第-1話 創まりの記録簿
こんにちは。まっちゃです。 ..書くことがないです。助けてほしい。
小鳥のさえずりで目を覚ます。窓からは暖かな光が差し込み、僕に朝を教えた。
布団を飛び出し、隣の布団で眠るアリアを起こす。それから、階段を駆け下り、両親に挨拶をする。
「おはよう、ルシウス。早いのね」
母は笑いながら、木匙で鍋をゆっくり回していた。スープの湯気が朝日に透けて、虹みたいな色をつくる。
父は支度を整え、腰に縄をかけながら僕の頭を軽く撫でる。
「今日もアリアを頼んだぞ。あの子はお前がいないと、すぐどこか行っちまうからな」
この時はまだ、父もオーブなんてものに執着していなかった。
後ろから階段を下りてきたアリアが、むっとした顔で父をにらむ。
「行かないもん……」
眠気の残るその声が可笑しくて、僕はつい笑ってしまう。
玄関の扉を開けると、草の香りが風と一緒に流れ込んできた。村の中央へ続く道は、朝日に照らされて金色に輝いている。
この景色を見るたびに思う――僕たちは世界でいちばん平和な場所にいるんじゃないか、と。
アリアが僕の袖を引っ張る。
「ねえ、今日もあれやろ。森の奥の、変な石……また光るか見たい」
「昨日も見たじゃないか」
「でも、あれ……なんか呼んでた気がするの」
いつもより少しだけ真剣な声。
けれど僕は、その意味を深く考えなかった。
森の奥で光を放つ“あの石”が、この先の世界を変える引き金になるなんて――
このときの僕たちは、そんなこと微塵も知らなかった。
―――それは地獄のようだった。
並ぶ家屋は燃え盛り、大人や家畜は悲鳴を上げ逃げ回る。子供たちは自分に迫る危機の正体も知らず、逃げ惑う。断末魔が聞こえ、ようやく我に返る。
―逃げなきゃ。
即座に反対側へ走り出す。アリアの声が聞こえ、振り返る。手をつなぎ、再び走り出した。――――
森へ向かう道すがら、村の子どもたちが石畳の広場で遊んでいた。
木の棒を剣に見立てて戦いごっこをしている子、川で小魚を追いかける子、畑仕事を手伝う子……それぞれが当たり前の朝を生きている。
「ルシウスー!今日もアリア連れて森行くのか~?」
ひとりが声を上げると、ほかの子もわらわらと僕たちの周りに集まってくる。
「森は危ないぞー!」
「昨日は石、光ってた?」
アリアは胸を張り、得意げに言った。
「光ってたよ。ね、ルシウス」
「……ああ。ちょっとだけ、ね」
本当は、あれは“光った”なんて簡単なものじゃなかった。
まるで呼吸をしているように脈動し、僕たちの影を引き寄せていた。
でも、怖いとは思わなかった。
きっと、僕たちがまだ子どもだったからだ。
子どもたちに手を振って別れ、森へ続く小道を歩き出す。
緑が濃く、鳥の声が重なり合い、どこまでも穏やか。
足元の土は柔らかく、湿った匂いが心地よい。
アリアはふと、空を見上げた。
「ねえ、ルシウス……最近、空が変じゃない?」
「え?」
「昨日も……光の模様みたいなのが見えたの。雲じゃなくて、もっと……えっと……ひび割れたガラスみたいな……」
僕は空を見た。澄んだ青空。ひびも、模様も、何もない。
「見間違いじゃないかな。ほら、寝不足だったし」
「むぅ……そうかも」
アリアは頬をふくらませて歩幅を早めた。
僕も追いかける。
――このとき空に亀裂なんて入っていなかった。
でも、“いつか本当に入る”としたら、それはアリアの方が僕よりずっと早く気づくのだろう。
そんな未来のことなんて、まだ知らないふりをしていた。
森に近づくにつれ、空気がひんやりしていく。
