1.幼年期 侍女を教育する
早速であるが、侍女の吉乃を教育することにした。紫の上のように将来自分の妻にすることを見越して、今のうちからあんなことやこんな事を、手取り足取り教えようという 訳ではないぞ。
もちろん、そうしたい思いや情熱は迸るのだが、いかんせん体は幼児ゆえ、思うようにはいかないのだ。そこは理解してほしい。
ところで、この世界は思いのほか怨霊や妖怪に満ち溢れている。
<実際にそれらが存在している>というわけではないのだが、天変地異があれば超常的な存在のせいにしたり、暗闇の中にうごめくものを感じれば妖怪がいると感じる。干ばつは時の為政者の失政が原因だと考え、疫病が流行れば怨霊の祟りだと恐れる。
人々が信じていれば、それは存在するということになるのだ。キリスト教の神もイスラム教の神も、信ずる人々がいれば実際に存在していることになる。でも、どちらかの信仰を是とするならば、どちらかの神は存在しないことになる。自分の信ずる神が唯一絶対の存在なのだから。いや、もともとキリスト教もイスラム教も信ずるのは同じ神であったか・・・。
話を元に戻すと、そのような迷信や想像上の祟りなどという呪縛から吉乃を開放してやりたいのだ。神仏にすがるのではなく、合理的に考えて自分の意思で行動する女性に育てたい。
現代社会では当たりまえの女性像だが、この戦国の世ではそうはいかない。女が男の庇護を受けずに自立するということ自体が難しいのだ。でも、将来自分の妻にするのならそういう合理性をもった女性が良い。そのための教育だ。まずは、科学と数学の講義からだ。そのあとは、保健体育といこう。
「すずよ。今日から私が、お前に講義をすることにする。まずは、この世界のなりたちから始めよう。」
毎朝の俺の装束を整え終えて、横に控える吉乃に声をかける。
「世のなりたちとは、イザナギの尊とイザナミの尊のお話ですか。」
やはり日本書紀を読まぬとも、国つくりの伝説は流布しているらしい。
「その話ではない。それはただの作り話であって、物事の真なる姿ではない。」
「この世界の大地はイザナミの尊が産み落としたものではなく、大きな玉の形をした地球という物の上にあるのだ。その地球には、この国がある八島以外にも広大な大陸があって100以上の国々が存在する。広さは、この日の本の国の1000倍はあるであろう。」
「大きな玉といえば、毎夜天に上る月を思い浮かべてみよ。あれも大きな玉だ。この地球の四分の一くらいの大きさの玉だ。体積にすれば六十四分の一だが、体積というものについては後で教える。」
吉乃は、なんとなく合点がいかぬような顔で聞く
「そんな大きな玉が落ちてきたら大変です。それに、月は丸~るく見えますが玉のようにはみえません。」
「三日月がなぜ、弓のような形になるのか実見させてやろう。平らな円では、あのような形にならぬのだ。まず、ひょうたんを持って参れ。」
吉乃が瓢箪を持ってくると、俺たちは中の間に移り障子を閉めて部屋に籠った。ナタネ油の火をつけて、瓢箪の尻を灯に向けて吉乃に見せる。その見せる方向によって、ひょうたんに三日月ができたり半月になったり十五夜になったり、その表情を刻々と変えていく。
「どうだ、すず。わかったか。これが紙のような薄っぺらなものでは、三日月の形は絶対にできぬだ。三日月の形ができるということは、月がひょうたんのような玉の形である証だ。」
暗がりの中に灯の光を受けて浮かぶ吉乃の横顔を見る。好奇心が宿るキラキラした美少女の目は、それを見ているだけで本当に幸せな気分になる。しかし、なぜ美少女の目ってキラキラと輝くのだ。同じ人間なのに不思議だ。
「吉様、それでは、その灯りのところにあるお日さまは、どのような形をしているのでしょうか。」
なんと理解力がある娘だ。すぐに納得してさらなる疑問にたどり着くとは。この娘は本当に良い生徒になるはず。行く末が楽しみだな。知的なクール系の美女が好みの俺としたら、将来はメガネをかけさせたい。違うか、その意味で将来が楽しみということではなく、自立した女性になるという意味だ。建前だが。
その後、次から次へと湧き出でてくる質問に全て答えてやったが、「きょうはこれまで」と打ち切るのが難しいほどだった。当面は、保健体育には行けそうにないな。