生まれ変わった、その先で。~「孤高」の剣士~
「この世界」には二種類の人間がいた。
どうしようもない悪人と、
どうしようも出来なかった善人だ。
それは変わることの無い真理であって。
変えることの出来ない現実だ。
◇
ここは、広大な平地。ただし、見渡す限り闇に喰われたかのような黒に覆われている、そんな場所だった。
そんな所に俺がいる理由。
それは、目の前にいる彼女の為だ。
「よお、調子はどうだ」
俺は、彼女に向かって可能な限りの笑みを投げ掛ける。
しかし、彼女はこっちを見ようとしない。
「なんだよ、返事ぐらいしてくれよ~」
そう言いながら、俺は彼女の隣にあるかごを見る。
中は空になっていた。
「お、持ってきたご飯食ってくれたのか。俺、とっても嬉しいぞ」
いくら話し掛けても、彼女は返事をしてくれない。今までずっと、変わったことはない。これからもずっと変わらないのかもしれない。
それでも、俺はここに来る。
俺は持ってきた果物と、野菜をかごに入れた。もちろん果物は綺麗に切って、野菜はサラダにしてある。
「じゃ、また来るからな」
彼女にさよならを言って、背を向ける。最後までこっちを見ることは無かった。
近くに置いておいた剣を拾い、俺は漆黒の台地から去る。
「おーい!酒だ、酒!早く持ってこい、クソ店員!」
「今日、バジリコーンを倒したんだぜ!スゲーだろ、おい!」
「うるさいねぇ。でも、こんくらいじゃ無いとねぇ」
威勢の良い言葉達が飛び交う。とある者はふらふらと踊り、とある者は酒を口の中に流し入れ、とある者は静かに語らう。
そんな場所に、俺は入っていく。
瞬間、空白が世界を満たす。
しかしすぐに、活気は戻る。何事も無かったかのように。
俺は気にせず、席に着く。
店主は、俺に殺すような視線を少し向けて、前を向く。
「親父、いつもの」
店主は、少し肩を揺らした。
俺はそれに軽く頷き、目を閉じる。
聞こえる。
「なんで『孤高』がきてんだよ」
聞こえる。
「皆殺しの『孤高』様だぜ。近付いたら殺されるぞ、気を付けろよ」
聞こえる。
「全く、あいつが来たらうまい酒も不味くなるよ」
聞こえる。
聞こえる。
聞こえる。
トッ、
硬質で微妙な響きに、俺は目を開く。置かれたのは「ドレシアル」。二度とくるな、というメッセージが入っている酒。
常人にとっては飲めたものではないレベルの物である。
俺はそれを煽る。
口の中に、「ゴミ」の味が広がる。今すぐにでも吐き出したくなるほどの拒絶。全身に流れる嫌悪。それでも、無理矢理ドレシアルを体の奥に押し込める。
トッ、
再び音が鳴った時には、空になっていた。
「親父、うまかったぜ。お代は置いとくよ」
店主は、カウンターに置かれた代金を一瞥して、また前を向いた。
俺はそんな店主を見て、軽く礼をしてここを去った。
残ったのは、外の暗闇とは違う、幸せの詰まった世界だった。
俺は、町中を目立たないように歩いていく。
もう既に夜になっている。町は静かに眠りに入って行こうとしていた。
町の端にある宿の前で、俺は足を止めた。
丁度その時、一人の少女が宿の中から顔を出した。
俺は、彼女が看板娘になっていることを知っている。
少女は嫌そうな顔をしながら、こっちに歩いていく。
「代金」
そして、まるで無感情であるような声を俺にぶつける。
俺は彼女の前に向けて、代金を放る。
「はいよ。いつも通りのお金も入っているから、よろしく」
彼女は中身を確認して、無造作に指を明後日の方向に突き出した。
俺は先程と同じようにそれに頷いて、本来宿では無い場所へと歩いていく。
冷たい地面。その冷気が俺の体を蝕むように、喰らいついて来ようとする中。空を、見上げていた。何も見えない、空を。
俺を包むのはクリットの葉で作られた寝具。それだけである。
クリットは風を通す葉。間違っても常人が寒い時期に使う寝具では無い。それでも、無いよりはまし、だ。
不意に、昔を思い出した。
こことは違う、とある世界で生きていた、そんな記憶。
ここより暖かくて、冷ややかな世界で。
そこで、俺は空を飛んで。
謎の存在に頼み込んで、ここに生まれ変わらせて貰って。
