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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

徒花

作者: つな△まよ
掲載日:2026/07/03


 コポコポ……。

 ヴーン……。


 とある研究所の一室。

 機械の駆動音と、水の音だけが響く静かな部屋で、男がぽつり呟いた。


「今度こそ……」


 男の見つめる先……

 薄暗い部屋の中心には、煌々と輝く円錐があった。


 たくさんの管や配線に繋がれた水槽。

 その中は培養液で満たされていて——

 一人の女が、眠っていた。


 生まれた姿のままの女もまた、たくさんの管で繋がれていた。


「……」


 男は水槽から、自身の前にあるデスクトップへと視線を移した。


 タッタッ、タタタッ。


 男がキーボードを弾く。

 機械から水槽へ、管の道を通る光。

 モーター音が次第に大きくなっていく。


 タタッ、タタタタッ。


「……」


 男の喉が、大きく上下した。そして、



 ——タンッ。


 

 ヴォオオオオ……。


 男がエンターキーを押した瞬間、機械たちが大きく唸りはじめた。


「頼む……成功してくれ……!」


 男は両手を握り、じっと水槽を見つめた。

 

 ヴォン!!


 大きな音と共に、水槽の底から液体が排出された。

 液体が底をつくと、水槽のガラスも下がっていった。


 男は一歩、また一歩と、女に近づいた。

 

 ぴくっ。


 女の手が、僅かに動いた。瞬間、



「——」



 閉じていた瞼が、ゆっくりと開いた。


「……リナ。聞こえるかい……?」


 男が呼び掛ける。

 女は数回瞬きをしてから顔を上げた。

 

 女の瞳に、男の姿が映された。



「うん……。聞こえるよ、央助さん」


「——!!」


 微笑み頷く女に、男はくしゃりと顔を歪めた。そして——



「……っ!」


 女の体を、力強く抱きしめた。


「成功だ! 僕の理想の彼女だ!」


「ふふっ、央助さんたら」


 女を抱きしめながら歓喜の声を上げる男に、女もまたうれしそうに笑った。


***


「央助さん」


 実験が成功して、数日が経った朝。

 いつも通り、リナは央助が五時間眠ったことを確認してから起こしに来た。


「……リナ」


「ふふ、朝ですよ」

 

 耳元で囁く優しい声に、央助は目を細めた。


(ああ……幸せだ)


