第166章 相模トラフ深部プロジェク
相模湾に浮かぶ白い巨体――地球深部探査船〈ちきゅう〉。
その全長は210メートル、甲板中央から突き出す高さ120メートルの掘削タワーは、まるで海上に立つ宇宙ロケットの発射台のように見えた。
普段は地殻科学の最前線に立つこの船が、今回は国家存亡に関わる任務に投入されていた。
「火星探査に匹敵する規模だ……」
米国海洋大気庁(NOAA)の技術責任者が、ブリッジから甲板を見下ろしながら呟いた。
甲板上には、日本のJAMSTEC研究員、米国NASAから派遣された地球惑星科学者、さらには海軍の潜水医学チームまでが入り乱れていた。
彼らの目的はただ一つ――相模トラフ深部に眠る未知の装置を解明すること。
〈ちきゅう〉の掘削孔は通常、地殻を数千メートルまで穿ち、マントルに迫る。その能力をそのまま、今回は「海溝に埋め込まれたブラックボックスの観測孔」に応用することになった。
甲板では長大なパイプが次々と吊り下げられ、海面へと接続されていく。一本あたり30メートル、合計で数キロに及ぶ掘削ストリング。その内部には光ファイバーケーブルが組み込まれ、深海の微細な地殻変動や放射線レベルまで伝送できるよう改造されていた。
「この構造物、まるで人類のために設計された観測窓だな……」
JAMSTEC主任研究員が、ブラックボックスの三次元スキャン映像を見ながら言った。
映像には、海底岩盤に抱かれるように存在する金属質の筐体が映し出されている。外装は滑らかで、明らかに自然物ではなかった。
米国側の地球物理学者が応じた。
「火星探査よりも複雑だ。向こうは真空だが、こちらは水圧600気圧、流体、岩盤……ありとあらゆる要素が敵になる」
UUV群〈シーハウンド〉は、
ソナーで海底をマッピングし、マニピュレーターでケーブルを固定する。水中ドローンが描く光の軌跡は、暗黒の海溝に人工的な星座を浮かび上がらせていた。
日米合同チームの会議は、〈ちきゅう〉の掘削室で開かれた。
ホワイトボードには「Trident-II: SGT(Sagami Trench) Mission」と書かれていた。
「我々がこれから始めるのは、単なる地震調査ではない」
JAMSTEC所長が口火を切る。
「これは、人類が“地殻を通じて未来を覗く”試みだ。かつてアポロ計画が月に人を送ったように、我々は海溝に手を伸ばす。火星探査に匹敵する資源と技術が投入される」
米NASA代表が頷いた。
「我々の惑星探査チームが参加しているのは、ここに“異星的なテクノロジー”の痕跡を見ているからだ。これは単なる地球科学の範疇を超えている」
掘削が始まった。
巨大なドリルビットがゆっくりと回転し、海底の堆積物を削り取っていく。掘削液が循環し、海面に濁った水が噴き上がる。
管制室のモニターに、リアルタイムで地殻のコアサンプル映像が流れ込む。
「異常だ……岩盤の温度が通常より高い」
温度計の値を見た研究員が声を上げた。
さらにラドン濃度が異様に高いことが記録された。地震前兆の典型パターン。
米側の地震学者が顔をしかめる。
「装置が“歪み解放”を調整してきた証拠かもしれない。だが、もし限界に達しているなら……」
彼は口を閉ざした。答えは誰もが知っていた。
――この作業そのものが、巨大地震の引き金になりかねない。
それでも作業は進んだ。
やがてドリルヘッドが金属に到達する感触を示した。
「ヒットだ!」
歓声が上がる。モニターには、異質な材質の反射波が明確に映し出されていた。
海底に眠る“人工物”。
ブラックボックス本体への接触が、ついに始まった。
その瞬間、研究員の一人が息を呑んだ。
「……反応している。信号を送ってきているぞ」
スクリーンの片隅に、再び赤いアラートが点滅し始めた。
そのリズムは、まるで心臓の鼓動のように規則的で、そして急速に速くなっていた。




