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安藤和彦の葛藤 第二話

●●


 一方剣道部の主な練習場所である武道館では、安藤と柏木がいつも通りのやり取りを交わしていた。

「ふざけんなてめえ、俺はいやだっつってんだろうが!」

「バカお前、こんなチャンスもうないかもしれないんだぞ、いいから俺の言うとおりにしろよ!」

 安藤が叫ぶと柏木が吠える。周囲の一年たちはまた始まった、といった面持ちで黙ってその騒ぎを見ている。しかし今日のそれはひと際激しく、周りの人間は冷や冷やしていた。

 二人は大体いつもつるんでいるが、同時に犬猿の仲でもあるのだ。しょっちゅう殴り合い一歩手前の喧嘩をしては、今はこの場にいない部長か副部長の雷を食らう羽目になる。……いやもう一人、収拾をつけられる人物がいる。その光景はおよそ信じられないものではあったが。

「お前は俺の弱みを握ったつもりかもしれねえけどな、その減らず口が聞けなくなるまでぶちのめしてやってもいいんだぜ?」

「てめえこそいい加減口の聞き方を覚えやがれ、ひとの気遣いも理解できねえ猿が……!」

 互いの拳が乱れ飛ぶその刹那、一つの人影がようやく重い腰をあげた。ある者の目には、その姿には後光が差しているように映った。

 手に持った竹刀を安藤の足に掛け彼をすっ転ばし、今度は柏木の腹にそこそこ重い一発を決める。

 転倒した安藤とうずくまる柏木を見下ろしながら、彼女は一言。

「喧嘩両成敗……!」

 同時に歓声と拍手が湧き起こる。こんな芸当ができる人間は、探したところでそうそう見つかるまい。

「楓ちゃん、お見事ォ」

 いつの間にやら戻ってきていた榊が声をかける。楓と呼ばれた人物は、振り返りしかめっ面をしてみせた。

「先輩達がどっかに行っちゃったから仕方なく。私だってこんなことしたくないです」

「……だってさお二人さん。やっぱり次期部長は君が一番適任かもね」

 楓は一年生でありながら物怖じしない豪胆な少女だった。と言っても決して礼儀を知らないわけではない。目上の者に対してはきちんと敬語を使うし、普段の様子は控えめでどちらかと言えば物静かだ。だがこうして目に余る事態が起こった場合には、黙々と、率先して動く。愛想を振りまくようなタイプではないので一見取っつきづらい印象を受けるが、今では部活でもクラスでも一目置かれる存在だった。

「うう……柏木があんまりしつこいから……」

 ようやく起き上がった安藤の鼻は真っ赤で、目には涙が滲んでいた。柏木は柏木で俺はお前のためを思って、とかなんとか呻いている。

「おい、楓ちゃんはじめみんなに迷惑かけてんだぞ。なんか言うことないのか?」

「「……すみませんでした」」

 二人は正座し、揃って頭を下げた。息が合っているのかいないのかよく分からないコンビである。

「しばらくそうやって反省してろ。……ちなみに喧嘩の原因はなんだ」

 昨日の今日なのでおよその見当はついたが、榊はあえて尋ねてみた。

「…………。言えません」

 やっぱりな――その返答で概ね理解した。つまり事の発端には、傍らにいる楓が絡んでいるのである。

「まあいい、みんなあがっていいぞ。楓もお疲れさん」

「お疲れ様でした。失礼します」

 楓の後に続くようにして、各々が頭を下げて武道館から出ていく。

「さて……」

 三人になったところで榊が口を開く。

「今日はカツ丼はないぞ。むしろお前らが俺におごれ」


「だから俺は提案しただけですって。花火大会なんて絶好のチャンスじゃないですか、ねえ?」

 柏木は俺は悪くないと言わんばかりに、拗ねたような口ぶりで言い訳を始めた。

「いや、でも、もう他の子と約束してるかもしれないからやだって言ったのに、こいつ聞かないんすよ。そもそも花火なんかに誘う時点でコクってるようなもんだし!」

 例の三人――ではなくもう一人、仏頂面の稲葉を含む四人はファーストフードにいた。

「あーもーわかったわかった。じゃあ安藤は今回は諦めるんだな?」

 榊はやや強引に話をまとめにかかる。

「あきらめるっていうか……」

「なっさけねー。それでも男かよ」

 柏木はポテトを摘まみながら、思いっきり白い目で安藤を見る。柏木の言うことももっともだが、これではさすがに安藤がかわいそうだ。榊はちらりと横にいる稲葉を見たが、彼はひたすらだんまりを決め込んでいた。

「……俺、確かに楓のことは好きだけど、別に付き合いたいとかそういうんじゃないんですよ。一緒に部活やってたまに遊んだりして、それで十分なんです」

 安藤の訴えは切実だった。確かに特定の誰かと付き合っている楓の姿は想像しにくかったし、まして楓と安藤が彼氏彼女の関係になるなどほぼありえない話だろう。柏木は安藤がフラれるのを見越していて、安藤を笑い物にしたいのだろうか。いくら柏木がひねていてもさすがにそれはないはずだ。やはり純粋に友人を応援したくて、今日だって懸命に勧めたのだ――来週の花火大会に楓を誘え、と。

 はあ……大きな息を吐いたのは、会話に一切参加しようとしなかった稲葉だった。

「俺が訊いてやるよ……もう誰かと一緒に行く約束をしてるのかどうか」

 三つの視線が稲葉に集中する。

「行く相手が決まってるんなら、仕方ないから諦めろ。もし決まってないならその場で誘ってみる。向こうに着いたら二人っきりにしてやるから、後はお前次第だ」

「先輩……気持ちは嬉しいっすけど、でもおれ」

「だからお前次第だって。気持ちを伝えるのか、伝えないのか。今の関係のままでいいのかそれとも先に進みたいのか。じゃあ俺、塾があるからこれでな」

 そして稲葉は立ち上がった。テーブルに千円札を二枚置いて。その表情にはなんだか有無を言わせぬ気迫があって、誰も声をかけることができなかった。

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