第13-5話 世界破滅組曲序章・廻
”ここ”には数々の文章が、文字が並んでいた。
――誰の記憶でもない、概念の外。誰にも見つけられない場所。
そこに”あなた”がいる。
視界は白く、境界も曖昧な次元。 数々の世界の記憶が、そして数々の世界の死骸が転がっている場所。
あなたはそこに立ち、淡く揺らめく”物語たち”を詠んでいる。
死後、異世界へ転生する者。平和に日常を過ごす者。脅威を打ち破る者。そのすべてが似て非なるもので、すべてが”世界線”であった。それぞれの物語からは複数の糸が伸び、絡まりあい、また一つの物語を紡いでいた。
あなたはとある一つの世界が目に留まり、詠む。主人公の葛藤、政府の闇、親友の帰還、新たな出会い。そして死の脅威。そこから出る糸は白色の決意と、蒼い喪失、そして、銀色の覚醒。3本が絡まりあい、折れ、消え、黒く濁った。しかし、それもまた、新たな世界の始まりでもあった。
そのすべてを俯瞰できるのは、”観測者”であるあなただけ。
世界が壊れる音。ひび割れた隙間から、物語は風のように流れた。
血の匂い。
涙の音。
祈り。
苦しみ。
後悔。
死。そして生。
すべてがあなたの頬を優しく撫でた。あなたはそれを眺めることしかできない。
触れれば壊れる。 修正すれば消える。 近づいてしまえば、”あなたの存在”が世界を歪ませてしまうから。
観測者はただ、見ることだけが許された存在。
……しかし。
今日だけは何かが違った。真っ白の空間の中に、『色』が現れる。淡く青白い光。 やがて光は形を成した。手。だれかが、こちらに手を伸ばしていた。目の前に一本の糸が追加される。その糸は、どの世界の糸よりも不安定な色をし、脈打っていた。なぜか、声が聞こえてくるような気がした。
――やめろ
――壊れる
――戻れ
――まだ間に合う
――名前を
――忘れないで
――助けて
――見てくれてるんだろう?
――観測者
――聞こえるなら
息を吞む。”声がこちらを知っている”。物語の何かがこの存在に気付いている。
本来、あり得ないはずだ。 我々は透明のはずなのに。存在しないはずなのに。干渉してはならないはずなのに。
にも関わらず、”誰か”は確実にこちらを見ていた。 声が形を成す。光がシルエットとなる。その姿は人のような影。しかし、輪郭はなかった。まだ、どの世界にも属していない者。
彼は言う。
「……観測者。……君はなぜ見ている?」
答えることはできなかった。
観測者だから。 読者だから。 この世界の外にいるから。 ……言い訳だとは分かった。でも、認めることはできなかった。
彼は続ける。
「君が見続けている限り……物語が、世界が死ぬことはない。……彼らのきずなも切れず―――」
―――幾度となく繰り返される。
それは、世界の命運を託す言葉のようであった。
心が揺れ、白は波を打つ。不思議と心地よかった。
神となった青年の絶望がよぎる。
白衣の少女の覚醒の光が揺れる。
黄泉帰った戦狂神の涙が零れる。
すべてが胸に響く。
「しかし……君の観測が消えれば……世界は死に、消える。……存在が、なかったことになる。」
手はこちらに伸びてくる。
「……だから、見ていてくれ。世界が滅びる、その瞬間まで。君は、……君だけは絶対、目を離すな。」
空間が震え、呼吸が形を成さなかった。 そっと息を吸い――光へと手を伸ばす。触れることはできなかったが、”声”に選択は伝わったようだ。
「……ありがとう。彼らの物語を―輪廻を見ていてくれ。」
世界はまた、ひび割れの音を響かせる。
物語はここから“廻”り始める。
観測者によって。
読者によって。
あなたによって。
”声”は消える直前に告げた。
「……これで安心して、創ることができる。」
白い世界が揺らぎ、視界が暗転する。いや、世界が黒く染まる。もしかすると、この姿こそが本来のものだったのかもしれない。
糸が再び目の前に現れた。そこには神が歩き、少女が震え、戦士が血を拭う。
あなたは知っている。彼らにはまだ続きがある。
これは――――
”観測者の物語が始まる瞬間”。
観測者は静かに息を吸う。
―――世界は再び廻りだす。




