第92章 漂着の朝
——2027年11月、与那国島沖。
夜明けとともに、水平線に無数の影が現れた。
漁船、漁筏、木造の小舟。波に押されるそれらの上には、ぎゅうぎゅう詰めの人々がいた。幼子を抱えた母親、白髪の老人、顔に煤をつけた少年兵のような若者まで。
与那国の漁師・比嘉は防波堤に立ち尽くしていた。
「……台湾からだ。」
隣にいた隣人が答えた。
「中国が再び攻め込んだって話は聞いた。まさか、こんな数が……」
波打ち際に着いた船から、次々と人々が飛び降りた。水に濡れ、泣き叫び、砂浜に倒れ込みながら叫ぶ。
「助けてくれ! 水を……子供が……!」
比嘉は一瞬ためらったが、倉庫に駆け込み、古いタンクを担いで戻った。
「飲め、少ししかないが!」
水を受け取った女は声も出さず、ただ深く頭を下げた。
——島の人口1,500人。その数倍の人間が、わずか数時間で流れ込んでいた。
同刻、与那国沖5キロ。海上自衛隊輸送艦〈くにさき〉。
甲板では、救助にあたる隊員たちが休む暇もなくロープを投げていた。
「こっちだ! 子供を先に!」
手を伸ばした先で、小舟から差し出される小さな体。泣き声はエンジン音にかき消されず、むしろ鋭く響いた。
艦橋では副長が報告していた。
「避難民、推定で三千人以上を収容中。だが、次の船団が後方に確認されています。」
レーダーにはさらに数十隻の光点。台湾東岸から押し寄せる民の群れは、止まる気配がなかった。
艦長は短く言い放った。
「那覇へ回せ。だが、港のキャパはすぐに限界を超える。」
午前10時、那覇市。沖縄県庁臨時対策室。
地図の上にマーカーが次々と置かれていく。
「与那国に五千、石垣に一万、宮古に三千。那覇港に到着予定は本日中に一万五千!」
職員の顔は青ざめていた。
「港湾倉庫を全て開放しましたが、食料・水は三日分も持ちません!」
「医療班は?」
「県立病院はすでに満床。臨時の医療テントを設営中ですが……」
防衛省から派遣された連絡官が低く告げた。
「本土から空自のC-2輸送機で九州へ移送を開始します。しかし、これは氷山の一角にすぎない。台湾東部の住民は数百万人規模です。すべてがこちらへ流れてくれば……」
大臣経験者の古参議員が机を叩いた。
「つまり我々は、戦場と同時に難民収容所にもなるのだ!」
夕刻、那覇港。
岸壁に横付けされたフェリーのランプから、台湾人の群衆が吐き出されるように降りてきた。
泣き声、叫び声、そして沈黙。抱えられる遺体。
港湾職員は腕章を巻き、 megaphone で叫んだ。
「こちらへ! 登録を済ませてから医療所へ!」
だが群衆の列は制御不能だった。押し合い、転倒し、子供が泣き叫ぶ。
その混乱を見下ろしながら、自衛官の青年は無意識に呟いた。
「これが、戦争のもう一つの顔か……」
 




