表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
N.river よみきり短編集  作者: N.river
6/10

書く時間

 書く時間へハサミを入れる。

 少し滲む血は時間も生きている証だ。

 だから手の中、強張り、反り返って暴れるけれど、もうこうして押さえつけた後だからガマン、ガマン、となだめすかした。

 分厚い紙を切るような、手ごたえには芯がある。刃先からしっかと指まで伝わって、それは意志がなければ切り進めないことを知らしめた。だからいったん緩めてハサミの交差を開く。再び刃先へ力をこめなおした。銀色の刃が食い込んでゆく。光景は今まさに、自身がしようとしていることを思い知らせる。だとしてもう後戻りはできないのだ。躊躇もなにも怯んでどうする。己を必死に奮い立たせた。

 それもこれもこの暑さのせいで気が狂っての残虐、というわけではない。ひとつきり、つけたスタンドの明かりの下、影をくっきり落としたカタチがブサイクに見えただけのことに過ぎない。これでは書く時間も不憫だろうと、良きをはからい決心しただけのことだった。

 夜なのに、窓の外では蝉が懸命と泣いてる。

 鳴いている。

 聞きながらハサミを入れるその前に、良き場所を見極めるべく四方八方、手の中で回転させてはこねくり回し、あれやこれやと吟味していた。このくらいの出血ですんでいるのもそのためで、ようやく残り半分と切り進めたところで自身の抜かりなさにしめしめ、ともひとりごちもする。

 直後、しくじった、と気づいたのは、はっと我に返ったそのときだ。うぬぼれたスキをついて書く時間は暴れ出し、食い込む刃を嫌うと激しく身をくねらせた。驚きこちらが怯むと手の中から抜け出して、勢いに、わあっ、とこちらも椅子から転げ落ちかけたところで思いっきりだ、噛みつかれた。痛みと恐怖で反射的に手を振り上げ、力いっぱい叩き落とす。床で跳ねた書く時間は、気が狂ったかのように今度は天井まで飛び上がって、ぼん、とぶつかり血を降らせた。かぶってこちらもキチガイみたいに手を振り回し、闇雲と払いのける。

 散々な中で書く時間が窓へ突っ込む。

 破って外へと飛び出した。

 千切れた体でふらふら行く後ろ姿はもうとっくに愛想をつかしていて、それはどうにも仕方のないことだけど、これじゃあ、とんでもなく悲しいままじゃないか。足りない美的感覚と一方的な善意をせめて詫びたくて、ついに転げた椅子からどうにか這い出す。部屋からも抜け出して、靴の左右を履き違えたまま外へ出た。

 見上げればだいぶ小さくなった書く時間は夜空を飛んでいる。振り返ることない姿はもうそれだけで何を書かずとも雄弁だった。

 追いかける。

 追って、追いかけ、追いすがった。

 けれどもつれる足はキモチのせいがほとんどで、冷静さを失い次の角を曲がり切れずにぬるい地面へ、へたり込む。上がる息に、どうせ追いついたところで詫びる声の一つも出せやしないと思っていた。そういう情けない生き物でいることを、無様な様子を、せめて空からせせら笑えばいいと思う。だから思い切り、夜だから思い切り泣いた。

 曲がるはずだった角からだ。足音はそのときいつもの調子で近づいてくる。

「あ、ケンちゃん」

 提げたコンビニのレジ袋はカップ麺で膨れていて、足を止めた彼女の驚きこちらを見る姿はあった。思わず顔を上げたのはこちらこそびっくりしたからで、合った目に彼女は瞬きだけを繰り返す。

 やがてショートパンツからのぞいていた足が、前で静かに折りたたまれていった。ゆったりと、彼女は前へ腰を落とす。

「血が、ついてる」

 微笑む頬に、書く時間の消えた夜が蒼い。

 蝉はまだ鳴き止まず、拭った彼女は口づけもまた添えた。添えてこの手を取ると引く。風をまとうと立ち上がった。

「仕方ないなぁ」

 言う声はけれど全然、仕方なさげじゃない。

「帰ったらラーメン食べようっ。太るけど」

 証拠に笑ってぺろり、舌をのぞかせ悪だくみに誘ってみせた。

 けれど太るのも時間が生きている証拠だ。

 もう金輪際、ハサミは使わないよ。

「うん」

 もう疲れた。

 疲れ切った。

 ただうなずき返す。

 歩き出した彼女の後を追いかけて、歩きづらさに靴の左右を正しい左右に履き替える。再び彼女に肩を並べたなら、早くもハフハフとハシですする様子を頭の中に広げていった。

「味噌とさ、塩なんだけどどっちがいい?」

「あっと。味噌、取っていい?」

 もちもちシコシコ、ネギ浮く薄いチャーシューがお楽しみの、濃厚味噌味ノンフライ麺だ。

「いいよ。塩にするつもりだったからさ」

 もうそんな時間を書こう、と思っている。

 ブサイクでも。

 逃がさないように。

 二度と痛めつけない、ために。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