王子と婚約者のご令嬢 2
王族専用の応接室。
この部屋は王宮の中でも、王族が私的な客人を招くときなどに使う部屋であり、高級品に囲まれてはいるが、華美ではなく、落ち着いた部屋。ここには、高度な魔道具が配置されており、魔法や魔道具による盗聴やのぞき見ができないようになっている。
俺はこの部屋へとアリーリャを連れてきた。
室内には今、俺とアリーリャ、グレイ、従者のリュート、そして国王陛下直属の諜報員であるカストールのみだ。途中、行き会った女官を通じて、伯爵家の者にはアリーリャのことは当り障りがないようにそれとなく伝えるよう指示してある。
余談ではあるが、半年前従者に抜擢したリュートは実に有能で、一度支持をしただけであっという間に応接室使用許可を取り、アリーリャのことを伯爵に伝言し、さらにはグレイとカストールを連れてきて、国王陛下にもある程度の話を通したようだ。俺がアリーリャをローズガーデンから連れ出してここにたどり着くころにはすべての手配を終えていた。なんとも仕事が早い。良い拾いものだったと満足である。
まあそんなことは今はどうでもいい。
俺は目の前に座るアリーリャを見る。
貴族令嬢には珍しく、彼女は俺をまっすぐにみてくる。大抵の貴族のご令嬢方、それにご婦人方もなぜか俺からは顔をそらすか目をそらす、だけならまだましだが、半分くらいが顔を真っ赤にしてあえぐように口をパクパクさせたかと思うと失神してしまう。目の前のアリーリャは顔は赤いがまっすぐに俺の顔を見てくれるし、失神もしない。
「ふむ、顔が若干赤いようだが、熱でもあるのか?」
一応確認しておかないと、女性は熱を出しやすいらしく、顔を赤くして失神した女性の大半は高熱を出して一日から三日は寝込んでしまうからな!
「……熱はございませんわ」
なぜか呆れたような目で見られてしまった。顔の赤味も若干引いたような気がする。なんでだ?まあ、熱がないならいいけどね。
「アリーリャ嬢、貴女にいくつか質問があるが構わないだろうか。素直に答えてもらえると助かるが、どうしても答えたくないというのならば答えなくて構わない」
「何なりと。王子様に隠し事などいたしませんわ」
はっきりとものを言う。先ほど夜会会場であいさつを交わしたときのおどおどした感じは全くない。今目の前にいるのは、背筋をピンと伸ばし、凛としたたたずまいの聡明な瞳をした少女。同い年の俺が言えることではないが、十歳にしてはしっかりしている。
「そうか、では早速だが、先ほどリーリア嬢の言っていたことは事実なのかな」
「いえ、ほぼすべて事実ではございません」
はっきりと首を振られた。
「ほぼすべて、か」
つまり、全部が事実ではない、というわけではない。
「はい。わたくしは間違いなくネイルフェス伯爵の娘ですし、フィストロードの使用人は私が生まれるより以前に屋敷を出ていて、今は伯爵家にフィストロードの使用人はおりません。そしてわたくしはフィストロード種に限らず魔属の方と親しくはしておりません。ですが……」
そこで一旦言葉を切ると、少しためらって右手の甲を俺の前に突き出した。手袋を取り、まかれていた包帯を、わずかにためらった後少しずつほどいていく。
「わたくしの手の甲には確かにリーリア様がおっしゃったように印のようなものがります。ですがこれがわたくしには何なのか全くわからないのです」
手の甲にあったのは青白く光る魔方陣のような印。
アリーリャが言うには、二年ほど前に気が付いたら手の甲に青白く光る、この不思議な印があったのだという。あざにしては変だが、特に体に不調があるわけではない。家族にも相談してお抱えの魔法師とともに必死で様々な書物を調べたが、同じような魔方陣はどこにも載っていなかった。
「侍女のメリナは薬学、医学にたけているのですが、彼女と魔法師様が相談をして、ひとまず体に異常がない限りは静観するしかない、ということで落ち着きました。一応包帯と手袋に呪い除けのまじないを仕込んで常に右手にしておくようにと」
いまだに調べているがまったくわからないので、これ以上はどうしようもない、ということらしい。
「外では全く手袋も包帯も外したことはございませんのに、なぜリーリア様がこれのことをご存じだったのか、全くわかりません。それに、なぜこれをフィストロードのしるしだと断言されたのかも」
当時八歳だったというアリーリャは右手の甲になぞの魔方陣のような印があったのを見た時、恐怖に駆られてかなり大騒ぎしたらしい。それはそうだろう。そもそも今、俺の目の前でも気丈にふるまってはいるが手は震えているし、口元もぴくぴくしている。うん、十歳だからね!取り乱しても誰も責めないと思う。
