死霊術師、陳留を防衛す
三国志もそうですが、歴史が好きなんですよね。後書きにはこれから短編コメディを入れていきますのでよろしくお願いします。
「ねえ先輩っ!そろそろじゃないですか?」
高宮甚助は目を瞑り、一人思索に耽っていた。彼の周りを駆け回り、ひたすら「ねえねえ」と話しかける少女が完全に、徹底的に、場違いに浮いてしまっている。
「敵接近、距離八里!」
斥候からの報告が入ると、高宮は胡床から腰を上げた。
「ついにきたか、江留に伝えよ。『手加減を忘れるな、適当に蹴散らせ』とな」
高宮とは対照的に、傍らの少女はキラキラと眼を輝かせる。高宮の額でわずかに汗が光っていた。
「いよいよですねっ先輩っ!」
徹頭徹尾場違いに弾んだ声色で、土煙の行方を見る少女。かざした右手で丸く望遠鏡を作り、「にひひ」と楽しげに笑った。これから何か出し物でも始まるかのように、期待に胸を弾ませた調子を崩さなかった。
「……少しは緊張しろよ、小呉」
「小呉って呼ばないで下さいよー先輩。かわいくないでしょーがっ!」
「……まあ確かにそうだな」
「ねぇ、先輩。『ナオ』って呼んで?」
「昔みたいにか」
「うんうん」
「小呉、くれぐれも油断するなよ。小呉」
「むきー!!そうやってすぐいじわるするんですからキライです、先輩のそういうとこっ!」
「ああ、ごめんごめんナオ」
「はいゆるしてあげますえっへん」
「なぜドヤ顔?」
「いいじゃないですか、そんなこと。油断のことですけど……ウチは非戦闘員の空中線ちゃんだから、あんまり危ないところには行かないですけどね」
「そういうことじゃないんだよ」
神妙な面持ちで高宮は言葉を一度切った。
「俺は大切な奴を誰も死なせたくないんだ。それがたとえ人間でなくとも」
「魂は札に宿るもの。札が焼かれてしまえば即ち死。誰も世の理からは逃れられないんですよ、先輩。当然でしょう?」
「死囚兵を除けばな」
死囚兵とは反魂の術から産まれる禁忌の存在だ。死囚兵は死霊術師により操られる。
死霊術師。高宮を始めとする陰陽師の亜流集団。
一度死んでいるのだから死ぬはずも無く不死身。無敵といって差し支えないが、多くの制約があり、扱いに実に苦労する。
例えば人格。何度も還ると、人格は次第に失われていく。
最期はただの土の塊に成り下がる。死霊術師団長である高宮甚助は数々の『肉塊』を見てきた。
いまだ慣れず、思い出すと吐き気がする。
「ねえ先輩。そんなことより今大切な奴って言いましたよねっ?一生大切にしてくれる的な意味ですかね!?」
「違うわ、アホ」
間髪入れずに、高宮は言う。
「ちぇーいいもんっふんっだ!」
そう言うと、ナオと呼ばれた式神少女は口をタコにして、すっかり不貞腐れてしまった。
「こんなときに軽々しく言えることじゃないんだよ、解れ」
戦地にも関わらず、書簡は絶えず届く。敵からも味方からも。内容をざっと、俗物的にまとめるとこうだ。
目下の敵、曹操からは「陳留は死地だ。四方から総攻撃を受けたくなければおとなしく降ることだ。勘違いするなよ、お前を仲間にしたいとかそういうわけじゃないんだからなっ!」といったような大変ツンデレな内容が来るし、長兄の袁譚からは「届いたらすぐに健勝だと報告せよ、私は心配なのだ」というブラコン全開な内容が届く。
……見てのとおり、穏やか極まりない。むしろ、無言を決め込む三男の袁尚や徐州の劉備の方が不気味であり、警戒すべきなのだ。
噂の域を出ないが、劉備は独立を画策していると聞く。袁尚にいたっては身内であるのに、全く情報がつかめない。意図的に情報を隠しているとしか思えない。
袁尚には何か後ろめたいことがある。自領での悪政か。はたまた――。
袁尚からの後方支援が滞っている。五日続き、十日続くと「出し渋っているのだ」とはっきり思うようになった。今、鄴からの兵站線を切られると窮地に追いやられることになりかねず、下手に刺激をするわけにはいかない。高宮はどうすることもできずにいた。
「公孫瓚など、敵ではなかった。我らの敵は味方だったんだ」
「ねえ先輩。これ終わったら、袁尚殺しちゃおうよ、ね?」
「ゲーム貸してよ」くらいの調子で言われても苦笑するしかない高宮。「クロ」だとは思うが、そこまでするほどではない。少なくとも今の時点では。禍根を立つ為に兄を殺しては道を外れることになる。
「父上は容体が優れない。とにかく後継が心配だ」
長兄袁譚と三男袁尚。水面下で後継争いが始まっていた。不審死が相次ぎ、出奔も徐々にだが、増えている。
袁譚は平原、袁尚は鄴を治める。袁譚には袁紹の甥にして上党を治める高幹が従い、袁尚には次兄にして北平の主の袁煕が付いた。
勢力は拮抗している。拮抗しているが故にかろうじて大事は起こっていない。微妙なバランスの上に成り立っている平穏だということを高宮はよく理解していた。
こうして袁譚から便りが届くのも、「四男の自分を抱き込もうと必死なのだ」と高宮はどこか他人事のように思っていた。そう――いるはずのない四男の自分を。
歴史が変わってしまうかもしれない。そう思わずにはいられなかった。
「ねー先輩?」
「なんだ?」
「誰に付くんですか?」
確信を突く一言。軍内では目をかけてもらった恩があることからも、袁譚派と目される高宮だったがいまだ決めかねていた。
袁譚に付くこと――それが正解だとは思えないからだ。
