第5話 季節が君だけを・・・・・・
1
(まことちゃんは、どこか変わってしまった)。
堀田志保は思っている。彼女はいつものように神岸家の玄関に立ってまことの登校の準備ができるのを待っているところだ。これが彼女の毎朝の習慣だった。
(たぶん格闘部の大会が終わったぐらいからだと思う。前以上に練習熱心になって、時々怖い目をして何かを考えてるような時もあるし)。
チャイムを押しながら彼女は彼の名を呼ぶ。
「まーこーとーちゃーん、まだなのー? 学校、遅れちゃうよー」
「わーってるよ、もう少しで準備終わるからさ。・・・・・・それからその『まことちゃん』ってのはやめろって言ってるだろう」
家の奥からまことが大声で怒鳴り返してくる。
(こんなところもそう、突然「『神岸君』って呼べ」だもん。ずっと昔から同じ呼び方をしてきたのに・・・・・・)。
彼女は少し寂しかった。大切な幼なじみが変わっていってしまうことが、自分の知らない何かに悩んでいることが。
やがてまことがカバンを片手に家を出てきた。
「走るぞ、志保」
言うなり返事も待たず駆け出すまこと。志保は慌てて彼の後を追った。
「待ってよ、まことちゃ・・・・・・神岸君」
しばらく走っているうちに引き離されそうになった志保は、荒い息の下からようやく声を出して彼を呼んだ。まことがすっと立ち止まる。
「・・・・・・ちょっと急ぎすぎたな、大丈夫か」
ふりかえると心配そうに声を掛ける。その表情を見て志保は少し安心した。
(良かった、こういう優しいところは変わってない)。
無意識に笑っていたのだろう、まことの方が怪訝そうな表情になった。
「変な奴・・・・・・」
そしてまことは今度は歩調を緩めてゆっくりと歩き出した。
2
5月の「大会」終了後、学校に戻った皇部長は部員達を練習場へと集合させた。男女合わせて約二千人が整列した様子は壮観であった。彼等の正面に立ち、皇が口を開いた。
「みんなに注意しておいてほしいことがある。2年生以上の者は知っていると思うが鬼道雷牙という男が俺達格闘部員を狙って動き出した」
1年生を除く部員達が一斉にざわめきだした。つまり彼等にとって、鬼道という名はそれだけ影響力のあるものであったということだ。
「みんなよく気をつけておくように。それから、このことに関して何かつかんだらすぐに俺達に報告して欲しい」
そう言って話を終えた皇は、今度は1年生だけを集め鬼道について語りだした。その苛烈なる人間性について・・・・・・。
(手を出さずにとにかく逃げろって言われてもなあ・・・・・・)。
その時の皇の話を思い返しながらまことはこれからのことを考えていた。鬼道やこの間の羽山という男が元格闘部員であることはわかった。だから部員を狙ってくることもそれなりの実力者であることも理屈としてはわからなくもない。しかし、二ケタを越える年月を人と戦う技術を身につけることに費やしてきた若者には、「戦わずに逃げる」という考えは容易には受け入れられるものではなかった。
「まことちゃん・・・・・・?」
隣から声をかけられまことは、ふと我に返った。吊革につかまって電車の揺れに身を任せている内に、自分の世界に入ってしまっていたらしい。
「ん、ちょっとな」
「大丈夫なの?」
「当たり前だろ。俺は、大丈夫だ」
心配そうな表情の志保に、まことは笑って答えた。
(しばらくこいつとも距離を置いた方がいいかもな。部員じゃないのに巻き込まれたら可哀想だからだけれど)。
そう思いながら、まことは何故だか妙な後ろめたさを感じていた。
3
「・・・・・・んじゃとお?」
H市の一角、とある建物に底冷えのする声が響きわたった。押し殺した怒りに満ちた声だ。
「あの羽山がたかが1年坊にやられた言うたんけ、わりゃ」
声を発したのは、10代の少年とはとても思えぬ肉体を有する男、鬼道雷牙である。ここは彼を中心とする一団の本拠地であった。
「そ、それじゃ俺はこれで・・・・・・」
報告に来た男は鬼道の迫力に圧倒され転びそうになりながら慌てて部屋を出ていった。4人に言葉はなく、後には重い沈黙だけが残る。
「・・・・・・」
予想もしていなかった事態の発生に、皆咄嗟に具体策を思いつけないようであった。
しばしの静寂、だが不意にあがった声がそれを破った。
「鬼道さん、ワシにやらしてつかあさいや」
「八木、己がやる言うんかい・・・・・・」
名乗りを上げたのは八木、物心ついた頃から相撲一筋に生きてきた男である。
「別にアナタがでなくてもいいんじゃないデスカ?」
同じく四天王の一人であるガーベイジが止めたが、八木は首を横に振った。
「羽山がやられたいうことは、それだけの相手やいうことです。ワシくらいの者がでていかんことにゃあ、なんともなりゃあせんですよ。ワシはワシとこみおうた格闘部の奴等を1人ずつとっちゃろう思うて鬼道さんについてきたんじゃけえ、絶対に負けやせんです。・・・・・・安心してつかい(下さい)、羽山と同じ轍は踏まんようにワシの兵隊を百人ばかしつれていきますけえ」
