3.凛、襲来
次の日。
誠は閉口した。
「ごきげんよう、皆さん」
サッとピンクの髪をなびかせ、ぽよんと大きな胸を弾ませながら自己紹介したのは、なんと、誠が画面でいつも応援をしている彼女、
星野凛、その人であった。
澄んだ声にクラス中が色めき立つ。
「名取の隣が空いてるな。学校のこと、いろいろ教えてやれよ」
ダンジョン界のアイドルと言っても、首を傾げそうな耄碌気味の担任は、端整な顔立ちの美少女を、なぜか自分に押し付けてきた。
(ぎゃー!)
誠は発狂寸前だった。
「よろしく」
手を差し出してきた凛。誠は耳まで顔を真っ赤にし、差し出された手を握る。
クラス中の男子からの、怒りにも、羨ましさにも似たオーラを感じると、彼は咄嗟に手を引っ込めた。
「この学校に、マコトって言う配信者がいると踏んでいるの。知らない?」
昼休み。
凛は誠の耳元でフッと息を吹きかけて囁いた。甘い匂いが漂って、誠は縮こまってしまう。ずっとオタクの陰キャだったのだ。無理もない。
彼女が足を組むと、短いスカートの端がふわりと舞って、こちらに見える肌の面積が増えた。誠はゴクリと唾を呑み込む。
喧騒を避け、誰もいない空き教室で、誠と凛は向かい合っていた。
「知らな──」
誠は言いかけた。だが彼は自分を制し、なぜ彼女がマコトを追っているのか気になった。
「凛さんは日本一のダンジョン配信者でしょ? 俺大ファンなんです」
「ありがと」
「その凛さんが、どうしてマコトなんていう芋野郎を追いかけるんですか?」
自分のこととはいえ、芋野郎は言い過ぎだったか。
「答えは単純だわ」
凛はおくれ毛を耳にかけ、海のように深い瞳で誠を見て言い放つ。
「対決するのよ。どっちが本物の日本一か。
もっとはっきり言うと、わたしは彼を疑ってる。何かのトリックを使ったんだって。そうでもしなけりゃ、誰も攻略していないSSダンジョンを『にわか勢』が突き破るなんてできっこないもの」
どこからこの学校を割り出したのか分からない。凛の父親は有名な財閥のトップだ。父親のコネを使い、データセンターに無理やりアクセスして、この学校を突き止めたのかもしれない。急な転校が認められるのも、父親の顔がきくからだ。
そんな凛が、マコト──つまり自分を疑っているだと……?
誠はダラダラと汗をかきはじめた。
(やばい。嘘だとばれたら、殺される……)
「なに? 何か知ってるの? 緊張しないで。ほら、深呼吸して」
彼女の指が誠の指と絡まる。
(あわわわ……!)
「どう? 緊張しなくなった?」
(むしろ心臓が死にそうです……)
凛の顔が近い。5センチくらいしかない。
「ねえ、ほら。何か知ってるなら教えて? 誠クン」
潤んだ瞳は上目遣い。紅に染まった彼女の頬は、毛穴一つなくてとっても綺麗。制服越しに迫る胸は、……倉崎さんよりも遥かに大きくて、一体何カップあるんだろう。触ればフワッと柔らかくて、きっとマシュマロなんだろうな。と、……そんな妄想が誠の脳内を巡る。
やはり無難に知らないと言うべきだろうか。
(だが、そう言って、どうなる?)
自分の平凡で最底辺の生活は元のままだ。
凛ちゃんがこの学校に転校してきたのは千載一遇。自分の学生生活を非凡にするラストチャンスかもしれない!
(だとしたら──)
告げる言葉は一つしかない。
誠はスンと表情を静めると、
「漆黒のマコトは俺です」
「へっ……?」
なぜそう言ってしまったのか。
今となっては解らない。
極度に緊張して、正常な判断ができなかった。これが一番の解であろう。
後戻りのできない機関車は、猛烈な黒い煙を吐き出しながら出発してしまったようだ。
♢ ♢ ♢
「──旦那様。男が自供しました、……どうぞ」
学校の屋上。誰もいない屋上に立ち、風を受けて眼鏡を光らせ、白手袋で通信機に向かってしゃべっているのは、
ホコリ一つない燕尾服を着た、執事とも武術家とも取れる強そうな男。
通信機の向こうから、『旦那様』の野太い声が返って来た。
「確認した。声紋が一致する。確かに漆黒のマコトはこの男で間違いがないようだ」
「やはりですか。お嬢様は何を考えていらっしゃるのでしょう。……どうぞ」
「分からん。娘次第だ。おそらく、この男を死なない程度に痛めつけて終わりだろう。事後処理はお前に任せる」
「はっ、かしこまりました」
♢ ♢ ♢
「漆黒のマコトは俺です」
言ってしまった。
誠は自分の口からついて出た言葉を脳内で反芻し、同時に、
(何をしているんだ俺は!)
後悔の念にさいなまれ、両足がガクガクと震えまくった。
見ると、彼女は死んだように静まり返り、自分から一歩身を引いている。
(やばい! このままじゃ、決闘という名目で、今すぐ殺されてもおかしくない!)
「あ、あの、実はマコトが俺って言うのは、方便みたいなもので……」
「だーいすき!」
「はい?」
凛は目をハートにして、誠に告白していた。
(凛ちゃんが俺を大好き? 聞き間違い?)
「わたしね、ずっとずっと最強だったじゃない? だから自分より強い殿方に憧れていたの。その人が王子様だって。誠様……、お願い、わたしと付き合ってください!」
ガバッ!
凛は言い終わらぬうちに、誠に抱き着いた。
ふにゅん、と、
二つのマシュマロが当たっては離れ、また当たっては離れた。
(あわわわっ!)
誠はたじたじの極みであった。
「ねえ、返事は? 誠様はわたしのこと嫌い?」
凛は肉食系らしい。なぜか自分に『様』を付けてくる。悪い乙女系ノベルで食あたりしたんじゃないかと疑いつつ、誠はなんとか凛を抱き締めて、
「お、俺も好きです。大好きです! でも、決闘するんじゃなかったんですか?」
「しないわよ。本物か確かめたかっただけだもの。一位のわたしに挑もうなんて輩は誰もいないわ。そんな人がいるとすれば、マコト様だけ!」
なんと都合の良い展開なのだろうか!
「凛ちゃん、これからお願いします!」
「嫌っ!」
へ?
「わたしのことは呼び捨てにして。凛って呼んで。それから、丁寧語も嫌い。もっと罵る感じで、荒っぽい口調が好きなの。『はあ? 俺のことが好きだとメス豚! せいぜい俺の三歩後ろを遅れずについてくることだな』って言ってみて?」
「お、俺のことが好き……だと……メ、メ、メ」
「メス豚」
彼女は妖艶にほほ笑んで、弾んだ声で誠の耳元で囁く。
「メス豚……さん。せ……せ、せいぜい、お、俺の、三歩後ろを、お、お、遅れずに……」
そこまで言って、あまりにも慣れないことをしたせいで、
誠は湯気を額から出し、のぼせて意識が飛んでしまった。口から魂が飛んでしまっている。
「あら」
ちょっと刺激が強すぎたかしらと、凛は誠からようやく離れた。
「よろしくお願いします、誠様!」
「……お、お願いします」
「『かしずいて俺様の靴を舐めやがれ!』でしょ?」
誠はブンブンと頭を左右に振った。