ある魔女の溜息
ビアンセ姐さんの過去が、少し胸糞注意です。
あたしの名はビアンセ。王都の一角に存在する館《愛の虜》の女主人であり、王都の民からは“魔女”なんて二つ名でも呼ばれている。
ある日、休憩時間中に文箱を開いて手紙を読んでいると、階下が急に騒がしくなった。
(はぁ……何かトラブルかねぇ)
折角懐かしい思い出に浸っていたところだったのに、いい気分が台無しだ。
そう思いながら読み直していた手紙を丁寧に文箱にしまったところで、扉の向こうからパタパタという足音と少女の哀れっぽい声が聞こえてきた。
「ね、姐さ~ん、お客様がぁ~~」
「はいはい、今行くよ」
文箱にきっちり鍵を掛けてから、あたしは腰を上げた。
店の最上階にある自室を出て騒ぎの聞こえる階下に向かうと、すぐに店の娘とまだ年若い男が言い争う声が聞こえてきた。
「はいはい、ちょっと通しておくれよ」
廊下に集まって野次馬根性を発揮している娘達を掻き分け、騒動が起きている部屋を覗く。
すると、大体の状況がすぐに分かった。
部屋の壁際に店の娘が5人集まり、その前にウチで雇っている屈強な用心棒の男2人が、娘達を庇うように立ちはだかっている。そしてその前で客と思しき若い男が立っていて、大声で喚き散らしているのだ。
「騒がしいねぇ、一体何事だい?」
部屋に踏み入りながらそう声を張ると、その場にいた人間全員がぱっとこちらを向いた。
「「「「「姐さん!!」」」」」「「店主!」」
その声で、客の男もあたしの正体を悟ったらしい。
少し驚いた表情を浮かべた後、ジロジロと不躾な視線が、あたしの身体を上から下まで撫で回すのが分かった。
きっと、あたしが予想以上に若いことに驚いたのだろう。
あたしはもう40代も半ばになるが、外見年齢は20代後半でも通用するという自負があるので、それは仕方がないだろう。まあその外見のせいで“魔女”なんて風に呼ばれているのだが。
「この人が、いきなりアリアナに抱き着こうとしたんです!」
そんなことを考えていると、壁際にいる5人の娘の内、一番年上の娘が、一番年下のアリアナを守るように抱き締めながらそう叫んだ。
すると、あたしを値踏みしていた男が反駁の声を上げた。
「何だよ、ちょっと触ろうとしただけじゃねぇか! あのくらいでいちいち騒ぐんじゃねぇよ! 俺を誰だと思ってんだ!」
「勇者様だろう? 知ってるさ、そんなことはね」
そう冷たく言い放つと、男――勇者は、苛立ちに満ちた視線をあたしに向けてきた。
「アンタが何者なのかなんて関係ないよ。客である以上、この店のルールには従ってもらう。この店では客の方から店の娘に触れるのは厳禁だ。それが守れないんなら出て行きな。ウチは娼館じゃないんだよ」
泰然とした態度でそう言うと、勇者はハンッと鼻で笑った。
「娼館じゃない? なら、あんたが相手してくれよ。知ってるんだぜ? あんた元は王都の超高級娼婦だったんだろ?」
そう言って勇者が下卑た笑みを浮かべると、周囲にいた娘達が一気に殺気立つのを感じた。
部屋の中の娘達も廊下に集まって来ていた娘達も、一様に勇者を鋭い眼光で睨みつけている。
そちらを手で制しながらも、あたしの心に動揺はない。
今までもこんな経験はあったし、勇者が言ったことは事実だったからだ。
たしかに、あたしは昔娼婦だった。
始まりは別に大して珍しい話でもない。
日照りが続いたある年、家の畑がどうしようもなく不作だった。
このままでは年を越せないと判断した両親は、僅かばかりの銅貨と引き換えに幼いあたしを娼館に売った。それからはひたすらに男を喜ばせる手練手管を叩きこまれ、14になる頃には娼婦として客を取り始めた。
そんな生活に特に疑問を持つこともなく生きていたあたしに、ある日贔屓の客が付いた。
見るからにお忍びの貴族といった感じの風貌だったその若者は、最初に会った時、全く遊び慣れていない様子だった。
恐らく娼館に来るのも初めてだったのだろう。終始落ち着かない様子で他愛もない世間話をし、結局あたしに指一本触れることなく帰って行った。
