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第三話 断固として許さないらしい

「私はユウトの付き人のようなものをさせて頂いております。フィレーヌと申します。ユウトから聞いているかとは思いますが、私どもはあなた方を助け出すためここに来ました。ですので、どうか、そんな怯えた顔をなさらないでください」

 ラナの髪を撫でていたフィレーヌの右手が頬へと降りる。白く長い指先から伝わるひんやりとした心地の良い冷たさ。その冷たさゆえに、この女性の暖かな優しさを感じた。しかしラナは、そんな温かみに触れられてすぐに気持ちを溶かすことのできる程、弱くはなかった。頬に触れられた瞬間、ビクッと体を震えさせる。力の入った肩と手を見てフィレーヌは悲しそうな顔で微笑む。

「あらあら、嫌われたみたいですね」

「ぶふっ! そりゃあお前、急に見知らぬ女にボディタッチかまされたら誰だって怯えるだろうよ、うひひっ」

 ユウトが意地悪そうに笑う。ラナの頬から手を離したフィレーヌが後ろに振り向き、しかめ面でユウトを睨む。フィレーヌは白いローブの汚れを払いながら立ち上がるとユウトの背後を指差す。

「……そうですね。それより、そちらから続々と衛兵がやってきていますよ。感知できるだけで二十人程度でしょうか。早めに転移してしまいましょう」

「あれ? 傷ついちゃった? ごめんね?」

「話し聞いていましたか。あと別に傷ついていません。本当です」

「追及してねーけど」

「……」

 フィレーヌが押し黙り、それを見ていたユウトがにやにやと口元を綻ばす。それを横目にフィレーヌは羽織っていたローブを脱ぐ。そのローブの裏には大きな魔方陣が描かれていた。そしてその面をラナ達に向けた。

「今からあなた方を絶対に安全な場所へと転送します。このローブを地面に敷くので、淡く光り始めたらこの魔方陣の真ん中に皆さんで立ってください。始めは少し気分が悪くなるかもしれませんが数秒で元に戻ります。よろしいでしょうか」

 なにが、とは聞かなかった。今から自分達は奴隷狩りの本拠地へと行くことになるのだと誰もが察した。リィシャは無言でうなずく。幼い二人の少女がリィシャの服の端を掴んでいる。ラナはなんの反応もしない。

「では参りましょう。この上に乗っ――」

 フィレーヌがローブを地面に敷こうとしたその瞬間、どこからともなく燃え盛る矢が飛んできた。その矢は華麗にローブの真ん中を打ち抜く。白いローブは赤く燃えた。

「……二十人程度じゃないの?」

「……向こうから来る衛兵だけの話ですから」

 全員が辺りを見回す。奴隷商店を中心としたあらゆる建物の屋根に、弓矢を携えた兵士たちがこちらを狙って立っていた。四人の兵士が倒れている店主と男性の体を持ち上げ、後方へと運んでいく。

「おまえなぁ……こんだけ人間がいたら感知魔法使わなくてもさ! 気配的なアレで察知できんだろ!」

「私だって万能じゃないのですよ。そういうユウトだって気づいていなかったでしょう。彼らの隠密行動の性能が尋常ではなく優れているということにしておきましょう」

 フィレーヌがそう言ったとき、再び一本の矢がユウトの足元に突き刺さる。二人が少女達を庇うように前に出て、矢の発射方向を探る。射出地点は店の向かいにある家屋の二軒隣の建物からであった。横に数人の兵士を携えた隊長と思わしき男がこちらに剣を向けている。

「我々はリエルト君主国軍直属第八小隊! 奴隷狩りが出現したとの報告を受けて参上した次第! そこの男女二人組み! その奴隷どもを解放しおとなしく投降せよ! 今の射撃は威嚇だ! 次は当てる!」

