王子と婚約者のご令嬢 1
ローズガーデン。
それは、古今東西から様々な品種のバラを集めて作られた、リュッセライト王国自慢のバラ園である。
その庭で、俺は彼女に出会った。
社交界で今、最も話題となっている姉妹の片割れ、妹のアリーリャ・ネイルフェス伯爵令嬢に。
ネイルフェス伯爵家には、令嬢が三人いる。
長女のメリエーヌは、今年十五歳。社交界デビューを済ませたばかりだ。ゆるく波打つプラチナブロンドの美しい髪に、輝くエメラルドグリーンの瞳。顔立ちははかなげな美人で、デビューしたばかりで、社交界の男たちの視線を一身に集めていたほどだ。求婚の申し入れが引きも切らないらしい。もちろん、国内だけではなく、諸外国からも引く手あまただとか。
次女のアリーリャは俺と同じ十歳。顔立ちはきれいな部類に入るだろうが、特に目立つほどではない。髪はくすんだ茶色、瞳は重たい印象を与えるダークグリーン。曾祖母に似たのだというが、姉と比べると少し陰鬱な印象だ。
三女のエリーザは九歳。こちらはかわいらしい天使のような容姿をしている。姉と同じ輝くプラチナブロンドの髪に、父親似だという珍しい紫水晶の瞳。性格は天真爛漫で明るく誰からも愛されるのだという。
彼女たちが有名なのは、その容姿もさることながら、実家の伯爵家の家系が火の車で、いよいよ借金で首が回らなくなってきたからだ。一部では、借金のカタに娘たちの嫁ぎ先を選ぶのではないかとさえ噂されている。まあ、俺としてはその線はなしだと思っている。何せ伯爵は三姉妹を溺愛しているからな。借金のために娘が泣くような結婚を強要するくらいなら、潔く爵位を返上するだろう。とはいえ、貴族から庶民へなるには、かなりの苦労がある。価値観も、生活も何もかもが違うのだから。
それはそれとして、なぜ社交界デビュー前のアリーリャが夜に城へいるのかといえば、今日が俺の婚約者さ選びのために開かれた舞踏会だからだ。
はっきり言って俺には婚約者は必要ない。そもそも、将来的に山か森の奥にでも引きこもろうというのに、貴族のご令嬢と結婚などできはしないだろう。婚約者って明らかに将来の王妃狙いだよね!
だがしかし。
いろいろと理由をつけて渋りまくっていたのだが、先日とうとう国王陛下から俺が婚約者を決めないと弟の第二王子(同い年だがな)も婚約者を選べない、と強く言われてしぶしぶ舞踏会を開くことを承知したのだ。
というわけで今夜、城には歳が近く、いまだ明確に婚約者を決めていない貴族のご令嬢方が招待されているわけだ。面倒だが仕方がない。
とはいえ、実に面倒なので、一通り挨拶が終わった後にこのローズガーデンに逃げてきたのだが。あとは適当にご令嬢方の相手をしていれば、国王陛下と王妃様が適当にそれなりのご令嬢を選ぶだろう。選ばれたご令嬢には悪いとは思うが、こればっかりは仕方がない。
特に何をするでもなく、魔法の明かりに照らされて幻想的な美しさを放つローズガーデンをうろうろしていると、先に来ていたらしいアリーリャを見つけたという次第。
ちなみに、アリーリャだから顔を覚えていた、というわけではない。基本的に俺は一度見た顔は忘れないのだ。記憶力はいい方だからな!もちろん、今日会ったご令嬢の顔も名前もすべて覚えている。ついでに言うと、国内外の貴族で、一度でも出会った人物の顔はすべて覚えている自信がある!
そういったわけで、アリーリャの顔も名前もすぐにわかった俺ではあるが、声をかけることはためらい、見つからない位置でしばらく彼女を眺めていた。
目の前にいる彼女は先ほどの夜会会場であいさつした時のおどおどした様子とは違い、凛とした美しいたたずまい。そして、彼女は一人ではなかった。
アリーリャの前には、やはり俺と同い年の少女が、美しいまなじりを釣り上げてアリーリャをにらんでいる。
少女の名前は、リーリア・エストア公爵令嬢。俺の婚約者の第一候補らしい。巷の噂では。
エストア公爵は国内屈指の大貴族であり、金持ちだ。軍務大臣という要職にもついている。
リーリアもアリーリャも同じ十歳ではあるが、まだ社交界デビュー前であるし、学院に通うにもあと二年早い。俺が知っている限り、親同士の交流が深いわけではないし、家の家格がそもそも違うのでこれといった接点が分からない。
そんな二人がなぜ、険悪な雰囲気で対峙しているのか。というより、険悪なのはリーリアだけで、アリーリャは困惑しているようにも見える。
観察していると、リーリアが口を開いた。
「良くこの場に姿を現せましたわね、ネイルフェス伯爵令嬢」
とがった口調、見下すような瞳。その、好意のひとかけらもない言葉に、困惑を隠せないアリーリャ。
「何をおっしゃりたいのかはかりかねますわ、リーリア様。十五歳以下の婚約者が明確に定まっていない貴族の令嬢は、今夜の舞踏会に出席するようにとの国王陛下のお言葉です。エストア公爵令嬢たるリーリア様がご存じないはずはありませんわ」
「あら、でもそれは貴族の令嬢、でしょう?あなたにその資格がありまして?」
勝ち誇ったような、小ばかにしたようなリーリアの言葉に、アリーリャは顔をこわばらせる。
「……何がおっしゃりたいのですか。わたくしはれっきとした伯爵家の娘ですわ」
