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Accidental

12/31 PM11:40頃、冒頭にエピソードをを追記。

 

「孝明ってさ、視野が広いよな」

 昔、シチュエーションはよく覚えてないけど、先輩にそう言われたことがある。

「広いですか?」

 もちろん目が離れているという意味での視野が広いという意味ではないだろう。

「ああ、広いよ。視界に入るものの隅々までお前は見ている、ってあの人も言ってた」あの人とは師のことだ。「普通の人間はひとつのものにしかピンとは合わないが、孝明の目は視野に入るもの全てにピントを合わせている」

「そうなんですか?」自分ではそんなところ意識したことはなかった。そもそも自分以外の人の視野なんて知ることができないから比べようがない。

「視野が広くて、色々細かいことに気付けるのは役者として素晴らしい能力だ、ってあの人は誉めてたよ」

 あまり師に面と向かって誉められたことはなかったので、俺は素直に嬉しかった。





 

 翌日、寝ぼけたまま携帯電話を開いてみると、師からメールが来ていた。夜一時に送られていたみたいだ。俺、熟睡してたんだな。

 そこには撮影をしていたので気付かなかったという軽い謝罪と『起きているなら、あるいは起きたなら出来れば感想を教えてくれ。俺もアメリカに行ったことあるけど忙しすぎて観光できなかったから』という文章が送られていた。何勝手に観光している前提にしてるんだ(したけど)と思った。そういえばこの人にはメールで観光をしたというようなことを書いたような気がする。寝ぼけてるな、俺……。


 それと「出来れば」という部分に引っ掛かったけどそれは「嫌なことがあったならいい」とか「寝起きでだるかったらいいよ」とかの意味なのだろうとすぐに分かった。

 まあ、返信しないのも失礼だなと思ったので、一応無理やり連れて行かれた観光の内容と感想をプラス方向に捏造して送信しておいた。


 ちょっと暗いな、と時計を見るとまだ朝の五時だった。疲れてるはずなのに……、と体を起こす。時差ボケかもしれない。

 今日から一週間は休みだ。思う存分眠れる。と言っても何もせずに体を動かさないでいるのも気分が悪いと思ったので散歩に出かけることにした。

その前に朝食を食べるようか。そうだな。向こうではみんな用意された食事だったのしな。今日の夜は打ち上げで和食店に行くわけだけど、朝は久しぶりに腕を振るうか。


 目玉焼きでも作ろうとかと冷蔵庫を開けると、冷蔵庫は空っぽだった。そういえば向こうに行く前に空にしたなあ、と思い出した。


 ウォークマンを専用のスピーカーに繋ぎ、とりあえず大好きなロックバンドのバラード曲をかけた。俺はロックの迫力とバラードの優しさを混ぜた曲が特に好きで、この曲はまさに俺の好みど真ん中だった。Aメロで優しさや哀しさ、また明るさを出し、Bメロで曲の佳境が近づいていることを示唆し、サビの最初の一音でギターやベース、ドラムの迫力を一切持て余すことなく、爆発させる。その迫力の中にどこか寂しさを感じられるこの曲は特に最高だ。


 腕を振るうでも何でもないがとりあえずカップラーメンを作り、食べた。懐かしい味だった。最近のカップ麺は随分おいしくなっているとはいえやはり味はアメリカの「一にお肉、二にお肉、三、四はジャンクで五にお肉」みたいなものには劣る。でもお袋の味と表現したら変かもしれないが純粋なおいしさとはまた違う良さがある。


 その時、スマホが着信した。師からの返事だった。


『この海外撮影でお前は俺の首を縦に振らせるくらいの役者に、いや、大きな人間になってくれたかな』


 ふっ、と俺は微笑んだ。一年ほど前の俺と彼の会話が頭に蘇る。


「そろそろ認めてくれますか?」

 俺が助演男優賞を取った頃だったかな。師はこれまで一度も俺の演技を心から褒めたり認めたことはなかった。

「いや、お前も結構売れてきたがまだまだだ。俺の首を縦に振らせるくらいの人間にはまだなっていない」

 世間は認めてくれてもこの師だけは最後まで認めてくれそうになかったが、賞を取ってゴールまで辿りついたと心のどこかで思っていた俺は、この言葉でまたスタート地点に戻されたのだ。「いつか、あなたの首を縦に振らせて見せますよ。待っていてください」

「いつまでも待ってるよ。屍になっても首だけは動くようにストレッチしないとな」






 朝五時に起きた割には意外に疲れが取れているかもしれない、と気付いた。もしかしたら師との会話を思い出して楽しくなったのもあるかもしれないし、両親の声が聞けたからかもしれない。「よし、昼飯を買うついでに散歩行こう」


 まだ日は昇り切っていなかったので暗かった。

 懐かしいなあ、とか思い出に浸りながら狭い路地を歩いていた。すれ違う人の数どころか、人通りそのものが自分以外ほとんど皆無だ。広い道路よりこういう道の方が風情というものがある。木が枯れ始め、通りにしゃきしゃきと音を鳴らす枯れ葉が簡単に言葉に表すことのできない日本の心を表現しているような気がする。

 秋を感じながらより秋を感じるために辺りを見回して歩いていると、偶然その光景を見つけた。枯れ葉のように小汚い茶色のジャケットを着た男がアルミ缶のようなものを振っている。その缶らしきものを壁に向け、そこから黒くて細い霧がまっすぐ壁に放出された。昨日のニュースが思い出される。あの謎の落書きのことだ。


