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榊猛の狼狽   第五話

●●●●●●●


 榊は考えていた、茜と別れようと。その答えが、彼女の気持ちに対する精一杯の誠意だと思った。茜には“彼女”という肩書きがあるだけで、その位置付けは榊にとって“その他大勢”とたいした違いはない。

 ……つくづく冷めた自分が嫌になった。では剣道部の仲間たち、そして楓に対してはどうだろう。あいつらはよくも悪くも若い、輝いている――当然と言えば当然のことだったが。自分はいつも一歩引いて、彼らを眇めるような目で見ては軽く息を吐く。呆れているようなスタイルを取りながら、実は誰よりも羨んでいるのだ。そんな自分が彼らと肩を並べて歩くのは躊躇われたけど、それでも同じ場所にいたいならなりふり構わず走るぐらいがちょうどいいのかもしれない――あの日の楓のように。

 茜に別れを切り出すにはどのタイミングが適切だろうか。彼女は泣いて取り乱すようなことはないだろう、内面は意外と脆いのかもしれないけれど。ここ数日そんなことを考えていたせいか、また少し気が重い。どうやら安藤も本気で楓を好いているようだし柏木は安藤に告白しろとハッパをかけるし。それは構わないが、せめて自分たちが部活を引退するまではこのぬるい関係を楽しんでいたかった。そういう自分も煮え切らない稲葉に対し、若干の苛立ちを感じてはいるのだが。自分で自分がよく分からなくなって、自嘲の笑みを零していたとき。

『You gotta mail!』

 榊の携帯電話はほぼ初期設定で、メールを受信すると機械音声で知らせるようになっている。不精なので携帯をほとんどいじらないのだ、まあそれはともかく。

 開いてみる――予想通り、茜だった。

『猛くん、もうすぐ花火大会があるよね。でも練習があるから一緒には見られないかな?』

 要約するとこんな内容だった。文面から読み取れるように、茜は最大限気を遣っているのだろう。……やはり互いに限界なのだ、もしかしたら気づかないうちにそれすら越えてしまっていたのかもしれない。榊は電話をかけることにした、ケリを着けるために。本当はきちんと顔を見て話したかったけれど。

『もしもし、猛くん?』

 ずぼらな榊とは対照的に、茜はすぐに電話に出る。そんな些細なことすらも、今の榊には負い目に感じられた。

「……あのさ、ちょっと話したいことがあるんだけど。今大丈夫かな」

『大丈夫じゃないよ』

 えっ――? 間髪入れずそう返ってきたので榊は困惑した。二の句を告げる余地も与えず、茜はまくしたてた。

『猛くんはいつもそうやってあたしを馬鹿にしてたね。何も気づかないとでも思ってるの? おめでたいね』

「…………」

『責めてないよ、別に。形だけでも猛くんは付き合ってくれてたからね。いつも心ここにあらずって感じだったけど、最近は特に――』

「茜」

 榊は叱責を遮った。咎められるのは構わないのだ、自分にも非があったことは知っている、開き直るつもりもない。……でも、そんなことより言わなければならないことがある。

「好きな子が出来たんだ」

 沈黙が続いた。

『……そう、良かったね……』

 良かったのだろうか、よく分からない。だが悪いことではないのだろう。

『じゃあせいぜいその子のこと、大事にしてあげてね』

「いや、まだ片思いだぜ」

 言ってしまってから猛烈な恥ずかしさに襲われた。かたおもい……稚拙な響きだ。決して嘘ではないが、これから両想いになることなどあり得るのだろうか。そんなことを考えていると、茜が受話器の向こうで声をあげて笑った。

