ある薬師の聖戦
いくつか話を思い付いたので、結局連載することにしました。
基本的にネタでしかない後日談をのらりくらりと書いていきます。
それと、1つお詫びがあります。
予告では次回はビアンセ姐さん視点ということになっていましたが、連載するにあたって色々と構成を考えた結果、ビアンセ姐さん視点はこの次に持ってくることにしました。連載版の新作1話目はミツラ視点となります。それではどうぞ。
アタシの名はミツラ・オアシズ。オアシズ子爵家の三女であり、新米の国家公認薬師。そして、現国家公認薬師筆頭の弟子でもある。
弟子であるアタシの朝は早い。
師匠よりも早くに目を覚まし、まず最初にやるのは薬草の管理。
師匠の持家であり、アタシの居候先でもあるこの屋敷には、広大な薬草園と3つの温室がある。それらの内、中庭を除く全ての場所を朝一番に見回り、何か異常は起きていないか確認し、起きていたらその対処に当たる。それがアタシの仕事だ。
「ん~……今日はちょっとベルテナの調子が悪いなぁ。今日は日差しも強そうだし、遮光しといた方がいいかも」
薬草の状態、その日の気候、気温、湿度を考慮して、手早く対応していく。
普段は使用人達が持ち回りで薬草の世話をしてくれているし、彼らも1年以上経験を積んでいるのだからそうそう大きなミスは起こらないが、それでも専門の薬師でなければ分からない部分はある。
念の為に朝食後に師匠のチェックが入るが、その前にアタシに出来る範囲で対処はしておかなければならない。師匠は多忙なのだから、この程度のことで時間を取らせるわけにはいかないのだ。
「ふぅ、こんなもんかな」
1時間と少し掛けて、ざっと一通り見回ることが出来た。
本当は中庭にも庭園があるのだが、そこだけは師匠に任せるしかない。
何と言っても、そこに植えられているのは伝説の花である真珠薔薇なのだから。
その花弁にはあらゆる薬効成分が含まれ、その蜜を1匙舐めれば全身の身体機能が10歳は若返ると言われている伝説の薬草。それでいて、“天上の花”とも称される、息を呑むほどに美しい花。
そんな真珠薔薇は、出すところに出せば、同じ重さの本物の真珠の100倍以上の値段が付く。
貴族とは言っても所詮田舎の貧乏貴族に過ぎないアタシにとっては、たった1輪でも一財産だ。そんなものを世話するなんてアタシにはムリだ。心が持たない。
という訳で、中庭を除く全ての庭と温室を見回ったアタシは、朝食を頂くために本館へと向かった。
本館の玄関に立ち、ノッカーを鳴らそうとしたところで――――ドアが内側から開かれた。
「おはようございます、ミツラ様」
「……おはようございます、オースチンさん」
出迎えてくれたのは屋敷の執事のオースチンさんだった。
ロマンスグレーの似合う初老の男性で、いつもニコニコと柔和な笑みを浮かべている。
その笑みは一見実に人畜無害そうなのだが、この人はアタシが本館に入ろうとすると、何故か毎回、まるで待ち受けていたかのように出迎えてくれるのだ。
以前偶々裏口から入ろうとした時も、当然のように笑顔で出迎えられて、その時はかなりビビった。
偶然かと思って玄関口と裏口を不規則に利用してみても、毎回必ず出迎えられる。
それならいっそのことと思って、露天風呂の塀を乗り越えて侵入してみたが、脱衣場を出たところで普通に出迎えられて、アタシは全てを諦めた。
最初は、本当は影武者でもいて玄関と裏口両方に待ち構えているのかと思ったのだが、ここまでやられてはもうそういうものなのだと納得するしかない。いや、執事の影武者とかいう発想自体が突拍子もないことは分かってるけどね。