ここまで言われてはさすがの鬼道も八木を止めることはしなかった。
「・・・・・・よし、行って来いや」
そして部屋から気配が消えた。ただしその数は2つ。銀仮面もまた無言のままに姿を消していたのだ。
4
その少年が1年A組の教室を訪れたのはちょうど昼休憩の時間であった。制服の胸につけたネームプレートの色が緑であることから2年生であろう。下級生達が好奇の視線で見てくる、彼はその中の1人に声を掛けた。
「あの、村雲絵里さん・・・・・・、いるかな?」
その生徒はうなずいて絵里を呼びに行った。百人近いクラスメートの名前も、入学して2ヶ月もたつとさすがに覚えるらしい。絵里の魅力的な外見も多少は影響しているのかもしれないが。
「私が村雲ですけど、何か御用ですか?」
やってきた絵里は怪訝そうな顔をした。呼び出された相手が知らない人物だったからだ。
(てっきり部の誰かだと思ったんだけどな・・・・・・)。
目の前の少年は格闘部では見ない顔だった。夏服なので体が良く引きしまっているのがわかるが、格闘家にしては少々攻撃を受けるための鍛錬が足りないだろう。
「君に話があるんだ。ちょっと一緒に来てくれないか?」
絵里はとまどいながらもうなずきを返していた。
2人はエレベーターで屋上へとやって来た。強い風が吹くためにここでは昼食をとったりバレーボールをしたりする生徒はいない。今も彼等の他に人影はなかった。
「涼しくて景色もいい。考え事をするにはもってこいの場所だね」
落下防止のフェンスにもたれかかりながら少年は言った。絵里は黙って彼が本題に入るのを待っている。
「・・・・・・3年校舎の屋上は、ここの3倍の高さがあるんだってね。きっともっと風が強いんだろうね」
「何が言いたいんですか?」
問いかけながらも絵里は確信していた。彼は『兄貴』についての話をしようとしているのだ。
「君が実の兄のように慕っていた藤井文也さんの話さ」
「兄貴・・・・・・あの人がいなくなった事件の真相を知っているとでも言うんですか?」
激しく問いつめる絵里に、彼は首を横に振った。
「いいや。少し考えればわかるだろう?彼が行方不明になったのは僕が中3の時、現場に居合わせようはずもないじゃないか?」
沈黙する絵里。その表情を見て、彼は顔をほころばせた。見る者が安心する笑顔がそこに現れる。
「そんな顔をしないでくれ。悪いとは思ったんだが、どうしても君の文也さんに対する気持ちを知っておきたかったんだ。僕の名前は、風魔京太郎。君と同じく事件の真相と文也さんの行方を求めてこの金龍高校に入学してきた者さ」
この時、何故だか絵里は京太郎と名乗った少年の言葉をためらい無く信じていた。彼女自身にも理由はわからない。ただ心地いい安堵感に包まれ、疑う気持ちが生まれることがなかった。
(何でだろう? この人の言葉はこんなにも・・・・・・)。
突然、京太郎が身を起こした。鋭い視線で絵里の背後を睨みつける。
「・・・・・・?!」
咄嗟に振り返った絵里は驚愕した。屋上の彼等のいる側とは反対側のフェンスの上に何者かが立っていた。この強風の中で小揺るぎもしないバランス感覚も大したものだが、恐るべき点はそれだけではない。
(ここまで上がってくるにはエレベーターを使うしかない。でも、到着の合図に鳴る電子音が聞こえなかった。ということは、校舎の壁を登って来たってことに・・・・・・!)。
その男は奇怪な銀色の仮面をしていた。彼が鬼道の四天王の1人であることを絵里は知らなかったが、皇部長の話を思い出し奴等の一員であることを確信する。
「たった1人でやってくるとはいい度胸ね」
「・・・・・・」
銀仮面は何も答えない。ただ音もなく屋上のコンクリートの床に降り立っただけだ。
「村雲さん、ここは僕が」
彼なりに校内の情報は調べたのだろう、京太郎が銀仮面を格闘部の敵対組織の一員と見てとって絵里を守ろうと前にでる。絵里は「私の方が・・・・・・」と言おうとしたが、年上の男に言っては傷つく台詞だろう気づき口ごもった。
京太郎は右の拳を左の掌に叩きつけた。
「よーし、かかって来・・・・・・いっ?!」
十分に距離をとっていたはずの京太郎に、銀仮面は一挙動で襲いかかった。コンパスの長い足が京太郎の腹部にめり込む。
「風魔さん!」
京太郎が崩れ落ちるのを見て、絵里は叫びながら走り出していた。
(今の動き・・・・・・私と同じ!)。
「許せない、あなたみたいな人が使ってはいけない力よ、テコンドーは!!」
高速の左下段蹴りを放つ絵里、彼女の学んだ技術がスポーツなどではない証拠だ(スポーツテコンドーは腰から下への攻撃が禁止である場合がほとんどである)。その攻撃を銀仮面は右脚をを上げて受けた。きちんとしたローキックの受けの型になっている羽山のように常につま先立ちになっているボクサーにはできない動きだった。
(・・・・・・強い)。
受けた足がそのまま内側に巻き込まれ、外から正中線上に帰ってくる。そして、振り下ろされた!
