王子と婚約者のご令嬢 3
俺は多分、ローズガーデンでアリーリャと出会ったとき、彼女に一目ぼれをしたのだと思う。夜会であいさつを交わした時とはまたく違う、凛としたたたずまい。夜の淡い魔法の光の中でもはっきりと見える、愁いを帯びた美しい瞳。さらには幼いとはいえ、格上のリーリアにも臆することなく対峙し、基本、誰からも目をそらされてしまう俺のこともまっすぐに見る。自分のこともわからず不安だらけに違いないのに、それでも涙一つ見せずに気丈にふるまっている。そんな彼女が流す涙はきっととても美しいのだろうと思うのだ。
彼女を守ってあげたい。彼女には誰よりも幸せになって、いつも笑っていてほしい。誰かを守ってあげたいなんて初めてだ。
あの後、アリーリャには結局命の期限を伝えてしまった俺であるが、彼女は泣きだすことも取り乱すこともなかった。もちろん顔は青を通り越して真っ白だったし、その小さな手は血がにじむほど握りしめられていたのだが。
「必ず助ける」
根拠もなく約束した俺を見返し、わずかに微笑んで見せたアリーリャ。
「信じます」
その瞳は変わらず俺をまっすぐに見ていたし、とても美しかったのだ。
うっとりとアリーリャを思い返していると、リュートが返事も聞かずに部屋に入ってきた。うん、ノックはしたみたいだけど返事くらい聞こうよ。俺、王子だよな?なんだか日々扱いがぞんざいになっている気がするけどな。
「リーリア様はかなり汚染されていますね」
最近従者としての仕事ぶりにますます磨きがかかってきたリュートくん。有能なのはとてもいいことだとは思うのだが、だんだんグレイに似てきた気がするぞ。これはもしかして教育をし直す必要があるんじゃないだろうか。どうなんだろう。
それにしても、おかしいとは思っていたが案の定。
「汚染者か」
汚染者とは、クローフィス教の裏部隊、暗殺や呪殺を得意とする、とにかく殺し専門の部隊【ソレイス】があるのだが、そいつらが使う【札】を体に埋め込まれた者のことだ。
汚染にも段階があり、初めに埋め込まれた時には、【札】は白色であり、この段階であればまだ取り出せる。だが、埋め込まれてすぐ気づくことができるものはそうはいない。通常はひっそりと埋め込まれ、そして徐々に時間をかけて汚染者の負の感情を札が吸い取っていき、黒く変色していくのだ。真っ黒になるまでにかかる時間は汚染者にもよるがだいたい半年から一年。汚染レベルは白が一、黒が五で、五段階に分けられており、汚染レベル三までであれば、本人に障害は残るが何とか命だけは助けることができる。
リュートが【ギフト】を駆使して調べたところによると、どうやらリーリアの汚染レベルはすでに四。こうなるともう助けることは不可能といえるだろう。
汚染者は術者の意のままに操れるし、その瞳を通して見たものを術者にそのまま見せることも可能だ。さらには汚染度が高まると音声まで拾えるし、もちろん術者の言葉を汚染者の口から語らせることもできるという。完全な操り人形である。幼いこともあり、おそらくすでにリーリアとしての感情や意識などないに等しいに違いない。
まあ、ローズガーデンでのリーリアの言動はどう見てもおかしかったし、公爵家の娘にしては言動がいくらなんでも幼かった。おそらく汚染が進んだ段階で彼女の成長も止まってしまったからだろう。今は汚染される前の性格をトレースしているだけなのだと思う。
「そうなるとどこまで汚染が広がっているかも問題だな」
家族や屋敷の使用人たちにも汚染者がいるかもしれない。
「もちろん調査済みです。公爵家はもれなく末端の使用人まで汚染されているようですよ」
なんかもう面倒事の上に大ごとになってきた。面倒なので公爵家のことは国王陛下に丸投げしよう。俺はアリーリャを助けるのでいっぱいいっぱいなのだ、ということにしておくといいんじゃないかな!
「それと国王陛下からのご伝言です。今回のことはすべて王子に任せる。カストールの部隊も好きに使っていいから思うようにするように」
……先手を打たれた!そんな馬鹿な!
だいたいこんな面倒かつ表面上はともかく水面下では大ごとになってしまった事件を齢十歳の子供に任せるとかどうなの?ありえなくないか?
そこまで考えて俺はハッと気が付いた。
よく考えたらこれで公爵家の件をかっこよく解決したうえに、アリーリャの命も助けたらもしかしてアリーリャを婚約者にできるかも?そりゃあ、俺が身分を盾に打診すれば何の問題もないけど、やっぱり好きな子とは両思いがいいよな!命の危機を、危険を顧みずに救ってくれた王子様とか王道パターンじゃないか?しかも大事件もスパッと解決。うん、うまく演出すればちょっとくらい難ありな俺だって何とかなるかも!
