第145章 経団連臨時会議 ― 企業の生存線
2027年11月18日、午前9時。
場所は名古屋駅近くのホテル地下会議室。かつて東京・大手町に本部を構えていた経団連は、霞ヶ関壊滅後に拠点を急遽移していた。
分厚い防音扉の向こう、長机に並んだのは各業界の代表者たち。三菱重工、トヨタ、NTT、伊藤忠、日清食品、そして金融界から三菱UFJとみずほ。皆、顔色は憔悴している。
「——本日の議題はひとつ。自由経済を続けられるのか、それとも国家統制に服するのか。」
議長を務める会長が低く宣言した。
一瞬、会場は静まり返る。外の世界では、東京壊滅からわずか数日。株式市場は消滅し、円は国際決済から締め出されていた。
最初に声を上げたのはトヨタ社長だった。
「当社はすでに愛知の本社工場を政府の要請で軍需転用しました。自動車のラインは停止し、代わりに装甲車と発電機を生産しています。……正直に申し上げれば、我々の意思ではありません。国家の指示に従わなければ、工場も従業員も守れないのです。」
三菱重工の代表が続いた。
「造船所は完全に海自の管理下です。護衛艦の修理、潜水艦用部品の増産、ミサイルシステムの組み立て。商船建造はゼロ。軍需一本です。」
彼の声は淡々としていたが、その背後にある現実は重かった。
通信業界のNTT社長が身を乗り出す。
「東京の通信網は壊滅しました。我々が今構築しているのは“避難所専用の通信インフラ”です。Starlinkや自衛隊の衛星回線に依存し、民間利用は二の次。……もはや民間企業ではなく、通信軍管区の下請けです。」
金融界の代表も口を開いた。
「銀行は市場を失いました。国債を発行しても投資家はおらず、すべて日銀が引き受ける。つまり、我々は資金の『流し口』としてしか機能していない。……自由経済ではなく、戦費調達機関です。」
重苦しい沈黙が流れた。
その空気を破ったのは伊藤忠商事の幹部だった。
「穀物輸入は半減しました。南シナ海ルートは封鎖され、インド洋経由は三倍のコスト。政府は我々に“配給用”としての最低限の輸入を命じています。——商社はもう利益を追う組織ではない。食料を確保する軍の出先機関です。」
日清食品の社長が苦笑混じりに言った。
「工場は全力で稼働していますが、生産しているのはインスタント麺だけです。避難所の配給に回すために。味のバリエーションを考える余裕もありません。」
会場に小さな笑いが起きたが、それはむしろ絶望を隠すためのものだった。
議長が低い声で問いかけた。
「——では、我々はどうするべきか。自由市場を守るのか。それとも国家に従属するのか。」
沈黙の後、トヨタ社長が言った。
「自由市場はすでに存在していません。東京が消え、円が死んだ瞬間に終わったのです。私たちに残されたのは、国家に従うか、倒産するか、その二択だけです。」
三菱重工の代表も頷いた。
「銃よりもパンが人を動かす。だが、そのパンすら我々の手にはない。供給網は軍と政府に握られ、企業はその一部品になっている。——つまり我々はもう“経済界”ではなく、“戦時国家の歯車”だ。」
議長が結論を告げた。
「今日をもって、経団連は“戦時産業協議会”として再編する。役割は一つ——国家の生存に資すること。我々の利益や株主の声は二の次だ。」
会場に異論はなかった。
むしろ全員がその方が“生き延びる道”だと理解していた。
会議が終わる頃、誰かがぽつりと呟いた。
「戦後七十年、私たちは“経済立国”を誇ってきた。だが今、経済は国を守るための武器になった。」
その言葉に、誰も返す声はなかった。
会議室を出た瞬間、地下廊下に流れるサイレンの音が響いた。遠くで新たな警報が鳴り始めていた。
——市場の自由が消えた音は、砲声や爆撃音ではなく、静かな議論の中で鳴り響いていたのだった。




