第149章 商店街連合
2027年11月28日。埼玉県川越市。
曇り空の下、かつて観光客で賑わった一番街は、今や配給を待つ人々の行列で埋め尽くされていた。
土産物屋の軒先にはシャッターが下り、蔵造りの家並みは黒ずんだ幕で覆われている。だが、その一角にだけ人の熱気があった。
「共同市場」と手書きされた横断幕。
商店街の残った店主たちが集まり、連合で立ち上げた臨時の配給・炊き出し拠点だった。
まつや食堂の松谷は、昼過ぎには既に汗まみれになっていた。彼の役割は大鍋で米を炊き、列に並ぶ人に一杯ずつ配ること。隣では八百屋の老夫婦が干し野菜を刻み、さらに隣のパン屋は小麦粉の配給を元に乾パンを焼いていた。
「親父、鍋こっち回してくれ!」
居酒屋の店主が声を上げる。彼は自分の店を閉め、ここで酒樽を改造した大鍋を炊き出しに使っていた。
「うちの女将が作った味噌がまだ残ってる。これ入れれば少しは味が出るだろう。」
松谷は黙って頷き、味噌を加えた。湯気に混じって漂う香りに、列に並んでいた子どもたちの顔が少し明るくなる。
午後になると、避難民の一団が到着した。東京から流れてきた家族、地元で家を失った人々。彼らにとって、この「共同市場」が唯一の食の拠点だった。
「証票を出して。はい、一杯ずつだよ。」
八百屋の老婦人が柔らかい声で呼びかける。
「すまんが、子どもが三人いるんだ。もう少し分けてもらえないか……」
父親が必死に訴えると、彼女は一瞬迷ったが、最終的に鍋をかき混ぜ、子どもに少し多めに盛った。
「いいのかい?」と問う父親に、老婦人は苦笑して答えた。
「昔は“おまけ”って言葉があったんだよ。……それを思い出しただけさ。」
夜、商店街連合の会議が開かれた。
瓦礫を片付けた空き店舗を使い、十数人の店主が集まる。
「今日の米は残り三日分。政府からの追加はまだ届かない。」
「燃料も尽きかけている。プロパンはもう使えない。薪を集めるしかない。」
「それでも、ここを閉じたら終わりだ。商店街が消えたら、この街は本当に死ぬ。」
議論は白熱した。配給の公平性をめぐって怒号も飛んだ。
「銀行や役所が機能していない今、俺たちが仕切るしかないんだ!」
松谷は机を叩いて言った。
「共同市場は“商売”じゃない。命をつなぐための“最後の店”なんだ。」
翌朝、炊き出しの列には新しい顔があった。
シャッターを閉じていた古い喫茶店の若主人が、段ボール箱を抱えて現れたのだ。
「昨日は心が折れて閉めちまった。でも……家に残ってたインスタントコーヒーがあった。これを配ってくれないか。」
列に並んでいた避難民の中から、小さな歓声が上がった。温かい飲み物は、この寒い冬を耐えるための希望だった。
老舗菓子店の主人も顔を出した。
「砂糖も小麦もないが、芋だけは手に入った。昔ながらの“いもようかん”なら作れる。甘いもんがあれば、人の心は少しは救われるだろう。」
商店街の仲間たちは、自然と拍手を送った。
こうして「共同市場」は少しずつ形を変え、商店街全体がひとつの“共同炊き出し連合”になっていった。
そこでは値段も利益もなく、ただ「役割」と「責任」だけがあった。
松谷は夜、静まり返った商店街を歩きながら思った。
——看板はそのままでも、俺たちはもう商売人じゃない。
だが同時に、
——この街に灯りを残せるのは、俺たちしかいない。
瓦礫の街に、小さな鍋の湯気と灯りが揺れていた。
それはもはや経済活動ではなかったが、人々にとっては「生きる証」だった。