そんな底知れない執事さんは今日もステキな笑顔だ。元々目が細いせいか、こうやって笑っていると完全に目が隠れてしまう。そのおかげで感情が読めなくて、余計に得体の知れない感じがしてしまうのだ。まあその身に纏う温厚そうな雰囲気のおかげで、別に嫌な感じはしないが。
「どうかなさいましたか? わたくしの顔に何か付いておりますかな?」
「いえ……そろそろ朝食ですよね?」
「そうですな。ちょうど調理も完了する頃合いかと」
「分かりました。ありがとうございます」
どうやら間に合ったらしい。
アタシはオースチンさんにお礼を言うと、厨房に向かって足早に廊下を進んだ。
「あっ、いたいた。お~い! ちょっと待ってぇ~~!」
廊下の先にアタシと同じように厨房に向かう3人のメイドを発見し、慌てて呼び止める。
「おはようございます、ミツラ様」
「うん、おはよう」
彼女達は給仕担当のメイド3人組、通称“盛餐厨”だ。
先頭にいたクロサさんが折り目正しく一礼し、背後の2人、ムーさんとオーマさんが追従して頭を下げてくる。
そちらに目礼してから、アタシはクロサさんに要件を告げた。
「あのね、ちょっとお願いがあるんだけど」
「お願い……ですか?」
「うん。あのね、今日のアタシと師匠の料理を隣り合うように配膳して欲しいんだ」
アタシがそう告げると、クロサさんは少し困ったように眉をひそめた。
「ミツラ様……尊き御方の食事では、屋敷の主が上座に座るのが習わしです。それを曲げよと言われましても……」
「そこを何とか! ねっ? お願い!」
クロサさんの手を両手でぎゅっと握っておねだりする。
その際、賄……気持ちを一緒に渡すのを忘れずに。
一瞬ハッとした表情をしたクロサさんは、チラリと手の中のブツに視線を落とした後、さり気ない仕草でそれをエプロンのポケットに滑り込ませた。
「んんっ、仕方がありませんね。ミツラ様がそこまでおっしゃるならば」
取り澄ました表情でそう言った彼女に、後ろの2人が「えっ!?」みたいな顔をする。フフフ、そう慌てなさんな欲しがりさん達め。
「あなた達も、よろしくね?」
同じようにそっと手を握り、ブツを握らせる。
すると彼女達もハッとした表情をした後、キリッとした顔でぐっと力強く頷いてくれた。
「それじゃあよろしくね~」
「はい、ではまた」
肩越しに小さくサムズアップしながら去って行く彼女達を笑顔で見送る。
ちなみに彼女達に渡したのはアタシが調合した香油だ。
香りもよく、肌の保湿も出来る、水仕事が多くて肌が荒れやすいメイドさん達の強い味方だ。賄r……日頃の感謝の気持ちを伝えるには最適なアイテムだろう。
そのおかげでちょっとしたわがままも快く引き受けてもらえた。いやー日頃から感謝の気持ちを伝えるって大事ダナー。
* * * * * * *
さて、という訳でやって来ました朝食の時間。
ふっ、この時間から師匠にアピール出来るのは同居人であるアタシの特権。ここで一気にライバルに差をつけるぜ!
「はい師匠、あ~ん」
完璧な笑顔。完璧な角度の上目遣い。
ふっ、今日の為に鏡の前で何度も練習した自信作だぜ。さあ、師匠の反応は!?
―― 無
……………………
ふ、ふふっ、流石師匠。手強いぜ。
だがまだだ! まだ負けんよ!
さぁ女子力を振り絞れ! そのポーカーフェイスをアタシの魅力で突き崩してくれるわ!!
「ほぉ~ら、し・しょ・う♡」
―― 無
……………………
……………………
……………………
「あっ、クロサさん、ちょっとソースもらえる?」
「はいレオ様、ただいま」
……やめろ、そんな目でアタシを見るな。
ちょっ、ハンカチを差し出すな! アタシは別に料理をこぼしたりしてないぞ!
肩に手を置くな! 分かったような優しい顔で首を振るな! アタシのメンタルに追加ダメージが入るだろうがぁぁぁああぁぁぁぁ!!