 男の言葉にユウトが怪訝そうな顔をする。

 リエルト君主国とは、現在のこの世界で最強の軍事力を誇る君主制の国である。リエルト君主国には四十を上回る州が存在し、ユウトたちが今いるこの州はそのひとつである。

「リエルト軍? なんで州の衛兵じゃなくて国の軍がでてくんだよ」

「それほど奴隷狩りへの関心が高まっている証拠でしょう。素直に喜びましょうよ」

 フィレーヌがおどけてみせる。しかしその目は一瞬の隙も逃さぬよう、まるで獣のごとく兵達を捉えていた。

「……フィレーヌ、慈愛に満ち溢れてる俺が腐るほど時間を稼いでやるから、魔方陣不要の転移魔法頼む、速攻で」

「それは翌日に疲れが溜まってしまうのですが」

「やれよ」

 ユウトが一歩前に出る。ポシェットから魔方陣の描かれた紙を一枚取り出す。例によって魔方陣は黒く光る。ユウトは自らの手で紙を引き裂いた。紙は霧散し、残された黒い光が彼の両手を覆いつくした。

「おぉ? 魔方陣を展開させる時間をもらえるとは思ってもみなかった。緊張して損したぜ。リエルト軍はお人よし集団か? それとも、もしかして俺に隙がなさすぎたせいかなー? 世界最強のリエルト軍の直属の兵士どもは間抜けしかいないのかねー? 軍人やら兵士やらは戦闘においてはプロなんじゃなーいの? 素人相手にそれでいいのかよ、うひひっ」

 ユウトが隊長らしき男を挑発する。しかし男はユウトの稚拙な暴言に感情を逆撫でされることもなく、始終平然とした顔で返答をする。

「……さながら、かませ犬の悪役お得意の安い挑発だな。なぜ貴様のような頭の弱い者が七年間も捕まらなかったのだ? 不思議でならない」

「あぁああああん!? この中年が! こっちが下手にでてりゃあ調子ぶっこきやがってこのやろう! 絶対許さねえからなてめえ! 断固としてだ!」

 怒りを顕わにしたユウトの表情が紅潮する。至極不思議そうにユウト達を見つめる男は剣先を下ろさない。そんな幼稚ともいえる一方的な口論の流れをフィレーヌの澄んだ、さらにはどこか呆れたような声が断ち切る。

「……あの、いつでも転移可能ですが」

「お前ら先帰ってろ! 俺はこいつら倒してから帰る!」

「もう……では、明朝四時に連絡を。『お手を拝借』」

 フィレーヌを中心とした魔方陣が地面に大きく浮かび上がる。転移魔法の特徴である、淡い緑色の光が奴隷達とフィレーヌを包む。しかし、ユウトの挑発のときとは違い、精練された兵士達がそう簡単に逃がしてくれるはずがない。男の掛け声と共に数十本の矢が火の粉を散らしながらフィレーヌ達へと突き進む。

「女子供を先に狙うやつがあるか!」

 そう言ってユウトが振り向く。その流れのまま左手を横に振りぬく。すると左腕を覆っていた黒い瘴気が塊となって飛び出し、フィレーヌ達の真上に留まる。矢はその黒い靄の中に触れた瞬間、先に灯っていた炎を消滅させ運動能力を失ったように空中で停止し、その場で真下に落ちていく。放たれた矢をすべて落とすと黒い靄は消え去った。淡い緑色の光は一層輝きをます。転移が完了するまで残りコンマ数秒といったところだ。そのとき、ユウトが気づいた。遅れて撃たれた一本の矢がラナへと風を切り、唸りをあげて向かっていたのだ。ユウトは駆け、ラナの身体を無理矢理持ち上げながら魔方陣の外へと引っ張り出す。半瞬遅れて矢が地面に深く突き刺さる。

「あっぶねー……あ」

 魔方陣の輝きが収まり、彼女らの姿が忽然と消える。転移が完了した証拠である。想定外の出来事が起こってしまった。ラナを抱きかかえたユウトが冷や汗を一滴垂らす。

「あ、あの……」

「んー? お兄さん今ちょっとすごく焦ってるから待ってね。女の子一人守りながら戦えるか不安なのよ。そこまで自分の強さに自信がな――」

「ありがとうございます」

 抱きかかえられたままのラナの口から出たか細い言葉が、ユウトの声をかき消す。明らかにユウトより小さい声であったのに、彼の耳にはしっかりと、そしてはっきりと聴こえた。心を許したわけではないのだろう。でもユウトは笑った。