昼間だというのに、木々の影は深く、風が吹くと葉のざわめきがまるで囁き声のように聞こえた。
「ね、ルシウス。帰ったらさ……母さんのスープ、またもらえるかな?」
「どうだろ。昨日みたいにこっそり味見したら怒られるぞ」
「怒られてもいいもん。あれ、美味しいから」
アリアは笑いながら、僕の前にぴょんと飛び出した。
その笑顔が無邪気すぎて、僕は胸の奥がほんの少しだけあたたかくなる。
こんな日々がずっと続くものだと――本気で信じていた。
木漏れ日が揺れ、葉の影がアリアの髪に落ちる。
彼女の銀に近い淡い髪が、光を吸うようにきらきらしていた。
「こら、走るなよ。転ぶから」
「だいじょうぶー!」
そう言いながら、案の定アリアは石に足を引っかけて転びそうになる。
僕は慌てて手を伸ばし、彼女の腕を掴んだ。
「ほら、言っただろ」
「……ありがと」
アリアは照れたように微笑み、僕の手を握ったまま歩き出した。
幼い僕たちには、それがただ“手をつなぐ”という行為以上の意味を持っているなんて分からなかった。
どこか遠くで、小さな獣の鳴き声がした。
森は今日も生きている。
僕たちの知らない時間を、ゆっくりと、確実に積み重ねながら。
「ねえ……今日も、光るかな」
「分からないよ。でも、もし光らなくても――」
僕はアリアの手を少しだけ強く握った。
「僕たちで確かめればいい」
アリアは嬉しそうに頷いた。
風がそっと吹き抜け、二人の間を通りすぎる。
――この穏やかさが、永遠に続くように願いながら。
けれどその願いとは裏腹に、森の奥からは微かな脈動が聞こえていた。
それは、まだ幼い僕たちが“運命”という言葉を知る前から、ずっとそこにあった。
――息が切れてきた。倒れるようにして、地面に腰を下ろす。僕が握っていたアリアの小さな手は黒く焦げ、腕だけになっていた。
「―――――――..?」
何故だか温度が急激に下がったような気がした。視界の端に映る髪は、白銀であった。――――
「ルシウス、どうしたの?歩かないの?」
アリアの声が、霧のような悪夢をゆっくり押しのけた。
気づけば僕は立ち止まっていて、握ったままのアリアの手を少し強く握りしめていた。
「……あ、いや。ちょっと転びそうになってさ」
自分でも分かるほど、声が震えていた。
アリアは不思議そうに首を傾げるだけで、その震えに気づいていない。
「気をつけてよ。ルシウスが転んだら、私までこけちゃうじゃん」
そう言って、アリアはくすっと笑った。
その笑顔が眩しすぎて、胸の奥に残る悪寒が一瞬だけ薄れる。
森の入口に差し掛かると、木々のざわめきがまた優しい音に聞こえ始めた。
たった今まで見ていた“焦げた手”も、“白銀の髪の影”も、
全部ただの夢だったのだと思いたくなる。
「ねえねえ、今日こそ!あの石に触れるかな?」
アリアが跳ねるように言う。
「触っちゃだめだよ。母さんにも言われてるだろ?」
「むー……見るだけ。見るだけだから!」
そう言いながらも、アリアの声には期待とわくわくがあふれていた。
僕は深く息を吐き、胸のざわつきを誤魔化す。
――アリアの手は温かい。
さっき夢の中で握っていた“焼け焦げた手”とはまるで違う。
違って当たり前なのに、なぜか確認せずにはいられなかった。
「よし、行こうか」
声を整えて言うと、アリアは嬉しそうに頷き、森の奥へと踏み出す。
一歩進むたび、光が葉に反射してきらきらと揺れる。
その景色があまりに美しくて――さっきの悪夢が本当に“ただの夢”に思えてくる。
けれど、胸の奥で何か引っかかる。
白銀の髪。
焦げた手。
凍えるような空気。
“あれは本当に夢だったのか?”