しかし、一体何が気に入ったのか、その若者はそれからもちょくちょくやって来てはあたしを指名し、夜を徹して色々な話に花を咲かせた。会えない日には、毎日のように手紙を送りつけてきた。
そして、やがてあたしも、自分を対等な人間として扱ってくれるその若者を憎からず思うようになった。
そんな不思議な関係が半年も続いたある夜、あたしと彼は初めて夜を共にし、あたしは今まで感じたことのない満ち足りた夜を過ごした。
それからしばらくして、あたしが妊娠していることが判明した。
直感で、彼との間の子供だと分かった。
別に、彼と結ばれる未来を本気で望んでいた訳ではない。あたしと彼では身分が違い過ぎる。娼婦と白馬の王子様が結ばれるのなんて、おとぎ話の世界だけだ。学のないあたしでも、そのくらいのことは分かっていた。
でも、それでも彼との子供だけは生んでやりたかった。
それはもしかしたら、あたしが娼館に来てから初めて抱く欲だったのかもしれない。
しかし、そんな希望が通るはずもなく、あたしは娼館の主の命令で無理矢理子供を堕胎させられた。
そして、その時必死に抵抗したせいか、あるいは医者の腕が悪かったのか、あたしは二度と子供を生めない体になった。
その事実はあたしをかつてない絶望に叩き落とし……そして、あたしは変わった。
初めて抱いた欲を、この身に宿った希望を、容赦なく奪い去られた。
そのことが、あたしの魂に火をつけた。
事情を知った彼はあたしを身請けすると言ってくれたが、あたしはその申し出を断った。
彼の手を取れば、あたしは女としてそれなりの幸せを手にすることが出来たかもしれない。
けれど、あたしには彼の側で、彼の子供を守れなかったという負い目を一生背負い続ける勇気がなかった。
それに、子供も生めない娼婦上がりの女など、貴い身分である彼にとってお荷物にしかならなかっただろう。
だからあたしは彼をフッた。
必死に心を殺し、その顔に精一杯の嘲笑を浮かべて、こっぴどくフッてやった。
彼は悲しそうな顔であたしの元を去り、二度と戻って来ることはなかった。
そして彼を失い、1人になったあたしは、強くなることを望んだ。
二度と奪われないように、男に頼らずとも生きていけるように。
そのために、時間を見付けてはあらゆる芸や技術を習得した。
歌、音楽、踊り、そしてあらゆる分野の教養と、話術等々。
やがて王都でもトップに君臨する高級娼婦となり、十分な資金が溜まったところで、あたしは自分自身を買い戻した。そして、娼婦時代に構築したあらゆる伝手をフルに使って、この店を建てたのだ。
この店、《愛の虜》は、身寄りのない娘が芸を磨き、その芸で以て金を稼ぐ場所。
芸は何でもいい。歌でも踊りでも楽器でも。
どれも才能がないなら、教養と話術を身に付ければいい。教養がある女性と話したい男というのは、上流階級に結構な数がいるものだ。
ただし、体を売ることだけは許さない。
そうやって生きたいならば、それこそ娼館に行けばいい。
ここは寄る辺のない女が、自らの腕で自らの生を勝ち取る場所。
女の、女による、女のための城。
モットーは「男に媚びるな。むしろ男を手玉に取れるように自分を磨け」だ。
だからこそ、勇者の言葉に頷くことなど絶対に許されない。
殺気立つ周囲の娘達に気を払いつつ、辛抱強く言葉を重ねる。
「話を聞いてなかったのかい? ここは娼館じゃないし、あたしももう娼婦じゃない。そういうことがお望みなら娼館に行きな」
「ハッ! 別に大して変わんねぇだろ? 結局のところ男に媚び売って生活してんだからよ。そんな女が偉そうに俺に口答えしてんじゃ――いってぇ!?」
勇者の言葉は、壁際から飛んできた扇が勇者の側頭部を直撃したことによって遮られた。
そちらに目を向けると、先程まで小さくなって震えていたアリアナが、目の端に涙を浮かべながら勇者を睨みつけている姿が目に入った。
「何すんだてめぇ!!」
勇者が怒声を上げる。
その声に一瞬ビクッとしながらも、アリアナはキッと視線を鋭くし、声を上げた。