『じゃああたしの気持ちを味わうといいわ。ふふ……ああ、でもすっきりした。花火は友達と行くことにするよ』

「うん……ごめんな」

『花火をバックに告白すれば女の子はまず落ちるだろうね、玉砕するのを楽しみにしてるから頑張って』

 たまやだけにってか、というくだらない洒落が浮かんだが、それを口にすることはしなかった。まあ確実に玉砕するだろう……俺ではなく安藤が。

『……じゃあね、猛くん』

 ツー、ツー、ツー。通話が切れた。よかった、けじめをつけられた……そんな安堵感と同時に、確実に何かが抜け落ちたような空虚感があった。茜は茜で、榊の内側において大きなウエイトを占めていたのだ。では茜にとっての榊は。彼女の気持ちを思うと目が潤む程度には、榊にも感受性があった。それを確認出来ただけでも、彼女の存在には感謝するべきだ。

 翌朝、いつもの待ち合わせ場所に足を向けることはしなかった。哀しくなることを知っていたからだ。


●●●●●●●●


『……そういうわけだけど、俺が責任を持って送り届けるから。あ、安藤に謝っといて。約束守れなくてごめんって』

 花火大会は予想外の展開で幕を閉じた。稲葉と楓はくっつくでも離れるでもなく、結局五人の関係は何も変わらなかった。結果として楓が足を挫いて、夏の地区大会に出られなくなっただけだ。

 大会は若園学園の準優勝という華々しい成果を収めた。あるいは楓が参加していれば――というのは結果論だ、どうにもならないことだが、しかし誰もがそう思ったに違いない。

 楓は左足に包帯を巻き、ぴょんぴょん跳ねながらも応援に駆けつけた。その姿が痛ましくて、だからというわけでもなかったが榊は自分のポテンシャル以上の力を発揮して個人優勝をもぎとった。稲葉は不調だったのだろうか、準決勝で惜しくも敗れた。それで優越感に浸るほど榊の根性は腐っていない、純粋に、心から悔しいと思った。

 この大会の幕引きでもって、榊と稲葉は剣道部を引退することになる。感慨深かった。やり切った、という達成感もあった。

「次の部長を発表しておく。――主将、安藤和彦。副将、柏木智輝。よろしく頼む」

 稲葉がそう声を張り上げたときは、誰もの目が点になった。もっともおかしかったのは当の本人である安藤の反応だ。口を開けて文字通りぽかんとしている。

「異論があるのか? 自信がない?」

 稲葉は安藤の顔を見ながら問う。安藤は首をぶんぶんと振る。

「いや、そうじゃないけど、でも……」

 安藤はしばらく逡巡していたが、下を向いたまま「……がんばります」とだけ言った。

 それから花束が手渡された――どういう手順になっていたのかは知らないが、榊には柏木から、稲葉には篠塚から。篠塚は涙目になっていて、「俺がやってこられたのは先輩たちのおかげです」と心からの謝辞を述べた。根は純朴でいいやつなのだ。

「……楓ちゃん?」

 榊は見た、楓が泣いているのを。声を上げるでも肩を震わせるでもなく、静かに涙を流していた。大会に参加出来ないことが悔しかったのだろうか、それとも稲葉と離れることが寂しかった――? 楓の気持ちは誰にも推し量ることが出来ない。もしかしたら彼女自身分かっていないかもしれない。思わず抱きしめてやりたくなったが、まさかみんなが見ている前でそんなことは出来ない。何よりそれは隣にいる稲葉の役目だろう、その光景を想像したら胸が締め付けられる思いがしたが。

「……あいつ、結構泣き虫なんだよ」

 稲葉のつぶやきを耳にした榊が、嫉妬に駆られたことは言うまでもない。


 顔を上げると、突き抜けるような夏の空があった。何故か泣きそうになったけど我慢した――楓の泣き虫がうつったのだろう、と榊は勝手に思った。




ご拝読ありがとうございます、榊猛編でした。


次は剣道部の外から、各剣道部員の普段は見られない一面に迫っていきます。日向でも茜でもない新キャラが登場しますので乞うご期待。


読んで下さる皆様と、作品を発表できる場があることに感謝を込めて。

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