2.少年期 家来をつくる
長い間放置してすみません。連載を復活します。少年期の始まりです。
さて、五歳になった。豪族の嫡男としては、武術と学問に明け暮れる日々で忙しい はずなのだが、はなからそうするつもりはない。もっと立派な大名の家ならば、ご近所の寺の高僧にでも師事するのであろうが、あいにく俺んところは親父の代の成上りだし、爺さんも武家というよりは金儲けがうまいビジネスマンのような人だ。絶対に役に立たない漢学なんて、学びたくもない。昔、高校でやった漢文の授業を思い出すが、それは、それなりに面白かったな。今でも、十八史略の出だしを覚えている。
「帝尭陶唐氏帝刻子也。其仁如天之知神。・・・・」だったかな。昔のことなので、漢字が違うかもしれん。
いや、そうではなく、いまさら漢文なんて勉強したくないってこと。
では、爺さんに金勘定を教わるかと言えば、経済学部を出た一端のビジネスマンだった俺には、いまさらの感がある。残る乗馬と武術、これは、まったく未知の世界のことなので、遠慮なく平手の爺やに習うことにした。
弓術は、これはけっこうおもしろいものがあるり、すぐに熱中してしまった。
まだ体が小さいので、大人用の弓を引くことはできない。子供用の弦の長さが一メートルくらいの弓だが、習ってみて驚いたのは、弓の真ん中を握って矢を射るのだと思っていたのだが、実際には、下から三分の一くらいのところを握ることだ。
下よりも上部の方が大きく頭の上にかかりバランスが悪い。弓の真ん中を握るアーチェリーと大違いだ。これでは、まっすぐ飛ばせないしバランスが悪くて握りがブレやすく合理的な形ではないのではないかと思い、早速に改良版を作ろうと思ったら、爺やに怒られた。爺やによると、馬上で長い弓を引いた時に下の部分が長いと、馬体に弦が引っかかって引けないのだそうだ。
なるほど、馬上で戦う武士の使う弓なのだな。アーチェリーのような、小さめの弓を使えばよいのであろうが、より大きな弓で威力を高めたいと思うのが、人情というものだ。もっとも、俺は戦場で弓を使って戦おうなんて思っていないので、もっぱら、馬に乗って狩りをするための技能を習得するために練習をする。
的に向かってひたすら射る。射る。射る。
勝三郎は俺の従者になるので弓の稽古はせず、もっぱら剣の鍛錬だ。ただひたすら、木刀を振らされている。
平手の爺は鬼だ。勝三郎はぶっ倒れるまで休みなく振らされ続けている。このままいくと、勝三郎はまちがいなく体育会系の筋肉達磨の脳筋馬鹿になるな。先が思いやられる。
『おかつよ、ごめん。お前の大切な嫡男を、こんなふうにするなんて。』
俺は、心の中で、乳母のおかつに詫びた。いちおう、平手の爺には、ほどほどにするように忠告したのだが、
「三郎様を守るには、強い剣士にならなければなりません。なんのこれしきの事で良いわけがありませぬ。」と、まったくの聞く耳もたぬ。これ以上言っても、より酷くなりそうなので、言わないことにした。
もっとも、弓の稽古の後、馬で遠駆けするのを勝三郎に徒歩でついてこさせる俺も、おおいにSだ。
このままいけば、さしずめ、現代だったらトライアスロンで優勝できるくらいになるだろう。
乗馬で織田領を動き回ってみるようになると、館の中に居た時にはわからなかった、いろいろなものが見えてきた。その一つが、俺には家来が居ないということだ。
普通、豪族には主のもとに一族郎党と言われる家臣団がいる。親父の配下の豪族たちの館に行くと、郎党衆が詰めているのだ。俺の場合、那古屋城をもらったとはいえ、織田家の郎党衆は親父に従っており、那古屋にいるのは平手の爺だけだ。
これでは、本当に心もとない。将来のことを考えると、今のうちから自前の郎党衆を育てたい。
だが、いまさら土地を分け与えて主従関係を結ぶわけにはいかないし、そもそも、まだ子供の俺に忠誠を誓ってくれる大人はいない。
幸いにして、爺さんからもらった銭がある。この金で、豪族の嫡男ではない子どもたちを雇えばよいのだ。
早速、平手の爺やに言って、次男、三男を集めてもらった。
「飯の心配はいらぬ。三郎様の小姓として、学問や武術を教えてやる」という触れ込みで話をさせてたら、くるわくるは、あっと言う間に、20人も集まった。皆、腹を空かした元気なガキだ。
爺やが教師になり、早速平手塾が始まったが、学問なんかせず相変わらず毎日ぶっ倒れるまで、素振りとマラソンの日々だ。
将来が楽しみだな。