9.美耶、襲来
「誠様ー!」
休み明けの月曜日。
すっかり『彼女』が板についた凛は、朝から誠の家に顔を出し、一緒に登校しようと誘った。
一度およばれすると、当人を身近に感じるものである。夏は相手が日本一であることも忘れ、
「凛ちゃんだー! おはよー! 今日もコミュ障のお兄をよろしくー!」
明るく応じた。
誠は凛と並んで歩く。彼女の唇に自然と視線が向いて、土曜の出来事が思い返されて、ボンッと赤面した。
「まったく、誠様ってば可愛いんだからあー!」
凛はバシバシと背中を叩いた。そして、耳元で、
「旦那様、次はもっと過激なことをしましょ」
艶やかな声が誠の聴覚を支配し、誠はテンパってしまう。
そんなバカップルぶりを見せつけながら歩いていると、
十メートルほど先に、黒髪の同級生が、イケメン池田と並んでいる。
美耶だ。
(そうか、美耶ちゃんの彼氏は池田だったな……)
自分には凛がいる。だが、美耶は小学校からの竹馬の友。その彼女が池田と恋仲になったのだ。誠の心に、隙間風が通り抜けた。
(ん? 美耶ちゃんが後ろを向いて、自分に視線を合わせてきたぞ?)
次の瞬間、
「誠くーん!」
「へっ?」
誠は面食らった。
美耶が池田を押し倒し、何の躊躇もなく彼を踏んづけて、こちらに走り寄って来た。
(はっ? 何が起きてる?)
彼女は走って走って、息を切らして彼の前で止まった。
「美耶さん! どうしたんですか?」
美耶は息を整えてから、凛が隣にいるまさにここで、
「誠くん! 好き!」
直球で告げてきた。
遠くで、踏んづけられた池田が無様に転がっている。彼は起き上がると、
「漆黒のマコトおー! てめー許さねーからなー! てめーが強くなけりゃ、今すぐでも張り倒してやるよ!」
ありったけの悪口を叩き、それでも敵わないと自覚したのか、諦めたように去っていく。
「ええっと? 美耶さんは池田と付き合ってるんですよね?」
「振ったわ」
端的な返答。続けて、
「池田くんなんて、ちょっと顔面偏差値が高いだけのノータリンよ。あたし気づいたの! やっぱり彼氏は強くて勇敢でないと!」
(どういうことだ? 何が起きている?)
(誠様はモテて当たり前よ)
凛がひそひそと話してくる。
(だって銀河系最強なんですもの。ダンジョンの占有権、YourTube広告料、CM出演料、ドラマオファー、会社経営、遺産相続、TV出演などなど、今後の収入は計り知れない。アラブの石油王を差し置いて、地球上で一番お金持ちになる男よ。だから、誠様の彼女=勝ち確。女子たちは、どんな犠牲を払っても彼女の座を奪いに来るわ)
どんな犠牲を払ってでも……。
誠は内心複雑だった。本当のことを言わないと……と焦る反面、
本命から告白され、彼女になりたいと懇願され、
脳内麻薬が滝のごとく降り注いでいた。
美耶は祈りのポーズで、自分に頼み込んでいる。
(ふふふ……)
誠の心に、ドス黒い何かが現われた。
「美耶さん、本当に俺を好きなんですか? 金に目がくらんだ女なんて、こっちから願い下げですけどね」
美耶の肩がビクンと反応する。
「そ、そんなことないわ! あたしは本当に誠くんが好きよ! 大好きよ!」
「じゃあ、池田と付き合ってすみませんでした。もう二度と不倫しません。これからは誠様の彼女として、どんなことでもします、って言ってみてよ」
自分の心に何が起きているのかわからない。
なぜこんな言葉が紡がれる?
人気は人を変えるというが、これは変わり過ぎではないか。
(——いや違う)
誠は否定する。
自分は内向きすぎたのだ。
あるべき姿に戻っただけじゃないか。
美耶は身を震わせ、彼女にしてくれるのね?と歪に笑うと、
膝を折り、誠を大名でもあるかのように見上げてから、深々と土下座。Fカップが地面に擦り付けられて、レースのパンティーがチラリと見える。
彼女は歓喜きわまる声調で、
「池田のドブネズミ野郎と付き合ってすみませんでした。もう二度と誠様以外を男として見ません。これからは誠様だけを主として崇め、どんな命令にも、このメス犬、ワンワン鳴いて喜んで応じます」
そこまで言えとは言ってないけどな……。
美耶は誠の腕にしがみつき、すっかり彼女の面構えになった。
校門を過ぎると、
「誠くんよぉー!」
「誠くんだわー!」
「きゃー! 誠くーん!」
「こっち見て誠くーん!」
窓という窓から、女子たちが顔を出し、手を振り、黄色い声をぶつけてきた。直後、ドッと雪崩のように校舎から出てくると、誠を取り囲み、
「彼女にしてー!」
「大好きー!」
「付き合ってー!」
さすがにこの量は怖い。チャイムが鳴る前に教室に入らないと遅刻扱いになってしまう。
誠・凛・美耶は『人いきれ』をかき分けて、どうにか教室にダイブした。
(ふうー)
机に突っ伏していると、
こつん、と、紙飛行機が誠の頭に投げつけられた。
『漆黒のマコト、俺の彼女をとってんじゃねーぞ! いつかギタギタのズタズタにしてやるからな! 男子一同』
赤い目を吊り上げて、男たちが喧嘩上等のオーラを出しながらこっちを睨んでいた。
ここにきて、誠はようやく冷静さを取り戻した。
(やべー!)
嘘がバレたら、クラスメイト全員に殺される!
今や、自分の命を狙う輩は、凄まじい勢いで増えていた。
凛、凛の父親、セバスチャン、美耶、クラスの女子たち、男子たち。
(何が何でもバレちゃいけない!)
誠の胃は再びキュルキュルと痛みだした。
♢ ♢ ♢
授業中も男子の殺意と女子の羨望からは逃れられなかった。
チクチク刺すような視線に、誠は仕方なく保健室に逃げた。
「あら、また誠くん?」
保健室に入ると、白衣の志奈先生が出迎えてくれた。
「ベッドで休みなさい」
先生は優しく誠を介抱する。
志奈先生は影のある美人タイプだ。少し茶の入った長い髪。唇の下にあるホクロ。丸い眼鏡。笑うと大きな瞳が潰れて、艶めかしく細くなる。グレーのニットは、中のスイカでパツパツに張っていて、タイトスカートから見えるムッチリな太ももが、高校生男子には刺激が強すぎる。
誠は一息の静養を見出し、目を閉じた。
ここなら誰も自分を煩わせないだろう。
そう思っていると、
「誠くんは、どんな女性がタイプなのかしら……」
志奈先生が、困ったような表情で頬を染め、
眼鏡をはずしてからベッドに座った。
プルルンと胸が上下に揺れる。
(はっ?)