そんな問いを自分に向けるたび、森の奥で光る石の脈動が、
どこか“現実と夢の境界”を揺らしているように思えた。
それでも、アリアが手を引く。
「ほらほら、ルシウス、早く!」
「はいはい……そんなに急がなくていいって」
彼女の笑顔につられて、僕は歩く速度を自然と早めた。
脈動は……まだ遠い。
今はまだ、この平和が残っている。
そう思い込みたくて、僕はアリアの手をもう一度だけ強く握った。
―――よくみれば、僕の体格は大人のものになっていた。目の前で腕となっているアリアも、少女時代のものではなかった。黒く焦げたその腕には、古代の文字列が光となって刻まれていた。―――
「……ルシウス?ぼーっとして、どうしたの?」
アリアの声が、霧の中から現実へと引き戻してくれた。
気づけば僕は、さっきまで掴んでいた“焦げた大人の腕”と同じ位置で、
今は幼いアリアの小さな手を握っていた。
「……いや。ちょっと、眩しくてさ」
アリアは首をかしげてから、太陽の方を見上げる。
「うーん、そんなに眩しいかな?今日はいつもより光がやわらかいよ?」
そう言って笑う。
その笑顔を見ていると、悪夢で見た“少女ではないアリア”の姿が一瞬だけ重なり、
胸の奥がじんわりと疼いた。
僕は無意識に、彼女の手を離してしまう。
「ルシウス?」
「ご、ごめん。ほら、早く行かないと石の場所、先に誰かに見つかるかも」
誤魔化すように言うと、アリアはぱっと表情を明るくした。
「えっ、それは困る!早く行こ!」
アリアは駆け出す。
僕はその背中を追いながら、心の中でそっと息をついた。
さっき見た光景――
大人の自分、焦げたアリアの腕、古代文字の光。
まるで未来を切り取ったような映像。
けれどここには、そんな未来を思わせる要素なんてひとつもない。
ただ、鳥の声と風の音。
森の奥から響く弱い脈動だけが、唯一の違和感だ。
「……夢、だよな。あんなの」
呟いた声は風に溶け、誰にも届かなかった。
それでも胸の奥に残るざらつきは消えない。
未来の断片なのか、ただの悪夢なのか。
判断できないほど曖昧で、冷たくて、ひどく現実味があった。
アリアが振り返り、大きく手を振る。
「ルシウスー!はやくー!」
その声に、胸の痛みはほんの少しだけ和らいだ。
今はまだ――
僕らには時間がある。
そう信じたくて、僕は彼女の元へ駆け出した。
―――走れど走れど、あたりは炎の海だった。腕だけとなってしまったアリアを、それでも離すことはできなかった。離してしまったら、もうそこですべてが終わる気がした。 死を背後に感じながらも、”安全”を求めて僕は、アリアとともに走り続けた。 比喩ではなく、死ぬ気で。―――
「ルシウス!?どうしたの、急に止まって……!」
肩を強く揺さぶられて、僕ははっと息を呑んだ。
走り続けていたはずの足は、気づけば森の細い獣道で固まっていた。
目の前には、腕のある――いつものアリア。
荒くなっていた呼吸を整えると、視界にちらつく“炎”はすっと消えた。
「……ごめん。ちょっと、また眩しくて」
「今日、変だよ?ほんとに大丈夫?」
アリアは僕の腕を掴む。
その指は小さいのに、なぜか“失いたくない”という温度だけは、大人の夢の中と同じだった。
僕は喉の奥がひりつくのを感じながら、笑ってみせる。
「大丈夫。ほら、石を探すんだろ?」
「……うん。でも、無理しないでね」
アリアはまだ心配そうに僕を見つめたまま、歩き出した。
その背中を見送る一瞬、僕の掌にはまだ“焦げた腕の感触”が残っている気がした。
この森は、いつも通り。
空も、風も、陽の匂いも、何ひとつ変わらない。
でも――
「なんで、あんな夢……」
呟いた声は、さっきの炎の海よりもずっと冷たく、自分でも驚くほど震えていた。
それでも、アリアが振り返って笑うと、
その震えだけはたしかに遠のいていった。
僕は歩幅を合わせるように、アリアの隣に並ぶ。
今だけは、未来の影に触れなくていい。
まだ、ふたりには何も失われていない。
そう思いたくて、僕は彼女と森の奥へ進んだ。
―――奥へ奥へと進むほど、辺りは朽ちていった。木々は灰色の皮膚を剥がされるように崩れ落ち、地面は脈打つように沈み、腐臭とともに風が、どこからともなく逆流してくる。それなのにアリアは――楽しそうだった。
「ほら見て、ルシウス。全部、枯れちゃってる……!」
跳ねるたび、足元の灰が舞い、空へ吸い込まれるように消えていく。その姿は“当時のアリア”ではなく、いつの間にか大人に近づきつつあった。声だけが、あの頃のまま幼く響いている。
やがて、“光る石”があったはずの広場に出た。そこにはもう、石はなかった。 ―黒い影が、ぽつりと立っていた。
人のようで、人ではない。闇が人の形を模しただけのような存在。だがその腕だけが、異様に白かった。まるで炎に焼かれる前の“彼女の腕”を思わせるほど。
影は、その白い腕で――あの光る石を握っていた。脈動が、僕の心臓と同じリズムで鳴る。
その石は、まるで僕の名前を呼んでいるように震えていた。影がゆっくりと顔らしき部分をこちらに向ける。
「返して、ルシウス。」
声が二重に割れ、幼いアリアと大人のアリアの声が同時に重なった。
「あなたが、それを壊す前に。」
次の瞬間、僕の足元の地面がぱきぱきと割れはじめた。―――
何が現実で、何が夢なのか。はたまた、すべてが現実なのか。夢なのか。このエピソードを見ていることも夢なのかも。
ではまた、第-2話で。