ともあれ、俺はじっくりとその魔方陣のような印を観察してみた。
そして、事態が思ったよりも切迫していることに気づく。少なくとも、このまま放置しておけば、彼女の命はあと半年程度しか持たないだろう。
俺はこの印を見たことがある。今から二年前、俺の八歳の誕生パーティーの時に来ていた魔属の一種、ホロイロードのセシールという青年に見せてもらっていたのだ。
それは、二年前のローズガーデンでの出来事。
「貴方がアルフレッド王子?」
その時もローズガーデンでパーティーをさぼっていた俺に声をかけてきたのは、青い衣装の妖艶な美青年。服とズボンの上に、異国の女性が着るような深いスリットの入った衣装を着ているのだが、別に女性らしいわけではない。
青年は、ホロイロード種の治める国、ウィステリアの国王陛下の代わりに俺の誕生パーティーに出席してくれたのだ。この日のためにわざわざ東大陸から来てくれて、お祝いと言って、俺がほしかった最新の魔道具技術の一部を書き付けた紙片までくれたのである。さらには独自の魔道具もいくつか持ってきてくれた。今日もっともうれしかったプレゼントだといえるだろう。そんな彼は実はウィステリア国の次期国王様だ。とはいえ、彼が身分をひけらかすことは全くないが。
ウィステリアは、フェイル王国とは違い、我が国とはそこまで交流がない。ホロイロードは魔属の中では割合保守的で、あまり人間種の国とは交流がないのである。魔道具制作技術に優れ、自国で必要なものはほぼ自給できているためか、人間種の国どころか、同じ魔属の国ともそこまで交流があるわけではないようだ。たいして交易をする必要がない、ということらしい。
そんなホロイロードの次期国王である青年、セシールと親しくなったのはとある病が流行したせいだ。
その病は風土病の一種で、ホロイロード以外にはあまり患者はいない。ただし、ホロイロードには致命的な病であり、その病が流行ると死者が多数出る。とはいえ国ごと引っ越すわけには行かず、風土病と言いながらその原因は実はよくわかっていない。特効薬もなく、罹患すれば九割の確率で命を落とす。数年に一度患者が出て、一人患者が見つかったかと思うと、あっという間に国中に病が広がるのだ。なんとも恐ろしい病である。
だが、ホロイロードの長年の研究の成果で、ある機能を組み込んだ魔道具を作ることさえできれば、病にかかる患者を減らせるかもしれない、とのことだった。しかしかろうじてそれが分かっても、彼らにはその魔道具を作る技術はなかった。というより、一部の、一番重要な部分をどう組み込めば目的の魔道具が作れるのかが解明できなかったらしい。そして素材もウィステリアにはなかったのである。藁にもすがる思いで各国の魔道具屋に依頼をかけ、そして俺のところにも懇意にしている魔道具屋から話を持ち込まれた、というわけだ。
「貴方の作ってくれた魔道具のおかげで多くの命が助かった。私の婚約者も一命をとりとめた一人だ。国を代表してあなたには礼を尽くさねばならない。本当にありがとう。心から感謝している」
「どういたしまして。構造自体はそう難しくはなかったし、素材集めはそちらでやってくださったので案外すぐ作れましたよ」
構造を説明したらウィステリアの職人にも作れるだろう。とっかかりの部分はなかなか難しかったが、組み込み方さえわかれば後は簡単なものである。そういうとなぜか苦笑された。
「あれをこれほどの短時間で構造理解をしてさらに完成させるなど貴方以外には不可能だと思うが……ともあれ、レシピまでいただいて感謝してもしきれない」
「俺には必要ないんで、有効活用してください。暖房器具としても優秀だから、用が無くなったら冬にでも使ってくださいね」
「フフ、ありがとう。我が国の魔道具職人は軒並み自信を無くしてしまったけれどね。上には上がいるということかな。末恐ろしい八歳児だね、貴方は」
褒められている、のだろうか。まあ、褒められていると思っておこう。ともあれ、ウィステリアの魔道具職人は優秀なものばかりと聞くから今後も是非懇意にさせてもらいたいものである。今回彼らにできなかったのはそもそも東大陸にない技術が必要だったからで、あまり他国と交流がないウィステリアの職人が作れなかったのは仕方がないことだと思う。むしろ彼らにとっては全く新しい理論を構築しなければならなかったのに、完成一歩手前までもっていったのだからその優秀さは推して知るべし、といったところだろう。
「貴方はまだ自分が八歳だという自覚があるのかな?」
なぜかまたもや苦笑されてしまった。もちろん子供だという自覚はあるけどね?