 東京都某所に出没する謎めいたスプレーグラフィティ。


 こいつじゃないのか、と思いながらしばらく眺めていると、壁に汚いけど読めないこともない字が書かれていった。


『10/15ニ オレハ アノジケンノシンソウヲ バクロスル ノ』


 書いてある内容はともかく、その力強く吸い込まれるような字体は紛れもなく本物だと感じた。生で見た迫力はテレビよりも数倍強い。一般的な磁石とネオジム磁石くらいパワーが違う。おそらくただの流行に敏感な模倣犯ではこれだけのエネルギーをスプレーに込めるのは不可能だろう。

 さあ、どうしようか。警察に通報するか? あいつを今すぐ取り押さえて。俳優が事件の犯人を逮捕したとなればそれなりにマスコミは騒ぐだろうな。「自作自演だ」「売名行為」とか野次を飛ばしてくる連中も現れるかもしれない。いや、絶対に現れる。

 ああ、と俺は内省的に我に返った。その後の評判を考えるなんてひどい職業病だ。


 そうだな、この人の目的をゲロらせてからでも遅くはないかもな。足には自信があるから逃げられても大丈夫だ。後ろから見た感じでは四十、五十歳くらいだろうし。

 とりあえず足音を極力立てないように近づいて行った。下積み時代何度も練習したことのある得意技だ。


 『ノコリ1日』と彼が最後まで書ききって「ふう」とスプレー缶を持った手を下げた時に俺は話しかけた。「何してるんですか?」

 彼は「うわっ」と声を上げて水をかけられた猫のようにビクッと振り向いた。「……」

「これ、噂の落書きですか?」

「あ、ああ……」

 低く乾いた声だった。顔は元々の色なのか犯行現場を目撃されたからなのかは分からないが赤く、乾燥で皺が寄っている。背は低く猫背だが、あまり高齢には見えない。年齢は四十、五十くらいだろうか。「そうだが、お前……どこかで見たことあるな……」


「……」話を逸らされた。「一応……タレントですから」

「タレント! 俳優か何かか!」男はいきなり目を見開いて興奮した。

「まあ、そうですけど」

「握手してくれ! お前!」彼は笑顔で右手を差し出してきた。「お前」ということは俺の名前を知らないのだろう。俳優だからという理由だけで握手を求められてもな……。

「減るもんじゃないだろ。握手してくれよ、お前! 真っ暗な俺の人生に少しでも明るい思い出をくれよ」

「あ、はい」そこまでまくし立てるように言われたら右手を差し出すしかなかった。

「サンキュー!」彼は一週間ぶりのまともな餌にしがみつくガリガリのへたれライオンのように右手を力強く掴んできた。「いやあ、俺の生まれた日仏滅でさあ、初めて目を開けて見た顔がブッサイクな看護師でさあ、最悪だよな! 病院があんなブス採用するなって話だよ! しかも「二度あることは三度ある」の原理が無限のスパイラル起こして俺の人生最悪だったんだよ! 五十歳にもなって公共の建物にスプレー吹きかけるような人生だよ! そしてここで初めていいことが起きた! 俳優に会ったんだぞ! どこの誰かも知らないがこの俺が見たことあるんだからそこそこ有名なんだろ?」


 握った手を離さずにそのまま警察に引きずり込んでやろうかとも思ったが、やめた。まだ聞きたいことを聞けていない。


「ところで『アノジケンノシンソウ』ってなんですか?」

「いやあ、幸運だ! まるでゴミ屋敷の中で適当に紙クズ投げたらピタゴラ的なものが始まったみたいに運がいい!」

「『アノジケンノシンソウ』ってなんですか」

「聞いてくれよ! 小学校の時なんか給食のじゃんけんに一回も勝ったことないのにPTA委員長決める四十分の二くらいの確率のくじに六年連続当たったんだぞ! まるで陰謀だよ! アメリカの大統領の仕業だと何度疑ってかかったことか! いつかハリウッド映画みたいなドンチャン騒ぎに巻き込まれると周囲を警戒してはや四十年、公共の建物にスプレー吹きかけてるんだぜ! ハハハ!」

「『アノジケンノシンソウ』ってなんですか!」

「中学の時なんて、」

「聞・い・て・ま・す・か!」

「聞いてる聞いてる、そんなことより聞いてくれよ。中一の時なんてさあ、クラスに八人もオカマがいて」

「もうやめてください! お願いだから!」握った手を思いっきり振り払った。「俺の話を! しっかり! 聞いてください!」


 ああ、やばい。殴りそうだ。司馬孝明、一般人を殴って暴行の容疑で逮捕。事務所の社長がカメラの前で頭を下げ、フラッシュがたかれる。師も何かしらの発言をするに違いない。


 ああ、また職業病が出た。「いいですか。『アノジケンノシンソウ』ってやつを話してください。警察呼びますよ」

「脅しかよ。芸能人が」

「脅しですよ。芸能人でも」

「あんた、名前は?」

 また話を逸らされた。「……司馬孝明です」

「なるほど。「ししおどし」ならぬ、「司馬脅し」か。面白いじゃねえか(笑)」

「面白くないです」

「そんなことより出席番号順に席に着いたら周り八人がそのオカマだったんだよ。定期テストの度に臭いオカマに囲まれるんだぞ。最悪だろハッハッハッ」

「面白くないです」

「面白くないか?」

「面白くないです」

「面白くないか、そうか……よし、とびっきり面白い話をしてやろう。中二の時にさあ」

「もうやめて!」


 その後、四人でババ抜きしたら手札が見事に十四枚(一~十三+ババ)で最初の時点で一枚も捨てられなかった話や、好きになった女の子がオカマと付き合っていた話などを延々と聞かされた。

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