……………………
* * * * * * *
その後、朝食を終えたアタシ達は診療所の仕事を開始した。
結局、朝食の席では師匠はアタシのアピールに何の反応もしてくれなかった。ふふっ、ノーリアクションがここまで心にクるとは知らなかったぜ。おかげでアタシの心のライフはもう0よ。
しかし、気は抜けない。ここもまた戦場であることに変わりはないのだから……っと、言ってる傍から敵が来た。
「よろしくお願いします、先生」
「あぁどうも。どうですか? 調子は」
あれはたしかガラス工房の娘さんだったっけ。おーおー目を見たら分かるわ完全に恋する乙女の目やん。
「その……先生、婚約破棄されたって……伺ったんですけど……」
うわぁお、早速来たわ。
仕方ないなぁ~~おや? こんなところに剪定ばさみが。
固い茎を持つ薬草を切るための大ぶりなやつですね。さっき調剤室からうっかり持って来ちゃったのカナー。
あれ? どうしたのお嬢さん、そんな真っ青な顔して。
あっ、これが気になる? そう、実は剪定ばさみって、中心の要の部分を逆手で握るのが正しい持ち方なんだよ? こうすると振り下ろす時に一番力が入るんだよねーー、っと
サッ!
ふーー危ない危ない。
剪定ばさみをあんな持ち方してるところ見られたら師匠に怒られ……いや、あれが正しい持ち方ですよ? アタシウソツカナイヨ。
「どうかしましたか? 師匠」
何事もないかのようにアルカイックスマイル。
すると、師匠は何も言わずに正面に向き直った。
何とか誤魔化せたようだ。アタシの令嬢スキルも捨てたもんじゃないね。
おやおや、もうお帰りですか? ふっ、この程度のことで尻尾巻いて逃げるとは小者め。
ガラス工房の娘さんを勝者の笑みで見送っていると、王城の執事さんがやって来て師匠を連れて行ってしまった。
ブルゾア姫殿下の体調が優れないとか言ってたけど、絶対嘘でしょ。
仮に本当だったとしても、どうせ「恋の病で胸が痛い~」とかいうオチでしょ? おのれ権力者め。きたないな、さすが王女汚い。
そんな思いっ切り不敬なことを考えながらも、ちゃんと留守番の仕事は果たす。
幸い今日の患者さんはアタシにとっても顔見知りな人ばかりで、大きなトラブルもなく診察は進んだ。
しかし、お昼時が近付いて来た頃、その人は現れた。
「次の患者さん、どうぞ~」
アタシの声に応じて診察室に入って来たのは、フードを目深に被った患者さん。
診察室のドアをきっちりと閉めてからフードを外すと、そこにいたのはどこかで見た覚えのある美少女。
(う~ん……誰だっけ? 患者さんの顔なら一回見たら絶対忘れないはずなんだけど……)
内心首を傾げていると、アタシの顔を見た相手の方が、先に何かに気付いたらしい。
「あれ? あなたは……」
「え? あっ、やっぱりどこかでお会いしましたっけ?」
「はい……あの、この前王城の廊下で……」
「…………ああっ!!」
そうだ! どこかで見たと思ったら、この人運命の巫女の1人だ! え~~っと、名前はたしか…………
「ケーナ様、ですか?」
「はい、ご存知でしたか……」
「いえ、なんせ我が国の英雄ですからね。王国民として当然のことですよ」
ゴメン、正直かなり怪しかった。
それにしても、救国の英雄様が護衛も付けずにどうしてこんなところへ?
「んんっ、えぇーーっと、それで……本日はどういったご用件で?」
誤魔化すようにそう訊ねると、勇者のハーレム要員その2は、どこか思い詰めたような表情で口を開いた。
「あの……これからお話しすることは、くれぐれも口外無用でお願いしたいのですが……」
「?ええまあ、当然患者さんの個人情報を口外したりはしませんが……」
「いえ、それだけでなく、私がここに来たことも秘密にしてもらいたいのです」
「まあ、明らかにお忍びの格好をしていらっしゃいますもんね……別にそれくらいなら構いませんが」
「ありがとうございます……」
そうは言ったものの、それから勇者の愛人2号は、言うべきか言わざるべきか迷うような表情で黙りこくってしまった。
しかし、しばらくしてようやく決意が固まったのか、愛人2号は意を決した表情で口を開いた。
しかし、その内容は完全に予想の斜め上を行くものだった。
「あの、男性の性欲を抑える薬とか……ないでしょうか?」
「…………はい?」
何ぞそれ?