「おう。じゃあついでに、このピンチを乗り切ったら今の言葉もっかい頼むわ」

「は、はぁ……」

 ユウトがラナの身体を優しく地面に下ろす。そのまま腰を屈めたユウトはラナの頭に左手を乗せると、耳元で作戦を呟やいた。

「ラナだったな。いいかラナ。俺がいくら噂の奴隷狩りだからと言っても、さすがにこの人数相手には勝てない。だから逃げる。俺が合図したら右の通りを思いっきり走れ。おっとそっちは見ないように、バレちゃうからな。何も考えなくていい。とにかく走り抜けろ。すぐそこに時計塔の広場がある。そこを通り過ぎたら一度こっちを振り向くんだ。理解できたか?」

 ラナがまっすぐ前を向いたままこくりと頷く。

 この街は煉瓦造りと木造建築が多いレトロな街である。そして奴隷商店の近くにはこの街のシンボルともいえる大きな時計塔の建つ広場がある。毎日午後五時になると天辺の鐘が荘厳かつ美しい音色を奏でる。その鐘の音をラナはいつも聴いていた。その雄弁であろう姿は目にしたことはなかったが場所は分かる。

「よし……行けっ!」

 ユウトの声でラナが走り出す。それと同時に男が叫ぶ。

「逃がすな! 奴隷を確保しろ!」

 ラナの前方には六人の兵士が槍を構えていた。それでもラナは足を止めず、ふらふらな身体で力の限り走った。距離がどんどん縮まる。兵士たちの手がラナに触れそうになる。その瞬間、ラナの後方から黒い瘴気が兵士たちを飲み込んだ。一瞬でその場に倒れこむ兵士の体を避けながらラナは尚も走る。

「くっ! 先に奴隷狩りだ! 矢を放――がっ!」

 男が叫ぶと同時に彼の顔面にこぶし大の石がぶつかる。男は鼻血を噴き出しながら後ろに倒れる。

「た、隊長! 大丈夫ですか!」

 兵士が慌てる。

「っしゃ! 天才だ俺!」

 そう言いながらユウトはポシェットから再び魔方陣の描かれた紙を取り出す。それを破きながらユウトはラナの後を追う。

「あの小僧……もういい! 殺してもかまわん! 矢を放て!」

 男が叫ぶ。兵士たちが一斉に弓を引く。ユウトの破り捨てた紙が光を放つ。やはり黒いその光は瘴気となり、ユウトの腕ではなく空中へと縦横無尽に飛び散る。そのまま矢を放つ直前の兵士たち全員の体を包み込み、彼らは身動き一つ取れなくなった。

「間に合ったか……『幽寂――』」

 ユウトがぽつりと呟いた。兵士たちを纏っていた黒い瘴気が霧のように晴れていく。それと同時に兵士たちは弓矢を落とし、疲れ果てたように膝をつく。

「はぁっ……はぁっ……まんだこの魔法は……?」

「ち、力がまったく入らない……」

「隊長! 射撃部隊が全員やられました!」

「何事だ!? 仕方ない、近接武具を装備した者に追いかけさせろ! 絶対に逃がすな!」

 その言葉が言い終えられる前に兵士たちがユウトを追いかける。ユウトの前方にはラナがいる。丁度、大きな煉瓦造りの時計塔のある広場を通り過ぎ、肩で息をしながらこちらを振り向いたところだった。ユウトは倒れている槍持ちの兵士たちを踏みつけながら走る。

「ラナっ! そこの路地に入れ!」

 ラナはユウトの声に一拍遅れて、彼が指差した路地裏に駆け込む。その数秒後に後ろで爆音が響いた。しかし、それよりも、なぜだろう。振り返ったそのときに見た時計塔の姿に思うより感動を得られなかった。どこか名残惜しそうだ。

 その路地は飲食店の裏らしい。真っ暗な路地に窓を通して建物の中の温かな明かりが差し込む。金属製の大きなゴミ箱の中に捨てられた腐ったパンがラナの目に飛び込んだ。こんなものを食べさせられていたのか。ラナの脳裏を屈辱にも似た感情が占拠する。それらを振り切るようにひたすらに走る。路地は一本道であったがさまざまな建築物によって複雑な構造をしていた。右へ、左へ。徐々に道が細くなり、壁が迫ってくる。何度も体をぶつけ擦り傷や切り傷がつく。しかしそんなことは今の彼女にとってはどうでも良かった。走るうちに思ったことは一つ。

――逃げたい

 最初は戸惑いやユウト達への不信感や疑念に支配されていた心が、この逃亡劇を経て本当の思いをラナに気づかせた。真意は分からないがユウトは自分を助けようとしてくれている。今のラナは生きるために走っている。