「……誰に付いて欲しい?」
「誰にも付いて欲しくないですねー。まあ誰に付いてもウチは先輩について行くだけですけど」
「曹操はない、それだけは言い切れる」
「なんでですか?人材マニアの彼なら歓迎してくれそうじゃないですか?はっ……まさかブラコンに目覚めたとか、おとーさんを裏切れないからとか親孝行的なやつですかっ?」
「それもあるな」
「それ『も』?」
引っかかる物言いを気にした小呉だったが、
「ふん歓迎ね、そうだろうな。歓迎するだろう、間違いなく」
「なら……どうして?」
「俺を上手く遣ってしまうだよ、適材適所でな」
袁紹はかつて宮仕えしたことがある。西園八校尉。曹操は当時、袁紹と旧友であり同僚だった。反董卓連合では盟主とその軍師として手を取り合い、闘った二人が今では殺し合う。戦国とは非情だ。
曹操。天下に最も近いとされる袁紹と互し、争える程の実力を持つ天才。
最近まで陳留を拠点としていたが、鎮南将軍として南下作戦を採る高宮、つまり高宮甚助を筆頭とする侵攻軍に攻め落とされたため、許昌に拠点を移したようだった。献帝もそこにおわすという。
曹操は高宮の実力を知っている。嫌というほどわかっている。身をもって。
呂布の軍勢からも守りきった濮陽と陳留を落とされたにも関わらず、怯えるどころか懐柔をしようとは呆れるほど器の大きい男だった。
陳留城の銅鑼が鳴った。開門の合図とともに大地は震え、喚声が聞こえる。
「始まったか」
高宮が右手で作った望遠鏡。そこから視える景色はいつも見るソレのようではなく。
恐ろしく、紅く。そして歪んで見えた。
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「敵はどのくらいなのかしら?三万くらいと聞いていたけれど、どうみても二倍はいるわよ?」
「ふんっさしずめ、曹操の息のかかった豪族連合が合流して膨れ上がったのであろう。我輩の敵ではないわっ」
「確かに。涼州の狂犬にはお誂え向きでしょうね。存分に猛り狂うがいいわ」
「江女史、それではまるで我輩が脳筋のようではないか」
「えっ」
「む?」
「違うのかしら?」
「むぅ、我輩の本職は政治家だぞ?忘れたのか」
「そうだったかしら?」
「おい、ひどいではないか!うりゃあ!」
「ぐあぁ」と小さく悲鳴を上げ、倒れる敵。大男の血飛沫で鎧が赤く染まった。
大男は円月刀を振り、見栄を切る。
「董卓仲穎、推参!」
「……楽しそうね」
江女史こと、エルは金色の絹糸の如く輝く髪を惜しげもなく晒し、儚げに溜息をついた。その碧眼は疲労を隠し切れていない。死囚兵団を展開させることも無限にできるわけではない。体力が続く限り。そしてその限界はそう遠くはないのだった。
「ここが正念場でしょうね」
エルはこの国の人間ではない。訳あってここにおり、そしてこの時代を生きている。
斥候によれば、敵軍に曹操軍きっての猛将、夏候淵がいるという。急進派であるから、曹操の抑えがきかなかったのか。それとも兄の夏候惇が捕らえられたことによる焦りか。
どちらにしても、一つ言えることは。敵は本気で来ているということだ。
「精鋭はいないようだ」
「先の戦でだいぶ蹴散らしたからね、そう簡単に出てこれはしないわ」
「曹操軍の別働隊二万に豪族四万ってとこか」
「あら、わかるの?すごいわね」
「ただの勘だ」
「そうだと思ったわ、まあ信じてあげましょう」
「ほう、素直だな」
「貴方の勘は当たるもの」
「そうか、ありがとよ」
遠くの土煙がすぐ近くまで迫っていた。
来る。
「夏候淵だぁあああああああああああ」
「きたか」
「きたわね」
「高宮殿にお会いしたい。頼みたいことがある!」
夏候淵は躍り出る。少し息を切らしているようだった。
「頼み?お兄様の返還かしら?」
「さあな、本人に聞いてみれば良いのではないか」
躍り出た夏候淵は問答無用で襲い来る矢を石の剣で全て叩き落とした。
「大丈夫だ、我らに敵意はない!話がしたいだけだ!」
エルは「そうは思えないわよ」と言う。「どうしてそう思う?」問う董卓。
エルは簡潔に応えた。
「目が怖いのよ、血走ってて」
「董卓、貴方は本当に政治家だったの?」
「まじぃであるぞ、江女史」
「まじぃではなくて『マジ』ね。ジャポン語で『本当』という意味よ」
「意味くらい知ってるわっ馬鹿にするでない」
「でも貴方、あまり名士が好きそうな出で立ちではないわよね。常に甲冑ですもの」
「うむ、自覚はある。よく言われるな、がさつだと」
「笑い方も『がっはっは』ってまるで山賊みたいよね」
「何を言うか、れっきとした将軍の生まれだ」
「ではなぜなのかしらね、笑い方くらいじゃないのかしら?がさつだというのも。基本の所作は――宮仕えのせいでしょうね、おおよそできているもの」
「はっそういえば」
「なにかしら?」
「何故か青ざめていたな。吾輩が食事を取っていたときに」
「……なんか変なものでも食べていたのではないかしら?何を食べていたの?」
「肉だ」
「そう……別に変じゃないわね」
「生だがな」
「は?」
「生肉をかぶりついていたら、王允がぼそっと呟くんだ。『ないわぁ』『ひくわぁ』って。意味わからん」
「わかってないなのは社会通念でしょうね、この場合貴方だけれど」
「?」
「もういいわ」
「そうか」
「うん」