「王子、残念極まりない思考がダダモレですよ。少し抑えてください。あと、貴方の場合は正面に立ってほんの少しでも微笑んで差し上げればほぼすべてのご令嬢が確実にあなたに恋をすると思います」
「?まあ、王子だからな!立っているだけでもご令嬢方は砂糖に群がる蟻のようにやってくるだろうが。アリーリャ嬢は身分とかにはつられそうにないぞ?後俺はいつだって笑顔で愛想を振りまいている……つもりだ!」
「イエ、たとえ王子が無職で明日の生活に困るような身分でも……まあいいです。ちなみに夜会でも王子は無表情でしたよ。それはもう見事なまでに。一ミリたりとも表情筋は動いていませんでした」
何かをあきらめたように首を振ると、リュートは肩をすくめてそう言った。おかしいな?ちゃんと笑っていたつもりなんだが。まあ、誰にだって失敗はあるものなのだ。というわけで過ぎ去ったことは忘れることにしよう。
とにかく、俺はアリーリャを婚約者にしたい。彼女なら俺が王位を継承することに固執はしないだろうと思う。きっと森の中で研究三昧の生活をしたいといっても笑って承知してくれるだろう。もちろん、借金のカタとかでなく、俺自身を好きになってくれたらの話だが。とはいえ、伯爵家の借金は彼女が婚約者になってくれた時点で俺が完済するけどな!とかいって、彼女を苦労させたくはないのでたとえ婚約を断られたとしても、こっそり借金は返しておくけどね。
そういったわけで、俺たちはアリーリャの命を救って婚約者にしよう大作戦を決行することとなったのだった。クローフィス教のたくらみも、汚染されまくった公爵家もとことん利用させてもらいますとも。
そうと決まれば、まずは情報収集である。
そもそもなぜアリーリャが狙われたのだろうか。
公爵家やリーリアが汚染されたのは分かる。国内きっての大貴族だし、おそらく時間をかけてゆっくりと一人ずつ汚染を広げていったのだろう。だが、ではアリーリャは?
「おそらく【ギフト】だと思います」
確証はないけれど、とそういったのはリュートである。彼でも看破しきれなかった【ギフト】を一つ、アリーリャは持っているのだという。もしかしたらそれがクローフィス教に狙われたのと関係があるかもしれないと。
彼の言葉に、グレイもカストールも納得顔でうなずく。だが、それではどうやって肝心の【ギフト】を調べればいいのか。
「それは私にお任せください」
頼もしく言って、失礼いたします、と姿を消すカストール。アリーリャが狙われたわけは彼に任せていいだろう。
「アリーリャ様のお命をお救いする手立ては考えなくてもいいのですか?」
遠慮がちに聞いてくるリュートに、俺はどや顔でサムズアップする。
「そっちは任せろ。今すぐどうこう言うことはないし、俺が【印】の効力遅延の魔道具を作る。それでしばらくは何とかなるはずだ」
魔道具が効力を発揮している間に、俺は魔属と連絡を取って【印】を消失させる方法を見つければいい。クローフィス教は非常に迷惑な宗教なので、どこの国もある程度情報を収集しているが、特にウィステリア国は優秀な諜報員を抱えていて、どこの国よりもクローフィス教に詳しいという話だし。実際【印】のこともセシール青年に聞いたのだから。
「そういうことであれば、確かにウィステリアの魔属であれば【印】を消す方法もご存知かもしれないですね」
感心したようにリュートがうなずく。
「で、俺は何をすればいいんだ?」
「グレイはアリーリャの侍女であるメリナのことを細かく調査してくれ」
「何か不自然な点でもあったか?」
「いや、特に何もなかった。アリーリャの話の中ではな。だが何かが引っ掛かるんだ」
「分かった。アルフレッド様のそういった第六感はよく当たりますからね。細かくきっちり調べましょう」
口調を変えて一礼すると、グレイはさっさと部屋を出て行った。優秀な彼のことだ、あっという間に人一人くらい生い立ちから家族構成、趣味嗜好まで調べつくしてくれるだろう。
「俺は何をすればいいんですか」
「リュートは古巣に戻って情報収集をしておいてくれ。あの辺りはスラムの人間でないと情報も集めづらいからな。知りたいのはここ二年で何か変わったことがなかったかどうか。あとはできる範囲でいいから汚染者がいるかどうか調べてみてくれないか」
「分かりました。しかし王子の身の回りのお世話は」
「大抵のことは一人でできるから問題はない」
「……それって従者のいる意味ないんじゃ。まあいいです。わかりました。それでは行ってきます」
何やら不満げなリュートが出ていくと、俺はさっそく魔道具の設計図を制作することにしたのだった。