「痛っ……あ、明かりだ……」

 ラナは路地裏を抜け出した。そこには大きな道を一本挟み、ガス灯に照らされた芝生が一面を埋め尽くす公園があった。その少し先には大きな丘も見える。広大な土地であった。立ち止まると急に体に熱が帯びていくのはなぜだろう。冬にも関わらず、ラナの額に汗が滲む。公園には木製のベンチとその横に白い石でできた水道があった。それを見つけたラナは蛇口を軽く捻る。透明な水が地面に当たって跳ねる。流れ出る水の中に頭を突っ込む。一切の燻りのない銀色の髪が濡れていく。火照った体が徐々に冷まされていくのが分かる。息切れも緊張も充分に落ち着いてきたラナは蛇口を閉めたときに気づいた。

「あ……拭くもの持ってないや……」

「貸してあげるよ」

「わぁああっ!?」

「うわ! お、驚かしてごめん!」

「あ、さっきの……なんで……?」

 戸惑うラナに声をかけたのは先ほど店にいた少年だった。冷たい水がラナの髪から滴り落ちる。紅く染まった頬に疲れたような半開きの眼。十五歳の少年には充分な色気を感じさせた。とっさに目をそらす少年に首をかしげるラナ。少年は顔を背けたまま鞄から取り出した真っ白な布をラナに差し出す。それを訝しげに受け取ったラナは小さく礼をした。

「こ、このへんの地域は俺の庭なんだよ。どの道も覚えてるから。えっと、君は……」

 少年が言葉を口にしたがそれ以上は続けられなかった。何も頭に浮かばなかった。ラナはその姿を見ながら濡れた頭を拭く。

「なんでしょう……?」

 ラナが少年の顔を覗き込みながら呟く。しどろもどろになりつつも、少年は必死に頭を捻る。

「あ、えっと……そ、そうだ! 自己紹介! 自己紹介しようか! な! い、一応俺は君を……買ったんだし……主人としては聞いときたいなーとか。はは……あ! で、でも勘違いしないで! 俺は君を奴隷として扱おうなんて思ってないから! 俺は君を……その、ただ助けたかったから――」

 少年がラナから目をそらす。ラナは表情一つ変えずに少年の話を聞いていた。なんとも言いがたい雰囲気がこの場に流れる。それを断ち切るように少年が言葉を続けた。

「あ……じゃあ自己紹介しようか! 俺はソウヤ・エデンジャー。ここら辺でそこそこ大きい家に住んでる、って、この情報はいらないか、ははっ。ええっと、歳は十五。君は?」

「私はラナ・ストリウスです。十五歳……だと思います。あんまり覚えてないんです、すいません……。あの、あなたは……」

 そこまで言ってラナは口をつぐんだ。彼の正体を尋ねたがったのだが、その必要はないと彼女の頭が思考を促した。

「ん? あ、き、聞きたいことがあったら何でも聞いてくれよ! 遠慮なんかしなくていいからさ! あと、敬語なんかいらないよ! さっきも言ったけど、俺は君のこと奴隷なんかと思ってないからさ!」

 この少年は奴隷狩りの仲間ではない。その証拠などはないが、少年の言動からラナはそう確信した。ユウトから感じた頼もしさなどが彼からは感じられない。ただの主観ではあるが、今のラナにとって、それはなによりの信頼し得るものであった。

「えっと……それじゃあ、あなたは……なんで私を買ったんですか?」

 ラナは当初の予定とは違った質問をした。この少年の意思を知りたいと思った。

「だから敬語じゃなくていいってば……。えっとね、それはー、えー、なんて言ったらいいのかな、ははっ。そうだなー。ま、まぁあれだ。ただ助けてあげたいと思ったから。うん。それだけだ!」

少年はどこか言いにくそうだった。そんな少年をラナはじっと見つめる。彼の真理が分からなかった。ただ少年が自分を購入したことに変わりはない。同い年であったからといって、もちろん油断はできない。仮にも主従関係が結ばれてしまっているのである。