思わずぽかんとしてしまっていると、2号ちゃんは少し伏し目がちに、事情を話し始めた。
「身内の恥を晒すようでお恥ずかしい限りなのですが……婚約者の浮気癖を何とかしたくて……」
「えぇ~~っと、それはもしかしなくても(クソ)勇者様のことですか?」
「はい……勇者様は、その、少々女好きのケがありまして……」
うん、知ってる。
「実は今日も婚約者である私達を放って遊びに出かけてしまって……英雄色を好むとは言いますが、もう身を固める以上、少し落ち着いてもらいたいのです」
「……それで、性欲を抑える薬を飲ませる、と?」
「はい、私達がどれだけ言っても聞いてくださらないので、こうなったらもう実力行使しかないかな、と……」
「……」
ふ~ん、ちょっとビックリ。
何がビックリって、あんな最低男をこの人は本気で好きなんだなってところがね。
アタシは勇者と話したことはまだ一度もないけど、既に勇者のことは大嫌いだけどね。
師匠を傷付けたクソ女も、そのクソ女をたぶらかした勇者も、どちらも死ねばいいのに。
まあそれでなくとも、アタシなら婚約者をほったらかして女遊びに夢中な男なんて絶対御免だけど。世の中には奇特な人もいたもんだ。
「お話は分かりました。しかし、どんな薬であれ、本人の同意なくそれを服用させることは犯罪です。残念ですが、アタシは国家公認薬師の1人として、そのような謀には協力できません」
「そう、ですか……そうですよね……」
薄々分かっていたのだろうが、ケーナさんはがっかりしたように肩を落としてしまった。
まあまあ、気を落とすのはまだ早いよ。
あなたのその一途さに敬意を表して、このミツラさんが一肌脱ごうじゃないですか。
「ところでケーナ様、どうやら少しお疲れのようではないですか?」
「え?」
「お顔に疲れが出ておりますよ。少々お待ちください。折角来て頂けたので、疲れを取る薬をお出ししましょう」
「え? いや、あ、あの……」
戸惑っているケーナさんを置いて、奥の調剤室に引っ込む。
手早く調合して薬を完成させると、アタシはそれを店のマークが入った薬瓶ではなく、町で普通に売ってるガラス瓶に入れて、診察室に戻った。
「お待たせしました。この薬を、夜寝る前にコップ1杯の水に2,3滴垂らして飲んでください。それだけで全身がとてもリラックスして、快眠間違いなしです」
「は、はあ……」
「ただし! 注意事項が1つあります。この薬、男性の方には決して飲ませないでください」
「え?」
何のことか分からない様子で目を瞬かせるケーナさんの顔にぐっと顔を近付けると、アタシはそっと囁いた。
「この薬を男性が服用した場合、ドコとは言いませんが、身体の一部の筋肉が完全に弛緩して、丸一日使い物にならなくなってしまうんですよ」
その言葉を聞いた瞬間、ケーナさんはハッとした表情でアタシの目を見た。
その視線に力強く頷きかけながら、薬瓶をその手に握らせてやる。
「いいですか? くれぐれも、男性には飲ませないでくださいね? 絶対ですよ?」
「はい、ありがとうございます」
その目に強い光を浮かべながら、ケーナさんは頷いた。
「あっ、そうでした。お代を……」
「いえ、お代は結構です」
「え? で、でも……」
「あなたはここには来なかったし、何も受け取らなかった。そうでしょう?」
ウインクしながらそう言うと、ケーナさんはその顔いっぱいに感謝の表情を浮かべながら、深々と頭を下げた。
そして薬瓶を内ポケットに大事そうにしまうと、フードを被り直して診察室を出て行く。
ドアを閉めながら最後にもう一度頭を下げてくるケーナさんを、最高の笑顔と共に激励の意味を込めてガッツポーズで送り出す。イヤーイイコトシタナー。