ビキッ。
「ネ、ネリチャギね・・・・・・」
韓国語でそう呼ばれるかかと落としをくらって、絵里の頭蓋骨は軋みを上げた。重力で加速され軸足を半回転させることによって間合いののびたその技は到底かわしようがなかった。薄れゆく意識の中で、彼女は銀の仮面をしっかりと瞳に焼き付ける。
(・・・・・・次は、こうはいかないわよ)。
5
「あれ?村雲さん、来てないんだ」
放課後。練習場に姿を現したパイは、辺りを見回しながら言った。制服が夏服に替わる暑い季節になってからも変わらず練習に出続けていた絵里の姿が見あたらないからだ。
「あら、そう言えばそうね。今日は彼女お休みかしら?」
先に練習場に来ていた東雲副部長も疑問の声を上げた。彼女はスポーツ推薦での進学が決まっているので、最近は午前中の必須授業を終えると午後からの空き時間をここで自主練習を行って過ごしているのだ。
そのうちに他の部員達も少しずつ顔を見せ始めたので、パイは、「まあ、風邪でも引いたのかもね」と考え絵里の事を考えるのはやめてしまった。
・・・・・・しばらく時は流れる。
練習場の反対側の端で白竜が得意のコンビネーションを木人にたたき込んでいた。
「・・・・・・ふう、こんなところかな」
一息つこうと椅子に座ると小嶋沙希がすっとタオルを差し出した。
「ありがとう、沙希ちゃん」
「・・・・・・いえ、別に」
そのまま二人とも無言。
(やれやれ、困った人だな。僕は君自身に手を出すつもりはないんだよ、前にも知らせたつもりなんだけどねえ)。
沙希は格闘部のマネージャーとなってからそれとなく(と、思っているのは本人だけななのだが)白竜にアプローチをかけていた。その様子は見ている方が歯がゆくなるほどもどかしいものでしかなかったが。
「あの、今日一緒に帰らない? できればその時に、買い物でも・・・・・・」
うつむいたまま発せられたその声は途中で小さくなって聞こえなくなってしまう。
(良い機会だな、ここらでケリをつけておこう。でないと、年上のお姉さん達を手に入れる障害になってしまうかもしれないし・・・・・・。面倒なことだ、ふうっ。)
そう考えて、白竜はさわやかな笑顔でうなずいた。
「ああ、良いよ。楽しみだな、君とショッピングができるなんて」
「ええ!、本当!? 嬉しい・・・・・・です」
思わす大声を上げてしまい、慌てて口元を押さえる沙希。その様子を見ながら白竜は再び思った。
(本当、困った人だねえ・・・・・・クスクス)。
6
金龍高校校門から女子生徒が一人出てきた。人が良いために三つも部活をかけもちしている彼女の下校時間は曜日によって変わっていた。今日は格闘部よりかなり早めに終わったので一人で下校するつもりらしい。
女子生徒、すなわち堀田志保であった。
(今日はどうしようかな?まっすぐ帰るのも良いけど、うーん)。
そんな思いを巡らす彼女を狙う複数の視線があった。その視線は彼女の背中をじっと離れず付いていく、まるで獣が獲物を襲う機会を伺うかのように。
やがてその中の一つが分かれて校門をくぐって行く。他大勢が行う女子生徒の拉致をその幼なじみに伝えるために。
・・・・・・数十分後、神岸まことは靴箱に置かれた手紙によって激怒することになる。
三々五々帰っていく部員達に挨拶をすますと、白竜と沙希は市街地に向かって走り出した。二台の自転車が水無月の空気を切り裂いていく。
「神岸君、どうしたんだろう? なんだかひどく慌てていたみたいでしたけれど」
沙希が白竜に問いかける。彼女の髪型はこうやって走るときにも邪魔にはならないようにお下げになっている。
白竜はサラサラと前髪を揺らしながら小首を傾げて見せた。彼が美少年好きのお姉さん達を撃沈してきた仕草だが、今は無意識にやってしまっただけらしい。
「さあ? それよりどこか行きたい店は決まってるのかい?」
「あ、はい。えーとですね・・・・・・」
彼女はH市で最も大きい通りを一本はずれたところにあるアーケード街にある店の店名をいくつか挙げた。高校生が行くには無難なところといえよう。
「そうだね、それなら良いと思うよ」
