ある薬師達の多忙な1日②
2回連続で前回の後書きを尽く裏切るという暴挙に走った作者がここにいますよ。
マジですみません。でも、思い付いちゃったんです。筆がノッちゃったんです。仕方ないんです。
という訳で、前回の続きです。
王都の細い路地を、師匠の後に続いて駆け抜ける。
道に置いてある木箱や看板といった障害物を避け、跳び越え、時には足場にしながら、目的地に向かって最短距離を最速で突っ切る。
ただし、往診用の鞄には最小限の衝撃しか与えない。
当然だ。中に入っている薬瓶はちょっとやそっとの衝撃では割れないが、もし1瓶でも割れれば、混入が疑われる薬は全て廃棄しなければならないのだから。
だからこそ、全力疾走しながらも、鞄だけはしっかりと小脇に抱え込んでいる。
しかし、本当にすごいのはやはり師匠だ。
アタシの助手用の鞄よりも遥かに大きくて重い手提げ鞄を持っていながら、その走りには一切の淀みがなく、また鞄は常に地面と水平に保たれたままほとんど上下に揺れない。
師匠の走りを見ながら自分の未熟さを噛み締める。
今だって、袋小路に行き当たったのだが、師匠は勢いをつけて加速すると、その壁を一気に駆け上がってしまったのだ。
そして壁の縁に空いている左手を掛けると、片手で一息に体を持ち上げ、あっという間に乗り越えてしまった。
当然アタシは身長的にも身体能力的にも、そんなやり方は不可能。
なので、素直に左右の壁を使って三角跳びをして壁を乗り越えることにした。
した……のだが、左右の壁に距離があったせいであまり上に距離が稼げず、結局五角跳びになってしまった。
そんな悠長なことをしていたせいで、師匠とだいぶ距離を離されてしまった。
次の角の向こうに姿を消した師匠を追い、全速力を振り絞る。
曲がり角に差し掛かると同時に前方の壁に向かって跳躍し、壁に着地。そのまま3歩ほど壁走りをすることで勢いを殺すことなく直角カーブを曲がり、師匠との距離を詰める。
すると、今度は左右に何度も折り返しながら下に向かって伸びる階段に行き当たった。
もちろん、爆走モードの師匠が普通に階段を使うことなんてない。
師匠は一番上の手すりの手前で鞄を斜め上に放り投げると、自分は手すりを足場に一気に跳躍し、階段下まで跳び降りてしまった。
そして着地と同時に完璧な受け身を取り、ちょうど落ちて来た鞄の持ち手に手を差し込んで、手を中心に一回転させる。
そうすることで鞄の落下の勢いを遠心力に変換してから、しっかりと持ち直す。
……うん。あんな真似アタシには無理。
かと言って馬鹿正直に階段を下りてたら置いてかれてしまうので、仕方なく師匠と同じように階段を真横に突っ切ることにする。
流石に一気に跳び下りるのは無理なので、手すりを足場に1つ下の手すりに跳び下り、それを繰り返して下まで降りる。
やっぱりこういう上下に起伏のある地形だと、どうしても距離を開けられてしまう。
なので、直線の道で出来るだけ距離を詰める。
特に本当に細い裏路地なんかは狙い目だ。大きな荷物を持っており、体も大きい師匠は通れない道も、同年代の中でも小柄なアタシなら通れる。
そうやって時折ショートカットをすることで、何とか師匠に食らいついて行く。
そんな感じで細い路地をどんどん進み、いくつかの角を曲がったところで、何やら不穏な気配。
「んーーーんんーーーーー!!」
「おい、大人しくしろ!」
「ボス、やっぱり気絶させた方がいいんじゃないですかい?」
……顔の下半分を布で縛られ、縄で後ろ手に縛り上げられた娘さんが、ガラの悪い男5人に思いっ切り誘拐され掛けていた。
その娘さんは小奇麗な格好をした見るからにいいところのお嬢さんといった感じで、5人の男に囲まれながらも必死に抵抗していた。
しかし、業を煮やした男の1人が棍棒を振り上げたことで、その目に恐怖を浮かべながらピタリと動きを止めてしまった。
「ん? なんだテメェら!!」