深い満足感と共に次の患者さんを呼ぼうとしたところで、裏口から師匠が顔を出した。
「あ、師匠、お疲れ様です」
「お疲れミツラ、はい、これ昼食。俺がしばらく代わるから、裏で食べてきなよ」
「わ~い、ありがとうございます!」
「どういたしまして。ところで……」
そこで師匠は、少し鼻を鳴らすような素振りをした。
「この匂い……キルマンの水薬か?」
「はい、流石ですね師匠。ちょっと詳しいことは言えないんですけど、お忍びの患者さんにどうしてもと言われて調合したんです」
「そうか……ちゃんと注意事項は説明した?」
「はい、ちゃんと男性には絶対に服用させないように言いましたよ」
「そう、それならよかった。あの薬は男の人が飲むと、下半身の筋肉全体が弛緩しちゃって大変なことになるからな」
「大丈夫だと思いますよ。何度もきっちり念押ししましたし」
「ん?」
「え?」
まあドコが弛緩するかは明言しなかったけどねーー。
ま、何かが起こってもそこは自己責任ということで。どうせ彼女がここに来た証拠なんてどこにもないしねーー。
仮にどこかの勇者が婚約者の前で糞尿撒き散らしたとしても、そんなのアタシには何の関わりもないことなのですよ。
「それじゃあ休憩頂きますね」
「あぁうん、お疲れ」
あー本当にいいことした。いいことした後に食べる食事は本当においしいなぁーー。
* * * * * * *
―― 夕方
仕事を終えたアタシ達は、屋敷に戻った。
本館の前で師匠と別れた後、アタシはダッシュで離れに与えられた自室に戻るや否や、着替えだけ引っ掴んで本館にとんぼ返りした。
この時間、師匠は露天風呂で仕事の汗を流すはず。そこに偶然を装って突入する。
ふふふ、今朝はアタシのアピールをことごとくスルーしてくれた師匠も、うら若き乙女の裸には平静でいられまい。
少々あざと過ぎるかもしれないが、強力なライバルが多い以上、手段は選んでいられない。
脱衣場で服を脱ぎ、いざ突入!
「うわぁぁーー師匠、奇遇です、ね……」
視線の先にはその美しく引き締まった裸体を惜しげもなく晒す師匠。と、その師匠の右腕に抱き着く全裸のナオミさん。と、その2人の前でキメ顔でスポンジを掲げるブルゾア姫と、そのブルゾア姫の背後から上半身を突き出すように斜めの体勢で、それぞれスポンジと剃刀を掲げるキメ顔のダイアさんとコーゼットさん。
……………………
…………ふっ
よろしい、ならば聖戦だ。
* * * * * * *
―― 1時間後
アタシは屋敷の一室で、ナオミさんの看病をしていた。どうしてこうなった。
あの後、師匠を巡って女同士の激しい戦いが起こったのだが、その最中、ナオミさんが突然目を回してぶっ倒れてしまったのだ。
湯あたりしたのか、それとも羞恥心が耐え切れなくなったのか、あるいはその両方か……。
ともかくぶっ倒れた人を放置して戦いを続ける訳にもいかず、コーゼットさんの手によってナオミさんは屋敷の客室に運び込まれ、アタシがその介抱に当たることになったのだ。
姫様達はというと、流石にちょっと反省したのか、今日はもう大人しく帰って行った。
「うぅ……ん」
「あっ、気付きました?」
濡れたタオルを額に乗せて扇で顔を煽いでやっていると、やがてナオミさんが意識を取り戻した。
まだぼーっとしている様子のその口に、水差しの飲み口を差し込んでやる。
恐らく半ば無意識に口の中に流れ込んでくる水を飲んでいると、段々とその目の焦点が合い出した。
それと共に、一度は治まった赤面が急激にぶり返してくる。そして、その目にうっすらと涙が浮かんで――――
「い、いやああぁぁぁーーーー!!!」
絶叫した。