市内を走る川を渡って区境を越える。自転車を降りるとジャンクフード店の前に止める。そして二人はアーケードの下をゆっくりと歩き出した。
「白竜君」
「うん?」
しばらくウインドウショッピングをしたあと、いくつか目に付いた店で買い物をすませた。そして、喫茶店でコーヒーを飲んで外へ出てきたところで沙希が言った。
「なんだか、楽しいな」
「そうかい?」
沙希は大きくうなずいた。
「洋服も買ってもらっちゃたし、それに白竜君って私の思ってた通りの優しい人だったから」
無言で続きを促す白竜。
「私が歩いてて人にぶつかりそうになるとさっと間に入ってくれるし、それに他にもいつもなら気づかなかっただろうけど、何かと気遣ってくれてるのがわかったしね」
(女に優しくするのは僕にとっては習性みたいなものだし、それに最後だからな)。
白竜は彼女の笑顔を見ながら思った。この笑顔を今から壊さなければならないと思うとさすがに憂鬱というより面倒であった。
(とはいえ、このままずるずる行くほど僕の意思は弱くない。お互いのために正しい方法を選ぶのに躊躇はないさ)。
そして、いよいよ彼が話を切り出そうとした時、
「それでね、沙希ちゃん」
「白竜君、あの人達・・・・・・」
沙希の指さす方向を見るとそこには、バイクに乗った集団がいた。人数は20人ほどだろうか。
(今時特攻服かよ、20世紀の残留物め)。
鉄パイプやチェーンをこれ見よがしに振り回して通行人を威嚇しながら、いわゆる『族』の彼等はアーケード街のど真ん中に陣取っている。
「気にしないで行こう」
「・・・・・・うん」
そしてそのままさらりと無視して通り過ぎようとした白竜達は、その中の一人に止められた。
「待ちいや、お二人さん」
「あの・・・・・・」
適当にあしらおうとした彼に意外な一言がかけられる。
「おう、せっかく待ってやっとったんじゃけ、ゆっくりして行けや格闘部員」
(!?)。
さすがに歩を止めた二人を彼等はじっと見ている。その視線は確かに他の誰でもなく特定の人間を捜していたのだ。
(確かに平日の昼間からこんな所にいるのはこの町でも珍しいが、しかしこいつらを動かしてるのは誰だ?)。
物思いに沈む白竜の態度を見てをおびえて声も出ないと勘違いしたのだろう、先ほど声を掛けてきた男が胸ぐらをつかみあげた。
「こっちはずっと待っとってストレス溜まっとんじゃい、発散させえや」
言いながら反対側の手は拳を作り振りかぶっている。
「白竜君!」
だが、それより早く白竜は左手で相手の手首をつかみ自分の右肘を素早く相手の顔面に叩き込んでいた。
「がっ!?」
頬骨と眼窩が骨折する感触が腕を伝わってくる。これで彼は一週間は病院の世話にならなければならないだろう。
(やれやれ、考え事をしてる場合じゃないようだな)。
「逃げるよ、沙希ちゃん」
「えっ? はい」
沙希の腕をつかんで白竜は走り出した。
「待てやー、逃げられると思うとるんけぇー!!」
集団で追ってくる奴等をちらりと見やると、白竜は歩を早めた。
「・・・・・・ハア、ふーっ」
しばらく走りようやく追手を振り切ると白竜は立ち止まり調息法で心臓の動機を鎮めた。辺りを見回す。気が付かない内にビルの間の暗い路地に来ていたようだ。
「・・・・・・」
沙希は無言で息を整えている。その様子を見て白竜は気遣いの言葉をかけた。
「大丈夫かい、沙希ちゃん」
「・・・・・・」
返事はない。
「沙希ちゃん・・・・・・?」
いぶかしんで顔をのぞき込もうとすると、沙希は顔を上げて言った。
「やっぱり、さっきのは訂正するね。私の思ってた白竜君と実際の白竜君は大分違ったみたい」
冷淡な言い方にさすがの白竜も内心むっとしたが、それでも平静を装いながら問いかける。
「それって、どういうことかな?」
「・・・・・・私の思ってた通りなら、さっきみたいな時白竜君は絶対逃げたりしないよ、それに私の名前も呼ばないはず。それなのに!」
キッと白竜を睨む沙希。その言い方に白竜も思わず本音を漏らしていた。
「馬鹿を言うな、あいつらぐらい僕一人なら四人ずつ相手にして一分とかからずに全員叩きのめしてる。君がいるからわざわざ逃げたんだ。それに僕たちの顔を見て『格闘部員』って言ったってことは、僕等の顔と素性はバレバレなんだぜ。今更名前を隠したって無駄なんだよ!」
