第120章 変容の花
2027年11月16日。
京都・国立歴史文化総合博物館の地下収蔵庫。
外界から隔絶された白い空間に、透明ガラスのケースが鎮座していた。
その中に収められているのは、かつて戦艦大和の艦首を飾り、海底から引き揚げられた直径一メートルの「菊の御紋」。
照明に照らされたその表面は、昨夜まで確かに鮮やかな金色を放っていた。
——しかし今、誰もが息を呑む光景がそこにあった。
「……色が、変わっている」
若い研究員が震える声で言った。
金の輝きは薄れ、花弁の一枚一枚が淡く透き通り始めていた。
真鍮特有の重厚な黄色は消え、かわりに、氷の結晶のような白い光がガラス越しに溢れていた。
まるで金属が鉱石へと変容していくかのように。
主任の白石教授は眼鏡を外し、食い入るように見つめた。
「これは……単なる酸化や腐食ではない。
分子レベルで金属結晶構造そのものが変化しているようだ。だが、こんな現象は記録にない」
隣で館長が小声で呟く。
「……まるで、金の御紋が“透明な象徴”へと姿を変えているようだ」
研究員が慌ててモニターのデータを示す。
「分光分析では、反射率が低下しています。金属的反射から、無機結晶体に近い透過率へ。
ただ、元素分析は依然として真鍮合金の値を示している。
つまり、物質は変わっていないのに、外観が——」
「象徴だけが変わっているのだ」
教授の声は震えていた。
「菊の御紋は、かつて天皇と国家の絶対権威を表した。黄金はその権威の色だ。
だが今、この国は瓦礫の中にあり、権威は崩れた。
——ゆえに“透明”へと変わる。国民が新たに見るべきものは、強制でも威圧でもなく、透き通った象徴なのだ」
室内に静かなざわめきが広がる。
誰も信じられなかった。科学でも歴史でも説明できない現象を、彼らは今、目の当たりにしている。
数時間後。
御紋の表面はさらに透き通り、十六弁の花弁の輪郭は、光そのものが形をとったように白く輝いていた。
LED照明を落とすと、なお淡い自光が残り、地下収蔵庫の壁に柔らかな光が反射した。
「……これはもはや、金ではない」
研究員が吐息混じりに言った。
「まるで水晶。いや、“水晶の御紋”そのものです」
白石教授は深く頷き、声を潜めた。
「この変化を記録に残すな。いまはまだ、国家はこの意味を受け止める準備がない。
だが歴史は、確実に変わろうとしている。
黄金の時代から、水晶の時代へ。これは……“権威の再生”ではなく、“象徴の変容”だ」
館長は、防衛省の担当官に恐る恐る問うた。
「……公開は、やはり?」
担当官はしばし黙り、そして硬い声で答えた。
「現状では非公開。だが……臨時政府が必要とするとき、この御紋は“未来の象徴”として掲げられることになるだろう」
その言葉に、収蔵庫の空気が一層重くなった。
研究員の一人が呟いた。
「国宝どころじゃない……これは、国そのものの形が変わる兆しだ」
その夜、警備員が巡回するたび、ガラス越しに淡い光が胸を打った。
十六弁の花はもはや金属ではなく、透明な水晶の花となってそこに咲いていた。
まるで、暗い時代の中で日本が再び立ち上がることを、静かに告げているかのように。