「あ、あの、これ……ありがとうございました。すぐに洗ってきます……」

 そう言ってラナは濡れた布を畳もうとした。しかし少年はそれを制して自分の手に取り、肩から襷がけにしていた鞄の中に放り込んだ。

「いいよいいよ、気にしなくていいから! そんなに汚れたわけじゃないしさ!」

 少年の一言を受けラナの眉が少し動いた。

「あ……疲れてるよな、たぶん。あっちの丘の上にベンチがあるんだ。意外と死角になってるから見つかる心配もないし、そこでちょっと休憩しようぜ!」

 少年はラナの手をとり丘の上へと駆け出した。小高い芝生の峰を登る。夜風が頬をかすめていく。ガス灯が徐々に姿を消していき、そのかわりに葉が生い茂る高木がまばらに増えてきた。それらの間にできた大きな隙間を二人は潜り抜ける。周りを照らすのは淡い月明かりのみ。上を覗くと真っ暗な夜空にちらほらと星が煌いている。ラナの眼にそれがどう映ったのかは分からないが、少なくともマイナスな印象を与えてはいなかっただろう。そして、走り出して少しの時間が経ち、二人は丘の頂上へとたどり着いた。疲れからラナは膝に手をついて息を切らしていた。

「だ、大丈夫? ついたよ、ほら、見てみな!」

「……わぁ」

 ラナが少年に促されるままに顔を上げる。そこに一望千里と広がっていたのは、今まで彼女が目にしたことがないような煌びやかに眼前を覆う夜景だった。街の中心部であるここはこのように小高い土地となっているため、この丘からは街が一望できる。その光景にラナはフィレーヌに出会ったときの美しさを思い出した。

――綺麗。


「はぁ……あ、あのさ……もうさ、執念深すぎると思うんだけど……はぁはぁ、ねぇ。どこまで追いかけてくんのお前ら……」

 ラナが路地裏に入り込んだ後、ユウトはその道の両側の建物を破壊した。路地はそれらによる瓦礫によって道を防がれてしまったため、兵士たちはラナの追跡を諦めユウトをひたすらに追った。そしてユウトが巡りついた場所は建物が立ち並んだ行き止まりであった。

 ユウトは肩で息をしながら兵士達のほうを見る。かたやユウトの魔法を受けなかった兵士達は顔色一つ変えずユウトを睨んでいる。その数十五人ほどであろうか。

「ようやく追い詰めたぞコソ泥め。私の顔に傷をつけたことを死ぬまで後悔させてやる……。」

「はぁ……おえっ……あー、だめだ俺、体力のなさが際立ってる……」

「全員突撃!」

 隊長の大喝一声により得物を携えた兵士達がユウトに向かって走り出す。刀身の長い剣があらゆる方向からユウトを切り裂こうと振り回される。ユウトは息を一つ、大きく吐き出すと悪戯に笑った。

 まず三つの太刀筋がユウトを狙う。それら全て、身を翻し避けると、そのまま一人の兵士の、剣を携えた手の小指を蹴り抜く。

 鈍い音が兵士の頭に鳴り響く。握力を失くした兵士の手は剣を落としてしまう。ユウトはそれを拾うと、そのまま横に振り抜く。それは三人の兵士の鎧を切り裂き腹部に到達した。

「やっぱいい剣使ってんね、俺が使えば鎧でも斬れちゃうほどには」

少量の鮮血が吹き、ユウトの顔に飛沫が付着する。兵士達は腹を押さえ、地に倒れようとするが、それより早くユウトの蹴りによって彼らは後ろへと弾かれた。それによって前列にいた兵士達の視線が一瞬、ユウトから外れる。その隙にユウトは剣を地面に突き刺し、魔法陣の描かれた紙を取り出し破り捨てる。ユウトの両腕に再び黒い瘴気が纏わりつく。

「『撫子――』」

 右腕から放たれた黒い光が、ユウトの目の前にいた兵士達の身体を突き抜ける。光が晴れると、腹部を裂傷した兵士達を含む六人の兵士が、生気を失った顔でその場に倒れこんでいた。その隙に、二人の兵士がユウトの後ろに回り込んでいた。長い槍を携えており、同時にユウトの身体を貫こうとそれらを突き出す。それを避けるため、ユウトは二本の槍の間に身体を滑り込ませる。しかし、一呼吸遅れたせいで右腕にかすり傷を負ってしまった。