両手で顔を覆いながら、ベッドの上でじったんばったん身悶えし始める。
「違う! ちなうのよおぉぉ!! あそこまでするつもりなかったのよおぉぉぉ!! でもでも、姐さんが裸エプロンで!! レオさんが裸で!! お風呂があっぷあっぷで頭がパーってなってぇぇぇ!! 殺してぇぇぇ!! もういっそ殺してよぉぉぉぉ!! うわああぁぁぁああぁぁぁぁん!!!」
枕に顔を押し付けながら幼子のように泣き喚くその姿に、流石のアタシも呆気にとられる。
……うん、今は何を言っても逆効果になりそうだから、彼女が自分で落ち着くのを待つしかないかな。
―― 30分後
「……どうも、ご迷惑をお掛けしました……」
「あぁ、うん」
ようやくナオミさんが落ち着き、アタシ達は客室のテーブルで向かい合って、メイドさん達が運んできた夕食を食べることになった。
先程思いっ切り醜態を晒したせいだろうか? ナオミさんはいつもの妖艶なお姉さん然とした態度はすっかり鳴りを潜め、どこか子供っぽい態度になっていた。恐らくこちらがナオミさんの素なのだろう。
「あぁーーーアタシが言うのもなんですけど……そこまで恥ずかしいなら、色仕掛けなんてしなきゃいいんじゃないですか?」
「それはっ……そうなんだけど…………でも、他にやり方も思い付かないし……」
「いや、でも別に、異性を誘惑する方法は色仕掛けだけじゃないでしょう?」
「じゃあ、他にどんな方法があるのよ?」
ふてくされたように唇を突き出すナオミさん。
その姿は、とてもじゃないがアタシよりも年上だとは思えない。くそっ、可愛いじゃねぇか。
しかし、その質問内容にはアタシも口を噤むしかなかった。
なんだかんだ言って、アタシだって所詮恋愛経験値0の小娘なのだ。
だからこそ、思い付く限りの方法を片っ端からやってみているのだが……今のところ、師匠がアタシに振り向いてくれる気配は全く感じられない。
「本当に、どうすればいいんですかねぇ」
「ホントよねぇ……」
「「はぁ……」」
2人揃って溜息を吐いてしまう。
あぁ~~あ、気分が落ち込むわ~~……もう、こうなったら……
「……飲みますか?」
「ミツラちゃん、あなた飲めるの?」
「まあ一応、この前16歳になったんで」
「そう……じゃあもらおうかしら」
悩める女同士、今だけは矛を収めて酒を飲み交わすことにした。
―― 1時間後
「へ~、そんなことがあったのねぇ」
「そうなんですよぉ、師匠って薬師としては超一流だけど、それ以外では少し抜けてるところがあるっていうか……まあそれもまた魅力なんですけどぉ」
「分かる! 分かるわぁ~。私も以前、こんなことがあったんだけど……」
―― 2時間後
「ふぅ~ん、薬師の仕事も大変なのねぇ」
「まあもう慣れましたけどねぇ~。でも、国家資格を取ってからはそういった面倒事もかなり減りましたよ。それ以前は偽薬を売る詐欺師扱いされることだってありましたし。そういった人に限ってちゃんと用法用量守ってないんですよねぇ~」
「こちらの指示に従ってくれないお客さんは本当に迷惑よねぇ。そう言えば今日勇者がうちの店に来たんだけど……」
―― 3時間後
「って! なんで普通に仲良くなってんのよ!!」
「え?」
あっぶねぇ、巧みな話術に引き込まれて、思わず時間を忘れてガールズトークしちまったぜ。最初の方は師匠の話ばっかりしてたのに、途中から旧知の女友達みたいに普通に世間話してたわ。ナオミさん……おそろしい子!
「別に……仲良くなる分には問題ないんじゃないかしら?」
「え? いやいや、アタシ達は師匠を巡る恋敵で……」
ん? いや待てよ?
たしかにアタシ達はライバルだが、最大のライバルは他にいるんじゃないか?