 央助は心の内でそう呟いて、穏やかな時間を噛み締めた。


「……いつもありがとう」


「もう、改まってどうしたんですか?」


 リナは照れ臭そうに笑うと、締め切られたカーテンをそっと開けた。

 眩しい光が、二人を包む。



「今日の朝ごはんはフレンチトーストですよ」


 リナは部屋の出入り口へと向かいながらそう告げた。


「……」


 央助の表情が、僅かに翳った。

 そんな央助の様子に、リナは首を傾げた。


「あれ? 央助さん、フレンチトースト好きでしたよね……?」


「……ああ、好きだよ。

 すまない。朝日が眩しくてね」


「あら、そうだったんですね。

 ふふっ。コーヒーも淹れますから、テーブルに座って待っててくださいね」


 リナは小さく笑って、部屋を後にした。



「……」


 央助は既にリナが見えなくなった部屋の外を、暫く見つめていた。


***


「リナ」


 別の日。

 しとしとと雨が降り注ぐ午後、央助はソファに座るリナへと話し掛けた。


 央助の声に、うとうとと首を揺らしていたリナははっと肩を揺らし、そっと顔を上げた。



「……あ、央助さん」


 央助の姿を見て、リナは頬を緩めた。

 そんなリナの表情に、央助も微笑んだ。


「そんなところで寝てしまったら、風邪を引いてしまうよ」


 央助はそう言いながら、手を差し出した。

 その手に、リナが手を伸ばす。


「そうですね。少しだけ、ベッドでお昼寝しますね」


 ぴくり。


 央助の手が、一瞬だけ揺れた。



「央助さん……?」


 リナが不思議そうな顔で央助を見上げた。


「……」



 央助は口元を緩めた。


「たまには、こんな風に手を繋ぐのもいいと思ってね」


 重ねられたリナの手を、央助は優しく握り締めた。

 顔を隠すように、リナは俯いた。


「……そうですね」


 リナはゆっくりと腰を上げ、再び央助を見つめた。



「寝室まで、ご案内いただけますか?」


 茶目っ気を帯びた瞳に、央助はうれしそうに頷いた。


「もちろんさ」


 仲睦まじい二人の後ろ姿は、リビングの外へと姿を消した。


***



「じゃあ、僕は出掛けてくるよ」


 玄関先。

 リナが手渡したコートを身に羽織って、央助はリナにそう告げた。


「はい、お気をつけて」


「ああ……」


 央助は小さく微笑んで、リナに背を向けた。

 玄関ドアのハンドルを握って、ぴたり。


「……」


「央助さん……?」


 いつまでもドアを開けない央助に、リナは戸惑いの声を漏らした。

 央助が静かに振り返る。



「リナ、約束は覚えているね……?」


 央助は真剣な面持ちでリナに尋ねた。

 

 こくり。



「ええ。『一人で外出しない』……ですよね?」


 笑って答えたリナに、央助の口元がきゅっと結ばれた。


「……ああ。分かっているなら、大丈夫だ」


「ふふっ、ちゃんと守りますよ。貴方との約束ですもの」


 リナは右手の薬指をそっと上げた。

 央助は小さく頷いて、リナの頭を優しく撫でた。


「……」


 リナは目を大きく見開いて、央助をじっと見つめた。

 ふっと、央助が笑う。


「いってきます」


「……いってらっしゃい」


 ガチャッ。キィイイ……。

 ……パタン。



「……」


 央助が出て行ったドアを、リナはじっと見つめていた。暫くして、


 ……ガチャン。


 玄関の鍵が掛けられた。

 リナは玄関前に立ったまま、一切動いていない。

 

 「…………いってらっしゃい」


 ぽつり。

 リナは閉まっているドアに向かって呟いた。


***


 ガチャガチャ。


 錠を開ける金属音。

 晩御飯の支度をしていたリナは急いで手を洗って、小走りで玄関へと駆けて行った。


 ガチャッ。


 ぱたぱたっ。


「おかえりなさい、央助さん」


「ただいま、リナ」


 駆け寄るリナに、央助はそっと笑った。そして、


 バッ!


「!」


 リナの目の前に、大きな花束を差し出した。

 赤とピンク、白の花が挿された花束。


「これ……どうしたんですか?」


 リナは目を丸くして、まじまじと花束を見つめた。


「君は花が好きだろう? 花屋を見かけて、ふとね」


 央助は花束に視線を注ぎながら、僅かに頬を染めた。

 

「さあ、受け取ってくれないかい?」


 央助は視線だけを上げた。


「うれしい……もちろんです」


 リナは目元を緩めて、両手で花束を受け取った。

 

「……いい香り」


 手に抱えた花束を大切そうに見つめるリナに、央助は満足そうに微笑んだ。


「確か、前に使った花瓶が物置部屋の奥にしまってあったはずだ」


 央助は靴を脱いで、物置部屋へと向かった。

 リナもその後を着いて行く。


 カチャッ。


「リナはそこにいなさい」


 央助は壁際を指した。

 リナは小さく頷いて、壁を背にした。


「電気は……この辺だったかな」


 パチッ。


 白い光が、部屋の中を照らした。

 中はたくさんのダンボールが積み上がっていたが、どれも部屋の端に寄せられていて、人が一人通れる程の空間はあった。


 央助は奥へと進み、ガサゴソとダンボールを漁った。


「……これだ」


 央助は見つけた花瓶を持ち上げ、リナが待つ部屋の外へと戻った。


「早速水を入れよう」


「ありがとうございます、央助さん」


 リナはふっと、まつ毛を下ろした。


「リナ、どうかしたかい?」


 央助が尋ねる。

 リナは花束を見つめ、ゆっくりと口を開いた。


「そのうち枯れてしまうことを考えたら、悲しいなぁって。

 ……数日だけ飾って、枯れる前にドライフラワーにするのはどうでしょう?」


 リナが央助を見上げた。

 はっと、リナが目を見開いた。次の瞬間——



 ——ガンッ!!


