表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/16

1. 幼年期の終わり

5歳になった。

武士は、5歳になると袴の儀という催しがある。

10歳になりますます美少女ぶりが上がった吉乃が、父上から賜った新しい袴を着けてくれる。

俺を見る吉乃の目が、こころなしか頼もしい男を見るように思えるのが嬉しいくて、自然に笑みが漏れる。

吉乃に見送られて、爺と二人で父上のいる古渡城へ向かう。

古渡までは約1里。今の距離では4kmあまりなので、馬に乗れば30分程度の近さだ。城について、そのまま大広間に向かう。既に、父上のほか家臣たちが揃っていた。家臣達が見守るなか、父上の居る上座へ進み出る。

父上が披露目の口上を述べる。


「我が嫡男の三郎である。皆の守り立てを頼むぞ。」


家臣たちは、初めて見る俺の中身を見定めようとするかのごとく、鋭い視線を向けてくる。今までは生駒や蜂須賀など、もとからの武士ではない者たちと付き合ってきたので、家臣たちには未知の者だからしかたがない。また、元服前の子供を正式に嫡男とするのは珍しいこともあるのだろう。もっとも、俺の場合は3歳で城主になっている事が異例だし、侍女を持っている事も異例だ。


さて、この袴と言うものだが、七五三の時の子供が着るような衣装を想像してはいけない。

武士の履く袴は、裾が広がった形では無く、足首の所が絞られたものだ。いわゆる、モンペと言うズボンの様な下履をイメージすると良い。これは、実は乗馬用の着物なのだ。


 この時代の武士とは、鎌倉幕府の御家人となった東国の坂東武者の流れをくむ者たちだ。だから、武士としての戦闘方法は、乗馬で駆けて弓を射ることが基本だそうだ。爺から聞いた話だ。

明日からは、乗馬と弓の鍛錬が始まるとのこと。いわゆる流鏑馬というやつだな。


俺は武士といえば、てっきり剣術を教わるのだと思っていたが、そうではないらしい。剣術は主に自衛の手段であって、攻撃の手段ではないと。

爺によると、戦とは領主クラスの騎馬武者と、それを守る郎党達が槍を持って戦うのだとか。基本は、騎馬武者同士で矢をうち掛け合って、矢を受けた方が負けだ。矢を受けても、鎧兜を着けているので致命傷にはなりにくいので、戦死者は多くないし、郎党たちも主人を守る事を本分として、たがいに槍を交えることも少ないとか。

つまり、乗馬と騎射の腕が勝敗を決するということだ。父上は、この流鏑馬の達人なのだ。

いわば流鏑馬術の武術大会のような技の競い合いの場であって、意外に平和的なやり方だ。戦国時代とは、もっと凄惨な殺し合いのような物を想像していたのだが。

確かに、そういうことなら、流鏑馬の練習が剣術の練習に勝るというものだ。

なんか、武士ってモンゴル族の流れをくむ人々なのかと思うよ。


それから、明日からは乳母のおかつの子、池田勝三郎が俺の小姓につく。赤ん坊のころ、隣で良く泣いていたやつだったが、どれほど大きくなったのか、会うのが楽しみだ。

ついに今日で俺の幼年期も終わるというものだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