第77章 分岐世界 砂漠の研究所
分岐世界 ニューメキシコ州・ロスアラモス。
標高2200メートルの台地に広がる研究所群は、かつて「原子爆弾」が生まれた場所だった。
1945年の記憶を刻むこの地は、2026年のパラレルワールドでは再び人類の「地球規模リスク」を扱う拠点となっていた。
赤茶けた岩山を背にした実験棟——PF-11地下実験施設。
分厚いコンクリートの扉を抜けた先に広がる空間には、極低温設備と巨大な電源モジュールが整然と並んでいる。
そこに鎮座していたのは、直径6メートルの銀白色の円環。16基の超伝導コイルが環状に配置された試験機だった。
「液体窒素流量安定、温度92Kに保持。」
冷却エンジニアの声が実験室に響く。
通常の世界なら超伝導には液体ヘリウムが不可欠だが、このパラレルワールドでは常温近傍で動作する**高温超伝導体(改良型YBCO, Bi-2223変種)**がすでに実用化されていた。
液体窒素だけで臨界温度を大きく超える安定稼働が可能となり、産業規模でのギガワット級電磁システムが視野に入っていた。
「磁場出力、10テスラ到達。」
電流が流れると、コイル全体が低く唸りを上げる。
フラックスピンニングによって磁束は固定され、実験室中央の花崗岩試料にわずかな応力が伝わった。
岩盤に埋め込まれたファイバー光学式ひずみセンサーが数値を弾き出す。
「ストレイン、1.2×10^-9……ナノストレイン領域。検出成功。」
主任研究員のエイミー・ハロウェイ博士が眼鏡越しにデータを見つめた。
彼女は地球物理と量子工学の双方に通じる新世代研究者だった。
「これが断層全体に作用すれば、数十年分のひずみを“ミリ秒単位で誘導解放”できる。問題は制御だ。」
横にいた日本からの客員研究者・志摩博士が口を挟む。
「断層に与えるべきは“一撃”ではなく、持続的かつ周期的な振動です。周波数は0.01〜0.05Hz、深部低周波地震と同じ帯域に合わせる。それなら断層は破壊せずに、ゆっくり滑る。」
「だが、出力が強すぎれば“人工地震兵器”になる。」
と答えたのは軍事顧問のカーティス大佐。
研究室の隅に立つ彼の存在は、ここが純粋な科学施設ではないことを示していた。ロスアラモスは常に「軍と科学」の境界に立たされてきた。
実験が進む。
花崗岩ブロックに見立てた試料は、数分ごとにわずかに音を立てて小さな破壊を繰り返した。
「マイクロフラクチャリング確認。振動波形は自然のスロースリップに類似。」
観測員の声に、ハロウェイ博士が頷く。
「——やっと、“地震の安全弁”を作れる段階に来た。」
しかし次の瞬間、センサー群に異常値が走った。
量子センサーが記録したのは、ひずみ信号ではなく不可解な干渉縞。
「……これは地殻応答じゃない。時空間干渉のノイズか?」
志摩博士の額に汗が滲む。
ハロウェイ博士は沈黙し、かつてこの研究所で語られた言葉を思い出した。
——“新しい科学は、必ず軍事と隣り合わせに誕生する”。
実験室の照明がわずかに揺らめき、花崗岩試料から低い音が響いた。
それは地震の模倣実験のはずだった。
だが誰もが心の奥底で理解していた。
この装置は、地震を抑えると同時に、地震を呼び起こす能力を秘めている。
分岐世界のロスアラモスは再び、人類にとって“ Pandora の箱 ”を開けようとしていた。




