第2話 格闘部、始動
1
入学式から1ヶ月が過ぎ、金龍高校に落ち着いた雰囲気が戻ってきていた。生徒達もようやく新しいクラスに慣れ、学生生活を自分なりに楽しみ始めている。その楽しみの1つにクラブ活動があった。
───格闘部、練習場。
床を蹴った右脚が空を裂いた。
「せやっ!」
200Kgのサンドバッグが1蹴りで天井にぶち当たる寸前まで浮き上がった。
「おー!」
「スゲエ、スゲエ!」
「何つー威力なんだ!」
周囲の生徒達が思わず歓声を上げる。今の蹴りはそれほど強烈なインパクトを彼らに与えていたのだ。
ようやく揺れのおさまってきたサンドバッグを軽く触れて静止させ、その男は振り返った。短く刈りそろえられた髪、強い意志を感じさせる澄んだ瞳、そして完全に実戦的なその肉体。
彼こそが金龍高校格闘部々長、3年生の『皇輝』であった。
「みんな、今ぐらいの蹴りは出せるようにしておくんだぞ」
「・・・・・・」
絶句する1同、だが・・・、
「大会が近いんだ、気合いを入れて練習だ!」
皇の声が練習場に響きわたると今度は部員達も大声で返事した。
「はい!」
2
この練習場は金龍高校の体育館に位置している。そして男女2つに分かれておりそれぞれ数千人が練習できる様になっている。中には様々なトレーニング機器が完備されており、十分な活動ができるように配慮されていた。
練習場の一角、木製の人形(木人)相手に白竜が打撃技の連習をしていた。
彼が格闘部に入部した理由は至って簡単で、彼好みの年上の美女が副部長をしていたということだった。もっとも入部したとたんにその女性-『東堂真実』-が部長の皇輝とつきあっている事を知って(ちょっと早まったかな?)と思ったりもしたようだが・・・。
「フッ、フッ、ハアッ!」
鋭い呼気と共にパンチが木人相手に素早く叩き込まれる。その動きは空手のそれのように見えるが、実はそうではない。彼は本当はあのブルース・リーの創始したジークンドーの使い手なのだ。いざ実戦という時のために本性を隠したその動きをカモフラージュと見切ったのは、1年生ではわずかに4人だけであった。
「なかなかのスピードだね、白竜。パワーも申し分ないし、これなら大会のメンバーに選ばれるかもな」
声をかけたのはまことである。彼もまたこの部に入部していたのだ。
「いやあ、それほどでも」
「じゃあ代わってくれるかい?」
うなずいて白竜が下がると、まことはすっと重心を落とした。
(古流柔術か・・・、見せてもらおう)。
木人の数歩手前で動かないまこと。目に見える動きはないが、白竜は軽い緊張をそこに見ていた。
しばしの沈黙、そして何の前触れもなく・・・まことが動いた。
ダンッ!!