言ってしまってから、白竜は後悔した。
(しまった、言い過ぎた・・・・・・ってまあいいか。どうせ今日縁を切るつもりだったし、この娘は僕のイメージを崩すほど喋りすぎるタイプの性格はしてないし)。
しばしの沈黙。
「・・・・・・」
そして、白竜の言葉に呆然としていた沙希がようやく落ち着きを取り戻しかけ、口を開こうとした。
「・・・・・・私は、きっと」
「おーっと、見つけたぜ。痴話喧嘩はそれぐらいにして今度はこっちに付き合ってもらおうか」
5人の男達が路地の角から顔を出して沙希の言葉を遮った。
「・・・・・・」
二人はそれぞれの理由で無言だった。沙希は言いかけた言葉の気をそがれて、白竜は気持ちの吐き出し口が見つかった安堵感で。
五人の男達はゆっくりと近寄ってくる。どうやら他の連中はまだ白竜達を探している最中らしい。
「てめえ等を半殺しにしてつれて来いってのが八木さんの命令だからな、覚悟しな」
そう言ってそれぞれの得物を構える男達。隠そうともしない嗜虐欲が視線に乗って二人の肢体をなめ回す。
「・・・・・・話は後だね」
白竜の提案に、沙希は何も言わずにうなずいた。唇をかみしめて何かをこらえるようなあるいは今にも泣き出しそうな表情をしている。
その沙希に背を向けかばうようにしながら白竜はオン・ガード・ポジションで構えた。
・・・・・・そして、彼の「一分以内に」発言は確かに事実だと証明された。
7
H市には大正以前の昔から残る建物が少ない。なぜならこの町は一度瓦礫と化したからである。その原因となった爆弾の名前を付けられた古い建物の前に数十人の男達がたむろしていた。どの男も町中であったら目を合わせたくないタイプなその素性を隠そうともしていなかった。
「なーに、見よんじゃコラァ!」
こわごわ近くを通る人々をチラチラ睨みながら大声を上げる、その理不尽ぶりはあからさまなまでにに醜悪であった。
そしてその中心に一人の男がいた。比較的体格の大きい男達の中でも目立つほどの肉体を男は有していた。鬼道四天王八木その人である。
「ふ、早よう来んかのう。このままじゃと先に警官の相手をせにゃあいけんようになってしまうやないけ。それとも、怖じ気づいたかのう?」
「・・・・・・まことちゃんは来てくれます」
「ほう?」
そして、そこにはただ一人女の子の姿もあった。自分の意思ではなくこの状況にいながら堀田志保はなお気丈な態度でおびえを見せまいとしていた。
「大した自信じゃがそれもどうかのう?この様子を見て逃げてしもうたんかもしれんで、そうは思わんかい?」
「まことちゃんは来てくれます」
きっぱりと言い切る志保に八木は鼻白んだ表情になった。
「それに、もし来ないと思ったなら何で私をさらったりしたんですか?」
彼女は路面電車の駅に行く途中でさらわれた。日差しがまだ強かったころの時間帯である。
八木は野太い笑みを浮かべて虜となった女子高生を見やった。
「ふ、頭のええ女じゃのう。ええわ、教えちゃろう。桃山顧問や皇の奴が弱い奴や強くなる見込みのない奴を部に入れるわけないからよ、それに来んかったらこいつらに町中で大仰に堂々と犯罪を犯す楽しみを与えちゃるだけじゃ。そんときゃ、こんなは第一被害者じゃがの」
その言葉に近くの男達が下卑た笑い声をあげた。犯罪の内容を想像でもしたのだろう。
「ワシ等はこのまま終わるわけにはいかんのよ。負け犬のまま生きていくには無理がありすぎるけえの」
そう八木が言った時、志保は彼がどこか遠いけれど確かな目標を見つめるような眼をしたような気がした。
「来たか・・・・・・」
いや、案外と近くを見ていたのかもしれない、それともそれもただの気のせいだったのか。彼の視線の先には志保のたった一人の幼なじみが立っていた。
「・・・・・・まことちゃん」
「その娘を返してもらいに来たぜ。イヤだと言っても無駄だけどな!」
8
「うわー、馬鹿だぜ。ホントに一人で来やがった」
「しかも素手だぜ、そのまま来ちまったみたいだよ、こいつ。ハハハハハ」