「いって……! ふざけんなこのやろう!」

 ユウトは黒い瘴気が残る左腕を横に振り払う。すると、さきほど同様、それに触れた二人の兵士はその場に倒れこむ。

 兵士達の猛攻はまだ終わらない。新たに三人が両手の剣を振り回す。三人が二本ずつ、計六本の刃が縦から横からユウトの四肢を狙う。しかし、それにも動じず、ユウトは足元の、先ほどの兵士が落とした槍を右足で蹴り上げ、そのまま全ての太刀筋を下から押し上げるように、上へと強引に持っていった。兵士達の腕は重力を無視したように上空へ薙ぎ払われ、その隙を見せたが最後、まずはユウトの目の前にいた兵士の無防備な腹部に、鎧をも貫き、槍が刺さる。彼らに息もつかせずにユウトは地面に刺していた剣を引き抜くと、両端の兵士達の腹部に峰打ちを食らわせる。大きく後ろに飛ばされた二人の兵士は、頭を強く打ち付け気絶した。

「ほう、奴隷狩りとは人殺しまでするのか、とんだ正義の味方だな」

 少し後ろで様子を見ていた隊長が言葉をこぼす。

「はぁ? 俺らは自他ともに認める悪役だぜ? 物語の主人公だとでも思ってんのかおっさん。それより、あんたさっき自分で俺のことかませ犬の悪役とか言ってただろうが。物忘れは中年の見た目どおりか? お? まぁ、どれも内臓まで傷つけてないから死ぬことはないんじゃねーの。恐らく、多分、きっと、大方、万が一にも」

 ユウトは剣の峰で肩を叩きながら、顔についた血を服の袖で拭き取る。

「てかそろそろお前が来いよ。こんだけボコボコにされてたら俺の強さくらい分かるだろ。そろそろ終わらせてあの銀髪のお嬢ちゃんを迎えにいかないといけないんだよな」

「まったくここにきて口数の減らない小僧だ。なに、あの奴隷のことは気にするな、我々が責任を持って迎えに行ってやる。だからお前は安心して死ね」

「いちいち言い回しが癇に障るなぁおっさん。顔面に石当てられたことまだ怒ってんの?」

「はっ、あれは少し貴様を舐めていた私の不甲斐なさということにしておいてやろう。そうだ、あと数分で貴様も死ぬことだろう。ここまでの健闘に敬意を払い、最後に私の名前を教えてやろう。私はリエルト君主国軍直属第八小隊隊長、マグリス・ケン――ふっ!」

「あ、避けてんじゃねえよ」

 マグリスと名乗った男は、自らの顔面をめがけて飛んできた石を避け、ユウトを睨みつけた。

「人が喋っているときに石を投げるなんて礼儀も知性も、果ては最低限の建前すらないようだな」

「は? お前俺のこと知らねえだろ。飯食う時のマナー知ってるし、数学も得意だからな? 最近は建前と嘘だけで生きてるしな。お前の思いつくようなことは大抵兼ね備えてるから」

「それより貴様、名はなんという」

「は? 人がわざわざ間違いを訂正してあげてるってのに、それを遮ってまで名前を聞こうとする奴に教えるわけねえだろ」

「駄目だな。これ以上何を喋ろうと気分を害すだけだ。会話が成り立たん。悪いな、名前だけでも覚えておいてやろうかと思ったが、貴様はもう死ぬことになる。まぁ心配するな。殺すのは牢獄に入った後だ。運が良ければ無期懲役もあるかもしれんぞ、それどころか貴様の大好きな奴隷として暮らしていけるかもしれん」

 それを聞いて、ユウトが足元に倒れている兵士の背中を踏みつけて笑った。

「うひひっ、ほー、へー、いやいや、俺がここで捕えられるって本気で思ってんのおっさん? 周りをよく見ろよ。もう何人もの兵士がぶっ倒れてるんだぜ? 世界最強と名高いリエルト軍直属の兵士がたった一人の好青年にこの有様だぜ? 絶対無理だろ」

「そろそろ――」

 ユウトが意地の悪い笑みを浮かべながら兵士達を侮辱していると、突然、マグリスが大地を蹴り飛ばす。その身体は鎧などまるで無い物であるかのように軽やかに、素早く、ユウトの目の前に躍り出る。