打撃音の方が先に聞こえたかと思えるほど速い踏み込み、足当てが木人に届くまで半秒とかからなかった。
「おっそろしい技だな。人間なら何が起きたかわからずに胃壁を破られて吹っ飛んでるところだ。それが蹴足ってやつかい?」
「ああ、日本刀を持った相手に使われてた技だから一瞬で動かないと駄目なんだよ。相手の間合いで立ち止まってれば、斬り殺されるだけだし」
(こいつもメンバー確定だな、あと3人か・・・)。
白竜は思った。
団体戦1年の部の枠は『5つ』なのである。
3
同じ頃、村雲絵里は女子の練習場で柔軟運動をしていた。両の脚を前後に大きく開いた状態で力を抜き、そのまま股間が床に着くまで腰を落としている。
絵里が実の兄のように慕っていた藤井文也もかつて格闘部に在籍しており、それこそが彼女のこの部への入部理由であった。
(1月たったけどまだ何もつかめない。この学校が広すぎるのもあるだろうけど・・・)。
そんなことを考えながら上半身を前方に倒す。前に出した右脚の膝にぴったりと顔がつく、そしてその状態でしばらく足の筋肉を伸ばす。それが終わると後方の左脚に後頭部をつけて同様に筋肉を引っ張って伸ばす。
床を使った柔軟を終えると絵里は立ち上がった。そして対戦相手をイメージしながら空間に蹴りを放ってゆく。左の回し蹴り、回転して後ろ蹴り。膝から畳んで足を下ろしているから後ろ回し蹴り、あるいは下ろした足を軸足とした逆足の前蹴りにも変化できるのだ。
この多彩な足技こそ絵里の修得している流派テコンドーの得意とするところである。華麗で的確なその動きはスピードと瞬発力、そして何より柔軟性によって裏付けられている。日々の修練のみが「足でやるボクシング」と呼ばれるほどの動きを可能にするのだ。
他の女子達も東堂副部長の叱咤を受けて頑張っている。
パイは絵里の近くで套路の練習をしていた。
その後ろからひっそりと迫る影があった・・・のだが、周囲の女子部員達はあまり気にしていない。当初はダンに対して警戒の視線を向けるものもいたが、この頃になると「ま、結果は分かってるし良いんじゃない?更衣室まで入ってくるわけでもないし。ただ、パイは災難だけど」という意見が大勢を占めていたのだ。
無言で間合いを計った後、ダンは飛び上がった。彼の流派は跳び蹴りなどのトリッキーな動きを得意とするカポエラなのだ。
ハイテンポのリズムに乗った強烈なキックがパイに襲いかかる。足の甲が延髄に当たる光景を想像してダンは笑みを浮かべた。
だが、
「北派少林『無影脚』!!」
パイの足が3度閃いた。全て角度の異なる蹴りを同じ脚で1秒かからずに放つ・・・神業とも思える恐ろしい技だった。
ダンは1言も発せずに男子練習場まで飛んでいった。
「ふう・・・」
「パイちゃんも大変ね」
絵里が珍しく笑みを浮かべてパイに声をかける。
「もう慣れたわよ」
そしてパイも苦笑でそれに答えたのであった。
4
ブレイク羽山、それが彼の現役時代のリングネームであった。「顔が壊れているから」とジムの会長が冗談でつけたその名が、対戦相手を破壊してしまったことから恐怖の代名詞として知れ渡った。彼は名付けられた時からそのつもりだったのだ。
彼は自分が不細工であることを知っている、そして彼の顔を見て嫌悪感を示すその人間の顔を自分の拳でめちゃくちゃに粉砕することに快感を感じる男である。自己嫌悪と破壊衝動の2つが突出した社会不適応者であり精神異常者なのだ。彼にその存在を認めてくれるような愛情が与えられなかったわけではない、彼がそれを信じなかったというだけの話だ。自分を認められない人間がましてなぜ人の心を信じられよう?
唯一彼が打ち込めたのがボクシングであった。他者を傷つけ、つかの間の自己満足を得るために選ばれた技術。当然彼の心に自分を高める意志や流派に対する愛情はない。けれど憎しみが強いばかりにその技術は瞬く間に向上していった。根の暗い男の地道な努力ほど恐ろしいものはないのである。
格闘部、そして金龍高校そのものから追い出された後も彼の本質はまるで変わっていない。鬼道達との関係も信頼や友情などという言葉とは無縁のものだ。彼が仲間を持つことは決してない、そして本人もそんなものを望んではいないのだ。
格闘部襲撃に当たって彼は1つの計画を立てた。ただ部をつぶすだけでなく部員達に1生後悔しつづけるような大恥をあたえられるように。公衆の面前で彼等にたっぷりと敗北の味を味あわせるつもりなのだ。
「 大会かあ・・・、おもしれえ」
羽山が笑った。それは背筋の凍り付きそうな邪悪なねじ曲がった笑みであった。
-第2話 格闘部、始動 了。
第3話に続く。