男達が笑いながら近づいてくる。だが、まことは怖れる様子もなくただ一点を見つめていた。
(・・・・・・志保、すまない。こんな風になってしまうくらいならずっとそばについてやるべきだった)。
「邪魔をすれば、死ぬ。道をあけろ」
静かな宣言にさすがの男達も一瞬足を止める。その言葉は事実に裏打たれているものだとわかったからだ。
その様子を見て、八木はおもしろそうに笑った。
「まあ、待てや。神岸まこととかいったのう、ワシと勝負してみんけェ? おどれが勝ったらこの女返しちゃるわい、どうや?」
「・・・・・・へえ」
もちろんそんな言葉をハイそうですかと信じるほどまことは甘い人生を送ってきたわけではない。だが、まるで意味のないことだとは思わなかった。
(ただ俺を倒したいと思ってるならこいつらをけしかけた方が楽だと普通考えるだろうからな。たぶん自分で俺をいたぶってそれを見せ物にして楽しむつもりなんだろうが、残念ながら俺はそれほど弱くはないんだよ)。
「どうじゃ、受けて立つか?」
「おう、やってやろうじゃないか」
八木がニヤリと笑って右手を挙げた。すると八木とまことの間がさっと広がってスペースができる。これだけでも彼がこの男達をまとめているのがよくわかった。
「女、逃がさんようにな」
「へい」
近くの男に志保を預けて、八木は上着を脱いだ。どうやら彼等は格闘部員一人一人の流派まで知っているらしい。
「ワシも柔術家とやるんは初めてじゃけえのう、楽しませてくれや」
そして、ゆっくりと腰を落とす。どっしりとした安定感のある構えだ。
対してまことは、夏服の制服のままだ。鞄とポケットの細々とした物、それに時計をはずすと無造作に歩き始めた。その動きにためらいや恐怖と言った感情は全く見られない。
「無構えっちゅうやつかい。ええ度胸しちょるのう、柔術家」
互いの距離が徐々に詰まっていくにつれて、二人の間の空気が歪んでいくように感じられた。周りのヤジもいつの間にかやんでいる。
「・・・・・・」
誰かがつばを飲み込む音がいやに大きく聞こえた。
まだ、まことは両腕を左右に垂らしたままだ。そして距離だけが見る間に縮んでいく。そして、不意に近くの道を電車が通り警笛を鳴らした。
ピーッ!
まるで、それが合図であったかの様に二人の間の空気がはじけた。
「・・・・・・っ!」
無言の気合いとともに瞬間的に八木が弾丸と化していた。立ち上がりざま全身をまことに叩きつけていく。
「まことちゃん!」
志保の叫び声、その場の誰もがまことがダンプカーに激突した時のように遙か彼方に吹っ飛ばされるのを予想した。だが、
「動かない・・・・・・?」
二人はそのまま彫像と化したかのように微動だにしなかった。
「やるなあ、一年坊主」
「言ったはずだぜ、邪魔すると死ぬってな」
まことの右足が八木の足の甲を踏み抜き地面に固定している。そして、左肘が眉間を物の見事に打ち抜いていた。山科流の創始者はこの肘打ちで鎧の内側の装甲を破ることができたという。
「だが、まだ甘ぇ!」
叫びざま八木の左右の張り手がまことを襲った。左の掌を上腕で受け流したものの、右が頭部をかすめる。
「ちいいっ」
まことは体重のかかった膝を正面から踏み抜いて、八木がひるんだ隙に後方に下がって距離をとる。
「・・・・・・ふう、ちょっと効いたかな」
まことの足がわずかに震えている。八木のぶちかましの威力が衝撃となって残っていたためにくらってしまった張り手のせいだ。掌での攻撃は拳よりも脳などの内部器官に浸透しやすいのだ。
八木の方は再び腰を落とした格好で平然としている。よほど下半身が鍛えられているのだろう、その構えには先ほどと同じく安定したままだ。
(さーて、どうするかな。体重のある奴にはローキックがセオリーつっても俺はキックボクサーじゃねえし・・・・・・)。
まことは何か思いついたのだろう、すっと腰を落とした。その構えはまるで相撲のしきりのようだ。
「ふん、相撲で勝負しようたあワシをなめとるのう。現実は漫画みたいにはいきゃあせんので」
八木は笑って、距離を詰める。その表情には余裕が生まれつつあった。