「で、出て行ってください! 姐さんは、あなたみたいな人がバカにしていい人じゃない!」
アリアナが必死にそう叫ぶと、周囲の娘達も一斉に声を上げ始めた。
「そうよ! 姐さんはあたし達の恩人なのよ!? 謝りなさいよ!!」
「勇者だか何だか知らないけど、嫌がる女の子に無理矢理手を出すなんてサイテーよ! さっさと出て行きなさいよ!」
「かーえーれ、かーえーれ」
「もげろ」
「ハゲろ」
「むしろ死ね」
……ちょっと、誰だい? 今シンプルに呪詛を吐いたのは。
「ふっざけんな!!」
激高した勇者が足元に転がっていた扇を取り上げて、アリアナに投げ返そうと振りかぶったところで――――あたしは指を鳴らした。
すぐさま、相手が勇者だということで手を出しあぐねていた2人の用心棒――ケンとモリィが、勇者を取り押さえる。
「おい! 放せよ! 俺にこんなことしていいと思ってんのか!!」
両腕を左右からガッチリと確保された勇者が、必死に拘束から抜けようとしながら喚く。
「はぁ……先に手を出したアリアナにも落ち度はあるとはいえ、まさか年下の娘に暴力を振るおうとするとはねぇ……。外に連れて行きな。アンタは出禁だよ」
「はぁ!? ちょっ、いってぇ! 引っ張んじゃねぇよ! 俺はこの国の英雄だぞ!」
「英雄だって言うんなら、肩書きじゃなくて行動でそうと示しなさいな」
ギャーギャーと喚き散らす勇者を見送って、ふっと息を吐く。
すると、周囲の娘達がわっと集まってきた。
「ぐすっ、ご、ごべんなざい……ビアンセ姐ざん。わ、わたじ……つい、カッとなっちゃっで……」
「はいはい、泣くんじゃないよ。化粧が崩れるじゃないか」
泣きべそをかいているアリアナを抱き締めてよしよししてやりながら、先程追い出した若者に意識を飛ばす。
まったく、どうしてあんな風になってしまったのか。
5年前、勇者としてこの王都を旅立った少年は、使命に燃える強い正義感を持った少年だったはずだ。
5年の間に何があったら、あの少年があんな若者になってしまうのか。
(やっぱり、ちゃんとした大人の導き手がいなくなったことが原因かねぇ)
彼らの旅には、この国の騎士団の精鋭が護衛として付いていたはずだ。
しかし、その騎士団は旅の途中で全員戦死してしまったと聞いている。
彼があんな風になってしまったのは、それが原因なのだろうか?
(まあ、まだ成人もしてない子供がいきなり過ぎた力を与えられ、過剰にもてはやされたりしたら、勘違いしちまっても仕方ないのかもねぇ)
それを諫める大人が周りにいなかったのなら、それは尚更かもしれない。
しかし、彼は気付いているのだろうか? 英雄だからといって、自分が好き勝手出来るような立場ではないことに。
勇者の役目は、3人の運命の巫女を守り、この世界に発生した“魔”を祓うこと。
“魔”とは、かつて光の女神との戦いに敗れ、地の底に追いやられた邪神の息吹だとされている。その言い伝えの真偽の程は分からないが、確かなのは、数十年から数百年に一度、世界各地に発生し、土地を枯らし、そこに住まう生物を凶暴化させるということ。
その“魔”を祓うのが神託を授けられた運命の巫女で、その運命の巫女を“魔”に侵された生物から守るのが、同じく神託を授けられた勇者の役目だ。
分かるだろうか? つまり、勇者だけでは“魔”を鎮静化させることなど出来ないのだ。
その役割上、勇者は“魔”に侵された生物に対して絶大な攻撃力を発揮するが、言ってしまえばそれだけだ。
極論、運命の巫女は替えが利かないが、勇者は腕の立つ一般兵でも一応替えは利くのだ。
そもそも、運命の巫女が万が一の事態に備えて3人も用意されているのに、勇者が1人しか用意されていない時点で、どちらがより重要なのかは推して知るべしだ。
(まあ、世界を救った英雄であることは確かなんだから、そう滅多なことはされないだろうけどねぇ)
だが、そう好き勝手も出来ないだろう。
なんせ、国王は明らかに勇者達を権力から遠ざけている。
彼らが貴族位を授けられていないのが何よりの証拠だ。