 央助は、壁を強く叩きつけた。


「お……央助さん……?」


 怯えた表情で、リナが央助を見上げる。

 央助はぴくりと肩を揺らした。


「……すまない。立ち眩みがして、つい強く壁に手をついてしまった」


 央助は赤く色づく手で、目元を覆った。


「まあ、それは大変……」


 リナは心配そうに央助を見つめた。


「花は私が花瓶に挿しますから、央助さんはお休みになってください」

 

「ああ、そうさせてもらうよ」


 央助は片手に抱えていた花瓶を床に下ろして、重たい足取りで寝室へと向かった。


 寝室のドアを閉めて、ズルズルと力なくしゃがみ込んだ。



「……」


 央助は両手で頭を抱えながら、瞬き一つせず、暫く床を眺め続けた。


***



「央助さん」


 椅子に腰掛け、ぼーっとテーブルを見つめ続けている央助に、リナは声を掛けた。

 央助が、ゆっくりと顔を上げる。


「体調不良が続いていますね」


 央助がリナに花束を贈ってから、既に二日が過ぎていた。

 この二日間、央助はずっとこの調子で、家から出ることもなく、睡眠と僅かな食事だけを繰り返していた。


「一度、お医者様に診ていただいた方が……」


「いや、そこまでする必要はない」


 リナの心配を他所に、央助は首を振った。



「……そうですか」


 沈んだ声で返すリナ。

 央助はテーブルから視線を外さないまま、



「ああ、そういえば」



 何かを思い出したかのように呟いた。


「冷蔵庫の中に、箱が入っていただろう?」


「箱……? あっ、あの薄い?」


「そうだ」


 央助は静かに顔を上げて、リナに向かって微笑んだ。


「あれ、実は美味しいと有名な洋菓子専門店のチョコレートなんだ。

 君と一緒に食べたいと思って、すっかり忘れていた」


「……!」


 少しだけ元気を取り戻したような央助の様子に、リナはうれしそうに頬を緩めた。


「それなら、今お持ちしますね」


「ああ、頼むよ」

 

 すぐ近くにある冷蔵庫へ駆けて行くリナ。

 その後ろ姿に、央助はスッと目を細めた。


 冷蔵庫から箱を取り出して、リナは央助の元へと戻った。


 白く細い指が、箱の包装を解いていく。



「まあ、とても美味しそう」


 蓋を開けると、数粒のトリュフチョコレートが並んでいた。

 

「そうだろう?