そう、言わずと知れたブルゾア姫達だ。
なんせ向こうはこの国一番の美女たる王女様と、強く凛々しい女騎士様と、母性と包容力に溢れるメイドさんの3人組だ。正直アタシ1人では勝ち目は薄い。
(ふむ……)
一方、目の前にいるのはその肉体の凶悪さと男を惑わす色香は頭抜けているが、権力もなければこれといって特筆すべき師匠との繋がりもない女性。
何より恋愛経験値はアタシと同程度っぽいし、話している内に分かったが、この人は見かけ以上に単じゅ……素直だ。この人なら味方に引き入れても出し抜かれることはないだろう。むしろ、ここで争っても益はない気がする。
「そうね、よく考えたら別に何の問題もなかったわ。折角こうして仲良くなったんだし、これからは協力していきましょうね?」
「え? ご、ごめんなさい、何の話?」
「え? だから師匠をオトすために協力しましょうって話ですけど?」
「どうしてそうなった!?」
それからアタシは時間を掛けてアタシ達が協力するメリットを説き、ナオミさんを味方に引き入れることに成功したのだった。
「じゃあそういうことで。これからはお互い抜け駆けしないようにしましょうね?」
「ええ、分かったわ」
チョロい。
抜け駆けしない? ふっ、バレなきゃいいのよバレなきゃ。
戦において夜討ち朝駆けは基本中の基本! そしてそれが可能なのは師匠と同居しているアタシだけ! 2人でいる時は協力しつつ、陰できっちりリードは確保しておく。そしてそのリードを保ったまま、アタシ1人でゴールインしてみせる。
ふふっ、悪く思わないでねナオミさん。聖戦においてはどんな手段だって許されるのよ。
「でも、よかったわ」
「え?」
「私、仕事柄女の人と仲良くなる機会がなくって……同じ店の子達は家族みたいなものだし、女友達ってミツラちゃんが初めてかもしれないわ」
そう言って、ナオミさんはふわりと花が開くように笑った。
「だから今、私すごく嬉しいの。これからよろしくね? ミツラちゃん」
「え、あ、ハイ」
……ヤベェ、この人予想以上に純粋だ。
何がヤバいってアタシの罪悪感がヤバい。
その純真無垢な笑顔を向けられていると、自分の汚れっぷりをはっきりと思い知らされて何だか死にたくなる。
やめて! そんな穢れのない目でアタシを見ないで!
「そ、それじゃあ今日はもうお開きにしましょうか。この部屋はそのまま使っていいみたいなので、ナオミさんはここに泊っていってください」
「え? いいのかしら?」
「もう遅いですし、師匠がそう言ってたので。ではおやすみなさい」
「ええ、おやすみなさい、ミツラちゃん」
急いで話を切り上げると、その視線から逃れるように足早に部屋を出る。
そして部屋を出た時点で、アタシはその場で蹲って頭を掻き毟った。
(あ゛あ゛あぁぁぁああぁぁぁぁ!!!)
心が痛い。
扱いやすい相手だとは思っていたけど、まさか扱いやす過ぎてこちらが罪悪感を刺激されるとは思わなかった。
(ごめん、ナオミさん。アタシはそんないい子じゃないんだよ……)
月明かりに照らされる廊下で、アタシは思わず内心で懺悔してしまうのだった。
アタシが、この純粋で可愛らしい年上のお姉さんと打算も負い目もなく本当の親友となるには、今しばらくの時間を必要とすることになるのだった。
* * * * * * *
―― 翌朝
朝食をとりに本館に入ると、何だか使用人達の様子がおかしい。いつになくどこか浮ついたような雰囲気が流れているのだ。
食堂に着くと、もう既に師匠とナオミさんが席に着いていたので、食事をしながらそれとなく事情を聴いてみる。
「ああ、なんでも勇者が国王陛下の御前で、口にするのも憚られるようなとんでもない粗相をしたらしいよ」
「……へぇ」
師匠は何のことか分かっていない様子だったが、アタシには察しが付いてしまった。
そうかぁ~もうやっちゃったかぁ~~。まあキルマンの水薬は効果が表れるまでに結構時間があるし、タイミングが悪ければそういうこともあるよねぇ~~。
「?ミツラ、何か知ってるのか?」
おっと、無意識の内に訳知り顔になってたかな? 師匠に怪訝そうな顔を向けられてしまった。
「いえ? 何も。ああ、今日のご飯もおいしいですね~」
素知らぬ顔で食事を続ける。
アタシは何も知りませんよぉ~。あぁそれにしてもおいしい。
まったく、本当に今日も――――
勇者の不幸でメシがウマい。