おっと、男の1人が駆け寄ってくるアタシ達に気付いた。
その声で残りの男達もこちらに気付き、一気に臨戦態勢となる。
しかし、実に物騒な雰囲気を発散させる男達に対して、師匠は一言。
「往診中の薬師だよ」
言い捨てると同時に、師匠は鞄を肩に掛けつつ、中から取り出した1本の薬瓶を男達の足元に向けて投擲した。
薬瓶はたちまち地面で粉々に砕け散り、中の液体が一気に気化して拡散する。
「ん? なんだこれはぁぁええぇぇぇ~~??」
無防備にその気体を吸い込んだ男達が、次々と倒れ伏す。
師匠が投げた薬はパララの麻酔薬。
非常に揮発性と即効性が高く、瓶の蓋を開けて匂いを嗅ぐだけでも十分効果を発揮する麻酔薬だ。
濃度が薄まれば当然効果も落ちるが、瓶1本分も使えばこの路地にいる人間全員を無力化することくらい容易い。
瓶が砕けると同時に息を止めながら、アタシ達は足を止めることなく疾走した。
「てめぇぇあぁぁぁ!」
布で口と鼻を覆われている娘さんに麻酔が効かないのは予想通りだったが、その娘さんの腕を掴んでいた、ボスと呼ばれた男まで麻酔に耐えたのは意外だった。
一際大柄な体格のせいで薬の回りが遅いのか、あるいは手前の男達が倒れた時点で息を止めたのかもしれない。
その男は地面に膝立ちになりながらも、娘さんの腕をしっかりと握ってこちらに反抗的な目を向けていた。
しかし、男は忘れていた。
自分が腕を掴んでいる少女が、つい先程まで5人の男に囲まれてなお抵抗を続けていたことを。
「んん!!」
娘さんが麻酔が回って力の抜けた男の手を振り払い、その顎を容赦なく蹴り上げた。
うわぁ、あれは痛い。
なんせ麻酔のせいで舌がだらんとなってたからね。あれは完全に舌噛んだわ。
更に、ぐんっと加速した師匠の膝が、かち上げられた男の顔面にめり込んだ。
鮮やかに宙を舞う鮮血、そして黄ばんだ汚い前歯。
男がどうっと背中から地面に倒れる。
それと同時に、両腕を後ろ手に縛られたまま無理に蹴りを放った娘さんが、バランスを崩して後ろに倒れそうになった。
しかし、当然のようにすっと近寄った師匠が、娘さんの肩と膝裏に手を回して受け止める。そしてそのまま軽々と持ち上げると、一気に路地を駆け抜けて行く。
アタシもまた、その光景を複雑な想いで見つつ、しっか……うっかり男達の股間を踏みつけながら、全力で走り抜けた。
そして、曲がり角を2つ曲がり、大通りに繋がる路地に出たところでようやく呼吸を再開する。
「ぶはぁ! はぁ、はぁ、し、師匠ぉ……薬投げる前に、せめて一言掛けてくださいよ」
師匠が取り出した薬を見てから息を吸い始めたせいで、十分に空気を溜め込む前に息を止める羽目になった。おかげで最後の方はかなりきつかった。
あんまりにも余裕がなかったせいで、最後のボスの男に関しては、避ける手間を惜しんでその上を走り抜けてしまったほどだ。
結果、なんだか股間だけでなく鳩尾や顔面まで踏んづけた気がするが、それはまあ不可抗力ということで。
「いやぁ悪い悪い。でもまあ3人とも無事だったんだからよしとしてくれ。っと」
師匠はそう言って笑いながら娘さんを下ろすと、その手を拘束していた縄を解き、口元の布も外した。
「ぷはっ、あ、危ないところを助けて頂き、ありがとうございます」
「いえ。ああ縛られていたところが痣になってしまっていますね。少し、大人しくしていてください」
師匠は娘さんの手首を見ながらそう言うと、鞄から薬瓶と綿を取り出した。
そして手元の綿に薬を染み込ませると、「失礼」と一言断ってからそっと娘さんの手を取った。
その優しく丁寧な手つきに、娘さんがうっすらと頬を染める。
……なんだかなぁーー トントントントン
そんな娘さんの様子に気付いた素振りもなく、師匠は薬を染み込ませた綿を手首の傷に押し当てた。
「んっ、ん……」
「すみません、少し沁みますよね」
「いえ、あっ、ん……」
……なんだかなぁーー!! トントントントントン!!
