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作者: 缶切り

落ちも何もありません。

夜目が覚めた。

鼻の先をささやかに通り抜ける空気は冷たくて、暖かい布団の中で、催していることに気が付いた。

『行きたくないでござる。絶対に行きたくないでござる。冷たいし廊下嫌』

身体を丸めて、布団の中でお腹を温めていれば自然の呼び声が治まってくれるかと期待したが、どうにもすっきりしないことには眠れないようだと見切りをつけたので、頭の方から抜け出して、筒状に膨らんでいる掛布団を床が冷めないよう抑えて平らにしてから、襖を開いた。

見慣れた庭石も灯ろうも、闇の中ではよそよそしく見えて嫌だった。

まるで庭を囲む垣根よりも向こうから、なにかを迎える為の心構えをしているような、ただの錯覚が怖かった。布団に戻っても体が温もるまでは不安だ。

廊下を渡って、突き当りの木の扉を開けると暗くて冷たい穴がある。

どういう訳か汲み取り式じゃないけど、下から微かに水の音がして、夜は肝も腹も余計に冷える。

いつの間にか用を足しても、布団の中に戻るまでは緊張を保つために声は一切出さない。

(かわや)の扉を開けて、廊下の冷たさを感じながら月を見上げた。

三日月の暗いところの形をした、少しだけ欠けた円にうっすら虹色の輪がにじんでいた。

今日寝たら多分、また見たときに思い出すんだろうと思った。

夜に厠に立った時の記憶は一晩寝ると終始ぼやけていて曖昧になる。

「ろくちゃーん、そんなとこ突っ立ってどうしたの」

「……」

何も気配のなかった廊下の先から、不意にだるそうな低い声がして、

微かな恐怖を覚えたが、しきりに脅かそうとするあれにはもういい加減なれている。

「…暗がりに立たないでよ、九…ええと…」

いまいちよく見えない人影はほんの少し首をかしげた。

「うん…?少しは驚いたのか?ありがとう。九郎右衛門。九郎右衛門、九郎右衛門。ほら」

促されて、廊下の先に立つ大きな陰りの言葉を復唱する。

「九郎右衛門、九郎右衛門、くろうえもん」

「俺の名前、そんなに覚えにくいか?失礼にもほどがあるだろう。今まで何回位復唱した?」

「三…四十回かなあ」

「その調子で名前も覚えなよ。それで?夜は嫌いなんだろう、どうしたんだ。

何か変なものでもいたか?」

私はじっと九郎右衛門の顔を見つめた。『何か変なもの』そのものが何を言っているんだろう。

突っ込み待ちだろうかと表情をうかがうが、どうも言葉以上の意味はないようだった。

「いないよ。九郎右衛門さんこそ、厠使うなんて知らなかった。お腹冷やした?」

九郎右衛門は目で笑って、首を横に振った。

「まさか。我が家の厠はろく坊と客しか使わんよ。

脅かしてやろうと部屋で待ってたのに帰ってこないんだもの。

何だと思って見に来ればぼけーっと立ち尽くしてるし、こっち見ても反応薄いし。

おじさん拍子抜けしちゃうなー…」

「童か」

「そりゃお前だ。脅かし専門って訳じゃないが、俺を怖がらずして何を怖がる」

「犬とか、暗闇とか、病気とか」

「ふぅん。暗闇の権化は怖くないのかい」

夜着以外、暗闇に紛れて半ば見えない黒い影は、

硬い足で床を傷つけないように、静かに私の傍まで来る。

「…九郎右衛門さん以外なら、こわい」

「さらっと酷いことを…ろくー、そりゃ侮辱だよ」

肩を落とした九郎右衛門を見ていると、出かかった言葉が引っ込み申し訳ない気持ちがわいてくるが、ここはあえて言っておこう。

「まともに話が出来て害意がないんじゃ、怖がる理由がないよ」

九郎右衛門は私の前にしゃがみ込み、仕方なさそうに笑って視線を合わせて言う。

からすの目は円らだけど、九郎右衛門の目は人間じみていて、硬い嘴の端の皮膚を釣り上げている。

私は彼に出会って、初めて笑顔が作れる烏がいることを知った。

「まぁ、お前じゃそうなるかね。…また手が冷えてるじゃないか、馬鹿だな」

そう言って私の手を握る大きくて硬い九郎右衛門の手は暖かくも冷たくも、温度自体が無い。

私の手がかじかんで感覚が麻痺している訳じゃないが、慣れている。

「同情するなら添い寝に猫をおくれ」

九郎右衛門は一瞬間をおいて、私の頭を軽く叩くように撫でた。

「猫にも都合があるからな。

それよりはやく部屋に戻ろう、ろく坊。寝付くまで傍にいてやるよ」

烏天狗的な妖怪さんとその家で世話になっている子供、

似非中世の日本家屋。

はい、わかりませんよね。

読んでくれてありがとうございます。

感想いただけると嬉しいです。

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