「ふげっ――」

「その汚い口を閉じろ」

 マグリスの右手がユウトの顔を掴み、そのまま地面に叩きつける。鈍い音が響く。手に持っていた剣は急な出来事によって離してしまった・

「いっ……ってーなぁ」

「瀕死の兵士に鞭を打つなど言語道断」

「……あ?」

 マグリスがユウトに顔を近づける。

「貴様、見たところまだ十代後半であろう。それなのに七年間もこのような重罪を働いておいて捕まらないその力量は確かなものだ。良好な人間関係を築くには難があるだろうが、それほどの手練れなのに戦場での相手への敬意も払えんとは……失望したよ」

 マグリスの言葉を聞いてユウトの瞳はどす黒く落ちていくようであった。

「人間を人間として扱わない国を守ってる中年が戦場での敬意だのなんだの言っても説得力の欠片もねえよ。てか口臭いんだよ、顔近づけんな!」

 ユウトは悪態を吐きながら身体を捻る。それと同時に、左手でマグリスの右手を払い、地面を転がりマグリスの下から逃げる。そしてすぐに距離を詰め、マグリスの顔面をめがけて拳を放つ。しかし、やはり一個隊の隊長というだけあって、ユウトの拳は手で防がれ、威力を弱められている。打撃の効果がないことを察したユウトは一旦後ろに飛びのき距離をとる。そうすると黙っていないのはマグリスだ。すぐに腰の剣を引き抜き、ユウトの眼前に迫りくる。上段から剣が振り下ろされる。さきほどの兵士達とは比べ物にならない太刀筋の速さと美しさ。ユウトは重心を後ろに預けたことによって、間一髪のところで回避することができたが、服を切られた。

「おまっ……! これ気に入ってたのに! ふざけんな!」

「まだそんな余裕があるのか?」

 マグリスの剣捌きは尚も止まない。身体が暖まってきているのか、次第に剣の動きが早くなる。ユウトは魔法陣を取り出すどころか、反撃することもできない。避けるので精一杯である。そしてマグリスの剣はユウトに致命傷を負わせるとはいかないものの、体の至る所に小さな切り傷をつけていく。

「あーあーもう、こういう傷って絶対風呂入った時染みるんだよなぁ……」

「ちっ……本当にちょこまかとしゃらくさい奴だな」

 マグリスが斬撃の手を止める。

「あれ? はぁはぁ、どうしちゃったの? ふぅ、息切れ? 年とるってやだねー」

「疲れ切っている貴様が言うか。いやなに、随分と時間をとられているのでな、そろそろ私も本気をだそうかとな」

「は? 中年にこれ以上早い動きができんのかよ」

 そう言うと、マグリスは部下から魔法陣の描かれた紙を受け取る。もちろん、このような機会をユウトが逃すはずもなく、彼もまた、ポシェットから魔法陣を取り出し、例のごとく黒い瘴気を腕に纏う。それに対しマグリスは魔法陣を空中へ放ったかと思うと、右手に携えていた剣で紙を一刀両断にした。すると赤い光が放たれ、そのままマグリスの身体を包んでいった。

「うわ、身体強化系? めんどくせーなぁもう」

 赤い光を身に纏ったマグリスは剣を振りかざしながらユウトの元へと詰め寄る。そして、ユウトの頭上から剣が振り下ろされる。

――避けきれないな

 ユウトは咄嗟に左腕で頭をかばう。すると、マグリスの剣は黒い瘴気に触れた途端にその動きを止めた。

「む……? どういうことだ。なぜ斬れない? 貴様、さっきから頻繁に使うその黒い靄……、一体どんな魔法を使っているのだ」

「そんなの言うわけねぇだろばーか」

「じゃあいい」

 マグリスは剣を一度上段に戻し、ユウトの左脇腹を狙って横に薙ぎ払う。左腕で頭を庇っていたため一瞬反応が遅れた。ユウトが致命傷を覚悟したその時だった。

「『光陰の矢』!」

 二本の光り輝く矢がマグリスの剣を弾く。甲高い音を立てて剣はマグリスの手を離れ、地面を滑る。

「ちっ! まだ仲間がいたのか!」

 マグリスとユウトは驚きながらも矢の射出点を見る。そこには、さきほど店にいた橙色の髪を持つ少年が、顔を強張らせながら屋根の上に立っていた。そして、その隣には銀髪の少女が二人を見つめていた。

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