(もしかしたら……4人の重婚を認めたのもそのためかもねぇ)
貴族ならざる彼らは権力は持たないが、神託を受けた英雄として絶大な権威を有している。
勇者はともかく、運命の巫女がどこぞの貴族に嫁いだりしたら、貴族間のパワーバランスが大きく崩れることは想像に難くない。
恐らく国王は、この4人の権威の塊をバラバラにするよりは、一纏めにしておいた方が面倒事も少なく、管理しやすいと思ったのだろう。
勇者達が帰還して早々に、国民に向けて大々的に婚約発表したのも、彼らが後戻り出来ないようにするため。今は更に外堀を埋めていっている段階といったところか。
(ちゃんと4人で幸せになろうとすれば、管理されていようともそれなりの幸せは手に入れられるだろうけどねぇ)
あの男が夫では、それも難しそうだ。
(まっ、どうでもいいことさね)
彼らがどうなろうと、あたしには何の関わりもないことだ。
あんな男に振り回される3人の少女には同情するが、自分の男を見る目がなかったと諦めてもらうしかないだろう。それに、男があんなロクデナシになるまで放っておいた女にだって責任はある。自分達で蒔いた種は自分達で何とかすべきだろう。
それに、彼らにどんな事情があれ、あたしにとって大事なのはこの館の娘達だ。
それに害なす存在は誰であれ決して容赦はしない。
(そうさね、後で一応国王に釘を刺しておこうか)
そんな風に考えながら、あたしはパンパンと手を叩いた。
「ほらっ、いつまでたむろしてるんだい! さっさと仕事に戻りな!」
そう声を張ると、娘達は各々声を上げながら散って行った。
「アリアナ、あんたは今日はもう上がりな。自分の部屋で自主練でもしてればいいよ」
「えっ、でも……」
「でもじゃない。これは店主命令だよ」
「は、はい、ありがとうございます」
そう告げると、アリアナはぺこりと頭を下げて戻って行った。
それを見送り、あたしも部屋に戻ろうとしたところで、階下からナオミが上がって来た。
「ただいま、姐さん。……何かあったの?」
「あぁ、おかえり。……なに、ちょいと勇者がやって来てね。アリアナにおいたをしようとしたから、叩き出したところだよ。……あんたもあの男には気を付けなよ?」
「勇者が? ふぅ~ん…………どんな顔してたかしら?」
「ちょっと、会ったことあるだろう?」
「あるはずだけど、一回会っただけの人の顔なんて覚えてないわよ。特に興味もなかったし」
あぁ、この娘はこういう娘だった。
基本的に人の顔を覚えない。特に男の顔は、頻繁に店を訪れる常連客でもない限りまず覚えない。
常連客であっても、1カ月くらい会わないとすぐに忘れる。
客商売では割と致命的な欠点ではあるのだが、ナオミはこの店一番の稼ぎ頭であり、高嶺の花のように扱われている。その立場上、ナオミは客とは基本的に言葉を交わさないので、顔を覚えていなくてもそうそう問題にならず、いつまで経っても改善されないのだ。
(にしたって……あの男は容姿だけは無駄に上等だったし、年頃の娘なら忘れようがないと思うんだけどねぇ)
きっと、本気で興味がなかったのだろう。
あるいは、他の誰かさんに意識を集中させていたのか。
「そうそう、そんなことより」
「……(ほんっとーに興味ないんだねぇ)」
「姐さんに教えてもらった『曲がり角で運命の出会い大作戦☆』全然効果なかったんだけど!」
「……? あぁ、あれかい。なに? やったのかい?」
「やったわよ! そして見事にスルーされたわよ!」
「……本当に? 何かしくじったんじゃないのかい?」
「ちゃんとやったわよ! パンを咥えた状態で曲がり角でぶつかって、相手に助け起こしてもらうんでしょう?」
「まあ、そうだけど……」
実際の行動としてはそうだ。
狙いとしては、普段隙のない女があえてそそっかしい姿を見せることで、ギャップを狙うというのが1つ。
そして、そんな普段決して見せない姿を見せることで、相手に秘密の共有という特別感を与える狙いもある。
