第71章 臨時 病院船 大和
帰投した11番艇がウェルデッキに入ってきた。
水しぶきをまとった艇体が軌条を滑る音が、隔壁に反響する。
蒼井惟人二等海尉はヘッドセットを押さえながら、処理ラインに目を移した。
乾式拭取り、ミスト噴霧、簡易線量計――三段階を外すことは許されない。
兵員たちは互いに目を合わせ、確認の声を低く短く発する。
泣き声が響いた。
幼児だ。母親の肩は細かく痙攣していて、力が抜けているのがわかった。
担架の金具同士がぶつかり、甲高い音が空気を切る。
仮設ICUへ運び込まれた若い男性は、私の耳のすぐ近くで苦しそうな喘鳴を漏らしていた。
艦医長が短く指示を出す。「吸気性外傷。シール貼付、必要なら減圧針。」
医療員が即座に胸部にオクルーシブ・ドレッシングを貼り、聴診器を当てる。
呼吸音が戻ったのがわかる。モニターに酸素飽和度が上昇する表示が現れた。
母親が繰り返し、声にならない礼をしていた。
蒼井惟人二等海尉は、その場に居合わせていた一人の避難者に問われた。
「ここは病院船なのですか?」
言葉が喉に詰まり、短い沈黙があった。
「……艦です。でも、今日は病院の代わりです。」
自分でも不完全な答えだと感じた。
だが、他に言いようがなかった。
艦尾のテント群を見渡す。
赤、黄、緑の三層の動線。足元にはディスポ箱と鋭利物コンテナが並び、廃棄が次々と投げ込まれていく。
NRBCの下士官が淡々と測定値を読み上げる。「0.7マイクロシーベルト毎時。許容内。次。」
その声は機械のように正確で、むしろ安心感があった。
「大和12、豊洲出しの折返し時間を教えろ。」
彼はヘッドセットに口を近づけて呼びかける。
『12、現在回収中。あと七分で満載、九分で離岸見込み。』
「了解。――ドローン3、河口付近ホットスポットの移動をトラック、艇へプッシュ。」
副CICのスクリーンに描かれた緑の線が、潮流と風で微かに撓んだ。
あの線は静止したものではない。
――航路は生き物だ、と私は思う。
毎分、条件が変わり、揺らぎ続ける一本の命綱。
そして、それを握り続けることが、今日、砲術副主任であるはずの私に課された仕事なのだ。