再び二人の距離が狭まっていく。そして、先に動いたのはまことだった。
9
体当たりを仕掛けてくるまことに八木は前進しながら体重を乗せて右の張り手を叩きつけた。
「せえいっ!」
その八木の視界からまことの姿が消える。
「!?」
空を切った右腕につられて八木の体が傾ぐ。
(素直に体当たりすると思わせるために一度目があったんだよ)。
まことは地面に仰向けに滑り込んでいた。そして、八木の左足を右脇に抱える。
(それから、力士には寝技が効くんだよな・・・・・・っ)。
「がああっっっっ!!!」
不意に左足首を襲った激痛に八木は絶叫した。彼が鬼道に叩きのめされた時以来初めて発した苦痛の叫びだった。八木の左アキレス腱はまことに断ち切られていたのだ。
(山科流『根切り鎌』、そして・・・・・・)。
「くそがあっっ!!」
八木はその瞬間まことの予想を超える動きをした。左足をはずそうとせずに、残った右足でまことを踏みつけに来たのだ。
顔面に百キロを超える体重を乗せた足の裏が落ちてくる。その光景はまことに死を予感させた。
「うおおおっっ!!」
思いっきり体をひねって死の一撃から逃れようとする。間一髪左耳のそばを八木の脚が駆け抜けていった。産毛が焼けこげるかと思うほどの距離であった。
回転する勢いをそのまま立ち上がる動きに変えてまことは構えた。
「・・・・・・ぐぬぬぬぬっ」
八木は苦痛に身を震わせながらもなおそこに立っていた。
「強えな、あんた」
まことは本気で言った。彼の技はそのままいわゆるヒールホールドとなって八木の膝関節をねじ切っていたからだ。
(山科流『稲倒し』、これをくらって立っているなんて人間じゃないぜ)。
荒い息を吐きながらゆっくりと八木が迫ってくる。まことは、恐怖している自分をふらつく頭で認識していた。
「でも、失う恐怖に比べれば死ぬ恐怖なんて何てこたぁないぜ」
誰に言うともなくつぶやく。
「何を言ってやがる、この糞馬鹿たれがーっ!」
そこに八木が突っ込んできた。
「よけ、られんかっ」
いつもならぎりぎりでかわしていたはずのぶちかましだった。咄嗟に両腕で顎から顔面をかばったものの腹部に頭突きを食らってたたらを踏んだ。
(二番三番、四番もイッちまったかな)。
肋骨のきしむ音に気絶しそうになりながらもまことは目の前の肉体をとらえて離さなかった。
「ええーいっ!!」
そして両肘をとらえて受け身をとれないようにしながら巨体を思い切り投げ飛ばした。
肘関節のへし折れる静かな振動の後、八木の体は脳天からアスファルトの地面に思い切り叩きつけられていた。
メギッ!
「・・・・・・はあ、はあ、はあ」
荒い息を吐くまこと。その足下には落下の衝撃で鼻血を吹き白目をむいた八木の体が転がっている。
まことは勝ったのだ。
10
「てめぇー、よくも。八木さんを」
「こうなったら女だけでも・・・・・・・」
まとめていた人物が倒れた今、男達はてんでバラバラに暴走し始めた。
「・・・・・・まことちゃん」
「・・・・・・志保」
あたりを行き交う暴徒の騒ぎの中でなぜか二人にはお互いの声がよく聞こえた。襲いかかってくる男達の間から相手の姿だけをただ見つめていた。
「何をボーッとしてやがるんじゃ、コラァ!」
まことの頭部に鉄パイプが振り下ろされる。彼等の命は風前の灯火かと思えた、その時・・・・・・、
「痛ってえー! なんだ、矢ぁ!?」
暴漢の腕に一本の矢が突き刺さっていた。突然の飛び道具での襲撃に仲間が慌ててあたりを見渡す。
「誰だ、てめえ!」
そこに立っていたのはMDウォークマンを聞きながら弓を構えている高校生だった。どうやら族全員が格闘部員のことを詳しく知っているわけではないらしい。知っていれば、彼の正体に気づいただろうから。
「やれやれ、パイを倒す新兵器の実験をしていたらこんな場面に出くわすとはねえ。さすがの儂もO田川の川岸がいつのまにかこんなに物騒になっているとは思わなかったぜ」
「・・・・・・なーにやってんだか、この男は」
「たしか、浜口君・・・・・・だよね」
すぐに彼に気づいた二人が話しかける。パイを倒すことに執念を燃やす男は校内では結構有名になっていたのである。