なので、素の表情を見せつつも、さり気なく恥じらいを見せるのがポイントとなる。ぶつかって倒れたところで、相手に気付いた瞬間に赤面できれば上出来か。
……本人は出来たと言っているが、正直この娘は素でどこか抜けているところがあるから、いまいち信用出来ない。
「いいよ。そこの曲がり角でもう一回やってみな。あたしが実験台になってやるから」
「……分かったわ」
そう言うと、ナオミは当時のことを再現してみせた。
……みせた、のだが…………
「ざっとこんな感じね! 何が問題?」
「演技力」
「えぇ!?」
「えぇ!? って言ってるあんたがえぇ!? って感じだよ」
駄目だ。この娘致命的に演技力がない。
全体的に棒読み過ぎるし、何より……
「あんたねぇ……どうして咥えてたパンを丁寧にしまってるんだい。慌ててる場面なんだから、そこは地面に落としちまえばいいんだよ」
「え? だって食べ物は粗末にしちゃいけないし……」
「いい子か! まったく……あんたがここまでいい子に育ってくれてあたしは嬉しいよ!」
「うわっぷ」
半ばヤケクソ気味に、ナオミを抱き締めてわしゃわしゃする。
子供扱いされたのが不服なのか、ナオミはあたしの拘束から脱すると、微妙に赤い頬で、むっと唇を尖らせながら髪を手櫛で整えた。
……そういった仕草が益々子供っぽさを助長しているのだが。
「と、とにかく、今回は駄目だったから、他の作戦を教えてよ」
「他の作戦って……あんたはいい子なんだから、下手に奇を衒わず、素の自分で勝負すればいいんじゃないかい?」
「それじゃあ駄目よ! ライバルは多いんだから、普通にやってちゃ負けちゃうわ!」
胸の前で握り拳を作りながらふんすと鼻息を鳴らすナオミを見て、額を手で押さえる。
「あぁもう……だったらいっそのこと、裸エプロンでもやればいいんじゃないかい?」
「裸エプロン……あぁ、アレね! 分かったわ!」
「え? ちょっとあんた……」
呼び止める間もなく、ナオミはそのまま外に飛び出して行ってしまった。
「まさか……本当にやる気じゃないだろうね?」
裸エプロンは、あたしが娼婦時代に常連客相手にやっていた技だ。
常連客を迎える際に、エプロンだけを身に付けて「おかえりなさい。ご飯にします? お風呂にします? それともぉ……わ・た・し?」とやるのだ。
ちなみにこの場合のご飯とはお酌のことだし、当然お風呂もそっちの意味だ。
超高級娼婦であったあたしの常連になれるような極太客の中には、本番をせずとも、お風呂で色々とすっきりさせてあげたり、時にはお酌しながら世間話をするだけで満足するような人もいたのだ。
要はこの技は、あたしが自分の身体への負担をなるべく減らすために考案したテクニックだ。
あのナオミが、そのことを正しく理解してるとも思えないのだが……。
「まっ、どうせ途中で耐えられなくなって逃げ帰って来るだろうさ」
* * * * * * *
……そんな風に考えていた時期があたしにもありました。
今日の仕事を終え、店の娘達と夕食をとっていた時のこと。
品の良いメイドが訪ねて来て、ナオミが湯あたりで倒れたので、今日は帰れないという旨を告げてきたのだ。
ナオミの突然の外泊宣言に、当然のごとく周囲の娘達は色めき立った。
「キャーー!! ナオミ姉さん、とうとう大人の階段上っちゃうーー?」
「やだぁーー、ナオミ姉さん玉の輿ぃーー?」
「えぇーー、ナオミ姉さんにはまだまだ清らかでいてもらいたぁーい」
「そうよぉ、ナオミはわたし達の天女なんだからぁ」
「いやぁでも、ナオミ姉さんもうすぐ21でしょ? さすがにちょっと……」
「ピンチ」
「賞味期限間近」
「むしろ行き遅れ?」
きゃいきゃいと騒ぐ娘達を余所に、あたしは別のところに気を取られていた。
(湯あたりって……一体何があったんだい)
湯あたりしたということは、風呂に入っていたということだ。
だが、他の人の屋敷で風呂に入る機会がそうそうあるとも思えない。
もし、あるとすれば……
(まさか……本当に裸エプロンをやって、風呂を要求されたんじゃないだろうね?)
