第143章 叔父の記憶 ― 地下の戦場
花蓮の山中で、黄は夜明け前の湿った空気を吸い込んでいた。霧の切れ間から見える敵の陣地は静かで、どこに兵が潜んでいるのか分からない。耳を澄ませても風の音しか聞こえない。だが次の瞬間、彼の視界は揺らぎ、鼻に土とカビの匂いが強烈に押し寄せてきた。
——そこは南ベトナム、クチ地区。叔父が踏み込んだ戦場だった。
地面にぽっかりと空いた小さな穴。落ち葉に隠されたその入口は、人が一人やっと這って入れるほどの狭さだ。叔父はM1911拳銃を握りしめ、恐怖を押し殺して中へ潜った。米軍が「トンネル・ラット」と呼んだ任務だった。
地下は闇だった。湿気で粘る土壁、かすかな蝋燭の炎が揺れ、通気孔からの風が耳を撫でる。狭い通路は複雑に枝分かれし、時に縦穴で三層にも広がっていた。そこには病院、武器庫、会議室、さらには住居まで備えられ、数千人が潜み生活していた。
叔父は匍匐しながら進む。壁に触れると、竹で編んだ偽装の扉が現れ、さらに奥に続く通路があった。突然、足元に仕掛けられた罠の感触——竹槍の落とし穴や手榴弾のワイヤー。息を殺して回避した瞬間、背後から土の音が響き、敵が現れた。至近距離での銃撃。狭い空間での爆音が耳を破り、火花が土壁に散る。
叔父は振り返りながら必死に後退した。地上の仲間がガソリンを流し込もうとしている気配。トンネルを破壊する米軍の常套手段だ。だが敵は別の出口から現れ、再びジャングルの闇に姿を消す。
「ここは地中にもう一つの戦場がある。」叔父の声が黄の頭に響く。
「地上を制圧しても、地下に残っていれば戦争は終わらない。土の下に、もう一つの国が築かれていたんだ。」
視界が戻る。花蓮の山中、黄ははっと顔を上げた。敵の陣地の背後に不自然な盛り土が連なっているのに気づく。もしかするとそこに地下壕や補給道が隠されているのかもしれない。叔父の記憶が彼の目を開かせたのだった。
「分隊長、あの土盛り……怪しいです。」黄が指差す。
仲間が双眼鏡で覗き、「確かに通気孔のような穴がある」と頷いた。
黄は心の中で繰り返した。
——敵を探すなら、地表だけを見るな。土の下にも、戦場は広がっている。
こうして黄は、叔父が体験したベトナムの「地下戦」の教訓を自分の戦場に重ねた。
銃弾や砲弾だけでなく、土の下に潜む敵。補給路も、指揮所も、病院も、すべてが地下に隠される可能性。戦争は地上の地図だけでは見えない。