希望を得た、そう思った。
でも、それは全く逆だった。
「っ、なんで、まだ思い出すんだよ…」
俺は思考を絶ち切る。目を閉じて、未だ抱える嫌悪を押し潰して、黒、いや、白の世界に還っていく。
目を開けると、朝だった。昔、太陽と勘違いした空の光が、俺の横の地面を照らしていた。
反対側を見る。そこには、一つの袋。
「ありがとな、看板のお嬢さん」
ここにいない彼女に礼を言い、袋を開ける。そこには、頼んで置いた果物と野菜が入っていた。
俺は袋と剣を背負いながら、先を急ぐ。
この姿を見る人々の目は、嫌悪か無関心、その二つだけ。それを俺は分かっていた。
進んだ先にあるのは、冒険者組合の支部。
「邪魔するぞ」
俺の声に、何人かいた冒険者らしき人は口を閉ざした。
構わず受付に向かう。
「受付嬢、依頼をくれ」
「貴方への依頼は全部で三十五個になりました。今日はこちらになります」
受付嬢は、顔を見ようとしないで淡々と告げる。
「ありがとう。受けさせて貰うよ」
いつも通り、俺は快諾した。
アースゴロロロの群れの殲滅。それが今日の依頼だった。
「平地と逆か、さっさと終わらせようか。あいつの為にな」
俺は町を離れ、山の方へと向かった。
途中、何人かを追い越したが、何も言われることは無かった。
比較的早く麓に着き、そのまま山を登る。
登った所に居たのは、まるで岩の固まりのようなアースゴロロロ達だった。
ざっと見て二十体近く。
俺は、それを見てどうするか考える。
「ま、変わらずに、いつも通り、だな」
決めたのは、単純な手段。
俺はゆっくりアースゴロロロの一体に近付いて、蹴り上げる。
アースゴロロロが宙に浮かぶ。俺は勢いを殺さずに、剣で一閃、ではなく一撃。
その衝撃に耐えきれず、アースゴロロロが爆砕する。
その音に気付いた他のアースゴロロロ達が、俺に向かって転がる。
彼らが向かって来る度、俺は一撃を加えていく。
爆砕。爆砕。爆砕。爆砕。
そして、最後の一体を叩き潰して、俺への依頼は終わった。
その時。
ピロリン。
久しぶりに無機質な音が頭に響いた。
俺が、世界で一番聞きたくない音だった。
町に戻る。
すぐに支部に向かい、受付嬢に依頼の完了を申告して、証拠のアースゴロロロの残骸をいくらか置いた。
受付嬢は残骸を回収して、代わりに袋を置いた。
かしゃり、と中から音がした。
「じゃ、また明日」
俺は静かに言った。受付嬢はただ、前を見るだけだった。
『浄』。
その一言で、剣、果物、野菜などの汚れは一瞬で消える。
そのまま、果物と野菜達に向けて、剣をかざす。
『閃』。
その一言と共に剣を振る。
それだけで、果物と野菜は丁度良い大きさに切られた。
そう、俺は料理をしている。
「よし、後は野菜をサラダにして…」
綺麗に野菜を皿に盛り付け、完成である。
切った果物。盛り付けただけの自称サラダ。
単純な料理達が出来上がる。
「さて、食べようか」
一人、果物を口に含む。
酸っぱくて、少し甘い、そんな味だった。
「ふー、食った、食った」
空になった皿。七分目に満たされる腹。
「じゃ、行きますか」
もうひとつ用意していた皿と、切ってある果物を手に、黒の台地へと足を踏み入れる。
そこの中心に待つ、一人の女性。
彼女はどこも見ずに、世界を見ていた。自分の『罪』を償う為に。
俺は彼女に近付く。
彼女は、気付いたのか、俺から目を逸らす。
その行動に嬉しく思いながら、彼女の前に立った。
「よお、調子は、ってそればっかじゃつまらないか」
俺は言い直す。
「またお会い出来て嬉しく思います、お嬢さま」
その言い方に、彼女はこっちを睨んで来た。
「おお、久しぶりにこっち向いてくれたな」
俺が驚いた拍子にそう言うと、彼女は気付いたのか、再び目を逸らす。
「はは、照れてるのか。可愛いな」
ぎり、と音が聞こえた、気がした。これはまずい、ふざけすぎたようだ。
「ごめん。調子乗りすぎました」
平謝り。それに、彼女は分かってくれたのか、殺気を少し抑えてくれた。
「食べ終わったやつは持ってくぞ。新しいの用意したからな」
彼女に声を掛けて、かごの中を入れ替える。
