1.幼年期 城に帰る
三歳になった。三歳と言っても、数え年だから、今の二歳だな。そこで、乳母の館から、父のいる那古屋城に戻る事になった。
ようやく喋っても良いはずの年齢になったので、城に戻る前に、俺は、おかつにしっかりと、今の情勢について取材したのだ。尾張なまりなんて、もちろん話せやしないので、標準語で喋ったけれど。おかつは、訝しながらも、戸惑いつつも話してくれた。
おかつによると、父は、織田信秀と言って、尾張の守護代である織田大和守信友という人の家老だそうだ。分家なんだとか。尾張には、その上で斯波義統という人が守護をやっているそうだ。斯波氏は、鎌倉時代からの御家人で、とても由緒ある家柄らしいが、今ではすっかり落ちぶれてしまって、守護代の信友さんと清州の館に同居しているとのことだ。俺の家は、もともと、あの元気な信定爺さんが苦労して手に入れた津島にある勝幡城を本拠地にしていたけれど、父の信秀が、それまで隣国の今川家の支配地だった愛知郡の那古屋城を落として、そこに移り住んでいる。俺が生まれるちょっと前のことだとか。
おかつの実家は、池田家と言って、爺様の代に織田家の家臣となったそうだ。おかつは、そこの一人娘で、同じ家臣の滝川家から、二男を婿養子に迎えていたのだが、かわいそうなことに、那古屋城をめぐる戦いで、その夫は討ち死にしてしまったそうだ。息子の顔を見ることもなく。俺の父は、そんなおかつに申し訳なく思い、おかつを守る意味も込めて、俺の乳母にしたとのこと。嫡男の乳母になるということは、それだけ大切にされるということになるのだそうだ。
俺は、おかつに連れられて、乳兄弟とともに、那古屋城へと向かった。おかつは、そのまま那古屋城にとどまり、俺の父の側室になるとのこと。どうやら、このご時世では、戦死した家臣の未亡人を引き取って面倒を見るなんてことは、普通に行われているらしい。
俺たち3人は、籠に乗って、池田の家から那古屋にむかった。道中は平坦であったが、見渡す限りの田園地帯だ。ところどころに村があり、村の中心には、織田の家臣の武士が住む比較的大きな館が立っている。その左右に、街道にそって、農民たちの屋敷がならんでいる。百姓の家と言っても、かなり広い敷地の中に、平屋が数軒立っている。今の基準でいったら豪邸の範疇だな。時代劇に出てくる掘立小屋のような家って嘘だな。
田園風景の先に、少し小高い丘陵が連なっており、その上に、土塁で囲まれた砦のような構造物が見えてきた。なんと、そこが那古屋城とのこと。俺は、周りに賑やかな城下町を期待していたのだが、それらしき町民たちの家など皆無だぞ。なんかとても寂れた感がある。