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N.river よみきり短編集  作者: N.river
10/10

砂浜で……

「砂浜でんでん虫だっ」

 大声で手を振り上げた彼が知らせた。

 波打ち際で散り散りに、スコップでらしき穴を見つけては掘り返していたみなの顔が一斉に持ち上がる。瞬間は電気が走ったかのようで、一呼吸おくと我先に、彼の傍らを目指し駆け出した。

「っわぁ……、すげぇ」

「う、動いてるっ」

 あまりのことにベタな発言しか出ない者もいれば、目の前の本物と図鑑をひたすら見比べる者もいる。重なり人垣はできあがって、よく見えないからと後ろの者が身を乗り出せばあわや倒れてしまいそうになるほど「砂浜でんでん虫」へと釘付けになった。

「危ないだろっ、落ち着けっ」

 制する彼の声が波音に混じる。右隣りを勝ち取った者も思い出したか、たすき掛けにしていたビンを手繰り寄せていた。その上にすぼまった口はついており、回して白いフタを外す。まもなくそうっと彼の手元へ近づけていった。

 そんな彼の手の上に乗る「砂浜でんでん虫」は毒々しいオレンジ色に、透けたような肌色の斑点が散らばる渦巻き状の殻を背負った生き物だ。中に体の一部を納めると、殻の高さにまで持ち上げた頭から突き出す四つの目玉で辺りをうかがい、足にあたるヒダを柔らかにうねらせていた。湿っぽいその体表も、対照的に乾いた背の殻も、この種に奇特と塩にヤラレることはない。進化の過程で生息地に適応していったと思しきその生態は未知にあふれ、しかしながら百五十年前の文献に書き留められきりと幻の生物となっていた。

「ゆっくり、ゆっくりな」

 促す彼に合わせてビンの口が傾けられてゆく。

 つまり絶滅したのだ。

 界隈では信じられている。

 だが状況が変わったのは四年前のことだった。夏の終わり、台風の呼んだ高波に挑み行方不明となったサーファーのスマートフォンは浜砂に突き刺さった状態で発見され、「砂浜でんでん虫」の写真はその中から見つけ出されていた。発見したのは、行方不明から一年後、パスワードを解いて中を確かめた身内の一人で、その人物こそ偶然にも界隈の識者であったなら、すぐにも写真をインターネットに公開するとこれが本当に「砂浜でんでん虫」であるのかどうなのか、フェイク映像の可能性も含め識者仲間に検証を求めた。

 画像が瞬く間に拡散されていったことは言うまでもない。おかげで検証は界隈総がかりとなり、果てに導き出された答えはといえば、これは間違いなく現実の画像であり、画像から確認できる「砂浜でんでん虫」に間違いない、というものだった。

 そう、「画像で確認できる限り」である。

 この結果が次にもたらした事態は無論、実物による最終検証となった。界隈は沸きに沸き、スマートフォンが残されていた件の浜辺へすぐさま識者が、マニアが、識者やマニアをカモにして一攫千金を狙う輩までもが、「砂浜でんでん虫」をこの目で見んと繰り出していった。

 そのほとんどは空振りに終わっている。

 二年の月日が流れてた現在、あいだに三組だけが「砂浜でんでん虫」を発見するに至った。それぞれは映像を残しており、一組においては動画である。だがどういうわけだかいずれも発見した個体そのものを持ち帰ることはなく、発見した、という一報のみできれいさっぱり手を引いてしまっていた。直後から集まる注目のぶんだけ浴びせられる質問を避けるように、一人残らず身を隠してしまっている。それはそれぞれの家族の前からさえ、という徹底ぶりだった。

 まさしく完全な失踪。

 「浜辺でんでん虫」の動きはこうも鈍いというのに。

「ビンをもっと横に」

「はい」

「落として殻が割れたらもともこもない」

「はいっ」

 作業を見守る周囲から、いまにも生唾を飲む音が聞こえてきそうになる。そうまでじれったい「砂浜でんでん虫」はといえば彼の手のひらにしっかり張り付いたまま、動きこそ鈍くあったがその粘り強さで事態を膠着状態へ持ち込んでいた。

「潮が満ちてきてる」

 気づいて呟いたのは人垣の後方にいた何某かだ。彼の手元に集中するあまり誰もかれもが周囲のことにはなおざりとなっており、気づけば波打ち際だった足元は寄せては返す波のただ中にあった。目にした彼もこれは、と感じたらしい。ほんの数歩、遠ざかった砂浜へ移動し始める。だが傾けられたビンとの息はうまく合わず、多くの人に囲まれていたならそれもまた彼の動きを阻んだらしい、いやもしかすると波に足を取られたのか。それまでいっこうに離れようとしなかった「砂浜でんでん虫」を、つまづいた拍子にポロリ、水の中へ落としてしまっていた。

 あっ、と誰もが目を見張ったことは言うまでもない。

 とはいえ、まださほど深さもない透き通った水の中だ。寄せて返す波の動きが邪魔したところで、鈍い動きの「浜辺でんでん虫」などすぐにも拾えるはずだった。

 彼もそのつもりで素早く水の中へ手を伸ばしている。

 掴んだ。

 ように見えて、殻を使うとでんぐり返った「浜辺でんでん虫」が、器用に身をかわしてみせていた。さらにもう一回転、引き波にあわせて身をよじらせれば明らかに、肥大する。水面を割って一気にだった。ぐん、と巨大化した。合わせて誰もの視線は持ち上がり、そんな視線さえかわすと「砂浜でんでん虫」は沖へ向かいさらにもう一回転くりだす。目で追うみなの背はもう、まっすぐ伸び上がっていた。

「……え」

 開いた口がふさがらない。

 阿呆と見上げた高さで四つの目玉がうごめく。さらなる引き波にヌラリ、とした体表を見せつけると「砂浜でんでん虫」は再びでんぐり返った。半回転もしたところで満ちゆく押し波に乗ると、ひとたび大きく身を揺り戻す。

 たちはだかる巨体に背負う殻などもう見えない。

 ままにヒダ状の足を投網と宙へ放り投げる。

 落とす影は誰もをすっぽり飲み込んで、動転しているからか、それともつとめて冷静なのか、急ぎシャッターを切る音がどこかで鳴った。

 わー、と騒ぐヒマもない。

 「砂浜でんでん虫」の足が覆いかぶさる。

 勢いに水しぶきは上がり、握りしめていたスマートフォンも弾かれすっ飛び、砂に刺さった。

 さらに大きくなった波が打ち寄せる。

 ただ中で、敷き詰められた砂をかき混ぜもにょもにょと、足をうごめかせる「砂浜でんでん虫」は、緩慢だ。うちにもひとまわり、ふたまり、と体は元へと戻ってゆく。元の大きさになるまで数分もかかっていない。やがては満ちてきた潮の中へと、紛れて静かに消えていった。


潮が引いた砂浜には、突き刺さって数個のスマートフォンが残されている。転がるビンのフタもまた、外れたままだ。




「note」の「シロクマ文芸部」お題、「砂浜で」参加作品

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