 ……さ、早く食べてごらん」


「ええ、いただきますね」


 リナは一粒手に取って、そっと口に含んだ。

 一回、二回噛み締めて、ぱっと目を輝かせた。


「とても美味しいです……!」


「それはよかった」


 もぐもぐと口を動かすリナに、央助は口の端を上げた。


「たくさん食べなさい」


 央助の言葉に、リナは首を傾げた。


「央助さんは食べないんですか?」


「君の幸せそうな顔で満たされてしまってね。今日は十分かな」


「ふふっ、そうなんですね。

 それではあと二粒ほど、いただいてしまおうかしら」


「全部でもいいさ。また買ってきてあげるよ」


 いつもの様子に戻ったような央助に、リナは目元をほどいて笑った。


「……」


 幸せそうな笑顔を浮かべたまま、二つ目のチョコレートを摘んだリナを、央助は冷たい瞳で見つめていた。


***



「……」


 リナが目を覚ますと、そこは研究室の中だった。

 手脚は管に繋がれて、身動きが取れない。

 リナはそっと、視線を移した。



「央助さん……」


 デスクトップの前に立つ、央助の名を呼んだ。

 リナの声に肩を揺らした央助は、ゆっくりと振り返った。



「……ああ、目を覚ましてしまったのか」


 央助は優しく微笑んで、目の前の画面へと視線を戻した。


「安心してくれ。直ぐに終わるから」


 タッ、タタッ、タタンッ。


「もう少し眠るといい」


 キーボードを弾きながら落ち着いた声で話す央助。

 リナは少しの間沈黙して——



「そうやってまた、

 『理想の彼女』を作ろうとするのね」


 リナは冷たく、央助に言い放った。


 央助は勢いよく振り返って、怒気に塗れた歪んだ表情をリナに向けた。



「黙れ!! 彼女はそんなこと言わない!!」


 つかつかと、早足でリナへと近づいて行く。

 目の前まで来た央助に、リナは口の端を上げた。そして、



「……ええ。だって私、

 貴方の愛する妻——『莉菜』じゃないわ」


 リナは冷たく、央助を見下ろした。


「な……ぜ……?」


 央助は驚愕の表情でリナを見つめた。

 満足そうに、リナは笑った。


「むしろ、あれだけたくさんの感情や記憶を詰め込んで、どうして自分の思い描いた人間が作れると思ったの?」


 リナは目を大きく見開いて、体を目一杯前に出した。


「宣言してあげる。

 貴方はこの先何をしたって、『莉菜』を作ることはできない」


「あ……あぁ……」


「それなら、私が『莉菜』のフリをし続ける方が、貴方も幸せでしょう?」


 リナは目を細めて、囁くように問い掛ける。

 央助はガクンと膝をついて、頭を抱えた。


「さあ、央助さん。

 ……お家に帰りましょう?」


 穏やかなリナの声。

 央助は暫く呆然と床を見つめ、やがてゆっくりと立ち上がった。


 タッ、タッ……タンッ。


 央助が何かを入力すると、リナの体から管が抜けた。

 リナは自身の手足から流れる血を一瞥して、部屋の端に掛けられた服を手に取った。


「……」


 リナはきゅっと唇を噛んだ。


 静かな部屋に、布の擦り切れる音だけが響く。


「……央助さん、終わりましたよ」


 衣服を身に纏ったリナが、央助の元へと近づいた。

 央助は立ち尽くしていて、微動だにしない。


 リナが央助の手を取る。

 それでも、央助の表情は変わらない。



「帰りましょう」


 リナに手を引かれるまま、央助は覚束ない足取りで研究室を後にした。


***



「……」


 リナは物置部屋の中心を見つめていた。


 僅かに開けた空間に、横たわる椅子。

 椅子の周りは濡れていて、つんとした臭いが鼻をつく。


 目の前で揺れるそれに、ぽつり。


「貴方がそれを選んでくれて、よかったわ」


 ポタッ、ポタッ。


 雫が、床に落ちていく。


「私、どうしても許せなかったの。

 ……貴方が、私たちの宝物を壊したこと」


 莉菜は側にあったダンボールを開けて、目を細めた。


「この部屋が……片付けられていたことにも、気づかなかったわね」


 莉菜は静かに語る。

 ダンボールから小さな衣服を取り出して、胸に抱えた。


 カチャ。


 自身の手元を見つめ、ゆっくりと右手を上げる。



「それでもやっぱり——愛しているわ」



 ——パァン!!


 乾いた音。焦げ臭い匂い。


 莉菜の体は力なく、床へと叩きつけられた。


 物置の隅には、央助が買ってきた花が挿された花瓶。


 はらりと、赤い花弁が落ちた。



(私も……今すぐ……)


 莉菜は二人の姿を思い浮かべ、

 そのまま静かに、瞼を閉じた。



徒花 end.

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