気付けばアタシは、すごい勢いで足の爪先を上下させていた。
「はい、これで終わりです」
「あ、ありがとうございます……」
最後に包帯を巻いて、処置は完了した。
「あっ、師匠、あれ衛兵隊じゃないですか?」
娘さんが更に何か言おうと口を開きかけたところで、先んじて声を上げる。
ちょうど路地の入口を、巡回中の衛兵隊が通り過ぎたところだったのだ。
「おっ、本当だな。ちょうどいい。さっきの男達を捕縛してもらうか」
「いえ、それはアタシが引き受けるので、師匠は先に往診に向かってください。時間がないんでしょう?」
「う……それもそうだな。悪い、じゃあ頼む。あなたもお気を付けて」
「え? あっ、ちょっと待っ――――」
「それでは!」
師匠はそれだけ言い置くと、その場で素早く三角跳びをし、右側の屋根の上に跳び移った。
「うおおおぉぉぉぉぉぉーーー…………」
そして、あっという間にその声が遠ざかって行く。
後に残されたのは…………
「ほぅ……」
頬を染め、とろんと熱にうるんだ瞳で、先程師匠に治療してもらった手首を押さえながら悩ましげな溜息を吐く娘さんと、爪先トントンが踵ダンダンに変わりつつあるアタシだった。
……とりあえず、今の内に潰しておこっかなぁーーー。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「なんだ……あれは……」
王都の広場で、1人の男が呆然と呟いていた。
この男は行商人で、王国の各地を回り、つい今朝数年ぶりに王都にやって来たばかりだった。
そして、仕事の前に腹ごしらえをしようと、多くの露店が軒を連ねる大広場で軽食を買い、広場の中央付近に設置してあるテーブルの1つで食事を始めようとしたところで、信じられないものを目撃したのだ。
「なんで……屋根の上を人が走ってるんだ?」
男の視線の先には、雄叫びを上げながら屋根の上を疾駆する2人の人影。
前を走るのは、外套を羽織り、大きな手提げ鞄を持った青年。後に続くのは、前の青年と同じくらいの年頃の、こちらは2回りほど小さな鞄を小脇に抱えた、眼鏡を掛けた可愛らしい少女だった。
2人揃って次から次へと屋根を跳び移り、驚くような速さで広場の周囲を走り抜けていく。
(屋根の修理をしている大工……な訳ないよな?)
軽食の麺料理に手を付けることも忘れて、男が2人の姿を目で追っていると、隣のテーブルから耳を疑うような声が聞こえてきた。
「ハハッ、レオ先生、まぁーた走ってらぁ」
「ホントだ。不謹慎だけど、あれ見るとちょっと和むよなぁ」
「ああ、不思議と俺達も頑張るかぁーって思えてくるよな」
驚いてそちらを見ると、煤で服を汚した鍛冶師と思われる筋骨隆々の男達が、揃って屋根の上を眺めながら笑い声を上げていた。
それだけではない。
周囲を見回してみれば、多くの人々が微笑ましいものを見るような目をしていたり、あるいはどこか仕方ないなぁと言いたげな微苦笑を浮かべていたりで、自分と同じようにポカンとした表情を浮かべている者はほとんどいない。
(え? あれはいつものことなのか? 驚いている俺の方がおかしいのか?)
そう思いながら男が再び屋根の上に目を遣ると、ちょうど先程の2人が屋根から跳び降りるところだった。
「ちょっ、あぶなっ!」
思わず声を上げてしまったが、当の2人は完璧な受け身で着地の衝撃を殺すと、何事もなかったかのように露店で注文をし出した。
そして数分後、再び屋根の上に現れた2人の手には、分厚いパンで肉や野菜を挟んだ軽食が握られていた。
それをかじりながら、ぐんぐんと大広場から住宅街の方へと遠ざかって行く。
その後ろ姿を、露店の周囲にいた人間達が「頑張れよぉ~」などと声援を送りながら見送っていた。
「なんだったんだ……?」
先程の目を疑うような光景と、その光景を平然と受け入れている周囲の人間とに、男は呆然とした声を漏らした。
そして、男が我に返った時には、男が購入した麺料理はすっかり麺が伸び切ってしまっていたのだった。
* * * * * * *
「――――ぅぉぉぉぉおおおおーーーー!!」
「――――ぅんんんんーーーー!!」
(ん……?)