はっきりと反論しつつも、視線がわずかに揺らいでいる。
「嘘ですわね。わたくし、知っておりますのよ?あなたは伯爵さまが使用人に手を付けて生まれた子供であり、しかもその使用人はフィストロードなのだということを」
彼女の言葉に、俺の顔もこわばる。
フィストロード、というのはいわゆる魔属の一種だ。
魔属というのは、、主に東大陸に住む人族によく似た種族だ。力が人族の数倍、魔力も数倍。戦闘になれば人族では到底勝ち目がないが、彼らは基本的に平和と平穏を愛する種族なのである。そしてたいていは友好的だ。ただ、種族によっては好奇心が非常に強く、楽しいことが大好きらしいのだが。
魔属は四種あり、フィストロード種はその中でも最も戦闘能力に優れ、人族に興味がある種族でもある。リュッセライト王国にも留学という形で、毎年何人かが学院に入学している。王都にも何人かが滞在しているし、もちろん人数は少なくはあるが、この王都に限って言えば決して珍しい存在ではない。
もちろん、我が国からもフィストロード種の国、フェイル王国には、毎年何人かの希望者を募って留学させている。いわゆる交換留学というやつだ。もちろん向こうに定住している人間もいる。魔属の国には、人族の国にはない高度な魔道具や、技術もあるし、魔属とは技術交換や情報交換、貿易をしながら長年友好的な関係を築いてきたのである。当然ハーフの子どもも何人もいる。もっとも、魔属と人族のハーフには強い潜在能力こそあるが子をなす能力はないので、あまり歓迎されないことは事実である。もちろん迫害などされているわけではないが。
ただし。
先日の、『業者』による奴隷売買事件の裏には、どうやらフィストロード種がかかわっているらしい、とか、しばらく前に起こった連続殺傷事件や、盗難事件もフィストロード種が犯人だ、とか、なぜか巷では変なうわさが蔓延している。ただしすべては噂であり、もちろん事実無根である。
もっとも噂を間に受けて変な行動に出る輩がいないとも限らないので、フィストロードの王には了解を取って国に滞在している魔属にはこっそり監視兼守り手を付けている。
ただ、このことを知っているのは国の上層部だけであるし、噂であればある程度は蔓延しているが、あくまでも庶民の間であり、良識ある貴族は信じてはいないし、決してリーリアのような貴族のご令嬢の耳に入るほどではない。
「わたくし、お父様にお聞きしましたの。今まで友好関係を築いていたフィストロード種ではあるが、今は史上例を見ないほど両国の関係が緊張していると。下手をすれば戦争ともなりうるだろうと」
リーリアの発言は、俺にとって聞き逃せないものだった。そもそも軍務大臣たる公爵が娘にそのような事実無根の戯言を吹き込むだろうか?既にフィストロードの王とは話がついているし、両国の関係は今もって良好である。戦争の引き金などどこにもないと断言できる。なんだか面倒なことになりそうな予感がするなあ。
聞いていれば、リーリア嬢はところどころろれつが回っていない口調であるし、以前話した時よりも幼い話し方のような気がする。それに思慮が足りているとは言いづらい。もっとも俺も二回ほどしか話をしたことはないし、はっきりとは断言できないのだが。まあ、そうはいっても十歳だしな。こんなものなのかな?
「そんなフィストロードとのハーフであり、子をなす能力もない貴女など、選ばれるはずもありませんわ。ここに来る資格もないと思いますの。さっさとお帰りになったら?」
「それはただの噂ですわ、リーリア様。わたくしはれっきとしたネイルフェス伯爵の娘です。公爵令嬢ともあろうお方が憶測でものをおっしゃるのは感心いたしませんわ」
気丈にも、リーリアの目を見据えて、はっきりと断言するアリーリャ。臆することなくものを言うその姿を、俺は非常に好ましく感じた。
だがリーリアの目はぎらぎらとした輝きを増し、さらに言葉を重ねる。
「憶測ではありませんわ。事実、貴女の手の甲には印があるではありませんか」
得意げに、これでも言い逃れをするのか、と言い放つリーリア。俺は糾弾されているアリーリャよりも、糾弾しているリーリアの方が危険人物に思えた。グレイに言って、ぜひリーリアに監視をつけさせよう。リーリアを野放しにすると、嫌な予感しかしないからな!
これ以上聞く必要もないだろう、と俺は二人の間に割って入る。
「おや、リーリア嬢、アリーリャ嬢、このようなところでどうなさいました。夜風は体によくありませんよ。夜会会場までお送りいたしましょう」
無意識にアリーリャ嬢を背中にかばうような形になって、正面から俺と向き合ったリーリア嬢。無表情に言い放つ俺が怖かったのか、リーリア嬢は俺を見たとたんに真っ赤になって失神してしまった。仕方なく近くにいた近衛騎士を呼んでくると、リーリア嬢を丁重に別室に連れていくよう指示する。だがその前にしっかりリーリア嬢にお手製魔道具を取り付けることも忘れない。彼女はどことなく変だし、警戒するに越したことはないからだ。こんなこともあろうかと、俺は常にいくつかのお手製便利系魔道具を携帯しているのである。
「さて」
どうするべきか、と俺は考えながらアリーリャへと向き直ったのだった。