第13-4話 世界破滅組曲序章・絆
―――世界が、軋んでいる。
石畳を踏むたび、その振動が骨にまで染み込んでくる。
フォーローン北側防衛線──そこはもう、王国の境界線ではなかった。
空は裂け、地面は黒い霧に浸食され、あらゆる物が“死”の色を帯びている。
水ノ神となった今でも、この異様な寒気は拭えない。
「……また、増えているな。」
丘の下で、無限に湧き上がるアンデッドの群れ。肉が崩れ、骨が露出した者。顔を失い、黒い液体だけで形を保つ者。
世界が壊れ始めたときに最初に生まれる“災い”──死した命が秩序を失い、永久に歩く亡霊。
水流で身体能力を強化し、ルプスは黒いサイスを握りしめた。
そのとき、背後に声。
「ルプス殿ッ!」
振り返ると、そこには部隊の中で最も信頼していた男、
フォーローン第三部隊副隊長 ザイレン が駆け寄ってきた。
年齢はルプスより一つ上。無口で、愚直で、誠実。
そして何より──
「数少ない、ルプスに仕事を任せられる部下」 だった。
「ここは危険です、後退を──」
「いや。むしろ前へ出る。後部隊を逃がせ。ここは俺が引く。」
「……了解です、ルプス殿。」
ザイレンは最敬礼し、部下を率いて前線へ消える。
その背を見送りながら、ルプスは頬をかすめるような“ひび割れた風”を感じた。
胸が、ざわついた。
(アリア……ルシウス……どこで何が起きている?)
世界がひび割れる音がするたび、彼らの名が浮かぶ。
理由はわからない。だが、確実に“終わり”へ近づいている予感だけが胸に刺さった。
そのとき──
――ゴポ……ボゴッ……。
丘の上が揺れた。
巨大な影が地面から競り上がる。
肉塊と骨の混淆でできた、破滅特有の“集合アンデッド”。
その中心に──
「……人、か?」
ひときわ大きく、明確な人型のシルエット。
そして胸の奥で赤黒く輝くのは──
――”堕”のオーブ。
(あれは……あのオーブは……!)
オーブを取り込み、肉体も精神も反転し、
アンデッドの核そのものにされている、その背中には、見覚えがあった。
「……ザイレン?」
ざわり、と胸が揺れる。
振り返ったその“怪物”は、
口元だけが、人間のまま残っていた。
「……ルプ……ス……どの……」
人間の声色を残していた。
声が震えていた。
涙だけは人間のままだった。
よく見ると、その後ろに控えるアンデッドもすべて、第三部隊の面影があった。
皆、生気を失った虚ろな目をしていた。
「おれを……殺して、くれ……もう……正気が……もた……ん……
……あの日……オーブ……触れた時から……ずっと中から……壊されて……」
その声と同時に、背後で
無数のアンデッドが肉をこすり、骨を鳴らし、
ザイレンへ吸い寄せられていく。
(核だ……世界の歪みが生んだ“中心核”にされているんだ……!)
ザイレンの胸に収まった黒いオーブが、
周囲のアンデッドを喰い、肥大し、
彼の身体をさらに変質させていく。
「……やめろ、ザイレン!! 耐えろ!!!」
ルプスの叫びは届かない。
いや──届いているのに、届かない。
「無理だ……ルプス殿……おれは……隊を……守れなかった……
だからせめて……
――――最後くらいは……殿を……守らせて……くれ……」
裂けた胸から、真っ黒な血液が溢れ出す。
骨が伸び、翼のように広がる。肉が裂け、骨の翼を肉付けていく。足は獣のように変形し、
背中からはうねる触手が十本ほど生え、こちらを睨みつける。
しかし、瞳だけは、ずっと隊を誇ったあの男のままだ。
「ザイレン……!」
「……さぁ……来い……ルプス殿。
……おれを……解放して……くれ……」
黒い霧が爆ぜた。
アンデッドの大群が津波のように押し寄せる。
ルプスは叫び、サイスを構えた。
水の神の力が迸る。
「―――《海嘯断罪》!!」
刃が弧を描く。
水流がアンデッドを貫く。
骨が砕け、肉片が飛び散り、黒い血が雨のように降る。
だが──ザイレンだけは倒れない。
むしろ周囲の死骸を取り込み、ますます肥大していく。
「くっ……!」
霧が触れた瞬間、ルプスの肩が裂けた。
痛みは鋭いが、動きは止めない。
ザイレンの腕が、異様に伸びて襲いかかる。
サイスで受け流すが、肉が裂ける音が耳に残る。
(ザイレンを……殺さなきゃ……世界そのものが死んでしまう……!)
彼を見つめる。
ザイレンは笑っていた。
人間の頃と同じ、優しい顔で。
「……ルプス……殿……」
涙だけが人間のまま、こぼれていた。
ルプスは息を呑む。
「……すまない。」
その一言だけ告げる。
ザイレンは微笑む。
「……ありがとう。」
ルプスは迷いなく、
水神の力をサイスへ集中させた。
世界が震えた。
「―――《オケアノス・終潮閃》!!!」
刃が白い水光をまとい、一瞬でザイレンの胸、オーブを貫いた。
黒い血液が噴き出す。
ザイレンの巨大な身体がゆっくりと崩れる。
倒れる瞬間──
彼は、部隊に入ってきた若い頃の笑顔で、短く呟いた。
「……守れた……な……」
「……!!」
そして、砕け散った。
黒い霧は晴れ、アンデッドは塵となり消えた。
丘は静寂に満ちた。
ルプスは膝をついた。視界が涙でぼやける。
拳を握る。
(……まだ終わっていない。世界がひび割れる理由……ルシウス……お前は……
どこで、何をしようとしている……?)
風が、ひび割れた音を運んできた。
ルプスは立ち上がる。
「行くぞ……ザイレン。
お前の意思は──俺が受け継ぐ。」
世界は、さらに崩壊の音を増していく。
ルプスは、ひび割れる空を見上げた。