伸び切った麺を惨めな気持ちでなんとか完食し、最後にスープを飲み干そうと器を傾けたところで、男の耳に聞き覚えのある声が届いた。
男は、半ば無意識にそちらに視線を向けて――――
「ぶっほぉ!!?」
思いっ切り噴き出した。
男の隣に同席していた若者が、迷惑そうな顔で身を引く。
しかし、男はそれに気付くこともなく、器をテーブルに戻しながら呆然と屋根の上を見上げた。
男の視線の先には先程の2人組。しかし、それだけではない。
その2人の後を追うようにして、3人の人影が屋根の上を走っていたのだ。
いや、正確に言えばその内の1人は自分の足で走らずに他の1人に抱え上げられているのだが、そんなことは問題ではない。
というか、その抱え上げられている人物が一番問題だった。
「レオさぁーーーん、お待ちになってぇぇーーー!」
これだけの人混みの中でも、不思議とすっと耳に届く涼やかな声。
まだ大人になり切れていない少女としての可憐さと、それでいて人の上に立つ者としての力強さを兼ね備えたその声の主は――――
遠目にも分かる息を呑むような美貌、そして風に靡く美しい白銀の髪を持ち、その髪の上に――――しっかりと冠を乗せていた。
男は、数年前の式典でその姿を見たことがあった。
(第6王、女……? いやいや、え? 本物?)
しかし、よくよく見れば、その王女らしき少女を抱え上げているメイド服の女性と、その2人の前を走る騎士服を着た女性にも見覚えがあった。
たしか、“王国の星”と称される第6王女になぞらえて、“星の輝き”なんて呼ばれている2人の側近ではなかったか。
(いやいやまさか。人違い……だよ、な?)
どう考えてもあり得ないことだと必死に自分の予想を否定しようとする男だったが、再び隣のテーブルから上がった声によって、その努力はあっさり無駄となった。
「おっ、また追いかけっこしてるぞ、あの5人」
「ホントだ。王女様もよくやるよなぁ~。いや、それ以上にあの王女様にあんっだけ熱烈にアプローチされて、先生もよくオチないよなぁ」
「それな。俺だったらあんな超絶美人に迫られたらコロッとイッちまうわ」
「安心しろよ。お前じゃあ天地がひっくり返ってもそんなこたぁあり得ないからよ」
「なにぃ!? お、俺だって本気出しゃあ可愛い子の1人や2人オトせるわ! この前だって《愛の虜》の女の子と結構イイ雰囲気になったんだからな!」
「ふ~ん、ちなみにレオ先生は、あの店の“天女”にも言い寄られてるらしいぞ」
「なん、だと……!?」
「マジかよ……俺なんて2年も店に通い詰めて、その上3か月分の給金はたいてようやっと指名したのに、一言も口きいてもらえなかったんだけど……」
「そりゃあ勉強不足だな。あの店の天女様が声を聞かせてくれるのは、最低でも指名5回目以降かららしいぞ」
「ごっはぁ……!」
「なんじゃそりゃ……心折れるわ」
「でも通うんだろ?」
「「もちろん!!」」
(……やっぱり、王女なのか……)
何やら違う話題で盛り上がり始めた隣のテーブルから意識を外し、男は屋根の上で追いかけっこをする5人を見上げる。
すると、前を走る眼鏡の少女が何かを背後に投げ捨てた。
途端、その何かが落下した地点からぼわっと白い煙が立ち上り、煙幕となって後を追う3人の行く手を阻む。だが――――
「せあぁぁ!!」
先頭の女騎士が鞘に納められたままの剣を振るうと、剣圧だけで煙が吹き散らされた。
そして、そのまま3人は足を止めることなく煙の中を突っ切る。
「待ってくださぁーーい。この書類にサインを! ちょっとサインしてくれるだけでいいですからぁーー!」
「だけって、そのサイン一生を左右するやつじゃないですか! 何度も言いますけどもっと考える時間をください!!」
「そんなぁ……今ならコーゼットとダイアもセットで付いてきますからぁ!」
「期間限定のおまけ商法か! というか俺の発言をスルーしないでください! 前から思ってましたけど、殿下って時々会話が成立しなくなりますよねぇ!?」
「「それに関しては本当にすみません」」
「え? ちょっと2人共? どうしてそんな目でわたくしを見るのです?」
さながらコントのようなやり取りに、広場の人々の間に笑いが広がる。
……一部の男達は、先頭を走る青年に嫉妬と感心の入り混じった視線を向けていたが。
そんなこんなで広場を騒がせつつ、5人は走り去っていった。
すると、人々は各々仕事や食事に戻る。
しかし、そうしながらも口では、先程の5人の話に花を咲かせるのであった。
その中にあって、ただ1人。
「一体、どうなってるんだ……俺のいない間に、王都で一体何が……?」
顎先からスープをぽたぽたと垂らしながら、呆然と呟く男の姿があるのだった。
次回こそはコーゼット視点です。
今度こそ本当です。嘘じゃないです。フリじゃないです。
……本当ですよ?