これは明日、何があったのか問い詰めなければならない。
そう心に決めたあたしを余所に、姦しい夜は騒がしく更けていった。
* * * * * * *
―― 翌朝
ナオミは、あたし達が朝食を終えて、開店準備をしている最中に帰って来た。
途端、作業を放り出してナオミに群がる娘達。
「おかえりなさい! ねぇねぇ、どうだった? どうだった!?」
「た、ただいま……え? 何の話?」
「んもぉ~~とぼけちゃってぇ~~……昨日のお・と・ま・り♡ の話に決まってるじゃなぁ~い」
「どこまで行ったの? もしかしてぇ……キャーー!!」
「行っちゃった?」
「最後まで行っちゃった?」
「むしろイッちゃった?」
ナオミを取り囲んで質問攻めにしている娘達を掻き分けると、あたしは目を白黒させているナオミの前に立って、その両肩をがっしりと掴んだ。
「ね、姐さん? どうしたの?」
「ナオミ、昨日何があったのか早急に言いな。嘘偽りなく!」
「は、はいっ!? え、え~っと……」
それから事情を聴き出すと、どうやら危惧していたようなことは何も起こっていなかったということが分かった。
というか、ナオミが勝手に自爆をして全面的に相手に迷惑を掛けただけだった。
ほっと息を吐きつつ、ナオミのやらかしっぷりに頭を痛めていると、近くにいた娘の1人が不満げに声を上げた。
「えぇーー、本当にそれだけ? せめて添い寝くらいしなかったの?」
その言葉を聞いた途端、ナオミは顔を真っ赤にした。
「なっ、そ、そんなことする訳ないでしょ!? 添い寝なんて……そ、そんなことしたら…………っ」
そこで一旦息を吸うと、ナオミはとんでもないことを言い出した。
「子供がデキちゃうじゃない!!!」
…………シーン…………
誰もが口を開けて呆然とする中、あたしは絞り出すような声で、教育係の名を呼んだ。
「マドレナぁ……」
底ごもる声で言いながらそちらを睨むと、娼婦時代の元同僚であり、この店の副店主でもある教育係の女性はビクッと震えた。
「一体、これはどういうことだい……?」
「い、いやぁ、ナオミは天女だし? そんな知識いらないかなって。うん、出来ればナオミにはずっと無垢なままでいて欲しいなぁ~~なんて……」
「このお馬鹿! 無垢と無知を履き違えてんじゃないよ! ちょっとナオミ! こっちに来な!」
「え? え?」
まさかの教育係の不手際に、あたしはナオミの腕をむんずと掴むと、容赦なく自室へと引きずって行った。
「……!? ま、まさか姐さんが直々に!?」
「だめ、ダメよ! ナオミには姐さんの講義は刺激が強過ぎるわ!!」
「ナオミお姉ちゃ~ん、行っちゃだめぇ~~」
「さよなら~」
「じゃあね~」
「むしろ逝ってらっしゃ~い」
追い縋って来る娘達の鼻先で扉を閉めると、あたしは素早く着替えた。
「ナオミ、ちょっとそこに座りなさい」
「う、うん。……ところで、何で伊達眼鏡? それになにその服? シャツはともかく、流石にそんなピッタリしたミニスカートは年齢的にキツイんじゃないかなぁ~……って」
「黙らっしゃい! これは様式美だよ!」
「は、はぁ……」
「それじゃあ始めるよ。正しい性教育について」
手に持った棒をピシリと打ち鳴らしながら、あたしはそう宣言した。
―― 1時間後
「終わったよ」
扉を開けながらそう宣言すると、扉の前で待ち構えていたのだろう娘達がわっと部屋になだれ込んできた。
皆ナオミを心配していたのだろう。そのナオミはというと……
「うぅ~ん、うぅ~ん、グロイよぉ~~全然神秘的じゃないよぉ~~そんなことできないよぉ~~」
部屋の中央に仰向けにぶっ倒れて呻き声を上げていた。
「ナオミ姉さん! あぁ、なんてこと!」
「そんな……なんてむごいことを!」
「ナオミ姉さん、しっかりして! 衛生兵! 衛生兵!」
「……魔女に汚された天女?」
「割とアリ」
「これはこれでアリ」
「むしろ萌える!!」
「なに馬鹿なこと言ってんだい、あんた達は……」
好き勝手なことを言う娘達に呆れつつ、あたしは用意していた手紙を棚から取り出すと、ナオミを引き起こした。
「ほらっ、あんたもいつまでも目を回してるんじゃないよ。子供じゃあるまいし。これから王城に用事があるんだろう? ついでにこれを国王に届けておくれよ」
「うぅ~ん……え? 国王?」
「そうだよ。あたしの名前を出せば読んでもらえるさ。さあ分かったらさっさと行った行った」
「え、えぇ?」
その手に手紙を押し付けると、あたしは戸惑うナオミを外へと追い出した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「あれ? ナオミさん?」
診療所に向かう途中、先程別れたばかりのナオミさんにばったり出くわした。
「あ、レ、レオさん……」
「先程はどうも。これからお仕事ですか?」
「え、えぇ……少し、王城の方へ……」
「……どうしましたか? 何だか顔が赤いみたいですけど……?」
「い、いえ、その……」
「大丈夫ですか? まさか熱でもあるんじゃ……」
「そ、そうじゃなくって…………み、見ないで……わ、私を見ないでぇぇぇーーー!!」
「え、ちょっ……」
俺と視線を合わせないようにして俯くナオミさんの顔を覗き込もうとしたら、何やら益々顔を真っ赤にして逃げられてしまった。
「何だったんだ……?」
呆然と呟いてから、ふと胸にチクリと刺すような痛みを感じた。
(あれ? 俺何で傷付いてるんだ?)