「まあいい、貴方にはとても世話になったので、一つ、忠告をしておこう」
「忠告?」
「最近クローフィス教の信者たちが妙な動きをしているという報告が上がってきている」
「クローフィス教って暗黒教?」
魔属がクローフィス教と呼ぶのは、古代神クローフィスを信仰する宗教のことだ。人属の間では暗黒教といった方が通りがいい。別にどんな神様を信仰しようが自由だろ、とか俺は思うのだが、クローフィス教は別だ。信仰はいいが人様に迷惑をかけたり、あまつさえ宗教を盾にして人の命を奪うのはどうかと思うのだ。
クローフィス教は案外世界中に根を張っており、魔属、人属問わず盲目的な信者が多数いる。彼らは、世界は一度滅びるべきだと本気で考えていて、今地上に生きる者たちは皆殺しにしないといけない、とか本気で思っているのだ。だったらまず自分たちが滅びろよ、とか思うけどね。クローフィス審が破滅と再生の神であることが主な原因であろうが、戦争を裏で糸を引てみたり、疫病を流行らせてみたりと何かと迷惑で面倒くさいやつらなのだ。
ともあれ、二十年ほど前に当時王太子であらせられた我が国の国王陛下と陛下の友人であるフィストロードの国王から壊滅的な打撃を受けてからは、組織自体が残っているのかどうかというほどまでになり、それからは特別活動しているという話もなく、おとなしくしていたようなのだが。
「クローフィス教はこの国から受けた仕打ちを消して忘れない。そして【異端】を許しはしない」
「【異端】?」
「貴方のようにすべてに秀でた完璧ともいえる存在はある意味【異端】だろう」
何か勘違いしているようだ。完璧なんて、すべてに秀でているだなんて言いすぎだろう。俺もそんな完璧超人いたらバクハツしろくらいは思うよ?
「あ、そうか。魔道具作りには確かに秀でてるかも」
そこは自慢していいとこだよね?他では弟に負けるかもしれないけど、魔道具作りだけは譲れない。もしかして俺、褒められてる?褒められてるよな!
浮かれている俺の耳には、セシール青年の「うん、だからあなたは完璧なんだって」という呆れたようなつぶやきなど、全く耳に入ってこなかったのだった。
「まあいいけど。とにかくこの紙を見てほしい」
強引に話を元に戻したセシールはそういって一枚の紙片を差し出してきた。
「これはクローフィス教の呪いの印。この印を見かけたら気を付けて。印をつけられるとだいたい二年から三年で命を落とす。しかも印をつけられたものは一定の条件があるにせよ、術者に操られてしまうこともある」
特に印が青白く輝き始めた時が命の期限が近づいてきた知らせだという。
その時セシールに見せられた印こそが、今アリーリャが見せてくれたのと同じ印だったのだ。しかもアリーリャの印はすでに青白く輝いている。もうあまり猶予は残されてはいないのだろう。そのことをアリーリャ本人に告げるべきか否か、俺は頭を悩ませるのだった。