その間、彼女は俺では無い方を向いていた。
「じゃ、また来るぞ。楽しみにしてろよ」
また、今日もさよならを言って、彼女に背を向けようとした。
しかし今日はいつもと違った。
「ねぇ」
初めて、聞く声。
思わず、彼女をじっと見る。
未だ、向こうを向いたままだった。
「ねぇ」
確かに、彼女から発せられた声だった。
その声は、俺を救ってくれるような、ひび割れながらも湧き出る声だった。
「な、んだ」
緊張で途切れ途切れになりながらも、必死に言葉を紡ぎ返す。
彼女は、ぼさぼさに伸びた髪を左の手で押さえる。
「なんで、あなたは私に優しくするの?」
その口から放たれた言葉は、弱く。
「死にたいから?苦しみたいから?」
その胸から放たれた疑問は、鋭く。
「なんで、なの?」
その心から放たれた思いは、悲しみに包まれていた。
確かに、俺は最初、彼女から死を求めようとした。
俺はとある村で生まれ変わって。
そこで、家族も幼馴染みも失って。
謎の存在に貰い受けていた『孤高』の力を使って、強くなることを望んだ。
俺は強かった。負けることが無かった。
その強さに仲間が集まってきて、嬉しく思って。
そして、皆失って。
その力が、本当は「呪い」であることを知った。
「独りでいる代わりに強くなれる」、そんな。
俺は恐かった。自分が他人を殺す存在になることを。
それでも、近付いてくれる人達が居てくれて。
心の恐怖を溶かして、居場所を作ってくれて。
そして、その人達すら失った。
自殺も考えた。でも、剣が首の前で止まった。まるで俺を殺させないかのように。これも、「呪い」の効果だった。
そして、途方に暮れた、その時に聞いたのが、彼女のことだった。
彼女も「呪い」を持っていた。『罪』である。
それによって、周囲の人間は枷をはめられて、死に向かっていく。そんな「呪い」だ。
だから、彼女の所に行けば、俺は死ねる。そう思っていた。
でも、結果は違った。
俺は、彼女を一目見たとき、死に囚われていた心が動いた。
彼女は、ボロボロだった。
髪はぐちゃぐちゃで、ぼさぼさ。
肌は黒ずみ、荒れて。
目は死んだ人と同じ目をしていた。
それでも、生きている。そう感じた。
彼女は、死ねないのだ。
彼女は、誰も殺したく無いのだ。
俺はそう思った。思わされた。
死のうとしていた自分は、死んだような彼女によって生きることを選べたのだ。
そう、彼女に優しくする理由、それは。
「あなたのことが、好きだから」
「好きだから、毎日会いに来た」
「好きだから、食べ物を作ってきている」
「好きだから、声を聞こうと話し掛け続けた」
「俺は、あなたが、好きなんだ」
それだけ、だ。
その日、初めて彼女の涙を見た。
俺は、彼女の隣に座る。
隣と言っても、人五人分以上は離れていた。
それでも、俺は幸せだった。好きな人の近くで夜を過ごせることが。
彼女をじっと見続ける。
時々、彼女がこっちを見てくれる。
それに対して笑い掛けると、また向こうを向いてしまう。
それが可愛くて、いとおしくて、心がいっぱいになった。
そのまま、夢にまで描いた夜は過ぎていく。
「ねぇ」
彼女が話し掛けてくれる。
「なんだ?」
俺は明るく返した。
「私、幸せ」
彼女は、向こうを向いたまま、そんなことを言ってくれた。
俺は心が爆発しそうな位に高ぶった。
「ねぇ」
彼女がもう一度言う。
「なんだ?」
俺は有頂天になりながら、返した。
「ありがとう」
彼女は、満開の花のような笑顔を向けて、そう言ってくれた。
俺は、幸せだ。
しかし、世界は無情だった。
突然周りから照らされる俺と彼女。
「いたぞ、『罪』の魔女だ!」
「呪いを撒き散らす悪め!我らの手で粛清を!」
それは、数えきれない程の数の人間達によるものだった。
俺と彼女は彼らによって囲まれていた。
「何をしに来たんだ!」
俺は大声で叫ぶ。
「貴様は『孤高』か。丁度良い、手を貸せ。共に魔女に制裁を下そう」
前の方にいた兵士が、訳のわからないことを言い出した。
「何故だ?彼女とは関わらないつもりじゃ無かったのか!」
「確かに、そうだった。しかし状況は変わった」
何?