自分の胸に手を当てて考えようとするが、その答えが見付かる前に……
「シショウ?」
背後から聞こえてきた底冷えする声に、慌てて振り返る。
「患者さんが待ってますよ。早く行きまショウ?」
「あ、あぁ……そうだな」
どこかカラクリ人形のような動きで、カクンと首を傾げるミツラに慌てて頷くと、俺は疑問を飲み込んで急いで診療所に向かうのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ただいま姐さん。これ、陛下からお返しの手紙を頂いたわよ」
「早かったね、ご苦労さん」
「なんか陛下、すごい慌てた様子だったんだけど……一体何を書いたの?」
「別に大したことは書いてないよ」
ただ、『勇者の手綱をしっかり握っとけ。今度勇者がウチの店に迷惑掛けたら、あんたが尻を責められて喜ぶ変態だって王都中にバラす』って書いただけだ。
「いや、そもそも姐さんの名前を出したら、本当に側近の手も通さずに読んでくれたんだけど……姐さんって何者なの?」
「別に、ただの元娼婦だよ。さあ、あんたもさっさと次の仕事に行きな」
「あっ、ちょ、ちょっとぉ」
ナオミを追い立てると、ぴしゃりと部屋の扉を閉める。
そうしてから、丁寧に封筒を開いて手紙を取り出すと、そこには見慣れた字で一言、『頼むからやめろ』とだけ書いてあった。
ふふっと小さく笑みを零し、手紙を封筒に戻すと、そっと胸に抱く。
……そう、あたしはただの元娼婦だ。
ただ昔、愚かにもあたしなんかに本気になっちまったどこぞの王子様に、側室入りを乞われたことがあるだけだ。
静かに目を閉じて佇んでいると、どこか遠慮がちに扉がノックされた。
眉を顰めながら扉を開けると、そこにはちょっと気まずそうな表情のナオミが立っていた。
「なんだい。まだいたのかい」
「うん……あのね、姐さん。さっき改めてレオさんに、姐さんのお腹を治せないかって聞いたのよ。そしたら……」
「またその話かい。もうあたしは今更子供なんて作る気はないから、どうでもいいよ。ただでさえこんなに手のかかる娘がたくさんいるんだ。これ以上増えてたまるもんかね」
「でも姐さん……」
「いいったらいいんだよ! ほらっ、分かったらさっさと行きな!」
そう言い放ち、今度こそ扉を完全に閉める。
……彼との間に出来た子供を失った時、あたしはもう二度と子供は作らないと決めた。
それが、彼を傷付けたあたしが彼に示せる、たった1つの誠意だ。たとえこの体が治ろうとも、その決意が変わることは絶対にない。
けれど……どうかせめて、時々こうやって手紙を交わすことくらいは、許して欲しい。
最後にもう一度ぎゅっと胸に抱いてから、あたしは手紙の入った封筒を、そっと文箱の中にしまった。
あるぇ?何だか予想以上にシリアスな話に……。
仕方がないので、足りないコメディ成分は次回姫達(オイ)に補ってもらいましょう。
という訳で、次回は今まで影が薄かったコーゼット視点の予定です。