「これは良い実験機会に出くわしたってところだな。まこと、悪いが獲物を横取りさせてもらうぜ」
そう言って笑みを浮かべたダンに男達は怒りの表情で向かっていった。
「ふざけんな、てめえーっ」
そして、そこでできた隙に乗じて志保の周りの連中を叩きのめした美少年がいる。
「白玉君!」
「名字で呼ぶのはやめてもらおうかな、志保ちゃん。驚くことはないよ、僕は女性の危機には必ず駆けつける主義なんでね」
白竜は五人の族を瞬時に叩きのめすと、彼等の口を割らせた。そして、この場に辿り着いたというわけである。もちろん危険なので、沙希は家へと帰らせた。本人は渋っていたが、「君の安全のためだ」と言われればうなずくしかなかったのである。
「さーて、覚悟してもらおうか。今日は、少々機嫌が悪いんでね手加減は期待しないでくれよ」
そして、乱闘が始まった。
数分後、金龍高校の生徒達は全員自分の足で立っていた。あたりには数十人分の体が転がっている。
「二人ともすまねえな」
「ありがとう、二人とも」
「別に、ついでだったからな。さーて、儂は実験も終わったし先に帰らしてもらうぜ」
「ああ、それじゃあ僕も失礼するよ。」
そう言ってダンと白竜は素早く去っていった。そしてまことと志保は手をつないでゆっくりと公園を出ていこうとする。
「ごめんね、私のためにこんなに傷だらけになっちゃって」
「いいさ、大したことじゃない」
そう言いながらもまことはさすがにつらそうだ。息をする度に胸元を押さえて襲ってくる痛みに耐えている。
公園の外に出ると駅はすぐそこだ。H島ドームとの間、ちょうどA生橋の上から夕日が二人を照らしていた。
「本当にごめんね。私・・・・・・」
「何も言うな、俺はお前が無事ならそれで良い」
そう言ってまことは志保の頭をポンッと叩いた。
「さ、早く帰ろう」
「うん、ありがとうまことちゃん」
「また、それを言う・・・・・・」
「あ、ごめんなさい、まことちゃん」
「・・・・・・」
呆気にとられるまこと。
「・・・・・・あっ」
二人は顔を見合わせた。そして・・・・・・、
「「あははははは」」
大声で笑い出した。
その幸せそうな笑い声は二人が心から安心した証拠のようなものだった。
そして、この次の日から二人は下校時も一緒に帰るようになり、「まことちゃん」という呼び方も復活したのであった。
11
「・・・・・・さん」
「・・・・・・ん、んん?」
誰かの呼ぶ声に村雲絵里は目を覚ました。起きあがろうとして、顔をしかめた。
「痛ったーい・・・・・・」
「そうとう強い打撃だったからね、無理しないで寝てる方がいいと思うよ」
「あ、風魔さん」
(さっきの声は風魔さんだったのか)。
安心して片手で頭をおさえたままあたりを見渡した。
「ここは保健室、時間は放課後だよ」
京太郎が絵里が質問する前に答えた。その答えにうなずくと同時に新たな疑問もわいてくる。
「あの仮面の男は・・・・・・?」
「ああ、あの男は君を倒した後何事かつぶやくと姿を消してしまったんだ。できれば追いかけて行きたかったんだけど、僕もしばらく立ち上がれなくて・・・・・・、すまない」
「いいえ、あの男は強すぎます。無理をしなくて正解ですよ」
絵里の慰めにうなずきながらも京太郎は悔しい思いを捨てきれずにいた。
(僕がもう少し強ければ、この娘を守ってあげられたのに・・・・・・って僕じゃなくて他の人がいても良かったんだけど)。
微妙に違う方に走りかけた考えを無理矢理引き戻す。
「あ、ほら。でも、あいつが藤井さんの手がかりになりそうじゃないかな、うん」
「そうですね、あいつはテコンドーを使ってましたしね」
二人は前途に希望を見いだして笑った。
「それじゃ、僕は保健の先生を呼んでくるよ。脳の異常とかはないって言ってたけど意識が戻ったら一応連絡してくれって言われてたからね」
そう言って京太郎が保健室を出ていった。そして、その時絵里はあることに気づいた。
(寝顔、見られちゃってたんだ・・・・・・)。
絵里の顔は夕日のせいか真っ赤に染まっていた。
-第5話 季節が君だけを・・・・・・ 了。
第6話に続く。