「貴方が使者として『罪』の魔女に接触し続けたことで、魔女の力が薄れた。よって今が好機なのだ」
なんだと?
「貴方の呪いに、我々はとても感謝しているよ。さあ、共に魔女に裁きを」
「裁きを」
「裁きを」
「裁きを」
木霊するように、周りから声が上がっていく。
そうなのか?
俺のせいで彼女の力が弱まって。
俺のせいで彼女は殺されるのか?
また、俺がいたから、彼女すらも失うのか?
そんなこと、そんなことは、
「許さない…」
自分が『孤高』を持っていたとしても、彼女だけは、
「護ってみせる…!」
「『孤高』、貴様は魔女にたぶらかされたようだな。なら共に滅びよ」
そして、戦いが始まる。
『閃』。
その一振りで、何人もの人の首が飛ぶ。
『斬』。
その一振りで、幾つもの矢が落ちる。
それでも、敵は尽きない。
「魔女は『孤高』と二人だけだ!『孤高』さえ倒せば後は終わりだ!射て!射て!途切れさせるな!」
『閃』、『斬』、『閃』、『閃』、『斬』、
既に斬った物は千を優に過ぎている。それでも、まだ敵は向かって来る。
彼女を中心に、回りながら、護りながら戦う。それにはとてつもない消耗が伴う。
段々、段々と、押されていく。
『閃』、『斬』、『斬』、『閃』、『斬』、
『斬』、『斬』、『閃』、『斬』、『斬』、
「まだ、俺は、彼女を、守れ、」
それは運命のいたずらか。
はたまた『孤高』の「呪い」か。
俺は、気付いた。
気付いてしまった。
『斬』がずれて、何本もの矢が通り抜けたことに。
そして、その矢は。
彼女に刺さった。
「魔女に攻撃が通ったぞー!」
倒れる彼女。俺は、周りを無理矢理吹き飛ばして彼女に近付く。
「おい、大丈夫か!」
彼女に呼び掛ける。俺は、君が居なきゃ、駄目なのに。
君が居てくれれば、それで良いのに。
「頼む、目を開けてくれ!」
彼女の手を握る。頼む、今だけで良いから、彼女を殺さないでくれ。
『斬』で、また飛んでくる矢を払う。
『閃』で、近付く人間を切り刻む。
彼女の口が、動いた。
「い、き、て、?」
その言葉を残して。
彼女の灯火は消えていった。
とても安らかで幸せな顔だった。
未だ、矢は俺に向かって飛んでくる。
未だ、人は俺に向かって襲ってくる。
「うっ、うっ、ううっ、」
俺は泣いた。
みっともない位に。
俺は泣いた。
心から色んなものが流れ落ちるように。
俺は泣いた。
生きる、為に。
「うわぁぁぁぁ!」
◇
ここは、広大な平地。黒と赤が入り交じった、幸せと憎悪の詰まった、俺の大事な場所。
そこに俺は何年ぶりかに来ていた。
吹く風すらも、この場所に染まったかのように赤黒い。
不意に、空を見上げる。変わらず、何も無い。でも、彼女が空から見ている、そんな気がした。
俺は空に向かって呟く。
「俺は、どうしようもない悪人だ。でも、あなたはどうしようも出来なかっただけの、善人だ」
「そして、俺はまだ、生きている」
「だから、見ていてくれ。俺のことを。それで、全て終わったら、会おうな。サラダ、持ってくからさ」
「じゃ、またな」
俺はいつも通りさよならを言って、彼女の居た所に背を向けた。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。