年長組はどこか非難がましい目で、年少組はどこか泣きそうに潤んだ目で、ジッとあたしのことを見詰めてくる。なんとも居心地が悪い。
「一体、なんなんだい? 何か言いたいことがあるならはっきり言いな!」
少し語気を強めてそう言うと…………やがて、近くにいたアリアナがぽつりと呟いた。
「ビアンセ姐さん……死んじゃやだ」
「は?」
いきなり何を言い出すんだい? この娘は。
しかし、アリアナがそう言ったのを皮切りに、年少組が一斉にぶわっと涙を流しながら声を上げ始めた。
「うわぁ~ん、姐さん死んじゃやだぁ~~」
「姐さん死なないでぇ~~」
「もう快楽草は吸わないでぇ~~」
「ちょっ、ちょっと! なんなんだい、いきなり!?」
突然泣き出されても、こっちは意味が分からない。
すると、アリアナが涙を零しながら説明し始めた。
「ぐすっ、だ、だって……快楽草をずっと吸ってると、だんだん息が出来なくなって……最後は全身に悪いものが溜まって、すごく苦しい思いをしながら死ぬことになるって……」
「はあ? ……それは、毎日何十回も吸う中毒者の話だろう? あたしはそこまでは吸ってないから大丈夫だよ」
そう冷静に諭しても、年少組は全く泣き止まない。
そうして年少組がいつまでも泣いているものだから、それまでなんのことか分からずにポカンとしていた幼少組の子供達までつられてわんわん泣き始めた。
なんなんだい? このカオスな状況は。
「ああほらほら、泣くんじゃないよ。心配しないでもあたしは死にやしないよ。ちょっ……ああこらっ、引っ張るんじゃないよ!」
とりあえず小さい子から順に宥めていこうとするも、いかんせん人数が多過ぎる。
しかも皆あたしの話なんて聞かずに、あたしに縋りついて泣き叫ぶもんだから収拾がつかない。
「ちょっとあんた達! 見てないで子供達を宥めな!!」
群がる子供達の向こうで、遠巻きにこちらを眺める年長組の娘達にそう呼び掛ける。
しかし、年長組は誰もが責めるような目であたしのことを見るだけで、全く動こうとはしなかった。
(ああもう! これじゃあ、まるであたしが子供達を泣かしてるみたいじゃないか!)
そこでふと、年長組の娘達に混じって、マドレナが生温かい笑みを浮かべながらこちらを眺めていることに気付いた。
そしてその表情を見て、あたしは全てを悟った。
(マドレナぁ……あんたの仕業かい……)
絵図を描いたのはあの薬師の坊や。それを実行したのがマドレナ、といったところだろう。
(まったく……イヤな手を使ってくれるねぇ……)
しかし、まんまとマドレナの思惑にハマるのも癪だ。
あたしも魔女と呼ばれる女。子供の泣き落としくらいでは…………
「うわぁぁ~~ん、姐さん死なないでぇ~~」
「もう快楽草はやめてぇ~~。わたしも甘いお菓子我慢するからぁ~~」
「わたしも我慢するぅぅ。ううっ、それに歯磨きもちゃんとするからぁ」
……泣き落とし、くらい、では…………
「うわぁぁ~~ん、うわぁぁ~~ん」
「ね、ねえさん死んじゃうのぉ? そんなのやだよぉ」
「ふえぇぇ~~ん、ひぐっ、えっぐ……」
泣き、落とし…………
「ひっ、ひぐっ……おねがい。もう、快楽草はやめてぇ。おかあさぁん」
ごぼはぁ!!!?
「……ああもうっ! 分かったよ! 金輪際キッパリやめればいいんだろう!?」
試合終了。
試合時間1分47秒。
決まり手はアリアナの「おかあさん」でした。
……その後、あたしは約束通り快楽草はキッパリやめて、代わりに安楽草とやらを吸うことになった。
安楽草は相変わらず味が薄くて、あたしは吸う度にどうにも物足りない気分を味わうことになるのだった。
ただ、まあ…………その代わりと言ってはなんだが、それ以来食事を美味しく感じるようになったのは……認めたくはないが確かな事実だった。
快楽草は、副流煙のない煙草のようなものだと思ってください。
次回こそはオースチン視点……のはず。
もはや自分でも自分が信じられなくなってきた……。