第81章 分岐世界 深海への祈り
2026年7月、相模湾沖・SLSC設置完了
〈白鳳改〉の艦尾に静かに流れる引込ケーブル。それは、海底に降り立ったSLSCユニットへの生命線となっていた。
静かだった海面とは対照的に、深海下では水圧と夜光生物の微かな光が交わり、異様な静寂が広がっている。
「この状態を維持しつつ、もう一つのステップへ進む」
船橋では、志摩博士が声を潜め、意を定めたように言った。
ROV〈かいこうX〉は、浮遊する海底モジュールに対して、三脚式ステーショニングと操縦席からの細密な操作で接近した。
深度6000mを超える環境下、ROVの双腕マニピュレータ(多関節7自由度+高感度位置フィードバック)は、まるで息さえ舞わないこの場所で、その存在を証明しているかのようだった 。
「ターゲットリングに移動——」
上部の銀色シェル。それは円環モジュール上部に収められた、見た目にはただの保護シェルのようだった。だが、その下には「SLSCの起動装置」が収納されていた。深海での長期耐圧を考慮した設計だったのだ。
ROVのカメラがシェルの表面にパンし、狭く精緻な操作空間が映し出される。
シェルには「Hot Stab」型の簡易コネクタ機構が付いていたように見える。これは、ROVが容易に脱着可能なよう設計されたもので、円錐形状でガイドさせやすく、Oリング密閉で構成されている 。
村瀬航平が慎重に操縦桿を操作する。
「コネクタ位置確認……シェル上部に、スタブ用ポートがある」
渡辺亮が高精度ソナーとカメラ映像を重ねて、接続ポイントを特定する。
「角度は……ピッチ−0.5°、ロール±0.2°。安定保持」
ROVシステムの整合性が保たれる。
「右マニピュレータ、スタブを持って……」
ROVのグリッパがシェル上部のスタブ形状を正確に捉える。
「位置合わせ優先、回転しながら挿入だ」
少しずつスタブを回転させ、ガイド溝に滑り込ませるように…。
「挿入完了——ラッチがかった」
光は一層強くなり、艦内でも一瞬、画面が白熱するように明るくなる。
センサーが異常振動を拾った。
「接触確認……電圧は正常、データリンク確立」
艦橋の計器が示す数値は、まるで生命の鼓動のようにゆっくりと着実に反応していた。
「超伝導コイルの冷却系、応答開始。フィードバック安定」
志摩博士の声に、小さな震えがあった。
「スタブ接続により 装置が起動し始めている」
ROVのライトに、カバーの隙間からわずかな演算基板の緑色LEDがちらつくのが見えた。
「冷却溝が反応——熱交換が起動した兆候。構造パネルに微振動」
堆積泥が0.01Hzのリズムで揺れ始める。断層が応答している、という言葉を初めて物理的に体で感じた瞬間だった。




