第155章 残された声
2027年11月25日。核弾頭着弾から二週間。
都心の大部分は既に「強制避難区域」とされ、警察と自衛隊が封鎖線を敷いていた。数百万の市民は郊外や地方の避難所に移され、東京の中心は人影の消えた廃墟となっている。
だが完全に無人ではなかった。
移動できなかった高齢者、避難を拒んだ人、家畜や店を捨てられなかった人々が、まだ点々と残っていた。
記者は防護服に身を包み、線量計を胸に下げて検問所を越えた。自衛隊NBC隊員が同行し、声を低く告げる。
「滞在は二時間以内。アラームが鳴ったら即時退避してください。」
数字がじりじりと上昇していくのを見て、喉が渇く。
靖国通りに入ると、街は静まり返っていた。看板は倒れ、ビルの窓は割れ、電線が垂れ下がる。だがその陰から、細い煙が立ち上っていた。
近づくと、小さな焚き火を囲む三人の老人が見えた。鉄鍋で何かを煮ている。
「ここで暮らしてるんですか?」
記者が問いかけると、一人が顔を上げ、笑みとも嘲りともつかぬ表情を見せた。
「暮らすしかないんだよ。避難所は遠い。足が悪くて歩けないし、バスももう来やしない。」
鍋の中身は、近くのスーパー跡から拾った米と缶詰だった。
「援助は?」と尋ねると、別の老人が首を振った。
「一度、自衛隊が食料を置いて行った。でも二度目はない。線量が高すぎるんだろう。」
彼はノートに走り書きをした。
——都心は避難済みのはずだが、なお数十人単位で取り残されている。
さらに歩くと、古い商店街のシャッターの前に若い女性が座り込んでいた。腕には小さな犬を抱いている。
「避難しなかったんですか?」
女性は疲れ切った顔で答えた。
「連れて行けないって言われたんです、この子を。だから残った。」
犬は小さく震えていた。
彼女の周りにはペットボトルと空き缶が散らばっている。
「水は?」
「近くの自販機。電気は止まってるけど、たまに残ってる缶が出てくる。」
線量計が再び鳴り、隊員が腕時計を指さした。残り時間は一時間もない。
だが、目の前の女性は今日もここに座り続ける。
その事実が胸を締めつけた。
撤退の前、最後に足を運んだのは神田の小さな寺だった。
本堂の中で僧侶が数人の高齢者と共に座り、ろうそくの明かりを囲んでいた。
「ここから動かないのですか?」
僧侶は静かに言った。
「ここで生まれ、ここで死ぬ。それを変えるつもりはありません。」
言葉は淡々としていたが、そこに揺るがぬ覚悟があった。
記者は返す言葉を失い、ただシャッターを切った。
撤退の時間。
輸送車に戻ると、背後の街は再び静寂に沈んだ。
車内で彼はノートを開き、震える手で書き記した。
——都心はゴーストタウン。だが完全な無人ではない。
——残るのは移動できなかった者、拒んだ者、守りたいものを捨てられなかった者。
鉛筆の先が折れ、紙に黒い筋を残した。
彼は深く息を吐き、胸ポケットの焦げたノートを握りしめる。




